地雷
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『どうやったらあいつと仲良くなれるのか教えてほしいんだ!!』
イーサンのこの発言からはや一週間後。
「うっっわ!! 柔らかいですねー! 断面から違う! きめ細かい!」
「だろ? 売り切れするくらい人気のパンらしいんだ。これに蜂蜜をかけるとより美味しくなるんだ!」
「美味しい! ほんとだ合いますねー!!」
エキドナとイーサン、二人の賑やかな声が一室に広がる。
ちなみに今日の茶菓子は有名店のパンらしい。
今迄のお茶会から見てイーサンはクッキーや焼き菓子、パンなど手軽に食べられる物が好きなようだ。
『リアムと仲良くなりたい』と言われたあの日から、エキドナはイーサンと定期的に会って話をしている。
あの日イーサンの態度がどうしても嘘を吐いてるように見えなかったので、ひとまず次のリアムとのお茶会の後にこっそりまた会う約束をしたのである。
…言い訳をするなら、その時のイーサンの言葉を百パーセント信じ切っていた訳ではない。
ただあまりに本気の態度だったので様子を見てみようと思ったのだ。
もし仮に今後イーサンに不審な言動が見られたら彼からの口止めを無視してリアムに報告しよう。
それくらいには思っていた。
しかし、このイーサン・イグレシアスは…………とても良い人だった。
不器用であがり症気味のため挙動不審になったり言葉を噛んだり詰まったりはするがその対応はいつも優しくて誠実だ。
そして温かみのある穏やかな人柄だった。
エキドナは結構…いやかなりイーサンに好感を持っていた。もちろん人として。
前世の影響で "普通でまともな" お兄さんキャラに弱かったのだ。
それに加えて『甘い物が好き』『猫などの動物が好き』…etc. と共通点が多いのも好感度が上がった要因だろう。
あと精神年齢や醸し出す雰囲気がすごく年相応なのが落ち着く。
多分弟のフィンレーともすぐ仲良くなれるんじゃないのかと思うくらいに良い人だった。
もしこれがリアムをおとしめて騙すための演技なら、私はもう人間不信になる(血涙)
それに客観的に見ても…これまでのイーサンの言動には一貫性があり矛盾や違和感がなかった。
矛盾や違和感がないという事は隠し事や疚しいものがないという証明になるだろう。
そもそも本当にロクでもない人間は言動で段々…或いは初期段階でボロが出るのですぐわかるのだ。笑顔が不自然だったりやけに媚を売ってきたり、自分の意見をすぐ変えたり。
(だからサン様はシロ)
エキドナは心の中でそう結論を出した。
そしてそんな善人が純粋に弟と関係を修復したいのなら、私は喜んで手伝おうと思い未だに交流を続けている。
今のところリアムにはバレていない。
あとイーサン本人からの希望で気付いた頃には『サン様』と愛称呼びが定着していた。
「あっそろそろ本題に戻らなければな!!」
「あ! そうですね!」
二人はパンを美味しく頂いた後でそそくさと本題に入る。
「私が思うに…今の時点ではサン様がリアム様と積極的に関わるのは良くないと思います」
「そうか…」
イーサンが眉を下げ残念そうな顔で俯く。
先程の関係修復発言と矛盾していると思われるかもしれないが、イーサンとのお茶会前の…ついさっき終わったリアムとの定期お茶会で事実確認をした結果である。
リアムは以前から『家族の話題』が地雷疑いだった。
もしそれが事実なら今イーサンが関わろうとすれば逆効果になってしまう。
だから前回の茶会ではエキドナが知る限りのリアムの情報を得て意気揚々と彼の元へ向かっていたイーサンを一旦引き止めたのだ。
そして今回の茶会時に一回さり気な〜く
『そういえばお兄様とはお話されるのですか?』
と尋ねてみた。
……みたのだが、リアムは質問に答えずにこにこ笑顔で空気を僅かにピリつかせていた。
しかもうっすらとだがリアムから憎しみに近い負の感情を感じ取ったのだ。
現状としてやはりリアムにとって『家族の話』は地雷らしい。
「あの、リアム様が理由も無く嫌がるとは考え難いんですけど…過去に何かあったんですか?」
リアムは良くも悪くも天才故に他者への興味関心が薄い。
自身を超える人間が周りに居ないためいつも一人勝ち状態で、焦ったり優越感に浸ったりする対象がいないのだ。
『エキドナのような珍獣枠への観察』という形なら多少他者への関心があるらしいが、それでも別段執着している訳ではないと感じていた。
それなのに家族絡みだけは随分反応している。
リアムの淡白な気質から考えると…単に "家族" だから意識しているというより何か別の原因があるのではないだろうかとエキドナは考えた。
「いや何も。たぶん…『何も無かった』のが原因なのかなと思ってる」
イーサンが俯きながら申し訳無さそうに…まるで己の罪を話すかのようにポツリポツリと言葉を零す。
「リアムの母親が居た頃、俺は『妾の子』と言われて近付く事は許されなかった。前王妃が去った直後も、リアムの祖父にあたるジャクソン公から『近付くな』と言われ続けてな…。だからリアムと今迄まともに話した事もない」
『妾の子』という言葉にエキドナが息を呑む。
確かにイーサンは現王妃の実子だが出自が複雑である。
けれど、いくら何でも幼い子どもに大人が突き付ける言葉ではないだろう。
しかしながらその事実を一旦置いておくとしても、
(リアム様が『何もしなかった』から憎む…? なんか引っかかるな…)
今はまだ情報そのものが足りないのかもしれない。
リアムの事も、イーサンの事も。
「リアムからしてみれば、今更って思うかもしれないし……自分より生まれも能力も下の兄なんて情けないから関わりたくないのかもしれない…。でも俺はあいつの事を知りたいし関わりたいんだ。あいつは俺の弟だから」
言いながら顔を上げ真っ直ぐエキドナを見つめる。
イーサンその言葉は、表情は真剣そのものだ。
(いや泣くわそんなの)
無償の兄弟愛に内心感動しながら、とりあえずより情報を集めてイーサンを応援しようと思うエキドナであった。
________***
「お嬢様、そろそろお時間です」
「あ、そっかーありがとう」
エミリーの声にエキドナが振り向く。
リアムとの定期お茶会及びイーサンとのお茶会から三日が経過した。
この三日の間、それとなく母や父にイーサンとリアムの兄弟関係について尋ねてみたが…結果として母からは困った顔で言葉を濁され、父からは話を逸らされてしまった。
有益な情報が無いままイーサンに会う事に少し罪悪感を覚える。
(…私が王宮内で働いてたらもっと情報取れそうなんだけどなー)
流石に八歳のただの令嬢兼王子の婚約者だと王宮で働く事は出来ないし、立場上目立つ方だから余計な行動をすれば逆に噂の対象にされかねない。
難しいなーと思いながらも定期お茶会の身支度をするため立ち上がると、ツンとワンピースの裾が下に軽く引っ張られた。
「姉さまもう行っちゃうの?」
「フィン…」
「姉さま、最近お城ばっかり…」
しゅんとフィンレーがエキドナのワンピースの裾を掴みながら寂しげに俯く。
時間が来るまで室内でフィンレーと絵本を読んでいたのだ。
アンジェリアは途中で寝てしまったので自室に戻っている。
「僕とあそぶの、いやになったの…?」
「そんな訳ない。貴方は私にとって、可愛い可愛い大切な弟だよ」
しゃがんでフィンレーの目線の高さに合わせながらエキドナが優しく言うのだった。
自分と同じ金の髪をゆっくりと大事に指で梳く。
(…そもそも、『私』が今世でこんなにも素晴らしい家族と出会えた事が、奇跡なんだから)
フィンレーは目を細めて心地良さそうにエキドナの手を受け入れている。
優しく愛情豊かで尊敬出来る両親。
自分を慕ってくれる無垢で普通で可愛い弟妹達。
…前世の歪な家族とは全く違う。
私には手に入る事なんてなかった。
普通で、心身ともに健康で、安定して…恵まれた家族。
前世の家族だって私なりに大切にして来た。
…本当は今でも忘れられない。
『早死にしてごめんなさい』って。
でも死んだのだからもう戻る事は不可能だ。
…ならせめて、今目の前にいる家族を大事にしよう。そう思っているのだ。
「今ねぇ、イーサン王子がリアム王子と仲良くなりたいんだって。だからそのお手伝いをしてるの」
実際は大した手伝いも出来ていないのだが。
「イーサン王子? だぁれ?」
キョトンとした顔でエキドナを見る。
(そっか、フィンはサン様を知らないのか)
イーサンはその複雑な出生と立場故に公の場にほとんど姿を現さない。
エキドナ自身も先週会うまでは噂でしか存在を知らなかったのだ。
「リアム王子のお兄様だよ。私もつい最近お友達になったんだけどね」
「リアム王子のお兄さま…? そうなんだ」
「そう。今ちょっと気不味い関係だから…って言っても難しいか。…うーん、フィンはさ、私やアンジェと仲良しだと嬉しい?」
「うん! うれしいよ!」
弟の素直な反応にエキドナは顔を綻ばせた。
思わず手のひらで頭をナデナデする。
「それは良かった。イーサン王子とリアム王子も兄弟だから仲良しになったら楽しいよねって事で、お手伝いしてるの。わかった?」
「だから姉さま最近帰るのおそかったんだね! うんわかった!」
割とざっくりめな説明だったが無事伝わったようだ。
良かった。頭の良い子だ。(←姉バカ)
「お嬢様、そろそろ…」
「! はーいすぐ行きます!」
エミリーの気遣いながらも扉の外から覗き込む動作に慌てて立ち上がる。
「じゃあフィン、行ってくるね」
「姉さま行ってらっしゃい! お手伝いがんばってね!」
フィンレーも立ち上がりながら笑顔でエキドナにぎゅーっとハグをする。
相変わらず『毎日一回以上ハグをする』二人のルールは継続中だ。
何気に毎日五回以上は弟とハグしてる気がする。
(サン様世話好きっぽいし、色々片付いたらフィンにも会わせてあげたいな)
実弟と会話さえした事がないのに面倒見が良くお兄ちゃん気質なイーサン。
事実上三人姉弟の中間子だが甘えん坊で弟気質なフィンレー。
多分二人は相性が良い気がする。
いずれ会う日を想像してエキドナはほくそ笑んだ。
(でもその前に)
先にリアムとの定期お茶会を無事に過ごすのが最優先だ。
そう思いながらエキドナは小走りで部屋を後にするのだった。
「失礼します」
「こんにちはエキドナ」
お辞儀しながら部屋に入るエキドナにリアムが笑顔で答える。
「…ではリアム様は南の国へ行かれた事があるのですか」
「えぇ。四年前の話です。彼方の国は砂漠地帯が多くて陽射しも強かったですね」
「へ〜暑そうですねぇ」
(四年前…当時四歳。なんでそんな詳細に覚えて…いやもうこの人にそーゆーのを当てはめるのは止めよう)
若干遠い目になりながら独りごちる。
今日も無事世間話で終わりそうだ。
『家族の話』が地雷な以上リアム本人からは情報が取れないだろうし。
(サン様、今日はどんなお菓子かなぁ)
ケーキを食べながらふと思い返す。
前回はパン、前々回はフロランタン、前前々回は…。
今回はエキドナの要望のチョコレートを仕入れてくれるらしい。楽しみだ。
エミリーから『甘い物を食べ過ぎだ』と苦言されてるが、聞こえない聞こえない。
成長期だし、何より日々剣術で身体を鍛えているからエネルギーの消費量的に多分大丈夫だ。
とかいって将来DM(注:糖尿病の別称)になったら嫌だけど…。
「ところで、最近 "イーサン・イグレシアス" と仲が良いようですね」
「!! ゲホッ!」
余りにも唐突に普段と変わらない口調で言われたエキドナは驚きで咽せた。
ケーキが気管に入ったのだ。
「ケホッゴホッ…ぞ、ぞうでずげど…コホッ」
「…随分あっさり認めますね」
手で口元を抑えて涙目になりながら答えたエキドナに若干周囲の空気が冷たくなったリアムも言葉を返す。
笑顔のままなのが怖い。
ちなみに『バレた時は素直に認める』と事前にイーサンとの間で決めていた。
なぜなら "あの" リアム相手に嘘を吐いてもすぐバレそうだからだ。
あと隠すほど疚しいものがない。
「だから前に "彼" について僕に尋ねて来たのですよね? …それ以前から知ってはいましたが」
「コホンッ! ンン"……情報が早いですね。ジャクソン公爵家からですか?」
「! …いえ。貴女には関係ない事です」
エキドナの言葉にリアムが一瞬固まるもすぐに立て直す。
「エキドナ。もう "イーサン・イグレシアス" とは関わらないで下さい」
「…何故ですか?」
「貴女には関係ないからです。それと "彼" にも『エキドナにはもう会うな』と先程通達しましたから」
「! リアム様「この話は終わりにしましょう。ほら、そろそろ帰る時間では? 馬車まで送ります」
にっっこり、と彼からのスマイルプレッシャーを受けてエキドナはそれ以上反論出来なかった。
こうしてリアムにエスコートされながら、エキドナは大人しく馬車へと足を運ぶのであった。