弱者
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私はいつも不穏要素があると真っ先に "最悪のケース" を想定する。癖みたいなものだ。
だってそうしておかないと、本当に最悪のケースに出くわした時に正気なんて保てるはずがないから。
ドッッックン
『ごめんね、ごめんね』
昨日の事のように蘇るトラウマ。
吐き気が込み上げ、身体が強張って震える。本当は泣き叫んだり唸り声を上げたいのに、あの映像が、音が、感触が、脳裏を過ぎるたび声どころか呼吸さえままならなくなる。
そんな無様な日々を一人、無力感や虚しさと共に永遠に繰り返してきた。
『泣くのをやめなさい』
『ごめん。これ以上は、一緒に居られない…!』
加えて実際に深刻な危機に直面した時や辛くて辛くて本当に助けてほしい時こそ……誰も助けてなんかくれないという現実も痛いほど思い知った。
ううん、助けてほしいと思った相手を責めるのはお門違いだ。だって相手も自分と同じ人間なんだから。
自体が深刻であればあるほど、思考が停止したり足がすくんだりして "咄嗟に動く" 事自体が難しいし、誰もが納得するような模範解答が存在するとは限らないから。
そして大体の人達は簡単なお願いなら純粋な善意…或いは何かしらの目的意識で手を貸してくれるけど、深刻な問題に対して見て見ぬ振りをして "無かった事" にするばかり。自分に被害が及ぶのを危惧して逃げるのは生物として当然の防衛本能でどうしようもないのだろう。
だから私は最初から誰にも頼らない。助けも求めない。
自分の身に何か危険が迫った時に備えて、『仲間や家族からなんの躊躇いもなく見捨てられ一人でどうにかしなければいけない』……そんな最悪のケースをいつも想定して、いつも心のどこかで覚悟していた。
この考え方が、私なりに考えた最善策だ。
確かにジェンナの言う通り寂しい人生なのかもしれない。私の弱さゆえだと指摘されれば否定出来ない。
だって現に、未だに……やっぱり…………信じたくても信じられないのだから。
最低だと思う。
とても、最低だと思うよ。
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(こいつッ…迷いなく目を潰そうとしやがった!!!)
手で自身の鼻先を抑えながらヴィンセントは金眼金髪の少女を見た。手段を選ばない彼女の奇襲に驚愕するものの同時に疑問を抱く。
(いや、それ以前にこの女は何故まだ立っていられる?)
ヴィンセントが思うに、エキドナの頭部の傷は数日安静にしていたとはいえ世辞にも完治していない状態のはずだ。抵抗する力を奪うためにわざと質素な食事を提供し、部屋も貴族にしてはかなり悪い環境と呼べるだろう。
にも関わらず目の前の少女はただ淡々と剣を構えて対峙している。
(戦う余力はとっくに尽きたはずなのに…)
そこまで考えているのも束の間、実質丸腰のヴィンセントにエキドナが長剣を手にしたまま駆けて来るのを確認して舌打ちする。咄嗟にエキドナから離れた事で自分の剣も彼女の足元へ置いてきてしまったのだ。
(容赦ねー女だな…さァてどうするか、)
体格差は明白だが流石に凶器持ち女相手に、わざわざ素手で戦いたいなどとリスクを選ぶ男は居ない。そんな事を考えているとヴィンセントの視界にもう一人この場に立つ少女の姿が入った。彼女と目が合った瞬間……含み笑いを浮かべたヴィンセントもまた、迷いなく駆け出すのであった。
(しまった!!)
敵の次の手を察知しエキドナは焦りから声を張った。
「ミア危ない!!! 逃げて!!」
剣を握るエキドナに対してヴィンセントは今武器を持っていない。けれどもエキドナよりヴィンセントの方がミアから近い場所に居たのである。
「えっ…あ、」
エキドナの声も虚しく戸惑うミアにヴィンセントがどんどん距離を縮めた。
「捕まえ… !!」
ミアとの距離が2メートルを切り、捕らえるべく手を伸ばした瞬間、銀の光が横切る。今度はヴィンセントに向かってエキドナが手持ちの剣を投擲して牽制したのだ。彼の動きが止まった瞬間またエキドナが大声で呼び掛けた。
「ミアッ! 早くこっちに…早く!!!」
「っ……!!」
必死に叫びが届いたらしいよろけながらなんとかエキドナの元へと駆け寄りミアをこちらへ避難する事に成功した。そして素早く床に刺さった敵の剣を引き抜き再度ヴィンセントと向き合う。
だがしかし、当のヴィンセントは人質を得られず残念がるどころかおかしそうに笑うのだった。
「馬鹿が引っ掛かったな! 剣が欲しかったんだ!!!」
「ッ…!」
敵の策略にまんまと嵌り悔しがるエキドナに対してヴィンセントは愉しそうだ。剣をエキドナ達へ向け口を開いた。
「しかもテメェの弱点がわかったぜ…テメェは自分自身より仲間を優先する。反射的に守りの体制に入る……違うか?」
「……」
無反応を装うが是とされてしまったようだ。エキドナの行動を嘲笑うようにヴィンセントがこちらへ向かって剣を振り上げる。
「!!」
「ほォらビンゴ!!」
正確にはエキドナの後方、ミアへ向かってきたため咄嗟に攻撃を受け止めギリギリのところで持ち堪え……切れず、背中で押し出すようにミアを無理矢理後退させた。
「ミア逃げて!! ヴィンセントから逃げて早く!!」
その叫びを皮切りにまた剣と剣が激しくぶつかり合う音が鳴り響く。
キンキンッガッ!!
エキドナが剣の側面を踏みつけ膝蹴りしようとするが、ヴィンセントも負けていない。瞬時に顔を後ろへ背けて回避し、剣を踏まれたまま横に蹴る。
ヒュンッ…カァン!!
ヴィンセントの蹴りを飛んで回避し、さらに下から斬りかかる斬撃に向かってエキドナも剣を振り下した。
「ぅっ…!」
全体重を掛けたエキドナの攻撃にヴィンセントが僅かに呻く。その隙を突き今度はそのままの体勢で敵の手元へ向かって回し蹴りを放つのだった。
「チィッ…!」
「!!」
しかしエキドナの足技に弾かれかけるものの持ち堪えたヴィンセントが受けた打撃の勢いを利用し横へ斬りつける。
ドカドカッ
「っ!!」
が、エキドナも負けていない。怯む事なくヴィンセントの剣より体勢を低くして連続蹴りをお見舞いするのだった。
時に鉄の音が響き、かと思えば打撃音が鳴り__気付けば互いに一歩も譲らない消耗戦へと突入していく。
激しい攻防戦のさなか、エキドナは焦り始めていた。
(不味い、段々技を見切られ始めてる…!)
徐々に斬撃は受け止められ捌かれ、蹴りは急所を狙うも腕で防御された挙句弾かれ受け流され……命中率は高いが攻撃としてどうしても決め手に欠けるのだ。
こちらの攻撃に適応され始める中でエキドナは活路を見いだそうとしていた。
(関節技や寝技って万能じゃないんだよな…あれはどれだけ技術を磨いても体格で優劣がつく。結局腕力も必須)
技術だけで小柄な女がでかい男に勝てるのであれば、前世でいう柔道の性別や体重別なんて枠組みはいらないのである。
それだけ体格差や筋力差の壁は大きい。
「おいおいどうした! 動きが鈍くなってきてるぞ!!?」
「っ…!」
ついにスタミナ面でも押し切られはじめ、エキドナは少しずつ後退する。後ろの壁際にはミアが居るのだ。これ以上押される訳にはいかない。
「あ、んた…は、なんでッ……ここまで、するんだ」
勝利の糸口を探すべく、エキドナは剣を打ち合いながらも荒い呼吸のままヴィンセントに問い掛けた。けれど当のヴィンセントの反応は冷たい。軽く息を切らせているが攻撃の威力は変わらないまま淡々と答えた。
「貴族が……憎いからだっ!!」
「だから、どうして…!?」
「テメェには関係ねーよ!」
「……あんたは、」
「?」
ヴィンセントの返答に攻撃を紙一重で避けながらエキドナは訝しむ。その反応が気になったのだろう、ヴィンセントの攻撃が僅かに緩んだ。その隙にエキドナは金の目を真っ直ぐ向けて口を開く。
「あんたは……自分がやってる行動の意味を、本当に理解しているの?」
エキドナの真剣な声に、ヴィンセントの動きがピタリと止まった。
「…何が言いたい」
どこか苛立ったような雰囲気を纏い凄む彼に構わずエキドナは言葉を続ける。
「あんたの、あんた達 "メンテス" がやろうとしてるのは『平民のための革命』……だったね。つまりは、見方を変えれば国家を揺るがすテロ行為だ。…私はさ、あんたの内にある憎悪を否定する気は一切無い」
前世の乙女ゲームにおける隠しキャラという立ち位置やミアのこれまでの発言、何よりヴィンセント本人の時折見せる悲しそうな目と苛立ちながら苦しんでいる様子。
彼を見ていればわかる。多分自身が想像している以上の……彼が今の彼を作ったであろう心の闇の存在を、誰にも理解されないであろう孤独を、エキドナは感じていた。
努めて冷静に、まるでヴィンセントを諭すように自分の考えを述べる。
「あんたの、個人とかじゃなくて世間…社会通念を狙ってぶち壊そうとしてるのはある意味すごいと思う。大抵の人は社会じゃなく無関係な弱い個人を攻撃するからさ…誰だって簡単には出来ない事だよ」
言いながらエキドナは剣の柄を握り直しヴィンセントに厳しい視線を向けた。
「でもさぁ、あんたほんとにわかってんの? ……王家を狙うという事は国のバランス、つまり国の安寧を崩すという事。この混乱に乗じて他の貴族がクーデターを起こすかもしれない。それもあんたが大嫌いであろう『私利私欲のために平民を犠牲にする貴族』によってね」
「!!」
黒の瞳が大きく開き動揺するのを静かに見つめながらエキドナはヴィンセントに向かって言葉を、彼が結果的に行おうとしているものの正体を、必死にメッセージとして送り続ける。
「或いは外国が動くかもしれない。隣国の南の国と北の国は友好国だけど、大昔は領土を巡って争っていた。別の異国も。トップが崩れた事だけでなく飢饉や災害、むこうの政治事情でいきなり攻撃するかもしれない。そうなればこの国は一気に崩壊する。……その崩壊や紛争で一番犠牲になるのは誰だと思う?」
「ッ…」
ヴィンセントは何も言わずに震えていた。
その震えは反省とは真逆である事はエキドナもよくわかっていた。けれど彼もやっと気付いたのだろう。否、ずっと目を逸らし続けていたのかもしれない。
「国民だよ」
エキドナは短く断言した。その声には怒りが孕んでいる。
「ヴィンセント・モリス…あんたは……本当に "弱者" を守る気あったの?」