清算
12月21日23時すぎに追加修正をしました。
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『お頭』と呼ばれた女はエキドナとミアを見て微笑みを浮かべた…かと思えば、不満げに眉を顰め斜め後ろのヴィンセントと帽子の男へと視線を投げ掛ける。
「なんでリアム・イグレシアスじゃないんだい」
「まァまァ、落ち着けって姐さん。金の目と金髪…ヴィーの情報が確かならこの嬢ちゃんはリアム・イグレシアスの婚約者のエキドナ・オルティス侯爵令嬢サマだ。人質として十分だろォ?」
「ふーーん…」
腕を組み何か言いたげな顔で思案している女頭に対し帽子の男は余裕綽々だ。少し間を置いた後で女頭が諦めたように大きく息を吐いた。同時に煙草の匂いがエキドナの鼻を掠める。
「…まぁ、今回だけ大目に見てやるとするかい。確かにあのガキの婚約者なら利用価値がありそうだ」
再度ギョロリとアーモンドの目のみをこちらに向けられてミアは混乱気味にエキドナへしがみつく。
だがしかし、当のしがみつかれた側のエキドナはそれどころじゃない。別の意味で固まっていた。
(あっ…れ? 待てよ)
目を覚まし頭の怪我の応急処置を終えてようやく多少の冷静さを取り戻したからこそ気付いたのだ。
(そういえば……ヴィンセント・モリスと悪女っぽい人が登場したこの状況を『隠しキャラルート』と呼ぶのならば、)
先刻、つまり拐われる前の出来事を思い返したエキドナは一人冷や汗を流しはじめるのだった。
(ヤバい、リー様完全に無実だったッ!!!)
「お目覚めのようで何よりだよ侯爵令嬢サマ。アタシ達は__ 」
フレンドリーな態度で女頭が何か説明しているものの今の状況に陥るまで割と本気で『リアムが何かやらかしたからミアが居なくなった』とエキドナは思い込んでおり罪悪感で激しく動揺して女頭の話を右から左へ聞き流していく。
(うわぁどうしよう本気で疑ってたごめんリー様!! とりあえず色々終わった後で謝りに…いやその前に拉致られたから本人何も知らないじゃん!)
「だからアタシ達はこれから……おい、聞いてんのかいお嬢サマ。おい…おい!」
(これで謝ったら相手傷付けるだけだしこっちのエゴだし、でもこのまま "無かった事にして" 接するのも不誠実というか…)
「聞いてんのかテメェ!! ああ"ッ!!?」
「はっはい! 聞いてますすみません!!」
怒鳴り声に加え自分達が居るベッドを蹴る衝撃で驚き、エキドナは姿勢を正して即答する。
すると何故かミアを含むその場に居た人達全員が固まり、ぽかんとした表情でエキドナの顔を穴の開くほど見つめていた。
僅かに沈黙が流れた後で各々口を開く。
「……貴族にしてはちょいと素直すぎねェか? プライド高ェお貴族サマが平民にすぐ謝るかよ普通」
「しかもこんな形で大の男二人を片付けたんだって? ア、アンタ達まさか…偽物担がされたんじゃないだろうね!? ただでさえ王子拐えなかったのにもしそうなら承知しないよッ!!」
本物が目の前に居るにも関わらず突如浮上した『エキドナ偽者疑惑』によって女頭はかなり焦った様子で問い詰めるものの、そんな彼女に対してヴィンセントは冷静だった。エキドナの方を見つめながら淡々と諭すような口調で反論する。
「いや、間違いなく本物だ。社交で王子と居るところを何度も見ているし学園内でも低姿勢を貫く事が多かった」
「実は本物はとっくの昔に死んでて仕方なくずっと影武者が演じてたりしてなァ〜!」
「……」
(目の前で死亡説流されちゃった…)
帽子男の揶揄う声が飛び、今度はエキドナが遠い目をして黄昏れるのだった。
「っ…ぷ、ヤバッ…やっぱ、ドナっ…サイコー…ぅくくッ」
(ミアちゃんミアちゃん、小声だけどガッツリ聞こえてるよ?)
誤魔化してるつもりだろうかミアはエキドナの肩に自身の顔を押し付けている。が、実質耳元で囁きボイス状態なので笑いを押し殺しているのもプルプル小刻みに震えてるのもエキドナにはガッツリ伝わっていた。
すると今度は前方から女の低く鋭い声が響く。
「随分と余裕だねェ。成り上がりの小娘」
射殺さんばかりに凄まれた女頭の視線と圧に見ていないはずのミアもビクッと硬直してすぐさま顔を下にして縮こまる。エキドナも張り詰めた空気を感じて怯える彼女の身体を守るように抱き寄せなおすのだった。
その反応に女は腰に手を当て鼻で笑う。
「…まぁいいさ。小娘はともかく、お嬢サマはヴィーがブン殴ったって聞いたからねェ……怪我で小難しい話が理解出来ないんだろう。しょーがないからわかりやすく説明してやるさ、アタシはお優しいからねェ」
不機嫌そうな調子から一転、屈託の無い笑顔を見せる。変わり身の早さに目を丸くするエキドナ達をよそに、女頭は二人をまるで幼な子に言い聞せるが如く柔らかい明瞭ある声で説明しはじめた。
「アタシ達の望みはただ一つ…『みんな平等』さ!!」
「…はぁ」
まるで学校のスローガンを連想させるささやかかつ良識的な目標にエキドナは思わず生返事をする。
しかし女頭は構わず胸元の入れ墨を愛おしそうに触れながら言葉を続けた。
「この世界は王サマ・お貴族サマの上流階級だけでなく平民や移民、混血、孤児に貧困層……みィ〜んなが必死に汗水流して生きてんだい。なのに生まれた場所は誰しも選べない。自由に選べないからこそ不公平や理不尽が生まれるんだ。アタシ達はそんな世界を変えるために…世のため人のため、正義のために活動してるんだい」
政治家の演説の如く声高々に説明する彼女の言葉で、後ろに居た痩せ型の男が大きく首を縦に振っている。ヴィンセントも静かに控えているがその瞳は真剣だ。
女頭がアーモンド色の目を細めたままエキドナとミアに問い掛ける。
「"貴族" や "平民" みたいな堅苦しい肩書きに囚われないでさァ…平等に生きる世界が、もし実現したら素敵だと思わないかい?」
__嫌な予感がした。
女頭の言葉を文字通り聞けば素晴らしい考えだと思う。
けれどそれはあくまで前世の話だ。
平和や平等は口先だけで簡単に手に入るものじゃない。長い時間を掛け、紛争を繰り返したくさんの犠牲の上でようやく築き上げたものだと散々前世の戦争の授業や本で学んできた。
今世の…つまり絶対君主制と身分制度が当たり前のこの世界ではまだメジャーな考えじゃない。
そしてこの世界の雰囲気やタイミング的に、すぐ浸透するとはとても思えない。
きっと大きな代償が必要になる。
自然とエキドナの脳内で『フランス革命』の単語が浮かんだ。
前世の知識が確かなら、王政を廃止して結果として資本主義や人権の発展などに繋がった歴史的革命であり、当時のフランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットを始めとした王侯貴族が多数処刑され……未来の国王になるはずだったシャルル王子が相当酷い虐待を受けたまま死んでしまったはずだ。国王夫妻もそうだがまだ幼い子どもだった王子の境遇があまりに凄惨すぎてよく覚えている。
(ここはウェルストル王国、フランスじゃない。そもそもフランスなんて国名はこの世界のどこにも存在しない)
ただ直感する。
目の前に居る女が目指している先はなんなのか。何故この国の頂点に立つ王族のリアムが狙われたのかさえ…。
「おっ? その反応じゃあアタシ達の狙いが読めたみたいだな。賢い子だねェ」
顔色を変えたエキドナに女頭は満足そうな笑みを浮かべる。
そしてポンっとエキドナとミアの頭に手を置いた。煙草の匂いがますます強くなり思わず咽せる。
「そうさ、要するにアタシ達の目的は世の中を一度平らにして清算する事。……アタシの "名" と "血" にかけて、反王政派組織『メンテス』の頭として、」
「痛っ…〜〜ッ!!」
彼女の手から伝わる無遠慮な動きにエキドナは痛みで声無き悲鳴を上げた。
言いながら二人の頭を撫でているのだ。
エキドナの反応を顧みず、ぐしゃぐしゃとゆっくり無遠慮にかき混ぜるように。まるで肉食獣が無邪気に戯れるかのように。
「王家とこの国を、全部ぶっ壊してやるよ」
上から押さえつけて蹂躙された二人はただ恐怖に震えるばかりだ。しかしその従順な姿が返って良かったらしい。女頭は満足そうに眺めながら手を離した。
激痛から解放されて息を切らすエキドナを前に悪びれもなく言ってのける。
「あぁ痛かったかい。ごめんよ? …まぁそういう訳だからアンタ達は人質らしくお人形のようにただ大人しくしてな。わかったね?」
女頭の言葉に二人は目を合わせる事も出来ずエキドナはコクコク小さく、ミアはやっとの思いで動かすように首を縦に振る。
今ここで反発すれば、ただでさえ危うい事態が悪化する事を本能で悟ったからだ。
(とんでもない事になってしまった…)
気付けばいつの間にか女頭と男達は部屋から出て行き、話し声や靴の音が遠ざかっていた。
けれどエキドナ達はまだその場から動けずにいた。
(リー様やサン様達が危ない。みんなが危ない)
未だ怯えた様子で震えるミアの背中をさすりながら、エキドナはこれから起こる恐ろしい未来予想図に早鐘を打ち、冷や汗が静かに首筋を伝うのを感じるのだった…。
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「しっかしお頭自ら出てくるとはたまげたぜ。でも貴族女共を黙らせるなんてさっすがオレ達のリーダー! 救世主! 一生ついて行く!!」
興奮気味に捲し立てるのは先刻までエキドナ達とのやり取りを見ていた痩せ型の男だ。
彼の反応に周りに居たメンバーが羨ましそうな声を上げる。
ここはエキドナ達が囚われた屋敷内のとある一室。その空間には女頭だけが優雅にソファーに座り、彼女以外の人間は皆立ったままテーブルを挟んで今後の計画について話し合っていた。
ガヤガヤと騒がしい声が鳴り響く中、"お頭" ことブレイクは疑うような声で横に控えている帽子の男、ジルに問い掛ける。
「あんな怯え切ったガキがホントに邪魔したのかい」
「おォ、マジですごかったぜ姐さんよォ。今はケガしてるからかすっかり牙抜けちまったみてェだがな」
「……」
ニヤッと意味深に微笑み愉しげに返答するジルにブレイクは少し黙って思い返す。
先ほどの会話で引っ掛かる点があったのだ。
名家の一つ、オルティス侯爵家の令嬢でありリアム・イグレシアスの婚約者のエキドナ・オルティスは誘拐して部屋へ運んだ時点で血がまだ止まっていないと報告があった。
それにも関わらず、対面した時には髪の毛を使った奇妙な手当てでほぼ出血を抑えられていたのである。
そしてもう一人の人質のミア・フローレンスよりもエキドナ・オルティスの手の方が血で汚れていた事から推測するに……怪我人のエキドナ本人が自力で手当てしたのだという結論に達していた。
そこまで思い至ってブレイクはやや投げやり気味に口を開く。
ジルもその事を把握した上で『また面白い事をやってくれるだろう』と期待しているのだと気付いたからである。
「まァそうさね。妙な事企んでないか時々見張った方が無難かもねェ」
「お頭お頭! ならオレに任せてくれよ。貴族の嬢ちゃん達を可愛がってやるぜ? 手取り足取りなァ!」
どうやら会話を盗み聞きしていたらしい、手の甲に入れ墨を入れた男が勢いよくブレイクの前に躍り出る。
すると男の一言が切っ掛けで周囲はより騒々しくなった。
「俺も俺も!」
「テメェ抜け駆けすんなよブッ殺すぞ!」
「馬鹿か貴族のお嬢様食えるなんてこんなチャンス後にも先にもねぇよ!」
「オレも痛めつけられた分、しっかりお礼しなくちゃだなあ…!」
己の欲望を隠しもせず歪んだ笑みを浮かべて吠え続ける下衆な配下達にブレイクは冷笑する。
ブレイクにとって不運にも巻き込まれた綺麗なお嬢様達でさえ、妬ましい敵である事には変わりないため男達を咎める気が無いのだ。
自身の口元が引き上がるのを感じつつ男達へにっこりと笑ってみせる。同時に男達の目もギラギラと輝いた。
「あァ良いさ。好きに輪姦して壊しちま…」
「うるさい!!!!」
言い掛けた刹那、凄まじい怒声に会話を聞いていなかった配下達も驚いた様子で静かになり、こちら……正確には自身を挟んでジルとは逆方向で控えていた青年に視線を注いだ。
憂いのある、どこか不思議な魅力を放つ容姿と今迄見た事もない神秘的な黒い眼。
大声による驚き以外も孕んだ不躾な視線達に構わず、ヴィンセントは声を張るのだった。
「俺達の目的はあくまで『平民による平民のための革命』…平民としての誇りと気高い志を持って行動すべきだ。捕虜への不当な扱いは固く禁ずる!!」
極めて清廉な主張にさらに辺りは静まり返る。
しかしそれは賛同するというよりヴィンセントの真面目すぎる意見に対する興醒めな反応だった。
けれどもこの中で最年少とはいえ、モリス侯爵子息としての財力や人脈を駆使し組織の財政を握る彼に強く出る者もまた居ない。
「なっなんだよおそんなキレるなって! クールなお前らしくないぜ〜?」
「とにかく部屋の鍵は俺が管理する! 異論は認めないからな!!」
「は、ハア!? 何もそこまでしなくたって…!!」
宥めつつ好機を狙っていたのだろう、手揉みして近寄った男にヴィンセントは奪われないよう手早く鍵を懐にしまった。そんな彼の行動に辺りはさらに一触即発な空気へと変わって行くさなか、戯けた声が聞こえてきた。
「まァまァ、そこは坊っちゃんの顔を立ててやんなァ」
「ジ、ジルさん…!」
助け舟を渡したのはジルだ。
この中で圧倒的な戦闘力を持つ老兵の一声によりヴィンセントを除く男達は狼狽えながら目に見えて勢いを失って行った。
「け、けどよおちょっとくらい味見したって…」
「俺もよく知らねェがお貴族サマっつゥのは馬鹿みてェに身持ち固いらしいぜ? 汚しちまったら目当ての王族共が『利用価値無し』って判断して人質を見放しちまうかもしれねぇなァ、わざわざ拐ったのにもったいねェ思わないかい? …それに、だ」
相変わらず心中が読めない調子で話しながらジルが男の肩に腕を組み囁く。
「溜まってんなら俺が安くていィとこ教えてやんよ。……ホレ、ヴィーちゃん小遣い♪」
「……」
あれよあれよという間に話が進み反発が無くなってからジルが機嫌良くヴィンセントの方へ手のひらを出す。
ヴィンセントは不服そうに顔を顰めたものの、それ以上何も言わず、この場の主導権を握った男のゴツゴツした手の上に硬貨を数枚置くのだった。
「__ちと熱くなりすぎなんじゃないかい?」
「別に」
嗜める女の声とに少し不機嫌そうな青年の声が聞こえる。
ジルが男達を引き連れてこの場を去り、他のメンバーも持ち場へ戻って行ったためその一室にはブレイクとヴィンセントの二人しか居なかった。
「アンタの事さ、弱った小娘に罪悪感でも湧いちまったんだろ? 敵に情け掛けるたァ先が思いやられるね」
図星だったのか、ヴィンセントは何も返さず俯き……かと思えば迷っているような口ぶりが聞こえてくる。
「人質を利用してリアム・イグレシアスや王族に関する情報を探っておく。だから…」
弱々しくその姿にブレイクはヴィンセントの肩にポンと手を置いた。
「そうさな、アンタがいつも正しい。アタシ達の事を思って動いてくれてありがとうねェ」
「!! ブレイク…」
「『お頭』な?」
「あっ…」
自身の言い間違えに軽く動揺するヴィンセントに対してブレイクは快活に笑い、今度は彼の背中を励ますように軽く叩いた。
「アタシはいつだって、ヴィーの味方だよ! アンタが正しいと思う道を迷わず選びな」
「うん…俺は、俺が正しいと思う道を選べばいいんだ」
「その調子さ!」
姉御肌で頼もしげな彼女の姿にヴィンセントもようやく本来の冷静さを取り戻したらしい。ホッと一息付いてから真っ黒な瞳をブレイクへと向けて微笑む。
「いつもありがとうな…お頭。あんたが居たから俺はここに居られる。"俺" で居られた」
「大袈裟だねェ」
心から感謝の意を伝えるヴィンセントにブレイクはコロコロと笑って返す。
こうして普段の調子に戻ったヴィンセントもまたブレイクと一言二言会話したのちにその場を後にするのであった。
「……」
ヴィンセントが立ち去り部屋にはブレイクだけが佇んでいた。
気配が去った事を確認したのち苛立った風に舌打ちをしてドカリとソファーに身体を預ける。
「あぁ嫌だ。これだからガキは嫌いなんだよ、めんどくさい」
煙草のけむりが薄く広がる中……人気の無い一室で愚痴っぽい女の声だけが不気味に響くのであった。