晴れず
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朝。
「あっ おはよう姉さ……ま?」
姉であるエキドナの姿に気付いたフィンレーは、いつも通り声を掛けかけて即刻戸惑う。
何故なら早めに来るよう自身を呼び出したエキドナが深刻そうなオーラを放ちながらザッ…と土を踏む音を立てて近付いてきたからだ。
その態度はどこか厳かで顔には黒い影がやどり背後に『ドドドドドド』と効果音が出ている。
「フィン」
「な、何?」
引き気味なフィンレーに構わずエキドナは真っ直ぐ見つめて言葉を続ける。
「私に何か隠してる事、あるんじゃない?」
陰から表情は見えないはずなのに何故かフッと確信めいた笑みを浮かんでいる。
『すでに証拠は掴んでいる』と言いたげな顔をしているがこれはエキドナによるただの鎌掛け作戦だったりする。
「え!!? そ、それは…っ!」
思い当たるものがあるのかフィンレーはラベンダー色の目を見開きギョッとする。
そんな弟の反応に、エキドナは平静を装いつつ内心走り続けている緊張がより高まったのであった。
「今、言わなきゃダメ…?」
気不味そうに、そして何故か少し恥ずかしそうにフィンレーは視線を右へ左へと忙しなく動かした後、上目遣いでエキドナを見つめた。
「うん。今すぐ言って」
しかしエキドナも本気だ。
そんな弟に容赦なく切り込んでいく。
「わかったよ…」
観念したのか、落ち込んだ様子でうなだれるフィンレーにエキドナは固唾を飲んで見守った。
胸が早鐘のごとく脈打つのを感じる。
「この前の休みに、ルイスへ果たし状を送りました」
「妹の彼氏殺そうとすな」
「あいたっ」
予想斜め上な告白にビシッと腕めがけて突っ込みを入れるのだった。
そんなエキドナのリアクションにフィンレーは慌てて釈明し始める。
「こ、殺すなんて流石にそんな! 少し扱こうかなって思ったくらいで〜☆ …ってちょっと待って『彼氏』って何!? お兄さまはまだ認めてないッ!!!!」
「嘘おっしゃい目がマジになってるから殺気ダダ漏れだからぁ!! …いい加減あの子の幸せのために認めてやりなさいな。あんまり余計な事すると妹に嫌われちゃうよ? そうなったら姉さまフォローしないからね!?」
「ええぇ〜弟じゃなくて妹の肩持つなんて姉さまひどい!!! 大体姉さまだって最初は『妹に手を出すとは許さん!』とか言って殺る気満々だったじゃん!! そもそも妹の癖に生意気なんだよ。姉兄が学園行って目を離した隙に男作るなんて…!」
「貴方もたいがいシスコンだねぇ」
現実を受け入れられず妹を盗られた嫉妬で唸るフィンレーにエキドナはほのぼのと苦笑する。
なお先程から名前が挙がっている『ルイス』とは攻略キャラの一人、ニール・ケリーの弟であり武闘派一族ケリー子爵家の跡継ぎ息子だ。(注:第一章 五十一話にて登場)
そしてオルティス三姉弟妹の末っ子、アンジェリアの "好きな人♡" でもある。
しかも相思相愛。
夏休み中にアンジェリアからルイスとの関係を告げられた時は寂しすぎて彼女を溺愛する姉・兄・父の三人が軽く発狂した。
ちなみに三人に引き換え母親のルーシーはある意味一番冷静であり、末娘の成長をほのぼのと笑って受け入れあっさり味方についている。
そんな母に倣ったエキドナも現時点では "一応" 妹とルイスの仲を認めているのだった。
「でも確かにフィンの言う通りだよねぇ……もう結婚相手を見つけるなんて」
ただ理性でわかっていても本音は違う。
未だにウジウジしているフィンレーを眺めながらエキドナも悲しそうに息を吐いた。
(うちのアンジェちゃん、お母様に似てリアル天使で激かわだからモテるだろうなとは思ってた。それにルイスも良い子でしっかりしてるから二人共大丈夫なんだろうけど…なんかこう、やっぱり少し寂し…)
内心本音をこぼしまくる途中で本題から話が逸れていた事に気付き、エキドナはハッと正気に戻る。
「ってそうじゃなくて!!『ミアの件で何か隠してる事ないか?』って話だよ!」
「え、ミアさん? なんで急にミアさんが出てくるの??」
「あるの? 無いの?」ズイッ
「無いです」
「ちなみにオルティス邸の地下にあるのは?」
「? 物置兼筋トレルーム」
「ならばよし!!!」
手早い質疑応答の末に聞いた答えでエキドナは満足し、その場で飛び跳ね勢いよくガッツポーズする。
対するフィンレーはそんな姉の奇妙な行動に『なんなのもう…??』とく頭上にクエスチョンマークを浮かべ不思議そうな表情で見つめているが、その自然な反応でエキドナはむしろより安堵するのだった。
(うん、フィンが嘘を吐いてる様子はない!)
ゲームではヤンデレキャラだったらしい弟だが目の前に居る彼は非常に素直で正直な性格をしているため判別しやすいのである。
(わかりやすくてとても助かる。出来ればずっとそのままで居てほしい。…いやそれはそれで悪い人間にカモられそうで心配になるけども…!!)
相反する姉心に挟まれて内心揺れ動きつつもエキドナは昨日の出来事を思い返していた。
事の発端は昨晩の…一人で居なくなったミアの事を考えていた時のこと。
ヒロイン失踪について相談していた同じく転生者で唯一ゲームのシナリオを知る友人のセレスティアの発言から『ヒロイン殺害エンド』、もしくは『ヒロイン監禁エンド』の発生疑惑が生まれたのである。
『ヒロイン殺害エンド』とは悪役令嬢エキドナの(上辺だけの)婚約者たる『リアムルート』におけるバッドエンドであり『ヒロイン監禁エンド』とはエキドナの弟でさっき問いただした『フィンレールート』におけるバッドエンドである。
昔聞いた話だとこの二人のルートは攻略難易度が非常に高くバッドエンドが多いらしい。
今迄 "この世界はゲームの世界によく似てるんだって〜。へ〜" くらいの軽い認識していなかったエキドナにとってシナリオが動いた説はまさしく青天の霹靂。
ひどく動揺するには十分すぎる展開だった。
そして……
(リー様とフィンの二人にはどうやって聞こ…いやまず先に外側から情報集めるか? でももしほんとにどっちかがやらかしてたらどうしようてかミア生きてる? 生きてるの?? ああああ想像するだけで怖いよぉ逆に違ってたら安心だけど疑った事でリー様達との関係にヒビ入りそうだしむしろ『ヒロインどこ行った』って話になるしうわああだけどもしマジでやらかしてたら…)
とても悩んだ。
そうして悩みに悩み、ひたすら答えの出ない仮説をグルグル巡るうちに気付けば夜明けを迎えて……
エキドナは一人、スンとした表情でベッドから立ち上がる。
(もういいや。本人に聞こう)
思い切り開き直った瞬間であった。←
こうして二人にただ直接聞くというシンプルな選択をしたエキドナだが、そもそも『ミアはリアムやフィンレーとの恋愛フラグが建っていたか?』と問われると微妙すぎるし二人が理由もなくいきなりミアに手を掛けるとも考えにくい。
ただ二人の性格から『何かの拍子でうっかり☆』……みたいな可能性が否定出来なかった。
そう思ってしまった時点で確かめなきゃやってられなかったのだ。精神衛生的に。
(現にフィンレーはミアの件では無実だったけど別件の殺傷フラグが建ちかけてたからねぇ…念のためケリー子爵とお母様あたりに後で手紙で報告しとこう)
結果として『フィンレールート』のバッドエンド疑惑は無く、別件の暗躍も未然に防ぐ事が出来た。
「……」
だがしかし、エキドナの心のモヤモヤは未だに晴れないままだ。
何故なら正直な話…何かを本気でやらかしそうなのはフィンレーよりもリアムだと思っているからだ。
________***
「「……」」
日を追うごとにだんだん肌寒さが増しているのを感じながらエキドナはリアムと二人、無言で学園内の通路を歩いていた。
朝からフィンレーへの疑いを払拭出来たと安心したのも束の間、昼休憩中にリアムから『内密な話がある』と声を掛けられたのだ。
エキドナはリアムのこの誘いを『人気の少ない外でなら』と条件付きで頷いた。
これで何かあったとしても外部に情報が漏れる事は無いだろう。
「?」
はるか後方から何やらザワザワと騒々しい声が聞こえてエキドナは思わず振り返る。
見ると遠くの方で人が集まっているらしい。
「随分向こうが騒がしいね」
リアムも気付いたらしく怪訝な顔をして同じ方向を振り返る。
「ほんとにね。どうしたんだろ?」
少し気になりはするものの次の授業が控えているから時間に限りがあるのだ。
お互い同じ考えに至ったのだろう、エキドナもリアムも後方を気にしつつまた静かにスタスタと歩を進めるのだった。
__さて、話は少々ズレるがエキドナが何故フィンレー以上にリアムを疑っているのかを改めて説明していきたい。
彼…この国のチート王子、リアム・イグレシアスは昔から周囲にやれ『天才だ』やれ『神童だ』『稀有な頭脳だ』と持て囃されているのだが……幼馴染のエキドナから述べる評価は一つ。
この人頭おかしい。
エキドナは自身の事を元の知能や前世の記憶、経験値を持っているから "頭はそこまで悪い方ではない" と自覚している。
そんなエキドナでさえリアムは…正確に言うとリアムの頭脳は大まかな基準から明らかに逸脱していると感じていた。
物心ついた段階で彼の口から出る些細な会話の中身はいつも "頭のいい大人" のレベルだった。
さらにちょっとした質問をすれば即レスして+αな予備知識を追加出来るほど膨大な知識を持ち、頭の回転は早くて冷静だ。
何より恐ろしいのが異様なまでの記憶力の良さ。
瞬間記憶は当たり前で誰もが覚えていないような大昔に話した会話の中身やエピソードを詳細に覚えている。
さらに武術の練習試合をすれば相手の一挙動や作戦を対戦時・傍観時共にその場で全て記憶して途方もない記憶のデータを集積する事で、相手の動きの癖や行動パターン、思考回路を分析し『次の攻撃は横からの斬撃、次は一歩分跳ねるように後退しその次は…』のような予知能力染みた頭脳戦を実行するのである。
しかも紙に書かず全部脳内で。
恵まれた体格や男性特有の筋力の強さもさることながら、その特殊な頭脳があるからこそエキドナは現在のリアムには絶対勝てないと認識しているのだ。
流石に本人に言えば傷付きそうなので敢えて口にしないけどとても大事なことなので改めて言わせてほしい。
この人頭おかしい。
あと上手く言い表せないがリアムはたまにものすごく心配になる時がある。
それから『怖いからやめろ』と何度も言ってるのに定期でホラーや虫絡みを仕掛けてくるのは本当に意味がわからない…。
まぁ、『理解し合える話し相手が居なくて寂しい思いをしているのかも』と思って昔からイーサンと二人でたまに隠れてリアムレベルの学問の勉強をしているけれども。
「ここで良い?」
「うん。良いよ」
リアムの言葉に考えを一旦止めてエキドナは微笑む。
外へ出た二人が辿り着いた場所は校舎裏にポツンとある錆びれたベンチと木しかない辺鄙な場所だ。
リアムの後に続いてエキドナも腰掛け……そして緊張が走る。
(要するに、だ)
エキドナにとって彼は今迄出会った事が無いくらいに頭が良すぎる人間だから腹の中で何を考えているのか読めないのだ。
加えてリアム本人も言っていたが、確かに周囲に比べて感情の波そのものが弱い。
だからエキドナにとってますます読み取りにくい相手なのである。
だからこそ思う。
『なんかの拍子で、うっかりミアを口止め目的とかで連行したんじゃないか?』と。
やはりリアムはサイコパスには見えないし、殺害も簡単にするとは思えない。
ただ必要に迫られたらやりそうな男でもある。
だからあくまでエキドナなりに考えた仮説だ。
「…で、話って?」
"内密な話を" と誘ったリアムに言葉を促す。
彼の顔をじっと見つめて一体どんな話をするのか、驚かないよう覚悟しながらドキドキして待つのだった。
(例えば『弱みを知られたから』…とか。昔リー様が潰したジャクソン元公爵家絡みなら有りえる)
大丈夫。
仮にリアムが何かやらかしても、私は貴方の…
「わざわざこんな所まで来て話がしたかったのは」
「!!!」
言い切る前にエキドナが勢いよく立ち上がる。
即座にリアムを守るように両手を広げて前に立ち、周囲を警戒するのだった。
「ドナ…!?」と横から戸惑う声が聞こえるもののリアムも感知したのだろう。
立ち上がって臨戦態勢に入る。
すると校舎の裏手にある小さな森から……徐々に人の気配と足音が近付いてきた。
「ほォ〜…気配消してたつもりなのにもう勘付きやがったか」
木の影から出てきたのは三人の男だ。
一人は痩せ型、もう一人は肥満型のでかい大人の男。
そして先頭に立つのは縫い目まみれの帽子を被った初老くらいの男である。
…その服装や雰囲気からして、どう見ても学園関係者ではない。
「最近のお貴族サマは優秀だねェ」
エキドナやリアムが睨むのにも動じず帽子の男が感心したように声を上げる。
そののんびりとした口調とは裏腹にエキドナ達を取り巻く空気は糸をピンと張ったように鋭く、そして重々しくなるのであった。