憎しみの矛先は
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『ヴィンセント・モリス…あんたは……本当に "弱者" を守る気あったの?』
あの女の言葉が、俺の中で波紋を広げた。
『ヴィー、ヴィー』
静かに、しかしハッキリと。
『兄ちゃん!』
『ヴィーにぃちゃん』
内側を大きく揺れ動かされるたびに思い出すのは死んだ母を含む、守りたかったはずの人達ばかりだ。
守れなかった。弱いから守れなかった。
そして一瞬の迷いが生じた心はひび割れ、噴水のごとく溢れるほどに湧き上がった感情は……憎しみだった。
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「うるさい…ッ」
不快そうにギリッと歯を噛みヴィンセントがエキドナを睨んだ。
「うるせぇっ! うるせェーんだよッ!!!! 貴族のテメェに、俺の何がわかる!!?」
そのまま駆け出しすヴィンセントに呼吸を整えたエキドナが再度剣を構えて迎え撃つ。剣を激しくぶつけ合うさかな、エキドナが剣身を滑らせる事で相手に急接近し、迷わずヴィンセントの顎目掛けて蹴り技を放った。
「ハァ!!」
「ぐっ…!」
けれど掠っただけらしい。ヴィンセントが首元に手をやりながら後退して独り言のように叫んだ。
(浅かったか…!)
「俺はもともと平民の生まれだった…。ただの平民として、普通に生きていくはずだった!!」
「!」
知らなかった相手の出生の秘密を耳にしてエキドナは僅かに動揺するものの、ヴィンセントが勢いよく長剣を振りながら近付いたためすぐさま臨戦体勢に戻る。
ガンッ!
金属音が合間なく鳴り響いた末に、今度は壁際までエキドナを追い詰めたヴィンセントが壁に向かって剣を突き立てるのだった。
そのまま己が絶望を、憎悪を撒き散らす。
「でも出来なかった! 子どもの頃、母親が貴族の馬車に轢き殺されたから!! かあさんが……ッ あんな、酷い目に遭ったのに…貴族は俺に言ったんだ! 『平民は石ころ同然』『人間が石を引いたくらいで騒ぐな』ってな!!」
金の目を開き息を飲むエキドナにヴィンセントは剣を引き抜いて追撃する。
「あの男だってそうだ!」
エキドナの耳元でヒュンッと風を切る音が聞こえる。
文字通り危機一髪というほどギリギリに回避し距離を取るエキドナに対し、ヴィンセントは柄を握る手を強めながら悔しそうに唸った。
「ヘンリー・モリス……あの貴族が俺を死んだ息子の替え玉にするために、俺から "平民のヴィー" としての人生さえ奪ったんだ!! なのに奥方も使用人も、誰一人としてアイツを止めなかった!!!」
「っ…!!」
彼の話を聞きながらもエキドナは部屋の端に落ちている壁の破片らしき小石を掴んで投石し抵抗するがヴィンセントにはあまり効かなかったようだ。容易に剣で弾きながら興奮気味に捲し立てている。
「誰も助けたりなんかしないッ! 罰する事もしない!! 平民は石ころかもしれねぇが、テメェら貴族はみんなゴミ屑以下だ……平民を人間だとも思わねぇ、簡単に命や自由を奪う!! だから今度は俺が奪って罰してやるんだ!!!」
「……」
一歩、また一歩と確実に距離を縮めるヴィンセントに対してエキドナは静かにじっと見つめていた。
「俺は、俺の運命を取り戻す…!! 貴族は平民に負ける運命なんだ! 諦めろ!!!」
「運命なんてそんなもんどこにもねぇよッ!!!」
ヴィンセントが剣を向けながら宣言した言葉に今度はエキドナが強気で言い返すのだった。
僅かに固まるヴィンセントを見据えながらエキドナは襟元に手をやる。
「だってもし本当に運命なんてものがあるのなら……」
(私が男に襲われた事も、)
エキドナの脳裏に浮かぶのは自身の前世の過去、そして前世の家族の顔だった。
"今までも、これからも、こんな小学生以下の自分が生きていく事に深く絶望しています"
『"あぁ、これが普通の子の反応なんだ" って、その時初めて実感して…ほっとした』
(兄ちゃんが普通の人間として生きられなかった事も、母さんも父さんも、)
次に浮かぶのは……幼い頃のフィンレーやリアム、そしてステラ達だ。
『本当の姉じゃないくせに!! 僕の気持ちなんてっ …あなたにはわからないよ!!!』
『誰も僕を人間として扱わない!! "次期国王で欲望のための駒" として扱うんだっ…そんな周囲にはもうウンザリしていた!!!』
『どうして大人になると "同じまま" でいられないんでしょう。差が生まれるんでしょう…。どうして、楽しい時もあるのに…ふとした瞬間、こんなに胸が苦しくて、寂しくなるのかしら。こんなに辛いなら…子どものままでいたかった…』
(みんな表に出さないだけで、本当は人前に出せない苦しみや悩み、孤独を抱えているのを私はよく知っている)
「もし本当に運命なんてものがあるのなら、みんなの苦しみや孤独が全部 "運命だから" の一言で片付けられちゃうじゃないか! あんたが勝手に思い込んで勝手に決め付けてるだけだろ!! んなもんで人生すべて縛られて……たまるかぁぁぁッ!!!!」
慣れた手つきでスカートを外し細身の黒ズボンを晒したエキドナが特攻を仕掛ける。その動作にヴィンセントも即身構えた。
「また蹴りか!! 何度も同じ手は……」
左足でヴィンセントの顔右側面に蹴りを入れようとしてまた防御され掴まれる。そして…
ガッ
「ぅグ…!?」
もう片方の蹴りを予想し構えていたヴィンセントの顔面を思い切り殴り飛ばすのだった。
__私はいつも、何か不穏要素があると "最悪のケース" を想定する。癖みたいなものだ。だってそうしておかないと、正気なんて保てるはずないから。
本当に助けてほしい時こそ……誰も助けてなんかくれない。
「このアマぁ…ッ! うお!?」
小さな悲鳴が上がる。エキドナがパンチと同時に外れかけていたケープボレロを手に取りヴィンセントの顔に投げつけ視界を奪ったのだ。
__私は最初から誰にも頼らない。助けも求めない。過去は変えられない。
傷は簡単に癒えず、血を流し続けるばかりだ。
(だからこそ強く思う)
「っ…! テメェェェ!! この…」
ボレロを取ったヴィンセントの目の前に迫るのはエキドナが投げた長剣だ。それをヴィンセントは咄嗟に自身の剣で弾き……そして少女の姿が見えない事に気付く。
「!? どこに…なァっ!?」
ヴィンセントが気付いた時には、すでにエキドナが足元を狙い低い位置から体当たりをしていた瞬間だった。
片足だけを掴まれヴィンセントが大きくよろけ始める。
「そこだああああッ!!!」
張り上げた声と共にエキドナはほんの僅かに見せた隙を突いて、素早く自身の右手を伸ばしてヴィンセントの肘部分を掴み、さらに彼の足首を左腕全体で抱えるようにして持ち上げた。柔術の投げ技の一つ、踵返である。
(せめて、私じゃない他の誰かには……同じ苦しみを味合わせたくない!!)
__強くなりたい。
自分達と同じ傷を背負わないよう、今度こそ、大切な人を守れる人間になりたい!!!
片足の自由を奪われ、自身を支えきれなくなったヴィンセントが後ろへ倒れ込むように尻餅をつく。そのタイミングに合わせてエキドナも床に座り込み彼の左足を持ち替えた。
(諦めない。絶対に、諦めてなんかやらない…!!!!)
「痛っ…!? 〜〜〜〜!!!!」
あまりの痛みに動けずヴィンセントが声無き悲鳴を上げた。彼の足の甲を押さえて固定し、同時に自身の足で相手の腰回りの動きを封じたまま外側へ寝転がり締め上げたのである。
アンクルホールド……柔道やプロレスなどで使われ『足首固め』とも呼ばれた、小柄なエキドナでも完璧に極めれば敵をほぼ無力化出来る強力な関節技である。
「…ッ……やっと、掛かったねっ…」
息絶え絶えになりながら反撃する余地を与えない威力でエキドナが締め上げたまま話しかける。
信じられないのだろう、痛みに悶えながらもヴィンセントは黒い目を大きく見開きこちらを見つめていた。
「知らないなら…教えてあげる。私はね…守りたい人が居る方が……強くいられるんだ。たぶん、あんたも同じなんじゃないかな…。さっきの、『あんたの行動が国民を巻き込む火種になる』……みたいな話をしたでしょ? あの話には続きがあるんだ」
荒い息を少しずつ整えながら、今度はエキドナが静かに説き伏せる番だった。
「国民の中で一番弱い立場の、子どもを巻き込んだらダメだよ…」
それは説き伏せるというにはあまりにも弱々しい声だった。眉を下げ泣きそうな顔でエキドナは言葉を続ける。
「子どもは自分の身を守る方法を知らない。一人で外へ逃げ出す事も出来ない。助けを呼ぶ事さえ…ね。例えクズな大人だろうと、頼らなきゃ生きていけない生き物なんだよ……」
エキドナの言葉に思うところがあったのか、ヴィンセントは一瞬顔を悲しげに強ばらせ…しかし苦々しそうにエキドナから視線を逸らした。
その反応に、エキドナは以前から彼を見て思っていた事を口にする。
「処世術も何も知らないから、大人に傷つけられ続ける。……あんたさぁ、そんな風な、似た経験をしたんじゃないかな?」
「…テ、テメェ……ッ!!」
「『なんであの時うまく出来なかったんだろう』」
図星を突かれたのだろう、反射的に噛みつこうとしたヴィンセントにエキドナはポツリと呟く。
先ほどと違い、今度はエキドナがヴィンセントから顔を逸らし俯いていた。
「『あの時ああしていれば…』って、そんな言葉が頭の中でグルグル回り続ける。『あの時違う選択をしていれば、違う道があったのかな』『もっと素直に笑えたのかな』って……馬鹿な想像をいっぱいしてさぁ…! それが、大人になっても呪いみたいに続いちゃうんだ」
そこまで言い切った後、エキドナはゆっくり顔を上げる。寂しげに、自嘲を含んだ微笑みを浮かべてヴィンセントを見た。
「ほんとはわかってんじゃないの? あんたが憎むべき対象は国や王家、貴族じゃない」
「…それは、」
「あんたに、憎しみを与えた人間だ」
「!」
エキドナの言葉でヴィンセントはハッとした表情になる。けれど構わずエキドナはある意味淡々と、しかしどこか穏やかな口調のまま話し続けた。
「あんたにはそいつを痛めつけて苦しめる権利がある。…私はそう思う。あと同時に言える事がもう一つ」
まるで優しく諭すように、ゆっくり首を振りながら自分の思いを述べるのだった。
「だからこそ、そんなあんたが自分と無関係な誰かを傷付けて……その人の人生を奪い壊していい理由にはならないんだよ」
「な…! で、でも、だけど…!!」
キッパリと言い切ったエキドナの言葉にヴィンセントが狼狽えるけれどもエキドナも折れない。
先刻までの柔らかな雰囲気が嘘のように変わり、また理知的な態度で冷静に畳み掛けるのだった。
「そもそも復讐したいなら国を狙う前にあんたの母親を殺した犯人探して、拷問するなり殺すなり報復措置を取りなよ。話はそこからだろ。探せばまだ "この世界" のどこかに居るかもしれないじゃないか」
「む、無茶言うなよ…大体そんな」
かなり危ない技を掛けられたまま忙しなく印象が変わるエキドナにヴィンセントがたじろぎながら反論し掛けた……その時だった。
「そうよ!! ドナの言う通りよ!!」
突如割って入った可憐なソプラノにヴィンセントは驚き、エキドナもすぐさま顔を上げ部屋の隅を見やった。
「当たり前のように『殺す』発言してるドナには超引くけど、あなたは恨む相手を間違っていただけよ! ヴィー君!!」
堂々とした足取りでエキドナ達の元へやって来たのはミアだ。
そこには先刻まで確かにあった恐怖や不安が跡形も無く消え去り、意思の強い薄緑の瞳だけが、真っ直ぐに二人を見つめていたのである。