向き合う 前編
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ここ、ウェルストル王国の貴族達の家名には様々な特徴があった。
例えば『ホークアイ(=鷹の目)』や『リード(=赤毛)』のような外見的特徴に由来する者。『ケリー(=戦士)』や『フローレンス(=花)』、『カーター(=運び屋)』のように過去の功績から貴族に成り上がった事を示唆する者。『リベラ(=河岸の)』、『アイビン(=緑の水)』、『イネス(=島)』のように一族発祥の地を表す者。
ところが王家の血を引く者やそれに匹敵する力を持つ大貴族、さらに建国以前から王家に仕え重用された貴族であればあるほど、上記とはまた異なり一眼でわかるような特徴があった。それが "初代当主の名" である。
『オルティス(=オートンの息子)』、『エドワーズ(=エドワードの子)』、『ラミレス(=ラモンの息子)』……さらに今は無き『ジャクソン(=ジャックの子)』のようにどの一族も皆当代の王から直々に、或いは王家の血を引く者が公爵位に叙される場合は初代当主の父たる国王の名から家名を与えられた。
__そして現在、聖サーアリット学園にて高貴ながら不遜に振る舞うアデラインという娘もまた……『デイヴィス(=デイビッドの子)』という家名を持つ、特別な貴族の令嬢であった。
「確かに、私はデイヴィス様ような "初代当主の名" を賜った一族の生まれではありません」
緊張気味な声が一室に響く。言いながらステラは手を動かして侍女に下がるよう伝え、アデラインと二人きりの状況を作る。ステラの言葉が気に食わなかったのだろう、アデラインは変わらず気難しい表情を浮かべていた。
「その通りよ。王族の婚約者になって随分のぼせたのね。己の身分に恥を感じないのかしら?」
「……」
「あの女もそうだわ! 逆心で生家が潰されたとはいえ、先々代国王の血を引く生まれのビクトリア様から指名されたのが不満だった!! 一体どんな手を使って、媚を売ったのやら…!」
何も言わずに俯くステラへ勢いづいたアデラインが半ばヒステリックに、まるで独り言のように怒りを撒き散らす。そんなアデラインにステラはますます萎縮し怯えるばかりだが、目に入っていないのか構わず自身の爪先を交互に引っ掻きながら一方的にたたみかける。
「侯爵の地位とはいえ名家のオルティス一族だけならまだ納得出来た!! …けれど現当主は野蛮なホークアイが奪取したようなものじゃないッ そんな汚らわしい血を色濃く引く女が、何故リアム王子の婚約者に選ばれたのよ!!? しかも長年地味で大人しい女を演じてこのわたしの目を欺くなんて…なんて小賢しい真似を…!! あぁそうだわ、今の王家も似たようなものかしら!? 傲慢にも正妃の座に居座る身の程知らずなサマンサ・トンプソン、そして "妾の子" ……イーサン・イグレシアス!! 王家の面汚し共が…!」
「なっ…! ど、ドナと、サン様を…王妃様をっ…」
「黙りなさい!!! 貴女も同類…いいえそれ以下よ!!!!」
「ひっ…」
大事な二人を侮辱されステラは咄嗟に刃向かおうとするものの、アデラインの剣幕に押し負け一瞬でかき消されてしまった。
反発出来ずに震えるステラをアデラインは見下ろし鼻で笑ってみせる。
「あまりに弱すぎる。何故こんな女が王家に選ばれたのだか…」
言いたいだけ言って満足したのだろう、そのままアデラインは立ち去ろうとした。
「ふっ 不審火は…!」
が、椅子から勢いよく立ち上がる音とステラのか細くも懸命な声で足を止める。
「不審火は…放火の疑いが強いそうです!!」
「!」
振り返りこちらを見やるアデラインに凍りつき身体を縮こませるものの、彼女が一瞬目を大きく見開き動揺したのをステラは見逃さなかった。僅かな反応により疑惑が確信へ変わる。
「そっそれに他の方々から聞きましたわ! 放火された場所で、貴女と交流がある女子生徒達が騒いでいるのを目撃されたことを…! 放火が発覚する前後、貴女の姿を見た者が居ない……事も!!」
「だから何? …まさか、わたしがやったとでも?」
不快そうにピクリと眉を動かしこちらを凄むアデラインにステラは恐怖でまた身体を強張らせる。けれどもそれだけだった。何故なら、息を軽く吐いたアデラインが突然ステラに綺麗な微笑みを作ってみせたからだ。
「居るわよ。"不審火" の前後で、わたしと行動を共にした者くらい」
「えっ…」
戸惑うステラを無視してアデラインはスラスラと冷静に生徒の名前を複数名挙げる。
「彼女達に聞けばわかるわ。きっと "聞き間違いだ" と…そう返ってくるに決まってるもの」
にっこりと笑みを深めたアデラインにステラは息を呑み悟った。
…内密に確認した際、アデラインが名指しした令嬢達は放火の前後で『姿を見ていない』と答えているためアリバイが無いはずだ。
しかしステラは今迄の交流で思い知らされていた。おそらく再度この令嬢達に同じ質問をすると、アデラインが言った通りの台詞を告げるのだろう。『聞き間違いだ』『勘違いだ』と必死に…自分や自分の家を守るために必死に嘘を貫き通すのだ。
(この方は…また無関係の人達を巻き込み脅して、自分にとって都合の良いように操るつもりなのだわ…!)
「で、でしたら、現場に居た女子生徒達は…!?」
「『騒がしいから見に行きなさい』と命じただけよ。残念だったわね? 貴女の "妄言" 通りにいかなくて」
「っ…」
(あぁ…だめだわ! このままでは為す術が…!!)
権力を盾に揉み消そうとするアデラインにステラはまたもや勢いが削がれてしどろもどろになってしまう。
だがしかし、不意に……アデラインの手元に目が止まった。怯えながらも冷静な声が静かに響く。
「では…では、どうして… "その癖" が出ているのですか…?」
「…………ハァ??」
ステラの問い掛けに不機嫌な声が反射した。けれども強気な姿勢を崩さない彼女とは対照的に今なお細く白い指先は忙しなく交差し動かしている。そんな様子を静かに見つめながらステラは言葉を続けた。
「誰しも "癖" というものがあるそうです。私にも……デイヴィス様にも、」
(以前あの子が言ってました)
「その手の動きは……ずっと周りの方々に対する苛立ちや怒りの表れだと思っておりました…。いえ、実際そういう意味合いもあるかと思いますけれど」
ステラも以前から、アデラインの癖には気付いていた。加えて今はこの場に居ない友に指摘されて気付いた事だが、目の前に立つ彼女の爪は確かにかなりの深爪であり、しかも触り過ぎた所為か肌荒れも酷いようだ。"自傷行為に近い" という表現は思いのほか的を得ているのかもしれない。
「同じ動作を繰り返すことで精神を安定させる効果が…ある、そうです」
ボソボソと自信無さげに説明しつつ銀の瞳をアデラインへ向けた。
……初めて、彼女の目を真っ直ぐ見つめた気がする。その表情を見てようやく理解した。自然と組んだ両手に力が入る。
「デイヴィス様 "も"、本当は怖いのではありませんか?」
刹那、水を掛けられる音とステラの悲鳴……そして人が倒れる音が一斉に鳴り響く。逆上したアデラインが早足でステラの方へ引き返し、テーブルに飾られていた小さな花瓶を掴んでステラに花ごと水をひっかけたのだ。
「図に乗るんじゃないわよぉぉ!!!!」
狂ったように激昂したままアデラインが叫ぶ。
「わたしが恐れているですって!? "このわたし" が!!? 何故お前如きに怯えなければいけないのッ お前と "同じ" 臆病者だと言いたいの!!!? せっかく言い分を聞いてあげたのに……なんて、なんっって図々しい…!!」
ひとしきり地団駄を踏み、金切り声を上げ……直後、荒い呼吸音と共に凍りつくような静寂が生まれた。
尻餅をついたまま、水を被り衣服を濡らしたステラは、目に涙を溜めて怯え切っている。自身を抱き締めて震えるステラに対し、アデラインは引け目を一切感じてないらしい。無遠慮に見下ろし口を開いた。
「いいこと? 世の中は、選ばれた人間とそうでない者に区分されるのよ。生まれ持った血筋や才覚、容姿、教養、突出した何か…。生まれた時点ですべてが決まりすべてが違うの。初めから何も持たないお前が、わたしと同じなはずないでしょう!?」
「ッ…!」
再度怒鳴るアデラインにステラは一層身を縮こませた。そしてここまでやってようやく溜飲が下がったのだろうか……今度は何も言わずに自分の顔をステラの耳元まで近付けるのだった。
「無能非才な痴れ者の分際で、わたしに楯突こうとするな」
殺意が混じった凄みのある声。
その容赦ない恫喝にステラは金縛りのように固まり、動くことも、息をすることさえ出来ない。
「時間の無駄だったわ。…貴女が悪いのよステラ。貴女が、わたしに生意気な口を聞くから」
言いながらアデラインは立ち上がり、また歩き始めた。不機嫌そうに蔑みながら。
「これ以上周囲を嗅ぎ回るのはやめなさい。犬畜生のようで穢らわしいわ」
部屋を退出しようとするアデラインをステラはただ呆然と見つめることしか出来ないでいた。
(また、何も出来なかった…! どうして、私はドナのようには出来ないの!?)
ひたすら自分を責め悶え苦しむ。彼女の胸に湧き上がり支配するのはアデラインに対する強い恐怖心だ。言い返すことが出来なかった無力さや惨めさだ。…そして、後悔だった。
(ですが、これ以上はもう…っ)
未だに手どころか足も身体全体も壊れたように震えている。服だってびしょ濡れだ。早く着替えなければ風邪を引いてしまうだろう。このまま放っておけば…
………… "このまま" ???
(このまま…もしこのまま何もしなければ…私はこれからどうしたらいいのかしら? ドナを、ミアを、助ける事さえ出来ないまま……ずっと、ずっと、このままなのかしら? 私は、ずっとこのまま誰かの力をあてにして、頼って、無力なまま…)
…いやだ。
心の奥底で声が囁くのを感じた。消えそうなくらいにか細く、小さな声。
それが自分の本心なのだと悟った瞬間、無意識にステラは立ち上がっていた。ゆっくり小刻みに…震える足を引きずって前へ進む。
息苦しい。くらくらする。
怖い、怖い怖い、怖い。
力が出ない…
(心臓が飛び出して死んじゃいそう…。ですが、このまま…デイヴィス様から逃げ出すのは…………いいえ、)
咄嗟にステラは頭を大きく振った。覚悟を決め女の背を正面からキッと見据える。
(弱い自分から逃げ続けるのは、もうたくさんよ!!!!)
「だめぇ!!!」
「!!?」
予想外の行動に驚いたのだろう、反応が遅れたアデラインの腕をステラが掴む。胸はうるさいほど早鐘を打ち息も荒い。反面身体は冷え切っており、顔は今にも泣き出しそうだ。
けれど、どれほど恐怖で震えて怯えていても、
どんなに弱々しくみっともなくても、
アデラインの腕を……掴んだのである。