ディマンド
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「鉄剤って体調が良くなったらすぐにやめられると思っていたわ…」
「身体に貯める分も必要だからねぇ」
ミアが説明書を取りに行っている間、エキドナは図書館にて前世の知識を活かしてジェンナに治療方針を説明していた。
「あと飲み始めた後に副作用で消化器症状が出る可能性もある。だから制酸薬も仕入れてるか事前にミアに確認しなきゃだね」
「本当に手間と時間が掛かるのね」
煩わしそうに愚痴るジェンナに対してエキドナは冷静に口を開く。
「身体を作り替える作業だからどうしたって長期戦になるんだよ。持病を理解してくれる人が少ない分凹んだり焦ったりして追い詰めやすいし、体力的な許容範囲をちょっとずつ広げるイメージでやるといいと思う。とにかく、しばらくはウォーキングとストレッチの継続だね」
「……腕立てや走り込みではダメなの?」
ジェンナの問い掛けにエキドナはゆっくり首を振った。
「正直お勧めしない。筋トレとかハードな運動ってやると達成感はあるけど、負荷が掛かりすぎて身体を壊しかねないんだよね。だからしばらくは自分の限界がどの程度…というか、"どこまでなら違和感なく毎日続けられるか" っていう視点を意識しながら軽い運動から始めるのが大事だよ」
冷静に…そして極力穏やかな口調で、優しく説明する。
エキドナとてジェンナの気持ちは痛いほどよくわかるのだ。
"自分が周りより劣っている"
そう感じながら生きるのがどれだけ苦痛な事か。
だからこそ焦りから無理をしてしまう。
何より根本的な問題として、体調が不安定な状態で冷静に体調を客観視して判断する事自体が困難なため、最初の基礎体力作りがどんなトレーニングよりも最も自己管理能力を求められるのではと考えているくらいだ。
言葉を選びながら説明を続ける。
「ちょっとでも『寝起きがキツくなってきた』とか『我慢出来るけどしんどい』とかに気付いたらすでに限界一歩手前になってるからすぐ休んで。状態次第ではもちろん毎日の運動も一旦お休みだね」
そんなエキドナの真摯な気持ちが伝わっているのか、ジェンナは深緑色の目を真っ直ぐに向けて耳を傾けている。
「そうなった時は絶対自分を責めない事。単にやり方が合わなかっただけなんだから、まずはゆっくり身体を休めて落ち着かせて…原因をハッキリさせた後で別の方法を探せば良いんだよ。あとは…」
『あとは日々の記録かな』と健康管理のアドバイスを述べようとした時、ジェンナが鋭い声で指摘した。
「貴女、やけに詳しいわね」
「うっ」
ジェンナの言葉にエキドナの肩がぎくりと跳ねる。
「まぁその…誰しも…身体を壊す経験はあるって事だよ……少数派だけど」
「あら? 急に歯切れが悪くなったわね?」
「ははは…」
ジト目で訝しむジェンナの視線から逃れつつとりあえずから笑いで誤魔化す。
「ごめんお待たせ〜!」
すると別方向から聞き慣れた声がしたのでジェンナと一緒に振り向くと声の主はやはりミアだった。
説明書を取りに先ほど一人で教室へ戻ったのだ。
「ミアお帰り〜。遅かったけど大丈夫だった?」
「!」
エキドナの何気ない言葉に早足で近づいて来たミアが僅かに身体を強張らせる。
「大丈夫!! 何も無かったわ♡」
けれど即座に笑顔で力強く言い切って数枚の用紙を前に掲げた。
「じゃじゃーん! 持って来たわよ説明書!!」
「ちょっと貴女さっきからうるさいのよッ ここは図書館よ!!?」
「いやいや貴女の方が声張ってるからね!?」
「職員しか居ないし怒られなければ良くなーい?」
ジェンナが注意しエキドナが突っ込みミアが意見する。
こうして職員から図書館の閉館時間を伝えられるまで、女子三人でやや賑やかに調べ物を進めるのであった。
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(絶対何か遭った…)
女子寮内の自室にて、エキドナは頭を抱えていた。
そう。
ミアは誤魔化したつもりだろうが、エキドナには隠し事くらいお見通しだったのだ。
前世の育ちの所為か他者の顔色を伺うのはもはや習慣化…否、むしろどんな感情でも勝手に受信されている感じなので必要以上に感じ取り気付いてしまうのである。
(あの感じだと男子というより女子間のトラブル? 私にも言わないって事はまさか…………ステラ??)
先刻のミアの様子から脳内で推測していく。
正直なところ、エキドナによるステラとの関係修復は現在難航していた。
釈明するなら、表面上だけはむしろ "改善" しているのだ。
と言うのもステラのエキドナに対する接し方が段々以前のような対応に戻りつつあった。
以前と同じような…おっとりしていて礼儀正しくて、優しい対応に。
そんなステラに対してエキドナは若干きょどりながらもにこやかに応えているのだが。
(『話し合いの場を』と思って様子見してたらその間に変わっちゃったからなぁ…。本人が求めていないならわざわざこっちが蒸し返すのも_)
ドッッックン
「…!」
ふいに残酷な光景が甦り息が止まった。
(うっっわ。最悪)
込み上げてくる嫌悪感や無力感を抑えて顔を下に向ける。
(そういえば疲れている時ほど出やすいんだったなぁ…)
ギュッと左右の手に力が入った。
全身も固く強張る。
(こういう時はとにかく何も考えないように…いや、)
何も感じないようにしている。
ただ淡々とやり過ごす。何も感じないように、無機質に、作業的に心を抑制する。感情を殺す。
その方が圧倒的に楽だからだ。
(でも今はやらなきゃいけない事がたくさんある)
そう思いながらフラッシュバックによる生々しい映像や音、感触が蘇るのを心を殺す事で淡々と受け流しながら…エキドナは机に置かれた山積みの資料や参考書、作成中の用紙を眺めた。
ステラの事は決して忘れていた訳じゃない。ずっと頭の隅で考え続けていた。
でも同時にジェンナとクラークの件も時間制限がある分、優先順位がどうしても高いのだ。
今後の方向性としては、ジェンナの今の状態や治療法及び今後の(看護)計画を根拠込みでプレゼンして保護者の立場であるクラークに納得して貰い学園中退を阻止しようという事で話はまとまった。
同時に当事者のジェンナがメインで説得し、鉄剤の説明とジェンナのサポートをミアにして貰う事にしたのである。
エキドナが思うに…先日のクラークの反応を見た限りやはり親戚のジェンナに対しては厳しさが半減していると感じたし、加えて前回ミアが仲介した時の方が交渉がスムーズだったのだ。
(私はクラーク先生と口喧嘩しそうだから今回はあくまで裏方。その分せめて資料作りは貢献したいし、何より前世の知識は今世より進み過ぎてるから合わせなきゃだし…化学系専門のクラーク先生が納得出来るように仕上げる必要があるし。それから、)
「失礼します」
いつの間に近付いていたのだろうか。
一人あれこれ思案していたら、エキドナの専属侍女であるエミリーが静かな動作で机の上に何かを置いた。
「?? エミリー?」
置かれたものを確認したエキドナは思わず顔を上げエミリーを見つめる。
それは数枚重ねられさらにその上に生クリームやオレンジなどの果実で彩られたパンケーキだった。
好物のチョコソースやチョコチップもたっぷりですごく美味しそうである。
主人の視線に答えるように、エミリーはにこりと微笑んで説明した。
「たまには宜しいかと思いまして。どうぞ召し上がって下さいませ。寮内の料理長が腕によりを掛けて作ったものです」
「あ、ありがとう。じゃあ頂きます」
そのままナイフとフォークを渡されたので侍女と料理長の好意に甘えて一口頂く事にした。
パンケーキはふわふわしていて口の中で溶けるし生クリームの甘さと果物の酸味も絶妙だ。
甘さで心が解れて短く息を吐いた。肩の力が僅かに抜けるのを感じる。
「うん。すごく美味しい」
少しペースを取り戻したので『もう少し』とフォークをパンケーキへ運ぶ。
すると、エミリーが唐突に口を開いた。
「時にお嬢様、今度は何があったのですか?」
「…はい?」
「転入生の件も大雑把な説明しか聞いておりませんし…結局どうなったのでしょう?」
「……」
心の中で『ヤッベ』と呟く。
そういえば言ってなかったな。←
「今お悩みなのは転入生絡みでしょうか? それとも別件ですか?」
「ええと、」
「今度はちゃんと話して下さいますよね?」
言葉に詰まっているとエミリーがパンケーキを皿ごと両手でヒョイッと持ち上げた。
笑顔で。
「あっ おやつ…」
人質を取られつい声を漏らす。
するとエミリーは笑みをより深めたままエキドナの方へと距離を詰め始めた。
近い。
近いし笑顔が怖いよエミリーさん。
「ね"??」
「わかりました」
こうして侍女による笑顔と圧力にやられたエキドナは、その後エミリーに事の顛末を洗いざらい白状するのであった。