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六歳だった頃、私は我がウェルストル王国の王子であるイーサン・イグレシアス様と婚約しました。
当時は……サン様との婚約を "良縁" と。
"幸せな婚約" だと思っておりました。
けれどいつからだったかしら。
年月が経つにつれ、この婚約はサン様にとって足枷でしかない事に気付いてしまいました。
私の生まれた家は歴史こそありますが所詮伯爵家。
本来なら余程の理由が無い限り王家に嫁ぐ身分ではありません。
オルティス侯爵家の娘であり当時の正妃ビクトリア様から直々の指名でドナがリアム様の婚約者に決まった際、明らかに王家に嫁ぐには家格が低いロバーツ伯爵家の娘であり当時側室だったサマンサ様の友人の娘でもある私がサン様の婚約者として充てがわれたのです。
『あくまで正統な王位継承者は弟のリアム王子。兄のイーサン王子にそれらの権限はない』
"婚約者の質" という形でリアム様と大きく差をつける…周囲へわかりやすくアピールするための婚約だったのでしょう。
当時の私も、こんな裏事情を知らなかったためサン様との婚約を前向きに受け止めておりました。
ですが、
『イーサン王子もお気の毒ですこと』
『事実上、王位継承権を放棄した "証" なのでしょうなぁ』
周りの人達の囁き声。
サン様を憐れむ声。
けれどそんな話し声を耳にするたびに、サン様は穏やかに微笑んで言われます。
『俺よりもリアムの方がよっぽど王に向いてると思うんだ』
優しいあの人はいつもそうおっしゃいますが、本音は違うのではないかしら?
私がサン様の未来を奪ってしまったのでは…?
そう思えば思うほどにズシリと、見えない罪悪感が私の上に覆い被さり重くのし掛かるようになりました。
サン様は優しい。いつも優しい。
けれど、残酷。
あの人が私に優しいのは、きっとお父上である陛下のように婚約者を裏切り傷付けたくないから。
私の事は義理で大切にして下さっているだけ。
ドナ、貴女にはわからないでしょう。
生まれながら家格に恵まれ、婚約者と仲睦まじく堂々と支えられる立場のドナに……私の気持ちなんてきっとわからないのでしょう。
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イーサンがステラと昼食を摂った次の日の昼休憩にて、エキドナは一人行く当ても無く学園内の通路をひたすらウロウロしていた。
(どうしたもんかな…)
ステラの件で絶賛悩み中なのだ。
『早く謝った方がいいんじゃ…』
『いやいや "謝る" って何。私のデリカシーの無さでステラを傷付けたなら無闇に謝って済ませようとせず欠点を直すのがせめてもの誠意では?』
『後先考えず突っ走るのは私の悪い所』
『でも一朝一夕で直せる自信な…待てよそれ以前にステラが大人な対応してるだけでもう生理的嫌悪のレベル行ってたりする!? だとしたらしばらく間を置いた方がいいのか…?』
…こんな風にずっとグルグルグルグル無限の思考ループに陥っていた。
(いかん。歩きながらの方が整理しやすいかなと思ったけど結構へんぴな場所まで来ちゃったな)
ふと顔を上げ辺りを見渡す。
流石我が王国で最も有名な学園だけあって建物の広さが尋常じゃない。そのため未開の地も多くあり屋内散歩にはうってつけなのだ。
コツン、
「? 何か…ひゃッ!!!?」
足元で何かにぶつかったため下を見下ろし、エキドナは悲鳴を上げて後ろへ飛び退く。
何と人が倒れているのだ。
エキドナの足で小突かれたにも関わらず相手は微動だにしない。
(しっししし死体ぃッ!!!?)
半ばパニック状態で倒れている人に駆け寄ると既視感のある髪型に目が止まった。
思わずポツリと呟く。
「…縦ロール」
そんな立派な髪型の人物なんて、この学園に一人だけだ。
「もしもし、大丈夫ですか? イネスさーん?」
とりあえずエキドナはうつ伏せの状態で倒れているジェンナ・イネスの耳元まで顔を近付けて肩を叩いてみた。
が、反応は無い。
(周りに人は…………誰も居ねぇな)
こういう状況下では周囲を巻き込み協力して救護するのが鉄則なので改めて周りを見渡したのだが、先刻まで "へんぴな場所" と称しただけあって人影さえ見つからない。
そこまで思い至ったエキドナは一旦人が多いであろう本校舎側の通路へ向かって大きく息を吸った。
「だれかぁぁッ!! 人が倒れてまーーす!!!!」
『まーーす、まーーす、まーーす…』と廊下に反響するのを確認しエキドナは満足げに頷く。
(よし、これで誰か来るだろ。じゃなきゃこの学園のセキュリティがヤバい)
そんな事を考えつつ両手で慎重にジェンナの身体を動かして腹臥位から回復体位にして顔を床からこちらへ向ける。
(うっっわ 顔白っ!! 呼吸も浅いし…大丈夫かこれ)
顔面蒼白で息苦しそうなジェンナの姿を見て一気に心配になりつつ、エキドナは彼女の細く冷たい手首に指を添えて脈を測り始めるのだった。
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そして放課後、エキドナは授業の終わりまで教室に帰って来なかったジェンナ・イネスの鞄を片手に保健室へ向かっていた。
普段ならジェンナの周りの子達が持って行くのだろうけれど、喧嘩中の所為か誰も動かなかったのだ。
「……!」
「……!!」
保健室の扉へ近付くとジェンナと誰かの声が耳に届く。
どうやら意識を取り戻したらしい。
「ですから今回の "これ" はたまたま… "偶然" 倒れただけですの! 大した事ではありませんわ!!」
焦りが混ざった強い口調からもう一人の相手と言い合っている様子だ。
「いい加減にしろッ その言葉はもう聞き飽きた!!」
聞き覚えのある厳しそうな男の声に一瞬疑問符が浮かぶが即座に納得する。
(そっか、学園に居る以上実質この人がイネスさんの保護者か)
ジェンナと口論している相手はエキドナやジェンナ達のクラスで勉強を教えている化学教師のクラーク・アイビンだった。
親戚同士の激しい口喧嘩にエキドナは扉の前で困惑する。
(うわぁこういうヒステリックな場面苦手なんだよな…どうしよう。もう廊下…いやせめて扉の隙間から鞄を)
若干引き気味になりながらも扉を静かに開いて隙間を作り荷物を差し込もうとした刹那、再びクラークの怒鳴り声が響いた。
「だから言っただろう『病弱なお前に学園生活なんて無理だ』と!! お前は "女" なんだから学なんて持たなくても困らないんだ…今からでも遅くない、中退して叔父上達の元に帰って大人しくしてろ!!」
「酷いっあんまりですわお兄様!!!」
「……」
「こんな風に倒れて周りに迷惑を掛けるのは何度目だッ…もう我慢ならん!! ずっとお前の意思を尊重して敢えて黙っていたが今すぐ叔父上にお前の容態をありのまま伝えるからな!!」
「やめてっ! お願いやめてお兄様ぁ!!!」
ガチャッ!!
「「!!?」」
揃いの深緑の目を驚きで見開きながらこちらへ向けられ一瞬眉を寄せる。
(あ、しまった身体が先に動いた…!!)
彼女の泣き出しそうな悲痛な声でつい扉を豪快に開けてしまったのだ。
しかしやってしまったものは仕方がないと切り替えてエキドナは極力にこやかに平然と微笑む。
「あら、お話中でしたか。イネスさんの荷物を持って来ました」
さも『気付きませんでした』と言わんばかりの澄まし顔で部屋に入りツカツカとジェンナの前まで歩み寄る。
エキドナの登場に半泣きで困惑しつつ鞄を受け取るジェンナに対してクラークは顔を顰めて迷惑そうなオーラを発していた。
「…おま……オルティス嬢」
「イネスさん、貧血と聞きましたが大丈夫ですか?」
何か言いたげなクラーク相手に当然のようにスルーするエキドナであった。
「え、えぇ…まぁ」
「それは良かったです。寮まで一緒に付き添われる方はどなたかいらっしゃいますか?」
「あ……じ、侍女を呼びますの」
「おい無視するな。わかっててやってるんだろう」
問い掛けに少し戸惑いながらもジェンナは答えるが、横から不満げな声が聞こえたため仕方なくそちらを振り返って口を開いた。
「イネスさんの体調が最優先でしょう? 万全じゃない彼女に、今大事な話をするのは公平じゃないかと」
「人の話に聞き耳を立てるとは褒められた事ではないな」
「あんな大声で会話していたら誰の耳にも入りますよ」
遠慮皆無なエキドナの言葉にクラークはますます眉間のシワを深め…しばしの沈黙の後、大袈裟に溜め息を吐いて方向転換する。
「…侍女を呼ぶよう俺から伝える。ジェンナ、それまで大人しく横になってろ」
それだけ言い切ってからパタン、と音を立ててクラークは退出した。
(は〜…思ったよりあっさり引いてくれたな。にしてもイネスさんも大変…)
「?」
違和感を覚えて自身の手元を見ると何故か両手で包むようにギュッと握られていた。
そのままゆっくり顔を上げれば……先程まで顔色が悪かったはずの興奮気味な令嬢が一人。
「"これ" ですわ…!」
名案が浮かんだとでも言いたげな表情で、ジェンナはエキドナの手を掴んだまま高らかに宣言するのだった。
「エキドナ・オルティス、貴女をジェンナの新しい取り巻きにしてあげますわ!!」