チグリジア
<<警告!!>>
流血描写及び鬱描写があります。
苦手な方はご注意下さい。
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複数の気配や足音、薄っすら聞こえる声から増援がこちらへ向かっているのをエキドナは察する。
散々苦しめられた強敵のジルがニールに負けたのは明白だ。あっさり両手を上げ降参のポーズを取る男を見つめていると、ミアの方向から瓦礫が崩れるような音がした。
「なっ…何言ってんだいジル!」
ガラガラと音を立て壁の破片の山から起き上がったのはなんとブレイクだ。
慌てた様子の彼女の姿を目にしてエキドナは息を呑んだ。
(もう立ち上がれるくらいに…!)
予想外のタフさに驚き、同時にブレイクのそばで座り込んだまま動けないミアの事を思い焦りを募らせる。
すぐさまヴィーにアイコンタクトを送ると彼も同じ考えだったらしく、真剣な表情で頷いて応え、ブレイクがまだこちらの存在に気付いてない隙に急いでミアの元へ向かうのだった。
「これ以上は割りに合わねェんだよ…姐さん」
「ハァ!? 今さら何を…」
「俺は金積まれて用心棒として雇われただけだが、コイツらが隠したがってる情報色々知ってるぜ? これからやろうとしていた計画や別のアジト、まだ引っ込んでる連中とか惜しみなく話してやるよォ。だからあんちゃん、ちょいとお偉いサンに融通効かせてくれや。なァ?」
「!!!」
一方ブレイクに問われたジルはというと裏切った事をあっさり認めペラペラとニールに話し掛けている。どうやらブレイク達『メンテス』を見限った上でニールに減刑目的の司法取引を持ち出しているようだ。あまりの変わり身の速さにブレイクは絶句し、エキドナの隣に立つヴィーまでもが唖然としている。
「オレはそーいう難しい事よくわかんねーッ!」
「まァまァ固いこと言うなよ。困った時はお互いサマだろォ?」
通常運転のニールにジルが飄々とした態度で交渉を続けているさなか、エキドナとヴィーの方も着実にミア達と距離を縮めていた。
ミアも気付いたらしい、こちらを見て顔を明るくしている。その天真爛漫な笑顔が自然とエキドナやヴィーの殺気立った心を癒し、和らげていた。
(良かった……なんとかなって。援軍もすぐそこみたいだし、このままミアを…)
「なんでだよ…ヴィーも、ジルも…」
刹那、不穏な低い声を耳にしてエキドナはブレイクを見やる。
ブレイクは俯き、頭を抱えていた。ブツブツと小さな声で何か喋っているようだ。
「なんでなんだよ…こんなに金と時間を掛けて、」
一人呟きながら細かく編み込んだ黒髪を両手で掻きむしっている。
…次第に指先の動きが大きくなり、めちゃくちゃに乱れるのも構わず激しさを増していく。
「バレねぇように、裏切らねぇように徹底して…! なんで? なんで、なんで、なんでぇ…!?」
「ア"ア"ア"ア"ア"ア"!!!!」
突如響いた奇声にエキドナ達はビクッと固まった。
ブレイクがいきなり脇目も振らず金切り声を上げたのだ。頭を掻きむしり地団駄を踏むその異様な光景にミアやニール、そしてヴィーまでもが驚きと恐怖で反応出来ずただ呆然と見つめている。
「あり得ねーんだよクソ野郎! 裏切り者のゴミクズクソ野郎共が!! こんなはずじゃあっ…!!」
そしてエキドナは、逆上した女の姿に既視感を覚え、一人戦慄した。
ガターーンッ!!!!
『兄ちゃんっ もうやめてよぉ!』
『うるせぇッ!!!!』
バンバンッガンッ!!!!
『ぅっ…』
『ふざけんなカスが…ッ!!』
『〜〜〜〜!!!!』
ガンガンガン!!
(不味い…!)
喉が乾く。手足が震える。
脳裏で似た記憶が、経験が、エキドナの中でありありと蘇っていた。
「お前の所為だ」
「え…」
不意にブレイクがミアに視線をやった。
ギラギラと光るアーモンドの瞳に射抜かれたミアは蛇に睨まれた蛙のごとく怯えてしまい、逃げるどころかますます動けないでいる。
「お前の所為だ…そうだ……お前だ」
「っ…」
悲鳴も上げられず硬直するミアに無理もないとエキドナは思った。
(あんな狂気、間近で浴びればこっちもダメージを受ける)
エキドナは身を持って知っていた。
前世の兄曰く、『暴れた記憶は残らない』らしい。
つまり "ああいう状態" になった人間はある種の失神状態。発作的で衝動的な感情に支配され、正常な思考が出来なくなるのだ。ただ己の欲求を解消するために手段を選ばず、周囲の物や他者を平気で傷付けて暴れ回るだけの怪物に成り果てる。
そして普段以上に手が出るのが早くなる。
「全部お前の所為だ…お前が来てから、お前が取引きの邪魔して、ヴィーを惑わしたり逃げ回ったりしたからッ…」
「ひっ!」
そうしている間にもブレイクが身体を引きずるようにじりじりとミアに迫っていた。
咄嗟にヴィーの腕を肩から外して駆け出す。
「!? おい!!」
(動け)
「全部狂ったんだよおぉぉぉぉぉ!!!!」
__動け動け動け動け!!
ブレイクの狂気で皆気圧される中、エキドナは己を叱責し足を動かした。
「ゔ!?」
「いやぁぁ!」
「ッ…!!」
そしてミアを掴みかかろうとしたブレイクに残りの力を振り絞って体当たりし、さらにミアを思い切り突き飛ばしたのだった。
「痛ってぇなこのクソガキ!!」
八つ当たり気味にブレイクがエキドナの長い髪を掴んで罵倒する。
しかしふと何かに気付いた素振りを見せたかと思えば……不気味な笑みを浮かべた。
「…あぁ、そうだ」
身体を引き寄せられ刃物を突き立てられる。
体当たりした衝撃からか髪を引っ張られたからか、頭部からまた血がじわりと滲み痛みが走った。
「お前も、アタシの計画を邪魔したんだ」
「ドナ!!」
すると出入り口の方からギャビン率いる増援がエキドナとブレイクを見つけて慌てて駆け寄ってくる。
その光景を目にしたブレイクが一度舌打ちをしその場で叫んだ。
「近付くんじゃないよ!!! それ以上近付いたら、どうなるかわかってんのかい!!?」
「っ…! お、落ち着け!! 今すぐ人質を離すんだ!」
「黙りな!!!」
宥めるように説得を試みるギャビンにブレイクが興奮気味に噛み付いた。喉元にナイフを突き立てられたエキドナを見てギャビン達の顔色がより一層青ざめいる。
「許さねぇ…絶対許さねーからなァ!! せめてお前だけは、絶対この手で…確実に……殺す!!!」
「おいニール! お前が居ながらなんでこんな…って、大丈夫か!!? 怪我を…!」
「痛っ…すまねーギャビンッ! オレはいいから、早くドナを…ッ」
「ゲホッ ゲっ…」
ギャビンに対し、謝罪の言葉をこぼすニールの足には男が隠し持っていたらしい小型のナイフが突き刺さっていた。
再度自身が抑え込み、殴った事でえずいている男をニールは悔しげに睨む。
(クソッ! このオッさん、ドナが走り出したシュンカン狙って邪魔しやがったッ!! やられた!!)
「お前の所為で…アタシは……アタシはぁ…!!」
「……」
がやがやと周囲に人が集まる音がする。
目の前には発狂した女の顔。
(あーあ、私また死ぬのか)
首の皮膚が僅かに裂ける痛みと感触からエキドナは自分の死を直感し、けれど無機質なまでに淡々と受け止めていた。
(壊れた人間を間近で見るのはこれで何度目かなぁ…)
「死んじまえ…みんな、みんな、死んでしまえぇ…!!」
肩にブレイクの長い爪が食い込む。
充血した目には涙を溜め、こちらに唾を飛ばしながらブレイクはエキドナを詰りつづけていた。
(でも贅沢は言ってられないよな)
「ドナ! いやぁ!! そんなっ」
「ダメだミアさん離れて!!」
こちらへ飛び出しかねない勢いのミアをヴィーが必死に引き留めているのが見え、自分なりのけじめをつける。
(ミアは保護された。私の役割は終わった)
__平気。私は平気。
抵抗する力も先ほどの体当たりで全部使い切ってしまった。頭の傷がとにかく痛い。
心臓が早鐘のように内側から鳴り響くのだけれども思考は極めて冷静で、真冬の深夜のごとくシンと静まり返っていた。
__もう十分だ。私はもう、十分……
「馬鹿な真似はよせっ…人質を離すんだ!!」
「今すぐ武器を捨てろ!」
「要求はなんだ話を聞こう! だからそのナイフを…!!」
ギャビンやニールといった味方達はエキドナ達の周囲を取り囲みブレイクを宥めるだけで動こうとはしない。いや、下手に刺激出来ず動けない事はよくわかっていた。
そんな周囲の反応を把握しつつ速やかに期待を捨て諦観する。
(『下手に動けば身の危険が…』とかなんだろうけど、違うんだよ。とっくに危険なんだよ)
__でもわかってる。嫌というほど痛感してる。
(正気じゃない人間に対話を求める時点で間違ってるよ。言葉通じないから。兄だってそうだった。…あの男だって)
『やめて』と言って止まれる人間なら、初めからこんな事にはならないんだよ。
「お前の所為で…お前が! 居たから!!」
「落ち着け!! とにかく彼女を解放するんだ!!!」
血走った目で殺意を注ぐブレイクの狂気を見たくなくて、エキドナはそっと目を閉じた。自然と全身の力が抜け、腕がだらりと落ちる。
(あぁ)
どんどん自分の内側が凍りつき、色褪せていくのを感じた。
(こんな気持ちになるのは何度目だろう。どれだけ周りに人が居ても、わかりやすく追い詰められていたとしても、こういう時は…こんな、状況じゃ)
__助けてくれる人なんて誰も…
「騒々しいですね…主犯格が居るのはこちらでしょうか?」
緊迫した状況に似つかないほど冷静な声に、皆の思考が一瞬止まる。
刹那、理解した者達が次々と出入り口の方向へと勢いよく身体ごと振り向いた。
「なっ何故貴方がここに…!?」
「『後方で』とあれほど言ったのに!!!」
あまりに聞き慣れた声に、エキドナも信じられず混乱した。
「お、お前は…」
しかし呆然とした様子のブレイクの声に、現実である事を突きつけられて恐る恐る目を開ける。
彼の姿を見つけた瞬間、エキドナは金の目を大きく開くのだった。
ニールに押さえ付けられたままジルが茶化すように口笛を吹く。
「まさかここで大本命が登場とはなァ…!」
待ったをかける騎士達をよそに規則正しい足音がこちらへ近付く。周囲で固まっていた騎士達から姿を現したのは一人の青年だ。
特徴的な太陽色の金髪にサファイア色の碧い瞳、王族の証たる勲章……そんな人間なんてこの国では一人しか居ない。
どこか興奮気味に、そして心底愉しげなジルの声が、徐々に静まりつつある空間でこだまするのだった。
「リアム・イグレシアス王子」