見たもの、感じたもの
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室内の空気が即座に冷たくなる。
「リっリリリリアム様…!!」
「…リアム」
地雷で強く拒否しているイーサンが居る部屋には近付いて来ないだろうとタカを括っていたエキドナに衝撃が走る。
一方のイーサンは実弟との思わぬ初対面に呆然としているようだった。
そんな二人に引き換えリアムは、
「……」
冷めた目でイーサンを一瞥したかと思えば、にこりと笑って迷いなく二人の方へ歩み寄って来た。
「えっ? どうしてここに…」
「それはこちらの台詞ですよエキドナ。さぁ帰りましょう」
リアムがエキドナの腕を掴みグイッと引っ張った。
その勢いでエキドナは半ば無理矢理椅子から立ち上がる形になる。
「貴女が少々お転婆な方だとは知っていましたがまさかここまでするとは思いませんでした」
「ちょっ…待って下さいリアム様!」
エキドナを引っ張りながら踵を返して素早く部屋を出ようとする。
そんなリアムをエキドナは踏ん張って留まろうとしているのだが、元々同年代よりも一回り身体が小さいエキドナには無理がありズルズル引きずられるように動かされている。
「…おいリアムッエキドナは強く掴まれると怖がるんだそんな風に無理矢理動かすのは…!」
イーサンがエキドナの身を案じてリアムを止めようと手を伸ばす。
「貴女が何を考えているかは知りませんが妙な意地を張っても無駄ですよ? …エミリー、エキドナを動かすのを手伝って下さい」
イーサンの手が身体に触れないようにサッと避け "普段通りの笑顔で" エキドナと扉付近で控えていたエミリーに声を掛けた。
「……!!」
イーサンの顔が、眼が、悲痛な色に染まり絶句する。
(この人まさか…ッ!!)
エキドナも瞬時に感じ取った。
余りの仕打ちに怒りさえ感じる。
「ちょっと! なんでサン様を『居ない者』みたいに扱ってるんですか!!」
自身の腕を掴むリアムの手首をもう一方の掴まれていない手で掴み返しながらリアムに噛み付いた。
普段落ち着いた性格をしているエキドナが珍しく怒りを露わにした事に驚いたのかリアムの動きが僅かに固まり…また素早く立ち直る。
「……関わりたくないから。関わる理由も無いから、ですよ。随分仲良くなったみたいですね」
リアムが一瞬冷え切った声をエキドナに向けて答えたかと思えば「僕には関係ありませんが」とにこりと笑う。
「…『関係ない』って。何ですかそれ…」
余りにも冷た過ぎるリアムの言動にキッとエキドナがリアムを睨む。
リアムも不敵な…しかし冷め切った笑みでエキドナを見返す。
「 "仮" にも貴方のお兄さんじゃないですか "仮" にもッ!」
「おっおい "仮" って…」
「…… "仮" にも異母兄だからこそ腹立たしいんです。例え "仮" でしかない存在だとしても」
「何度も "仮" って言うな!! 君達わざとか!? わざとなのか!!?」
「うるさい。お前は黙っててよ」
「!!」
「リアム様!」
"仮" と言う単語を連発する二人にイーサンが叫び、リアムが黙らせ、エキドナが怒る。
弟からの人生初の第一声がこれなんてイーサンが気の毒過ぎる。
「とにかく今日はもうお開きにしましょう。…エミリー」
リアムがやや低く鋭い声でエミリーに声を掛ける。
いや…『声を掛ける』なんて表現では生温い。
これは絶対君主としての『命令』だ。
「……っ」
エミリーがリアムの威圧に無言でたじろぐ。
主人と王子どちらの命令を聞く事が正解か本当は理解しているはずなのに主人を裏切る事に罪悪感を感じているのだろう。足を僅かに上げては戻して、なかなかその場から動けないでいる。
(…ありがとう。エミリー)
エミリーに感謝の言葉を心内で述べ未だ掴んでいるリアムの手を勢いよく振り上げて拘束から逃れる。冷静な声が室内に響いた。
「言われなくとも自分で動けますよリアム様」
これはエミリーを巻き込んで良い案件ではない。
力関係が明白な従者を人質に取るのは卑怯だ。
そんな気持ちを眼と声で伝える。
「……理解して貰えて良かったです。では帰りましょう」
リアムは一瞬冷めた顔をしながら、にこりといつもの笑顔に戻る。
エキドナの手を添えるように握りながら足を進めるのだった。そんなリアムの後ろに従う格好でエキドナも足を動かす。
しかし顔は後ろの…「エキドナ…ッ!」と戸惑う様子のイーサンへと向けた。
「色々すみませんでした。またお会いしましょう」
「「!!」」
エキドナの言葉にイーサンとリアムが各々に反応する。
「あ、あぁ…「またそんな事を言うなんて…貴女は意外と意地の悪い性格をしているのでしょうか?」
イーサンの言葉をリアムが被せるように言う。
握られている手にもぐっと力が入っているのが伝わった。
…流石にこの反応は仕方がないと思う。
リアムへの挑発行為とも取れるから。
しかしそれでも、エキドナは怯まない。
「貴方のやり方に、納得した訳ではありませんから」
「……!」
エキドナの力強い金の眼が驚きで見開いたサファイアの眼を真っ直ぐに射抜いた。
バタン
そのまま扉は閉められ部屋にはイーサンただ一人が残されたのであった。
「「「……」」」
冷え切った空気の中三人は馬車へ向かって無言で歩く。
するとリアムがピタリと足を止める。同時に繋がれていた手が外された。
エキドナとエミリーもつられて歩みを止める。
「エミリー、少しエキドナと二人で話がしたいので先に行って馬車の準備が出来ているか確認して下さい」
「……っ」
「返事は?」
「…はい。畏まりました」
「エミリーごめん。私は大丈夫だから」
「…いえ、お嬢様。御前を失礼致します」
綺麗にお辞儀をし主人を気遣わしげに見つめながらエミリーが立ち去った。
その場に残されたのはリアムとエキドナ二人きりだ。
「「……」」
また沈黙が続く。
「…あの、リアムさ「どうしてですか?」
エキドナが言い切る前にリアムが強い口調で問い掛けた。
リアムは未だエキドナの半歩先におりエキドナからは顔が見えない。
「…え?」
「どうして "イーサン・イグレシアス" なんかと会っているのですか。仲良くなっているのですか」
「…それは…サン様がリアム様と関わりたがっていたから、手伝っているだけです」
「そんなの嘘だ」
「嘘じゃありませんっ」
リアムの言葉に慌てて否定する。
「いいえ、あいつはそんな綺麗な人間なんかじゃない。貴女は騙されているんです」
(え…?)
リアムの言葉に今度はエキドナが固まる。
「あの男は危険です。もう近付かないで下さい」
「……」
リアムの真剣な声を聞きながらエキドナは俯きイーサンとの今迄のやり取りを思い返す。
最初は焦りと緊張から挙動不審だった姿。
初めて部屋へ案内してくれた時の優しい手。
『リアムと仲良くなりたい』と言った時の真剣な眼。
笑った顔、困った顔、一生懸命な顔、……傷付いた顔。
「…リアム様。私にはサン様が悪い人間には見えません」
「!! なっ」
動揺を隠せないリアムが振り返ってエキドナを見つめる。
お互い向き合った状態でリアムの眼を見つめ返しながら落ち着いた態度でエキドナは言葉を続けた。
「私は自分の目で見たもの、感じたものを信じます」
今のリアムの言葉から真剣さが伝わったからこそ、一瞬イーサンの事を疑った。
…それでもやはりイーサンが何か企んでいるようには…悪人には、とても見えない。
「……」
エキドナの予想外の返答にリアムが無言で歯を噛んだ。
「…ねぇリアム様、貴方は…」
「どうしてですか…。何故あいつなんかを庇うんです!」
リアムが強い力でエキドナの肩を掴んだ。
ビクッ! とエキドナの全身が強張る。
(いう事を聞かないから怒ってる? …いや違う。この感情は)
「どうして…貴女が…ッ」
両肩を掴む手に痛いくらい力を込めながら、顔を強張らせ震えている。
(……この感情は、『不安』と『恐怖』だ)
エキドナが片手を上げてリアムの頬にそっと手を添える。
リアムの動きが止まり、肩に加わる力が僅かに抜けた。そのままエキドナは出来るだけ優しい声で落ち着かせるように言った。
「リアム様…私は、貴方に害を成そうとは思っていませんよ?」
リアムが青い目を大きく開く。
「もし貴方が私や私の大切な人に害なす存在となれば容赦しませんが…でも、今の貴方を傷つけようとは思ってません。……サン様に関しては不快感を味わせてしまってますけど」
「……」
黙ったままリアムが両手を放す。
しかし表情からまだ納得出来ていない事が伝わる。
そうこうしている内に早足でやって来たエミリーから馬車の準備が出来た旨を知らされ形式ばかりの挨拶をしてリアムとはそのまま別れたのだった。
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ガタガタと馬車が揺れ動く。
その中でエキドナは窓の外を見ながら今日の出来事を振り返っていた。
(何故リアム様があんなに不安定になってるかはよくわからない。でも私に対して不信感と不安を感じているのはよくわかった)
イーサンは今迄リアムとは会話した事がなく遠巻きでしか見た事もないと言っていた。今回初めて間近で見て声を聞いたのだ。
しかしリアムはイーサンの事を『綺麗な人間なんかじゃない』『危険だ』と強く言っていた。
それはイーサンと過去に何かしらの形で関わった事があるという証拠になる。
今現在、二人の主張には矛盾が生じているのだ。
……しかしどちらも嘘を吐いているようにはとても見えなかった。
(一体リアム様とサン様との間に何があったんだ)
想像以上に複雑過ぎたこの兄弟を思いながらエキドナは屋敷に着くまで遠い景色をただじっと眺め続けているのだった。