立ち止まる者、動き出す者
前半がフィンレー視点、後半がステラ視点になります。
10/13(水)に少し手直しをしました。
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リアム達が動き出しエキドナは依然失神したままという状況の最中、フィンレーはというと。
(もうやだこんな。僕だけ子どもっぽい…カッコ悪い…)
屋上に一人、体育座りで座り込んでいた。姉の誘拐、性癖暴露と言う名の友の裏切り…と不運が重なりボロボロと泣きじゃくっていたのだ。
(よく考えたら女子の前でもあんなに泣きまくって……うぅぅ、ヤバい、マジか、恥ずかしい顔合わせづらい…!!)
先刻の自分を客観視して羞恥や後悔で顔に熱が集まる。
それでも、ふと思い浮かべるのは優しい姉の笑顔だ。
(姉さまなら…『仕方ないなぁ』って顔して笑って頭を撫でてくれるんだけどなぁ…)
しかし当の姉は拐われの身でありここには居ない。そんな非情な現実にまた涙が溢れてこぼれ落ち…フィンレーは立ちすくみ、心が折れそうになっていた。
(ダメだなぁ…ほんとに。姉さまから『自分が居なくなった時に備えて』って今迄色んなことを教えて貰ったのに)
父経由で習った護身術はもちろんのこと、扱いにくい人間との関わり方などの世渡りや街でのお金の使い方、平民に馴染めるような立ちこなし方、医術の基礎知識、挙句の果てには貴族子息なら絶対必要ないであろう簡単な掃除や料理といった生活術まで。
そう思い返してふと気付いた事が一つ。
(……あれ? こうやって冷静に考えると、姉さまってかなり過保護??)
『エキドナがフィンレーを割と溺愛している』という今さらな事実に気付き、フィンレーはハッとする。
(まぁ姉さまは僕を想ってそうしてくれてるだけで僕も姉さま大好きだからただの両想いか。大丈夫大丈夫)
かと思えば納得気味にうんうん頷いてみせる。
持ち前のシスコンとマイペースさであっさり解決させるのだった。(注:姉絡みだとちょっと知能が低下する子)
だがしかし、所詮現実逃避気味な思考で気を紛らわせているだけだ。一瞬気持ちを強く持とうとしても "でも姉が居ない" という現実で悲嘆し、メンタルの浮き沈みが激しいことに変わりはない。
…それでもフィンレーが思い出すのはエキドナとのささやかで暖かい日々の記憶だった。
『フィン!』
(姉さまはいつも優しかった。いつも僕の事を気に掛けてくれた)
『フィン…貴方さぁ、そろそろ姉離れしたら?』
(そして時々冷たかった。わざと距離を置くような素振りを見せるんだ)
『えっ』
『そりゃ私も可愛い弟に慕われるのは嬉しいし貴方のことは大好きだけどさぁ…貴方には貴方の人生があるじゃない。生まれた順番とか、血筋とか関係なくね。……自分で選んで、自分で決めるの。貴方にはちゃんと "自分のために生きる自由" があるんだからさ』
(でもそれさえ、ほんとは僕の将来を考えてしていたのもわかっていた)
『ねぇ、姉さま…』
ある時、ほんの出来心で尋ねた事がある。
『んー?』
『もし僕がブサイクだったら、今みたいに可愛がってくれた?』
『……。どうしたの急に』
本心から驚いたらしく、僕の顔をまじまじと見ながら尋ね返した。
僕も少し歯切れ悪くだけど、ちゃんと答える。
『だってみんな僕の容姿ばっかり褒めるでしょ? 姉さまだって結構面食いだし、もしそれが無くなったら僕に何が残るのかな…みたいな』
白っぽいプラチナブロンドの髪と薄紫色の目、そして中性的な顔立ち。僕は清々しいほどにオルティス侯爵家の血を色濃く継いでいたらしく、人から外見をよく褒められた。
好意的に受け取られるのをありがたく思う反面、妹に酷似したこの女顔を褒められるのは男として素直に喜べなかった。何より、周囲から顔ばかり見られている事に不安を覚えていたのだ。
『……』
ぽかんとした様子で僕の顔をマジマジと見つめる姉に思わず恥ずかしくなる。
『な、な〜んてね☆ 状態だよ気にしないで』
『もしフィンがブサイクだったら…』
気不味くて、勢いでその場を誤魔化そうとしたら姉は考えながらポツリと呟いた。その声は真剣だがとても柔らかい声だった。
『それはそれで可愛かったでしょうねぇ』
僅かに顔を緩ませ放った姉の予想外な言葉に、フィンレーは思わず目を瞬かせる。
『…え?』
『まーそりゃ現実の貴方は顔も性格も可愛いからつい甘やかしたくなっちゃう自分が居るんだけどさ…多分ブサイクだったとしても愛情の量自体は変わらないと思う』
その言葉に嘘は無いらしい。だって姉は、この手の話には真っ直ぐ向き合うタイプだから。中途半端な言葉で誤魔化したりしない人だから。良くも悪くも正直な人だから。そんな人が、真っ直ぐな笑顔で簡単に言ってのけちゃうんだ。
『だってそれでも…私の可愛い弟には変わりないでしょ?』
(姉さまの言葉にどれだけ救われたんだろう)
僕はオルティス侯爵夫妻の実子じゃない。本当の父親は育ての母ルーシーの弟、オズワルドという人で本当の母親は平民のハンナという人だ。生みの親はすでに他界していて一緒に居た頃の記憶は無い。
優しい母はまだしも敬愛する父とは血の繋がりさえ無い。姉も妹も、本来ならただの従姉妹だ。
(ほんとは時々寂しかった。本当の両親に会って話をしてみたかった。いつか『養子だから』って仲間外れにされるんじゃないか怖かった)
ずっとずっと不安だった。
…だけど、
("僕は姉さまに愛されている")
それだけで不安も孤独も乗り越えられた。勇気を貰った。
今の家族の愛情も絆も、素直に信じる事が出来た。
(僕達は本当の姉弟じゃない…そんな事さえ時々忘れてしまえるくらいに、姉さまからたくさんの愛情を貰ってきた)
いつも姉の優しさに、支えられて守られていた。
「っ…」
思い浮かべるのはいつだって姉の優しく穏やかな笑顔ばかりだ。また、綺麗なソプラノが静かにこだまする。
『だからさ…貴方は、姉の存在に振り回されず、ちゃんと貴方の人生を歩んでよ』
「姉さまの馬鹿ぁ…! いっつもいっつも!! 他者の事ばっかりで自分には無頓着で…ッ!!」
思わず愚痴っぽく言葉をこぼす。
そしてまた止めどなく溢れてくる目元を袖でゴシゴシ擦るのだった。
(だから僕も姉さまの優しさに応えたいと思った。もっと強くなって姉さまの役に立ちたい。守りたいって)
『なんで肝心な時に守れないんだよッ!!?』
先程リアムに吐いてしまった暴言を思い出し、一気に焦りと後悔が押し寄せる。反射的に頭の中で言い訳を探し始めた。
(だって僕より頭が良くて何でも出来て何でも知ってて、頼りになる人だから…裏切られたみたいなショックを受けたんだ)
しかしどれだけそれっぽい言い訳を並べてもほんとはわかっていたのだ。思わず首を振る。
(……違う。リアム様が悪いんじゃない。ただの最低な八つ当たりだ。いやむしろあれは)
そして自分の根底の思いに気付き力無く項垂れるのだった。
(僕自身に向けた言葉だ…)
勉強も武術も、人間関係も、姉の力になりたかった。
守れる時に、ちゃんと守ってあげたかった。
(じゃないと姉さまはどんどん遠くに行っちゃう。今以上に誰にも弱音を吐かず助けを求めなくなっちゃう。一人で全部背負おうとしてしまう)
ほんとは悲しいはずなのに、寂しいはずなのに、何も言わずに手が届かない所へ一人で行ってしまうような気がして…………怖かったんだ。
なのに動き出せない自分が居る。後悔ばかりして立ち止まる自分が居る。
そこまで考えたフィンレーは、自身への無力感に苛まれながらまた身体を丸めてすすり泣くのであった…。
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「エブリン、本当に大丈夫ですの?」
「えぇ…」
ステラの気遣わしげな声にエブリンが微笑みを浮かべて答える。
が、その顔色は依然として悪い。
フィンレーが立ち直れずにいた頃、医務室ではステラ達がエブリンを囲むように静かに座っていた。彼女らの可憐な面持ちからはいつもの明るさや華やかさが消え、室内の空気は重く暗いものへと変わっている。
(ドナ…ミア…。今貴女達はどこに居るのですか?)
ステラは下を向いたまま、心の中で居なくなった友の身を案じていた。
(リアム様の身代わりなんて…あの子がやりそうな事ですわ。目に浮かびます)
『きっと怖かっただろうに、本音を隠して押し殺して、』
先程放った婚約者の真摯な声が、言葉が、ステラの心を容赦なく揺さぶる。思わず震えている自身の指を強く握り直した。
『相手のためなら自分の意思で損な役割を選ぶような子だ…。ドナはそういう……優しすぎる子だ…!!』
(本当に、あの子らしい…!)
そこまで考えると劣等感や自己否定感で余計に身体を縮こませる。今回の事件で即座に思ったのは当然、攫われたエキドナの安否だった。
けれど同時に痛感させられていた。
(もし私がドナの立場だったら、サン様がリアム様のお立場だったなら、私はサン様を…)
『守れたのかしら?』
その質問を胸中で言い掛けようとするがすばやく掻き消える。答えは自分が一番よくわかっているからだ。
(もし同じ立場だったなら、私はサン様を守れません。むしろ足手まといになるだけです)
現実的な未来予想図を前にステラは自分の無力さに失望する。
そして気付いてしまったのだ。
"困った時は誰かがやってくれる"
"自分の代わりに誰かが助けてくれる"
誰もが皆考えるであろう、当然の楽観視。
なんて自分勝手で浅はかで……他人任せな、甘い考えなのだろう。そんな考えしか抱いていなかった自分に気付き、ステラは己を恥じた。
(私はどこかでずっとそんな風に思っていました…ずっと楽な道ばかりを選んで逃げて来たのです)
だからこそ親友の窮地でさえ何も出来ずこの場から動けないでいる。そんな自分自身に対して、ステラはどんどん罪の意識を強めるのだった。
(何も努力をせず変わらないまま、ずるいまま、弱いままで居続けたのだわ…!!)
「ごっごめんなさい。私こういう空気本当にダメで…怖くて…っ!」
刹那、エブリンのか細い声でステラは我に帰った。
見ると彼女の身体は弱々しく震え、唐紅の瞳には涙が溜まり、こぼれ落ちそうになっている。その危うい姿にステラとセレスティアは慌てて椅子から立ち上がり駆け寄った。
「エブリン…!」
「どうしましょう、ミアやドナちゃんが…ッ…嫌っ…」
「エブリン殿、気をしっかり持ってでござる…!」
懸命に励ますもののエブリンは不安な思いでいっぱいらしく声が届いていないようだ。そんな反応に内心二人も薄暗い感情を大きくさせるのだった。
(養護の先生が不在で頼れる大人が居ない今、私達でどうにかしなければいけませんのに…こんな時、どんな言葉を掛ければいいの…?)
「ご、ごめんなさい。でも、どうしても考えちゃうのよ…ッ」
「エブリン、きっとだい…」
『大丈夫』
なんの根拠もなく言おうと思った。だってそれ以外に彼女を慰める言葉が思い付かなかったから。
「も、もし、ミアやドナちゃんが……帰って来なかったら……もう二度と会えなかったら…!!」
けれどそんな気休めな台詞さえ、エブリンの言葉を前に言えなくなってしまう。エブリンはエブリンで重さに耐えきれなかったのだろう、わっと泣き出し謝罪の言葉を繰り返すのだった。
「そ、そんな事、考えちゃいけないのに…ごめんなさい…ごめんなさい!!」
『もう二度と会えない』
エブリンの放った言葉に一瞬、エキドナの顔が鮮明に脳裏を過ぎる。弱った心に追い討ちをかけるには十分すぎる一言だった。ステラは自身の視界が歪み、咄嗟に唇を噛むも震えと共に身体の力が抜けていく。
(ドナ…!!)
「ステラ様まで…!! 皆サマ、お、落ち着いて下され…泣かないで下されぇ…っ!」
セレスティアの狼狽える声が聞こえるがもう動けない。
どんどん、暗い影が視界を覆う。
(寒い)
声が、力が、どんどん失われていく。
(私に出来ることなんて何も…)
「くだらない!!!! さっきからなんですの貴女方はッ!!!」
「「「!?」」」
突如現れたキンと耳を貫く甲高い声に三人共驚き、慌てて顔を上げる。声が聞こえた方向…医務室の扉の前にはジェンナが一人、腕を組み仁王立ちしていたのだ。どうやらいつもの女子生徒達は連れていないらしい。そのまま深緑色の目でステラ達をガンつけつつ早足で歩み寄る。瞳の色と同じ縦ロールも動きに合わせて大きく揺れ動いた。
「まるでミアとドナが死んだみたいな口ぶりね。死体も無いのにもう葬儀が始まったのかしら?」
「えっ あっ、何故、その事を…!?」
「様子がおかしかったからクラークお兄様にしつこく問いただしましたの!!」
ステラの問い掛けにバッサリ答えながらジェンナは容赦なく三人を見下ろす。
「貴女方安直すぎるんじゃないかしら!? あの女達は無害そうな顔して強かで図太くて狡猾だから帰って来るに決まってるわ!! ドナに至ってはなんとなくだけど悪運強そうですもの!!!」
ジェンナは強気だ。その勢いにステラ達は圧倒され、ぽかんと惚けてしまうが、にも関わらずジェンナは少し苛立った風に早口で喋り続ける。
「だからメソメソグズグズしてんじゃないわよ鬱陶しい!! あぁわかったわ。貴女がた、そ〜んなに弔いごっこが大好きなのね。ならずっとしていればいいわ!!!」
ビシッと三人を指をさし啖呵を切った。ジェンナの態度はあまりにもキツく不遜で、世辞にも慰めなんて可愛い類ではないだろう。
しかし不思議と……彼女の姿はあまりにも気高く、薄暗い空気を吹き飛ばす力強さがあった。すると今度は楽しげな声が辺りに響く。
「もちろんジェンナは "何もしない" わよ? 何もしないで高みの見物をするの。ボロボロの怪我まみれで帰って来たあの子達を『みっともない』って大声で嘲笑ってやるんだから!!! オーホッホッホ!!」
好き勝手に言って満足したらしい、ジェンナは高笑いを通路に鳴り響かせながらくるりと回れ右をしそのまま立ち去るのだった。
「「……」」
まるで大きな嵐が通り過ぎたようにセレスティアやエブリンは呆気に取られ、別の意味で言葉を失っている。
けれどもその中で一人、ステラは違う思いを抱いていた。
ジェンナの苛烈なくらい眩しい姿に……何故か勇気を貰ったのだ。
(彼女はドナ達を信じてるからこそ、敢えて "何もしないで待つ" 選択をしたのですわ…)
なら私は?
私も何もしないまま待つの??
(また何もしないまま、変わらないまま、誰かの助けを…)
__いいえ、
自然と指先に力が入る。
そして静かに立ち上がり二人を見つめた。銀色の瞳には恐怖や不安で揺らぎながらも、それでも立ち向かおうとする決意がみなぎっている。
「ごめんなさいティア、エブリン。私やらなきゃいけない事が出来ました…。行って参ります」
「すっステラ様ぁ!?」
簡潔にそれだけを伝えると戸惑うセレスティアやエブリンを他所に一歩、また一歩と前を進み始めた。こうしてステラもまた…ジェンナが開けたままにしていた扉から一人、出て行くのであった。