血盟
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一人蹲る少年の元へ、大きな人影が近付いた。
そして…
「よぉフィンッ! オマエこんなとこで何してんだッ!?」
「!!?」
突然の登場でフィンレーは声無き悲鳴を上げる。
ニールが立ったままヒョコ!! っと勢いよく顔を覗き込むように声を掛けたのだ。
「えっどうしてこんな所に!?」
固まるもすぐさま立て直して問い掛けるフィンレーに対してニールは人好きのする笑みを浮かべる。
高所ゆえに強い風吹き荒れオレンジの髪が乱れるものの、あっけらかんとした顔で説明するのだった。
「『そろそろフィンを回収して来い』って頼まれてよーッ! 場所わかんねーって言ったらリアムに『この辺じゃね?』って何個か言われてその通りに動いたら見つけたぜッ ちなみに屋上は二番目だったッ!」
「リアム様こっっわ!!」
おそらくこちらの行動パターンだ思考パターンだと訳わからない情報を分析して現在地を予測したのだろうが、普通の人間ならそんな離れ業なんて出来っこない。
それを当たり前のようにやってみせる幼馴染にフィンレーは戦慄するのだった。
しかし気持ちを一旦切り替えてニールに話を振る。
「あ、あのさニール。リアム様は、今…」
フィンレーとて先刻のやり取りでリアムを傷付けた事を気にしていたのだ。
するとその問い掛けに対して何故かただでさえ明るい色をした瞳が輝き始めた。
ニールの反応に内心首を傾げて様子を伺っていたらニールは高揚した風に早口で説明する。
「なんかシュバババー! でバシーン!! って感じですごかったぜッ! みんな興奮してんのか走り回って雄叫び上げてたッ」
「たぶんそれ悲鳴!!」
素早い動作を交えながら身振り手振りで話すニールにフィンレーがツッコむ。
昔に比べるとかなりマシなのだがリアムはその超人的な頭脳や器用さを周囲の人間にも求める悪い癖があるのだ。
そのためリアムのスパルタで今頃振り回されているであろう、イーサン達の姿が容易に想像出来てフィンレーは彼らを心の底から憐れむのだった。
__けれど同時に安心した。
(良かった。いつものリアム様だ…)
「そーゆー訳で人手足りねーって言ってたぜッ! フィンももう十分だろッ!? 帰ってこいよッ」
ホッと一息つくのも束の間、ニールの何気ない言葉にフィンレーの顔がまた強張る。
まるで視線から逃げるように、顔を逸らして俯き声を絞り出すのだった。
「僕は…行けない」
「ハァッ!? なんでだよッ!!」
「ニールにはわからないよ!!!」
「わかんねーよッ!!!」
フィンレーの強気な言葉にニールはすばやく反応する。
怯まず、さらに『全くわからない』という顔で真っ直ぐ自身を見つめるニールに対してフィンレーは的外れな苛立ちを抱きながら少しずつ…言い訳するように今の思いを声に出した。
「ニールに僕の気持ちなんてわからないよ…!! 姉さまは守れない、リアム様には当たるしみんなの前で泣いちゃったし…ッ そ、それに、みんなに色々押し付けたまま逃げ出しちゃった!!!」
先刻の失態を思い返し顔に熱が走る。
そして弱い気持ちが大きくなってしまい、また涙が溢れそうになるのを感じているのだった。
「そんな僕に何が出来るんだよっ…僕は姉さまやリアム様みたいに大人じゃないし頭良くない! サン様みたいに器が大きくないし、フランみたいに経験豊富じゃない、ギャビン兄さまやニールみたいな力強さも無い!! 無いものばっかり見えて…そんな自分が、」
自身を嫌悪しながら怒涛の感情をニールへ向け吐き出し続ける。
わかっているのに止まらない。
ずっと不安で、怖くて…後ろ向きな事ばかり考えてしまうのだ。
「悔しくて情けない…!!」
ぽたぽたと落ちる水滴を袖で雑に擦りながら言葉を続けた。
「姉さまはさ、いっつも僕を優先するんだ。『自分の事は気にするな』って何度も、何度も」
言いながらフィンレーは肩を震わせた。
思い返すのは自身を見つめる姉の優しい笑顔だ。
いつも慈愛に満ちていて、真っ直ぐで、
「こんな、僕が、助けようとし、ても…そう思って、いても…」
__『……ありがとう』
ふと、姉の弱々しい声と指先が脳裏に蘇る。
『っ…』
『大丈夫。これは嬉し泣きだよ』
思い出すごとにフィンレーは現実を噛み締め、歯痒く思う。
(あの時の一度きりだったよ…姉さまが素直に本心を見せてくれたのは)
「姉さまはッ…優しいけど、誰に対しても…薄い、壁みたいなものがある! ほんとは、僕の、こんな気持ちは、迷惑なんじゃないか…嫌なのを、我慢してるんじゃないか、って、怖いんだ…!!」
やはり頼ってくれない。
フィンレーに対してエキドナは困ったように笑って誤魔化し、遠慮し、距離を置き続けた。
そんな小さな出来事を繰り返すたび、重ねるたびに "自分じゃ力不足なんだ" と痛感させられていたのだ。
この気持ちは、ただ彼女を苦しめるだけなんだと。
「ぼ、くは…姉さまの、…ッ……重荷、に、なりたく、ない…」
自分の口から無意識に出た言葉でフィンレーはハッとするのだった。
(あぁ…そうか、僕、こんな風に思ってたんだ…)
『自由に生きてほしい』と言われるたび『関わらないで』と突き放されている風に感じる自分が居た。
(僕が姉さまを助けようとして…もしあの人が『巻き込んまった』『迷惑を掛けてしまった』って悩んでしまったら、)
それがとても怖い。
そんな姉の反応を見てショックを受ける未来が怖い。
「……」
どんどん後ろ向きな思考へ陥り感情を爆発させるフィンレーに対してニールは何も言わなかった。
何も言わずに、オレンジの双眼でじっと見つめるのみだ。
「…姉さまを……一人にしたくないのに、僕の行動がむしろ、姉さまをますます一人にさせてしまいそうな…気がして…」
(もう最悪だ。言ってる事がめちゃくちゃだしニールを困らせるだけなのに…!)
そんな現実で途端に我に帰り、同時に巻き込んだニールに対する申し訳なさから一気にフィンレーは歯切れ悪くなるのだった。
するとずっと黙っていたニールがゆっくり口を開く。
「フィン、オマエ…」
「めんどくせぇなッ!!!!!」
「……え"」
スパァッと効果音が聞こえそうなほどストレートにぶった斬るニールの発言でフィンレーは戸惑い固まるのだった。
しかし当のニールは腕を組み不思議そうに首を捻るばかりである。
「弟や妹達にも言えるけどよーッなんで下のキョーダイっていっつも上のキョーダイの顔色窺うんだッ? そんで遠慮すんだッ!? オレには意味わかんねーッ!! もっとガツガツ来いよ気ぃ使わねーでさぁッ…弟に頼られて喜ばねー姉はいねーだろッ! オマエだって妹に頼られたら嬉しーだろッ?」
「そ、そりゃ妹は甘え上手でちゃっかりしてるけど、でも姉さまは…! それに、僕達ほんとは…」
「ごちゃごちゃうっせーんだよッ! 今のオマエは考えすぎなだけだぜッ、もっとわがままになれッ本音言いまくって振り回して甘えちまえッ!! つーか普段あんなベタベタひっついて甘えまくってんのになんでそっちは遠慮するんだッ!?」
「う、うううううるさい!!!」
容赦なく指摘するニールの(悪意は無い)最後の一言でフィンレーは羞恥心から悪態をつく。
またギャンギャンと強気な応酬を繰り広げる中、ニールは変わらず堂々とした態度で言葉を続けた。
「オマエ知らねーかもしんねーけどよッフィンが伸び伸びしてるところを見てるドナ、すっげー嬉しそうでホッとした感じで笑うんだぞッ! だから大丈夫だってッ」
「!」
唐突な事実でフィンレーはラベンダー色の瞳を丸くするも、即座にまた暗い感情が噴き上がり首を横に振る。
「でも…それでも僕は」
「小難しいのはよくわっかんねーけどよッ……一つだけオレにもわかることがあんぜッ」
すると今度はニールが普段の明るい態度から一転、スッと真面目な顔に変わる。
低く冷静な声が辺りに響いた。
「このままじゃアイツ殺されちまうぞ」
「!!? 」
予想外の言葉にフィンレーは喉元がヒュッと鳴るのを感じた。
「で、でも……そんなっ…!」
「『殺される訳ない』ってか? んなもん全部敵次第だ…ッ。ドナはよぉッ俺達の中じゃ力はねーし身体も小せーからすぐ壊れちまうッ!」
狼狽え始めるフィンレーにニールは逃げず一歩前に近付きフィンレーを見つめ返す。
「けど動きは早えーし頭いいし……自分よりデケー男が相手でパワーが不利でも、ちょっと武術やってる程度なら何人来ようが勝てるはずなんだッ そんくらいの実力があいつにはあるんだよッ!! …オレはあいつが、陰でどんだけ努力してきたかを知ってる。色んなこと考えて工夫して鍛錬してマジでスゲーヤツだぜ」
言いながらニールは身体の横で下ろしていた拳を強く、ギュッと握り締めた。
「なのに負けちまったッ」
悔しそうな声で、ニールはまたフィンレーにぶつかっていく。
「つまり敵はドナより強えー『テダレ』ってヤツだぜッ! リアムだってさっきミアの誘拐の犯人がヤベェって、そんな感じの話してたじゃねーかッ オマエだってホントはわかってんだろッ!? 今本当にヤベー状況なんだって!!!」
「ッ…!」
容赦なく突き付けられる現実にフィンレーは顔を歪めるしかない。
本当は悟っていたのだ。
前世の影響からかエキドナは気を許した相手以外は基本慎重で警戒心が非常に強い。
ニールの指摘通り、身体面で不利なため試行錯誤を繰り返して欠点を補っている姿をフィンレーも見てきた。ゆえに下手な誘拐犯ごときに捕まるはずがないのだ。
つまりそれくらい……今回の相手が強敵だという事である。
だからこそフィンレーはますます不安を強めて動けずに居たのだが。
「戦った場所には血も付いてたしもしかしたらもう…」
「縁起でもないこと言わないでよぉ!!!」
ニールのあまりに厳しい発言で今度はフィンレーが叫ぶように遮りニールを批判し始めた。
「な、なんでそんな酷いことを言えるの!!? ニールの馬鹿野郎! 残酷だよ!!」
「うっせぇッ!」
かと思えばいきなり拳が自身に迫ったため慌てて飛び退けて攻撃を回避する。
「うわ危な!!?」
「ヤツらはもう『人攫い』って悪りー事してんだッ…残酷もクソもねぇよ!! とにかく今は時間がねーって意味だぜッ!! オマエがずっとメソメソしてーならオレはこれ以上引き止めねぇッ!! ……でもな、オマエ ドナのこと大好きだろ! このままでいいのかよッ!!?」
「そ、それは」
「オレはドナを助けてぇッ!!!」
まだ迷いが残るフィンレーに対してニールは一切ブレていない。
最初からずっと…友のため戦う覚悟は出来ていたのだ。
まるで暗闇からフィンレーの腕を掴んで引っ張り出すように、ニールが声を張り上げる。
「ならやる事はもう決まってんだろーが弱音吐いてねーでいい加減腹くくれッ!! 迷うんじゃねーッ! ドナは『フィン自身の意思を大事にしてくれ』って言いたかっただけじゃねーのかッ!? 『オマエの意思に姉の意見は関係ねぇ、むしろ入れんな』って意味じゃねーのかよッ!!!」
「…!!」
真っ直ぐな言葉や思いがフィンレーを激しく揺さぶった。
未だ迷いがあるフィンレーにニールは再び問い掛ける。
「さぁどうすんだッ! オマエはどうしてーッ!?」
「ぼ、僕は…」
「ウジウジする暇あんならサッサッと動けッ! 考えろッ! 決めろッ!! 出来る出来ねーの話じゃねーッ…大事なのはオマエの "気持ち" だろッ!!」
(僕の、気持ち)
ニールの言葉を胸の中で反芻する。
『フィン!』
その瞬間、いやずっと脳裏に浮かぶのは…やはりよく知る姉の姿だった。
フィンレーはようやく覚悟を決め、立ち上がる。
その瞳には先程まであった不安や迷いの感情はない。
ニールに負けないほど大きな声で叫んだ。
「僕だって姉さまを助けたい!!!!」
自分の思いに向き合い、再起したフィンレーにニールがニカっと白い歯を見せる。
「おぅッ! その意気だッ!!」
「ありがとニール。やっと覚悟が出来たよ。見つけ出したあとで…絶対姉さまに文句言ってやるんだ!!」
「いいじゃねーかッ キョーダイ喧嘩も大事な事だぜッ!!」
「痛った背中バシバシ叩くなよ…! でもまぁそうと決まればさっそくお父さま達にも協力求めて…。あ、そういえばあれから騎士団長のチャド・ケリー様と連絡は取れたの?」
「へッ?」
要領を得ない返事をするニールに対してフィンレーは涙の筋をまた袖で拭いつつ説明を続けた。
「ほら、さっき『連絡入れとかなきゃだし』って…」
全てを言いかけたフィンレーもハッと気付く。
そしてとある可能性を前に動揺するのだった。
(まさか…だいぶ時間があったはずなのにそんな)
そう、このニールという男は恵まれた体格と筋肉ゆえ身体最強クラスの名を欲しいままにしているのだが…。
フィンレーの無言の視線を受けたニールは胸を張り、親指を立てて快活に笑う。
「忘れてたぜッ!!!」
「そういうとこだよ馬鹿ニールぅ!!」