誓い(ヴィンセント視点)
<<警告!!>>
残酷描写および鬱描写があります。
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「逃げただと!!?」
外部からの思いがけない攻撃を受けて建物内部が慌ただしく動く最中、怒鳴り声が大きく響いた。
声の持ち主はモリス侯爵子息であり、反王政派組織 "メンテス" 幹部のヴィンセント・モリスだ。怒りのあまりヴィンセントは自身に怯えている手下の男達二人を責めつづけていた。
「テメェらふざけるのもいい加減にしろ!! 相手は手負いの女なんだぞ!!?」
「で、ですがまさかあんな…ッ」
「言い訳すんじゃねぇ!!!」
自身にはむかおうとする者達を確実に制圧する。
手下の男達もただでさえ罵声を浴びせられるだけでも辛いのにさらに非常に稀有な色の目で睨まれたため怯えきり言葉を失っていた。
(ジルも姿が見えねェ…ふざけんなクソ野郎が!!!)
土壇場で姿を消した帽子の男の飄々とした顔が浮かび、苛立ちからヴィンセントはその場で思い切り舌打ちする。
ジルは物理的な戦力として非常に優れているのだが、反面自分本位に物事を判断し独断で動くところがあるのだ。各々平民として世界を変えるという同じ志を持っているものの、この組織が決して一枚岩ではない事を改めて実感した。
「どっ、どうしますかお頭っ…」
"お頭" ことブレイクが思案する中、焦った様子でリーダーに縋る男達に対しヴィンセントは手で制した。
「俺が行く。あの女達もこの騒動に乗じて外へ逃げようとするだろう…でもこの建物の構造はかなり複雑だ。簡単に出られるはずはない」
一度爆発して冷静さを取り戻したのだろう、淡々とした口調で説明するヴィンセントにブレイクは腕組みしたまま声を掛ける。
「一人で大丈夫かい? ヴィー」
「大丈夫だお頭、アイツらがどこへ逃げるかおおかたの目星は付いてる。だから先に他のアジトへ避難してくれ。すぐ後を追う…人質二人と一緒にな」
それだけ言うと自分の剣を取りヴィンセントは部屋を出た。早足で人質が隠れそうな場所を探し回る。
(どいつもこいつも馬鹿にしやがって…ッ!!)
また叫びたくなる衝動に駆られヴィンセントは無意識に喉元へと手をやった。気を抜くと声が出にくくなってしまうため叫ぶのは悪手なのだ。
激しい怒りを鎮めるべくヴィンセントは一度立ち止まり懐から組紐を取り出して見つめた。
昔の苦々しい記憶を思い返して頭を冷やしてからヴィンセント…否、"ヴィー" は、宝物をしまいまた足を動かすのだった。
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__『ヴィー、ヴィー』
薄茶の目が、幼い俺を優しく見つめる。
いつだって思い出すのは母と過ごした日々だ。
俺の母親は優しい人だった。穏やかで、温かくて、頑張り屋で……そしてとても弱い人だった。
俺の名はヴィー。姓は無い。
当然だ。俺は貴族でもなんでもない、平凡な両親の間に生まれたただの平民だから。
父親は物心つく頃に亡くなり、病気がちな母親と二人で暮らしていた。
『父親』と言っても、父親らしい事は何もしなかったクソ野郎で、幼心に残った記憶は酒を煽ってはひたすら暴れていた記憶ぐらいだ。母はそんな野郎にいつも泣いて謝っていた。
……あんなヤツ、死んで当然だ。なのに最期は勝手に借金だけ残して勝手に死んじまった。ふざけやがって。
そんなクズがこさえた借金のために母は文句一つも言わず身を粉にして働いていた。
女手一つで……それも "異常な目を持つ" 俺を育てるのはとても大変だっただろうに。
生まれた時から、俺の目の色はみんなと違っていた。みんな茶色や青といった明るい色ばかりなのに、俺は黒。かあさんは薄茶だったし、うろ覚えのクソ野郎も暗めだが茶色だったはずだ。実際今迄、自分以外に黒い目をした人間は見た事ねぇ。
父親からは『気色ワリィおかしな目』って言われてたっけ。家の近くに住む人間からは遠巻きに化け物呼ばわりされていた。
いつだったか、かあさんは俺の目を『神様からの贈り物』って言って慰めてくれた事があった。だからこの目を心底嫌いにまではならなかったけど、それでもかあさんと同じ目が良かったなと、子ども心に思っていた。
決して豊かじゃない質素な暮らし。でも俺はそれ以上の幸せなんか一度も求めちゃいなかった。身体が弱くよく泣くかあさんが心配だったが、十分幸せだった。
そんなある日……俺が八歳の頃だった。
かあさんが、貴族の馬車に轢き殺された。
何があったかは知らねぇ。ただ家の外から悲鳴が聞こえて…。ざわざわとうるさかったから顔を出したら、かあさんが死んでいた。
骨が見えてグチャグチャで、かあさんなのにかあさんじゃない。
でも間違いなくかあさんで、すでに息絶えていた。
『かあさんっ…かあさん!!』
俺は訳もわからず母親の亡骸に飛びついた。周囲の野次馬どもに構わず大声上げて泣いた。まだ馬車に乗っていた貴族を詰った。
『ひとごろし!!! …ひとごろしぃ!!』
子どもながらに母と二度と会えないのはわかっていた。でも認めたくなくて、俺は必死になって母親を返せと泣き叫んだ。
…………俺はあの時の貴族の言葉を忘れない。
『貴族が通る道をフラフラと立っていたこの女が悪いのだ。平民の分際で楯突くとは、なんとおこがましい!! …お前はまだ何も知らないようだな。お前は所詮平民、つまりその辺りにある石ころ同然だ』
全身の血がサアッと音を立てて引いた。
何を言っているんだこの男は、と思った。
信じられず固まる俺に男は続けた。
『そして私達貴族は人間だ。人間様が石ころを引いたぐらいで騒ぐのはおかしいだろう』
さも当然のように述べる男に理解が追いつかず…気付けば、そのまま逃げられてしまった。何も出来なかった。
そして母が死んでから、俺の平凡な人生はことごとく崩れ落ちて行った。
当たり前だが子どもが家賃なんて払えるはずもなく、すぐ家を追い出され、他に身寄りの無かった俺は孤児院に保護された。
しかしそこも所詮貴族の戯れで出来た場所で寄付金を頼りにしないと生きられない場所。
苦痛だった。
その後寄付金を渡しにきた貴族の子どもを突き飛ばした罰として俺は院長からひたすら殴られ、逃げるように孤児院を飛び出した。
とても寒い夜で雪が降っていた。ひもじくて歩き回る力も無くなって、俺は知らない場所の壁にずっと座り込んでいた。
あぁ、ここで死ぬのかなと思った……その時だった。
『ドブネズミみたいに汚ないガキだな』
一目見て貴族だとわかった。しかも身なりや雰囲気からその辺よりも…かあさんを殺した貴族や孤児院にやって来た貴族よりも、ずっと裕福で高い身分の男に見えた。貴族だとわかった瞬間、俺は相手を睨んだ。
しかし男は動じる事なく俺を見据えていた。男の水色の目は氷みたいにひどく冷め切っていた。いや、こう言うべきか。
俺を見下ろし蔑んでいた。
けれど男は何故か俺の方へ手を出してこう言うのだった。
『お前……生きたいか?』
これが今の義父、モリス侯爵との出会いだった。
そしてもう一つの地獄の始まりだった。
『何故一度言った事を覚えないんだヴィンセント!! この出来損ないめッ!!』
バシッ、バシッと音と共に杖で殴られた痛みが走る。モリス侯爵は俺を拾ってすぐ、貴族の掟や作法を俺に強要した。
少しでも物音を立てたり、出された課題を時間内に終わらせる事が出来なければ怒鳴られ殴られた。時には暗い物置に一人で何時間も閉じ込められた。
義母や使用人達はただオロオロ狼狽え怯えるばかりで、あの男の暴力を止めようともしなかった。
『言う事を聞け! 半端者の平民風情が、自分勝手な行動をするな!!!』
『なっ…! で、ですがあの侍女は妊婦です! 重いものを代わりに持つくらい…』
『口答えするな!!! 使用人が後継息子に指図するなど論外ッ あの者は今日付けで屋敷を出て行かせる』
『そんな…! お、俺が勝手に手伝っ…』
『口答えするなと言ったはずだヴィンセント!!!』
また杖で頭を殴られる。でも俺は引く訳にはいかなかった。恐怖を抱きながら義父に反発した。
『……俺は、俺の名はヴィーです。死んだ母がくれた唯一の物なんです。なのに何故…ッ』
『聞き分けが無いな "ヴィンセント"。あの日、私の手を取った時点で "平民のヴィー" は死んだのだ。下賤な血は気に食わんがそうなった以上お前は……私と妻の子たるヴィンセント・モリスとして生きるしかあるまい。偶然とは言え似たような名前で良かったじゃないか』
どうやら俺は死んだ息子とたまたま同じ髪色、同じ背格好だった事で息子の代用品として拾われたらしい。この事を知っているのはモリス侯爵夫妻と一部の使用人だけで他は誰も知らない。
だけど俺は死んだ本物のヴィンセントじゃないし、平民の俺が、死んだ人間に成りすまして生きるなんて無理だ。
(こんな無茶苦茶な話が通じるはずないのに…!!)
なのに俺の意思とは裏腹にたやすく嘘で塗り固められ、事実を歪められていった。これが貴族の…選ばれた人間の力だと見せつけるように。
そして義父であるモリス侯爵は俺を管理し支配した。
『やはりその黒い目、異質だな。不気味だから前髪で隠せ』
『下を向くな! みっともなく怯えた素振りを見せるな!!』
『食事の量を増やして身体を大きくしろ。あまりに貧相すぎる』
『そんな事も知らないのか無能め。猿の方がお前より利口だぞ』
毎日のように浴びせられる俺自身を否定する暴言と暴力の日々。
そしていつも最後には『これだから平民は…』と不満そうにこぼしていた。
こんな苛烈な日々が数年続いたのだが、貴族の掟や作法を求めるレベルまでこなせるようになってからは俺への興味が無くなったのか、義父による暴力はピタリと止んだ。
けれど顔を合わせるたびに、植え込まれた恐怖は簡単に消えなかかった。あの男の蔑むような視線はいつも俺を萎縮させ、同時に心の奥底に隠した憎悪を募らせるばかりだった。
『"ヴィンセント"、これからはモリス侯爵家のため日々励むのだ』
でも抵抗出来ない。俺にはもう何も出来ない。
…………俺は義父に一生を縛られ、操り人形のように生きていくしかないんだ。
(こんなの人間の扱いじゃない。家畜以下だ)
だけど今の俺にはここしか生きて行く居場所が無い。誰も助けてはくれない。
守りたかったはずの命が、存在が、みんな俺の手のひらから呆気なくこぼれ落ちていく。
もはや何のために生きているのかもわからない状態だった。
(俺は無力だ。俺に、もっと力があれば…!)
『あらァ? 随分と場違いな所に居るねェ貴族サマ』
『!!?』
そうやって失意の日々を送っていたある日、俺はようやくブレイク…お頭に出会い、メンテスの存在を知ることとなる。
お頭はかつてこの国で戦おうとした英雄、すなわちメンテスのリーダーの子孫だそうだ。胸元に刻まれた鎌の入れ墨が先祖との何よりの絆だと誇らしげに話していた。
彼女は言った。『今の世界を平らにして、平民のための世界を作る』のだと。『革命を起こす』と。
確かに富や名声のために加担する輩も多い。金で雇われたヤツも居る。
だけど、
『アタシはさァ…ヴィー。貴族も平民も、みーんな身分関係なく平等であるべきだと思ってるんだ。アタシ達の夢に、協力してくれるかい?』
お頭は俺に "ヴィー" という名を取り返してくれた。
『黒の目? 良いんじゃないのかい。ここは不揃いな人間の寄せ集めさ。みぃーんな何かしら欠けてんだ。気にするだけ無駄さね』
この黒い目を認めてくれた。
『なァに水臭いこと言ってんだい! アンタはとっくにアタシ達平民と同じ。仲間じゃないか』
居場所を作ってくれた。
俺を、平民に戻してくれたんだ!!!!
胸に希望が宿る瞬間だった。
そこからは早かった。
メンテスの一員となった俺は貴族の学校に通いながら裏で仲間達を集め、密かに作戦を練って準備しつづけた。すべては長年不当な扱いを受けてきた平民が自由に生きられる世界を作るため。…平民を虫けらのように殺す貴族をなぶり殺しにする、復讐のため。それだけを原動力にして生きてきた。
この目的が叶うのなら俺はどうなったって構わない。命だってくれてやる。
この道を選んだ事を、俺は絶対後悔しない。