掴めたはずの手(リアム視点)
<<警告!!>>
残酷描写および鬱描写があります。
________***
エキドナが消えた。
いや、正確には男爵令嬢のミア・フローレンス同様にエキドナ "まで" 誘拐されてしまった。
エキドナが消えた日の前夜、僕は国王である父親から王城まで内密に呼び出されていた。
要件はミア・フローレンスの失踪についてだ。父の情報によると、現在フローレンス男爵家は犯人を名乗る人物から法外な金銭を要求されていたそうだ。
『身代金目的の誘拐』
そこまでなら貴族として生きていく以上、ある程度想定すべき事態だろう。
しかし問題になったのはフローレンス嬢を誘拐した犯人だった。取り引きの際、痕跡を一切残さずしっぽを掴ませない犯人の手際の良さや用心深さからただの誘拐犯ではないと判断したフローレンス男爵は、秘密裏に王家へ報告し、報告を受けた王家も重く捉えて自警団だけでなく騎士団も導入して慎重に調査している。
その旨をエキドナに伝えようとしたところで賊に襲われたのだ。
________***
時は遡ってエキドナが侵入者と交戦していた頃、リアムは一人校舎内を走っていた。
この学園は普段通う生徒達でさえ気を抜けば迷ってしまうような広大な面積を誇るのだが、リアムの記憶力にかかれば見取り図や現在地を把握する事くらい容易である。
(ドナと居た場所から守衛室までの距離は走って約五分…普段なら短く感じる距離だけど今は時間が無い。往復十分は得策じゃない)
けれどリアムはとても冷静だった。守衛室の場所だけでなく巡査巡回業務を行っている守衛の配置場所をすべて完璧に把握していたからだ。
(ここから最短の配置場所から一分も掛からない。次の配置場所も三分ほどで到着するからまずは守衛二人を確保してエキドナの方へ向かわせ、そのまま守衛室へ行き増援を呼ぶ)
しかし居るはずの配置場所に何故か守衛が居なかった。
「…?」
(場所を間違えた? いやそんなはずはない。次の地点までの時間が惜しい。近くを巡回しているのか?)
そう考え周囲を探すが守衛の姿はない。それどころか他の生徒の姿さえ見ず辺りは不気味はほどしんと静まりかえっていた。
けれどすぐさま計画を切り替え次の配置場所を目指すことにした。
だがしかし、やはり肝心の守衛は居ない。
(…不味い。このままだとドナが危ない)
一気に焦燥感を覚え駆けるものの、やはり周囲には守衛だけでなく生徒も誰も居なかった。
…まるで最初からそうなるよう何者かによって仕組まれた感覚だ。息苦しさと共に胸の音がリアムの中でどんどん大きく鳴り響く。
(おかしい。不自然だ)
いやもっと初めから疑問視するべきだった。
ここは聖サーアリット学園、貴族の子息令嬢のみ通う事が許される特殊な高等教育機関。
(そんな背景ゆえ警備はかなり厳重なはず。なのに何故、賊の侵入を許したんだ…!?)
あらゆる懐疑が押し寄せ胸騒ぎがするけれどリアムは軽く頭を振って思考を切り替える。
(いや後で考えよう。それより時間に余裕が無い状況でまだ距離がある守衛室へ行くより…!!)
また素早く計画を切り替えたリアムは迷わず慣れた道を加速し勢いのまま扉を開いた。
バンッ!!!
「うわっ…って、リアム!? どうしたそんな息を切らして!!」
辿り着いた場所は生徒会室だ。
イーサンが驚いた様子でこちらを振り返るがリアムはそれどころじゃない。走りすぎて咽せながら必死に問い掛ける。
「ゴホっゲホッ…ギャビンと、ニールは、ここに居るか!?」
同じ生徒会メンバーであり武闘派一族として騎士の特別訓練を受けているギャビン・ホークアイとニール・ケリー……この二人の戦力を借りようとしたのだ。
「おぅ居るぜッ!!」
「ギャ、ギャビンは今席を外していてだな…」
その声に顔を上げ周囲を見渡すとギャビンやフランシス、そしてフィンレーが不在らしい事がわかる。構わずリアムは声を張った。
「ニール、今すぐ武器を持って僕と来い!! ドナが危ないんだ!」
「はぁ!!? 一体何が…」
「僕狙いの侵入者だ!! 詳しい説明は後でするからイーサンは守衛室へ向かい増援要請を! 場所は…」
こうして大まかな状況を説明してイーサンは守衛室へ、リアムは一人駆け出したニールの後を追うように目的地へと向かったのだ。
__しかし、時すでに遅し。
着いた頃にはエキドナの姿が無かった。
自身より先に到着したニールが周囲を見渡し探す中、リアムもエキドナの名を呼び辺りを見渡す。地面には戦いの惨状を物語るかの如く血痕が所々でこびりついていた。
「痛え…痛えよおお…」
そして森の中へ隠れようと賊の一人である巨体の男が地べたを這いずっているのを発見した。背中には浅いが大きな切り傷があり状況から察するに逃げ遅れたらしい。男が恨めしそうにブツブツと唸っている。
「アイツら見捨てやがってクソが…!! あ"あ? んだよ王子今さら戻ってきても」
リアムの存在に気付いた男が悪態を吐くけれどニールがリアムより先に男へ近付き声を掛ける。
「お前何者だッ? ドナはどこに居るッ どこへやったんだッ!?」
「イッテ!! ケっ…オレは金目当てで雇われただけで何も知らねえ、残念だったな!! 例え知ってても敵に教えるかバー…」
勢いよくニールが賊の襟元を掴むが男の口は固い。
しかし言い切る前に、ニールはもう片方の手で容赦なく賊の腕を締め上げた。
「痛てぇぇぇぇえ!!? わかったわかったよあっちへ行った!! だから離しやがれ!!!」
あまりの怪力に悲鳴を上げ根負けしたらしい、半泣きの男が必死に首を動かして逃げた方向を教える。
ほしい情報を知りニールもパッと手を離して男の腕を解放した。
「でももうとっくに逃げ帰ってるかもなー? テメェらがチンタラしてる所為で…」
スパァンッ
痛みが無くなった男が二人に再び罵声を浴びせようとするものの、ニールの迷いなく放ったビンタを受けそのまま失神するのだった。
「まだ敵が近くに居るかもしれねぇッ! シューヘン探ってみるぜッ!!」
「ぼ、僕も…」
『僕もドナを探す』と言おうとするがニールがオレンジの目を真っ直ぐ向けてリアムに言った。
「お前はここに居ろリアムッ! そんでゾウエン来た時にコイツを引き渡してくれッ!!」
こうしてニールはまた駆け出し、残されたリアムも後からやって来た守衛やフィンレー達と合流してエキドナを懸命に探す。
けれど無情にも見つかったのは敵の武器らしきダガーナイフ数本と懐中時計……そしてかつて彼女の誕生日に贈った、サファイアがはめ込まれている双剣の片方のみだったのだ…。
________***
ミアに続きエキドナまで居なくなった事で生徒会室には重く、暗い空気だけが漂っていた。
「いつも配置されている守衛が居なかったのは、何故なんだ…!」
リアムの苛立った声に一同が顔を上げる。
しかしそれはリアムの意見に賛同したのとは異なる反応だ。
思わず、という風にフランシスが声を掛けた。
「え、お前知らなかったの? あん時より少し前にボヤ騒ぎが起こってさ、『放火の疑いがあるから』って人員そっちに割かれてたんだよ」
「ッ…!!?」
驚きのあまり絶句するリアムにイーサンも戸惑った様子で説明する。
「ほら最奥の…リアム達が居た場所から正反対の方向に古い倉庫があるだろう? 幸いすぐ鎮火されて怪我人も出なかったそうだが珍しいもの見たさに一部の生徒達が集まってしまったらしく、そこで余計に守衛の配置が変わって…」
具体的な説明と倉庫の場所を脳内で再確認する。
そしてふと思い返すのは賊と対峙する直前、エキドナと二人で偶然目撃した場面だ。
『随分向こうが騒がしいね』
『ほんとにね。どうしたんだろ?』
点と点が繋がり、リアムは青い目を見開いたまま片手で顔を隠し身を震わせるのだった。
「あ…」
(あの時か…!!)
「…はぁ? なんだよその反応。ふざけんなよ」
地を這うような低い声が辺りに響いた。
声の主は、エキドナの弟のフィンレーだ。ゆらりと不安定な動作でリアムに近付く。
「つまりアレか? あんたは近くに守衛居ないのわかってて自分だけ逃げたって事なのかよ」
「!! ちがっ…!」
「違わねぇだろ!!!?」
反射的に否定しようとしたリアムの声にぶつけるようにフィンレーが叫んだ。
一緒に居る女子生徒達から悲鳴が上がる。
「ふざけんな…ッ ふざけんなよ!!!」
リアムの襟元を掴んでフィンレーが詰め寄る。
そのラベンダーの瞳にはいつもの穏やかさが無く、あるのは烈火の如く燃え上がる怒りの感情のみだ。
「フィン君!」
「フィン…!?」
「落ち着けよフィン!!」
「うるさい!!!!」
宥めようとしたステラ、イーサン、フランシスにも声を荒げフィンレーは睨み付ける。
普段の人懐っこく温和な彼との差に驚き、フランシス達が一瞬怯んだのも構わずフィンレーはリアムの方へと向き直した。
「フィンっ…!」
「ずっと姉さまのそばに居た癖に!! 強い癖に!! なんでこんな時に限って守れないんだよ!!!」
イーサンの狼狽える声が聞こえるけれどそれも半ば狂ったように怒鳴り続けるフィンレーの声に掻き消される。
リアムもフィンレーの怒りに押され気味だが、彼を落ち着かせるべく首元を締められ苦しげなまま意見を述べた。
「僕…だって、ドナを置き去りにしたくなかったんだ!! だけど守衛の配置や守衛室の場所を知っているのはあの場で僕だけだったから…」
その言葉にフィンレーはピクリと固まり、しかし怪訝な表情で逆にリアムに問い掛けるのだった。
「あ? ……まさか、それ…姉さまが『覚えてない』とか言ってた?」
「!!」
フィンレーの意味深な言い方にリアムは残酷な事実を悟る。
(まさかドナは…!)
「ふっ…ははははは!!」
言葉を失い青ざめるリアムに対しフィンレーはリアムから手を離し、突然笑い出した。
その壊れた反応で周囲はますます戸惑い怯えるが気に留めずフィンレーはひとしきり笑い…そして失望したように俯き寂しげに呟くのだった。
「…呆れた……」
「フィン、レー…」
リアムの呼び掛けにフィンレーはまた顔を上げキッと睨み、叫んだ。
「姉さまは守衛室の場所を知ってるし配置もだいたい把握してる!! だって入学してすぐ『身の危険を感じたらすぐ逃げ込め』って散々教わって一緒に何度も確認したんだ!!!」
またリアムの首元を掴んだフィンレーは責めるように罵倒した。
「嘘だよ嘘!! あの人の性格考えたらわかる事だろうが…ッ。いっつも『僕はドナを理解してます』みたいな態度取ってた癖に何やってんだよ!!?」
ただただ真っ直ぐな怒りをぶつけられリアムは内側から大きく揺さぶられ崩されていく。
「落ち着いてくれフィン!!」
「そうだぜ少し頭冷やせよ!!」
後ろから羽交い締めにするようにイーサンやフランシスがフィンレーを掴んでリアムから引き離すが勢いは止まらなかった。
「僕だったら姉さまを逃した!! そりゃあんたは "王族" だから、"未来の王様" だから守られなきゃいけないのはわかってる…。けど…それでも!!」
「うっ!」
「イーサン様大丈夫か!? こ、こいつマジで見かけによらず力強ぇなクソッ!!」
腕力で振り落とされてイーサンが声を上げフランシスも必死で抑えようとする中、フィンレーがまた叫んだ。
「それでも!! 僕があんたの立場ならなりふり構わず姉さまを優先した!! 守ってたよ!!!」
「……」
ぼろぼろと、ただ泣き叫ぶ。
そんな痛ましい姿にリアムは何も返す事が出来ず無抵抗なまま項垂れた。
「なんだよ、なんとか言えよ!!!」
ゴッ
「あっおいフィン!」
「ッ…」
フランシスの制止を振り切りフィンレーは、とうとう勢いのままリアムを壁に押さえ付けてしまった。
背中に痛みが走り僅かに顔を歪めるリアムに対してフィンレーもまた顔を歪める。
しかしもう止まれない。頬に涙が伝い慟哭のまま叫んだ。
「返せよ!! 姉さまを…! 姉さまを……返してよぉぉ!!!」
激しく泣き続けるフィンレーのそばで、今度はリアムの自嘲を含んだ声が響いた。
「…あぁ、そうだ。フィンレーの言う通りだ」
さらに顔を下げ、弱々しく消え入りそうな声は震えている。
「僕は守れなかった」
「! リアムお前…!?」
イーサンがショックを受けたように声を掛けるがリアムも淡々と話し続けている。
思い出すのはエキドナと逃げていた途中の、彼女との最後の会話だ。
『リー様!!』
(あの時、手を掴んで離さなければ…!!)
強い後悔が自身を飲み込む。
けれどもう遅い。
掴めたはずの手は、ここに無い。
「ずっとそばに居たのに、強いと、思っていたのに……」
「待っ…」
フランシスやステラ達にはもうどうする事も出来ず言葉を失うばかりだ。
リアムとフィンレー、よく知る二人が互いを傷つけ合う光景に……イーサンは一人強く歯を噛んだ。
「結局僕は何も出来ない能無しだっ
「いい加減にしろお前らぁぁぁ!!!!!」
机を殴る音が響く。
穏やかで優しいイーサンが切れたのだ。予想外の怒声に皆激しく驚き振り返るがイーサンは構わず噛み付いた。
「フィン!!! これ以上リアムを責めるのはよせ!! 今は誰が悪いとか言い合ってる場合じゃないッ…お前だって本当はわかってるだろ!!?」
「さ、サン様…っ」
あまりの迫力でフィンレーは涙を流したまま気圧されたらしく、リアムから手を離し数歩後退する。
しかしイーサンは言葉を続けた。
「あの子のことだ。『自分が囮になる』とでも言ってリアムを無理やり逃したんだろう…。きっと怖かっただろうに、本音を隠して押し殺して、」
言いながらイーサンはその場で俯く。この場に居ない少女の気持ちを思い、悔しさや悲しみで眉が下がるのを感じていた。
「相手のためなら自分の意思で損な役割を選ぶような子だ…。ドナはそういう……優しすぎる子だ…!!」
何も言わず固まったフィンレーからイーサンは身体をリアムの方へ向け、ズカズカと接近する。そのままリアムの両肩に触れ、諭すように話し掛けた。藍色の目は真剣そのものだ。
「リアム、お前もだ。お前がここで折れてしまったらドナ達を助ける可能性が消えるじゃないか!! しっかりしろ!!!」
嘘も打算も無いイーサンの言葉にリアムはハッとする。
そんなリアムに対して、イーサンも苦痛で顔を歪めながら肩を揺さぶり鼓舞しはじめる。
「いいか? お前は誰よりも優秀だ…天才だッ!! 俺達じゃどうすればいいかわからない局面でも、お前なら何か良い方法を見つけられるはずなんだ!!!」
「……」
「考えろ、今はドナ達を助ける事だけを考えろ!! ドナやフィン達への強い罪悪感は、自分自身への果てしない失望や無力感は、苦しいだろうが今だけ一旦横へ置け。全部終わったら俺も……ドナも、ちゃんとお前の話を聞くから!」
ギュッと握る力を強めてイーサンは懇願した。
イーサンとしてもこれが正しい対応なのかわからないのだ。
しかし今、お互い傷つけ合うのではなく力を合わせるべきだという事を彼はよく理解していた。
「だから、どうか負けないでくれ…!!」
イーサンの必死な呼び掛けにリアムは幾分正気を取り戻せたらしい。
「……イーサン」
呆然と、兄の名を呼ぶのだった。