無
________***
「_____という事があったんです」
「……そう、だったのか…」
先日のリアムとのやり取りを聞いたイーサンが困惑した様子で顔を下に向ける。
あれから日を開けないうちにエキドナは再びイーサンの元へ来ていた。
今迄はリアムとの定期お茶会後にイーサンに会っていたが、前回会っている事がバレてリアムに割り込まれてしまったため……今回は訪ねるタイミングを変えたのだ。
エキドナの父親でありオルティス侯爵でもあるアーノルドは普段王宮内で働いてる一方で他の貴族に比べて領土や国内の辺地への視察という名の出張も多かった。
今日はたまたまアーノルドの予定が『午前視察・午後出勤』だったので、エキドナは父親が乗る馬車に一緒に乗ってイーサンの元へ向かったのだ。だから今エキドナが王宮に居る事をリアムは知らない。
ちなみに余計な心配をしてほしくなかったのと、万が一にも中途半端な形で大人から介入された方が後々厄介になると判断した事から、エキドナはイーサンと交流している事実そのものをアーノルドに伏せている。
そうする事でもしも今後何かあったとしても、あくまで子ども同士の問題…つまりエキドナが単独で引き起こした案件として責任問題を緩和させる事が狙いだ。
王族相手で分が悪いので付け焼き刃程度の効力しかないのは重々承知だが、可能な限りリスクを減らしておきたいとエキドナは考えた。
そもそも派閥争い自体無いのでイーサンと会う事は禁止されていないはずなのだが。
複雑な王族の幼い兄弟関係に婚約者とはいえ首を突っ込んだのはかなり微妙な問題だったと改めて実感した。
当初の予定としてはイーサンが思いの外良い人だったのとリアムの淡白で大人びた性格から関係修復出来るだろうと踏んで協力したのだ。
しかし、予想以上にリアムがイーサンを拒絶していたのでこんなややこしい事態になってしまったのである。
「何故リアム様はあんな態度を取ったんでしょうか。 サン様、リアム様とは昔本当に会ってないんですよね?」
念押しして再度イーサンに確認する。
「そのはず、なんだけどな…」
二人して首をひねりながら唸る。
前回リアムが乱入するまでは、単に『イーサンが現王妃の息子だから嫌悪している』説がエキドナの中で一応最有力候補だった。というか、それ以外の理由がイマイチ思い浮かばなかったのだ。
それなのにリアムがイーサンの事を『関わりたくない』『自分には関係ない』『あいつは綺麗な人間なんかじゃない』『危険だ』…明らかにイーサンの "背景" ではなくイーサン "個人" に対して拒絶している事がよくわかった。
同時に未だイーサンと関わり続けるエキドナに対して不信感と不安が積もって来ている事も。
だから今の不安定な状態を続ける事もイーサンにもリアムにも、そしてエキドナ自身にも宜しくない。
混沌とした状況に思わずエキドナが息を吐く。
「やっぱり、リアム様は何か理由があってサン様を拒否してるみたいなんですけど情報がないんですよねぇ…。いっそリアム様本人に聞いた方が早い気がしてきました」
「そうだな…。リアムに直接聞けたらいいんだが」
「僕に何を聞きたいのでしょうか?」
底冷えするような声が一室に響き渡りイーサンとエキドナが言葉を失った。
二人それぞれから冷や汗がダラダラ伝う。
(なんっっでこの人はホラー映画みたいな登場の仕方するんだよぉぉぉ!! ホラー映画見た事無いけど!!!)
内心毒付きながらエキドナが恐る恐る声がした方へ振り返った。イーサンもそれに続く。
「……リアム様」
冷え冷えとした圧を放ちながらリアムは扉の前でにこにこ微笑んでいた。
どんな芸当だよ。しかも扉の音聞こえなかったんだけど。
「エキドナ、貴女も学習能力がありませんね」
「な、なんで…お前今は習い事の時間なんじゃ」
「……」
「…習い事はどうされたんですか?」
「『この時間で教える事はもうない』と言われたので予定より早く終わったんです」
相変わらずイーサンは無視する方針らしい。
いじめか。小学生か。
……小学生か。
「単刀直入に聞きます。サン様と過去に何があったんですか」
真剣な目付きでエキドナが尋ねる。
リアムは笑顔のままだが僅かに肩が揺れたのをエキドナは見逃さなかった。
「……貴女には関係ありません。過ぎた干渉は良くありませんよ」
「私は(一応)貴方の婚約者です。サン様とも仲良くなりました。目の前でお二人が訳ありな空気になっています。これでも、関係ないと仰るのですか?」
「本当に貴女は以前に比べて変わりましたね。良い意味でも、悪い意味でも。…あぁ、でもそういう事ですか」
リアムがエキドナから向きを変え、イーサンの方へ真っ直ぐ歩いて来た。
「……っ」
リアムのいきなりの行動にイーサンがたじろぐ。
イーサンとの距離を人一人分のスペースまで詰めて、足を止める。
その表情からは笑顔が消え失せ軽蔑し切った顔で口を開いた。
「お前が、エキドナを騙して操っているんだな」
「……!!?」
思わぬ発言にイーサンがショックを受け過ぎて固まる。
否定する言葉も出せないようだ。
(いやそっちいぃぃぃッ!!?)
エキドナも心の中で突っ込む。
「おかしいと思ったんだ。エキドナはズレている所があるけど決して馬鹿ではない。…ここまで上手く事を運ぶなんて僕はお前を見くびっていたよ」
「……!!」
勝手に話を進めているリアムをイーサンが口をパクパクさせながら激しく首と手を振った。
『いや違う! 違う違う!!』と悲痛なジェスチャーがエキドナの方までよく伝わっている。
しかし当のリアムには通じなかったようだ。
「全く、本当に欲深いヤツだなお前は。大人しく生活するのなら僕も手出しするつもりはなかったのに」
まるでゴミを見るような冷たい目、冷たい声。
リアムの冷酷な態度が目に見えてエスカレートしている。それに比例してイーサンは怯えて顔色もどんどん悪くなっている。
「リアム様言い過ぎです」
「貴女はお人好し過ぎるんですよ。今回は大目に見ますが」
リアムを止めようとエキドナが声を掛けるも聞き入れようとしない。
そのまま冷たい表情でイーサンへと顔を戻す。
「僕はお前が大嫌いだ。僕に関わるな」
イーサンの眉が下がり泣きそうな顔になる。
それでもリアムはやめない。
「前にも警告したはずだ。…明らかに王位を継ぐ者としての知能も能力も気質も…全て僕に劣っている癖に僕に楯突こうとするな。…『分を弁えろ』。お前と関わる事自体時間の無駄なんだよ」
「「!!!」」
プチッ
エキドナの頭の中で音が聞こえた。
「リアム様」
普段の温和で可愛らしいソプラノの声からは想像付かないほどに低い、凄みのある声。
その声に涙目だったイーサンがビクッと肩を跳ね上げリアムが驚いて振り返る。
エキドナは無表情だった。
しかしいつもの、僅かに感情が含まれている無表情とは違う。
無。
まるで血が通っていないような…魂だけ抜け落ちて人形になってしまったような無表情だった。
普段との変わり様に二人の王子は息を飲む。
「リアム様」
人形が口だけを動かす。
「…何でしょう」
それでも内心動揺している自身を落ち着かせ、冷静に対応するリアムはやはり只者ではない。
「怒りました」
「は?」
「私、とても怒っています」
怒っていると本人は主張しているがその声からは先程の凄みはなくなっている。人形が喋るように抑揚がなく平坦で綺麗で…無機質だ。
しかし不思議と、怒りの感情を露わにした時以上の狂気を孕んでもいた。
それほどまでに…エキドナは今本気で怒っているのだ。
「……だから、何ですか。先程も言いましたが貴女には関係ありません「先程も言いましたが関係あります」
「…っ」
素早く言い返す。普段の大らかな姿は見る影もない。
「色々と言いたい事が山ほどありますがまずはリアム様と剣で勝負をして頂きたいです。今お時間あるのでしょう?」
「……本当に貴女は突拍子もない事を言いますね。貴女が相手をするのですか?」
「いえサン様です」
「って俺ぇぇぇぇッ!!!?」
突然指名され驚いたイーサンの叫び声が部屋中に響き渡ったのであった。
ザッ…
ここは離宮内のとある広場。
"広場" とはいっても流石王家が住まう離宮だけあって広さがオルティス侯爵邸の倍以上ある。面積が桁違いだ。
お陰で周囲の人もほとんど居なかったのでリアムによる人払いは短時間で終わった。
その広場では刃を潰した練習用の剣を手に、リアムとイーサンが対峙しエキドナが見守っている。
「いやいやいやおかしくないか!!? だから何で俺ぇぇぇ!!!?」
「黙れ。僕も不本意だが始めるぞ」
「サン様頑張れー!」
「頑張るけれども!!!」
突っ込んだりエキドナの声援に応えたり大忙しなイーサンであった。
しかし無理もない。
先刻まではリアムがイーサンを罵倒し、それにエキドナが切れて非常に重く冷たい深刻な空気になっていたのに気付けば何故かリアムと剣の試合になっているのだ。
しかもあんなに無の領域の怒りを示していたエキドナも試合準備の間にいつも通りのエキドナに戻ってマイペースに応援している。
ケロッとしている、ケロッと。
色々と豹変し過ぎだ。
「じゃあ私が合図するんでそこから始めて下さいね」
「わかりました」
「あぁ…」
色々ツッコミ足りないがエキドナもリアムも素早く気持ちを切り替えているのでイーサンも仕方なく同意する。
言い出しっぺのエキドナはともかくリアムの順応性の高さも筆舌尽くし難い。
そうしている間にエキドナが片手を静かに上に挙げた。
「ではこれよりイーサン・イグレシアス王子とリアム・イグレシアス王子による試合を始めます。お互い、構えッ!」
また雰囲気変わって凛々しい声が広場に響く。
リアムとイーサンがお互い剣を手に構えた。
「…始めッ!!」
掛け声と共に手が降ろされた。
しかし、二人は微動だにしない。
「…っ」
「どうした。早く来い」
戸惑うイーサンにリアムが剣を軽く振り挑発する。
「うぅ……やぁ!!」
一瞬迷いながらも掛け声と一緒に駆け出した。
上から剣を振り下ろす。
キンっ!
イーサンからの攻撃をリアムが受け止め金属音が響く。
「なんだ、この程度か」
ボソッと呟くリアムにイーサンがびくりと震える。
カンッ!
そのままリアムがイーサンの剣を押し返した。
勢いに押されフラつきながらイーサンが後方へと下がる。
「ほらどうした。それだけか?」
剣をイーサンに向けながらリアムが冷たい声を出す。
「…っ!」
イーサンが再び駆け出した。
…差は歴然だった。
キンッ!
「うっ…」
「…エキドナがけしかけたからにはもう少し出来るのかと思ったけど、期待外れだったな」
息を荒げながら力尽き跪くイーサンにリアムが剣を向ける。
イーサンの攻撃を剣で受け止めては弾き返す…その繰り返しだった。
まるで『本気で相手をする価値もない』と言わんばかりの対応だ。
もちろん初めは遠慮気味だったイーサンとて手を抜いた訳ではない。
この国の王子として剣の指南は十分受けているし決して剣術が下手でもない。
しかし、同じように指導を受けて来たはずのリアムの実力が……明らかにイーサンの実力を凌駕しているのだ。
それだけリアムは剣術にも優れていた。
「…結局俺は、剣一つでさえリアムに勝てないんだな」
イーサンが俯き寂しげに言葉を溢す。
もともと温和な性格で競争心が少なくリアムに対してライバル意識を持っていなかったイーサンだ。
けれども、今迄だってずっと『天才』と言われ続けたリアムとは影で比較されて来た。
そんな自分を心の何処かで "情けない" と思っていた。
自分よりも全てが優っている弟…そんな弟に嫌われ拒絶され続ける自分…。
イーサンの心に暗い陰が覆おうとしていた。
「当たり前だ。僕とお前では何もかもが違うんだよ」
リアムの辛辣な言葉にイーサンが瞼をぎゅっと強く閉じた。
(情けない、悔しい、悲しい……ッ!!)
パンッ!!
「そこまでです」
手を叩く音と同時にエキドナの冷静な声が響く。
「勝者、リアム・イグレシアス王子!」
片手をリアムに向けて勝利宣言をする。
「……」
「結局貴女は何がやりたかったのですかエキドナ」
イーサンは俯き、リアムは呆れ気味に声を掛ける。
「まぁこうなるであろうとは思っていました。想定内です」
あっさり言い切るエキドナにはいっそ清々しささえ感じるが同時に恨めしい気持ちにもなりイーサンはエキドナを軽く睨む。
そんなイーサンの瞳をエキドナは逸らす事なく真っ直ぐ見つめ返して歩み寄る。その瞳は何故か…優しく暖かかった。
未だに跪くイーサンのすぐ前まで来てしゃがみ込み、にこっとエキドナが穏やかに微笑んだ。
普段の表情とのギャップでイーサンはドギマギする。
「サン様、ありがとうございました。お陰様で "大体わかりました" 」
「えっ…?」
エキドナはそのまま立ち上がり真顔に戻ってリアムへと向き直す。
……まるでイーサンを庇うように。
「次は私が相手です」
「はぁ!?」
「……」
エキドナの発言にイーサンは驚くがリアムは見越していたのだろう。冷静にエキドナを見つめたかと思えばにこりと笑った。
「流石に令嬢の貴女とは戦えませんよ。そもそもその服装では試合も出来ない」
「これぐらいハンデですよ。あっそれとも…負けるのが怖いですか?」
にこーっとエキドナが笑顔で手を合わせて尋ねる。
声もいつもより朗らかだ。
「「!」」
またコロコロと雰囲気を変え続けるエキドナに二人は密かに動揺する。
普段無表情で、口数少なくマイペースだが控えめな立ち振る舞いをするエキドナ。
しかし彼女は元から…前世の幼少期からそうだったのではない。
『明るく、礼儀正しく、社交的な…人好きされやすい模範的で理想的な人間』を長い間演じ続けた時期があった。
昔からその場に適した対応や振る舞いを無意識に選択し演じる事が、エキドナには出来た。それだけの状況把握能力と感情をコントロールする精神力が、エキドナにはあったのだ。
…これらの要素が現在の『特技☆猫被り&営業スマイル』の原点なのだが。
「まぁ仕方がないですよね! 一国の王子が自分よりも小柄な女の子に負けるなんて…しかもスカートのままで! もし負けた時に言い訳が出来ませんしカッコ悪いですから、無理もありません!」
ほわほわと花を飛ばしながら、明るく邪気のない笑顔で…煽る。
「……」
リアムは笑顔を維持し続けているが徐々に引き攣ってこめかみに青筋が出ている。
ごもっともだ。
関わりたくもない異母兄との仲を頼んでいないのに取り持とうとし、密会し、何故か剣の試合になり、勝ったと思ったら奇妙な現状の発端である婚約者の少女に笑顔で煽られ…。
意味不明だ。
普段なら冷静にあしらったであろうリアムも今回ばかりは違った。笑顔で答える。
「わかりました…。貴女にも教えて差し上げますよ。僕が、どれだけ怒っているか」