口論
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『そしてエキドナ・オルティス!! 貴女もクラークお兄様の悪い虫ですの!!!』
ジェンナの指摘に対してやはり心当たりが無い。
だがしかし、心当たりが無いなりに…エキドナはとりあえず今迄の自身に対するクラーク・アイビンの発言等を走馬灯方式で振り返るのだった。
『女は大して実力もないから男を当てにしないと生きていけない生物の癖に』
『なんだその汚い手は!!』
『身の程を弁えろ!』
『俺はお前が嫌いだ』
『本当に鳥頭だな』
(……)
『屁理屈を言うな本当に生意気だな』
『片付けもまともに出来ないのか。背が足りないなんて呆れを通り越して哀れだな。…貸せ』
『どこぞの鳥頭とは雲泥の差だな!!』
『鳥頭』『鳥頭』『鳥頭』
(一ミリも心当たりねぇな)イラっ…
明らかに嫌悪されている対応と暴言しか記憶に無かったエキドナは若干苛立つ本心を巧妙に隠しながら勤めて平静に答える。
「心当たりがありません。何かの間違いかと」
「嘘おっしゃいそんなはずありませんわ!!」
しかしジェンナはあくまで主張を変える気は皆無らしく強気な姿勢を崩さないようだ。
「…?」
もはや困惑して首をかけしげる事しか出来ないエキドナにジェンナは再びビシィッ! と指差し宣言するのだった。
「だってお兄様は時々貴女の話をしているもの! 『チビ』だとか『鳥頭』だとか!!」
(いやそれただの悪口ぃッ!!!)
心の中で突っ込むエキドナと同意見だったのだろう、ジェンナの後ろに付く取り巻きの令嬢達もギョッとした顔でジェンナを見つめている。
(むしろその暴言でどうやって『好意を持たれてる』的な解釈が出来るの!? いくら何でもポジティブ過ぎるでしょぉぉぉ!!!)
叫び続けるエキドナの心の声なんて知りもしないジェンナは勢いを増してカミングアウトし続ける。
「いっつも似たような事を口にしてますわ! それで貴女の事をはっきりと知ったくらいですもの」
(知りたくなかったなその事実。流石に凹むわ)
要するにクラーク・アイビンは日常的にエキドナを陰で『チビ』などと垂れ流しているという事らしい。
「「「……」」」
(ほらぁ! 貴女の後ろに居る女の子達が『うわぁ…』みたいな哀れみの目で私を見てるよッ 無言なのに言葉の圧がすごいよ! どうしてくれるのこの空気!!)
「わぁ…」
(とうとう音声付きも出ちゃったよぉぉ)
ミアの方向からも似たような視線を感じていたが、ついに声まで出されてしまいエキドナはもう色々居た堪れない。
しかしそんな惨状に全く気付いていないジェンナはブレなかった。
「硬派なお兄様があんなに特定の女の名を口にした事は今迄無かったんです! ミア・フローレンスと言い何なのですか貴女達は!!」
それどころかより興奮気味に声を荒げて今度はミアの方を睨むのだった。
その様子は傍目から見てもかなり危なっかしい。
(…でもそばで取り乱してる分、逆にこっちの頭が冷えてきたわ)
そう思ったエキドナは、未だ『ジェンナだってお兄様に構って貰えてない(以下省略)』などと捲し立てている少女がより過激な行動に出ないように見張りながら…速やかに状況の把握と分析をし始めた。
真偽はともかくどうやら "クラーク・アイビンに近付いたから" という理由で『クラークルート』の悪役令嬢ジェンナ・イネスを筆頭に計四人の令嬢達がミアを虐めていた。
そして言動からジェンナという少女は喜怒哀楽が大きく感情豊かな直情型で思い込みが激しい性格らしい。
取り巻きの子達は…………名前が思い出せないけど確か社交の際に見た事がある。
一人が伯爵家の娘で残り二人は多分子爵家。みんなクラスメイトだ。
さらに先程からの反応や状況を見る限り、この三人は利害の一致でジェンナの行動に便乗したか…或いはリーダー格のジェンナの暴走を止められなかったか。
彼女達四人の関係性はジェンナが最近まで体調不良を理由に休学していたからよくわからない。
が、私が出てくるまでえらくお愉しみのようだったから恐らく前者だろう。
「_だから違うって言ってるじゃないですか! あたしはただ先生に勉強を教えて貰ってただけですから!」
「なっ! 口答えするなんてたかが成り上がりの癖に生意気だわ…!!」
「成り上がりの何がいけないんですか!!」
(おおっと このヒロイン結構好戦的だ!)
ジェンナに反発するミアの勝気な一面にあくまで静観していたエキドナも少し驚く。
けれどもこの場で口喧嘩をしているのはジェンナとミアの二人だけだ。後ろに居る令嬢達は先程からずっと勢いが削がれておりエキドナと同じく傍観しているのである。
つまりこの三人の令嬢達はジェンナとは違い周りが見えていて現状をきちんと理解している。
そうでなければ私の登場で狼狽たり宥めたり、同情の視線を送ったりしなんかないはずだ。
要するに彼女達はジェンナ同様ミアや侯爵令嬢のエキドナ相手になりふり構わず難癖を付けたい訳でも、それによるリスクを背負いたい訳でも無さそうだ。
あくまで自分達より家格が低いため不利な立場に居るミアを周囲にバレない程度に虐めたかったのだと思われる。
(…さっきまではリーダー格のジェンナに対して『うやむやに誤魔化す作戦』が効きにくそうだと思ってた)
だがしかし、上記の状況を踏まえると話は変わる。
(仕方ない……少し脅すか)
「二人共、落ち着いて下さい…」
エキドナがずっと言い合っているジェンナとミアに近付き声を掛ける。
「そもそも貴族の下に平民が居るから世の中成り立ってるところもあるでしょう!? 頭ごなしに『平民』を否定するなんておかしいです!!」
「貴女自分が何を言っているのかわかっているの!? これだから育ちの悪い下民は…!!」
二人には届かず口論は続く。
……ジェンナの後ろに居る令嬢達の顔が強張り始めた。
「落ち着いて下さい」
再度、声を掛ける。
今度は先程よりも僅かに大きく強めに。
「『育ち』が何ですか! 自分で言うのもアレですけどあたし成績は良い方ですからね!?」
「まぁっ自慢かしらはしたない!! その成績だって爵位と同じでお金で買ったんじゃないの!?」
やはり聞こえていない。
これだけ口論出来るのも、一周回って相性が良いんじゃないかと思えて来た。
(まぁ想定の範囲内だけどね)
「ジェンナ、様…!」
「もうそれくらいに」
「ジェンナさま〜」
すると後ろで控えていた少女達がジェンナに触れたり声を掛けたりし始めた。
残念ながら当の本人には聞こえていないようだが。
…エキドナは周囲に聞こえない程度に、ゆっくり息を吐いた。
「どれだけお金を積もうと貴女は所詮…!」
「"落ち着きなさい" と言っているのですが、」
静かに、大きく、鋭く、低く、……腹の底から響くような、僅かに殺気が混じる冷たい声。
「「「「「……」」」」」
ジェンナやミア、他三人の令嬢達が突然の事について行けず、固まり沈黙する。
驚きや恐怖の感情が混じった五人の視線が集中する中、エキドナはパチンッと扇子を閉じて各々の顔を何も言わずに見つめ返した。
真顔で。
取り巻きの少女達はすっかり怯え切っている。
その異物を見るような視線や目を逸らす仕草はエキドナのメンタルにとってもまぁまぁダメージを喰らうのでこの脅し方は諸刃の剣だったりする。
(さて、やっと静かになったしこの後は…)
思いながらエキドナが思考し次の行動に移ろうとした時、
「でっでも!! ですが…!!」
「!!」
なんとジェンナが再び口を開いたのである。
(へぇ。"これ" にまだ抵抗出来るんだ)
エキドナのこの "無の領域の怒り" …つまり威圧はもともと前世の母親が自身に日常的に行っていた狂気的な威圧を模倣したもの、つまり猿真似だ。
成人辺りでやっと免疫が出来たくらいだからこの年代の少女達にどれだけ威力があるかは自分がよく知っている。
だからこそこういう場面以外は無闇に意図して使わないよう気を付けているくらいなのだ。
にも関わらず、ジェンナは恐怖の感情が混ざっている表情のまま気丈にエキドナを睨み続けていた。
(我が強くて好ましい)
そんなジェンナの姿を個人的に気に入ってしまったエキドナはつい口角が僅かに上がり微笑んでしまう。
…ただエキドナの心情など知るよしもない令嬢達の視点からすれば先刻まで冷酷で凄まじい威圧を与えていた人物が突然微笑み出したのだ。
(((意味深な笑みが怖すぎる!!!)))
エキドナの腹の底が見えない不気味さと謎の強キャラオーラに負けて令嬢達は完全に萎縮し怯え切ってしまうのであった。
「ジェンナ様これ以上は本当に不味いですって!!」
「う、うるさい!!!」
とうとう令嬢の一人が慌ててジェンナの腕を両手で掴んで逃げようとし、しかしジェンナの方は彼女の拘束から逃れるべく腕を動かして抵抗している。
「……?」
そんな少女達のやり取りにエキドナはふと違和感を覚えた。
(さっきに比べてえらく呼吸が荒いし、なんだか顔色悪くない…? もしかしてこの子…)
「ねぇ貴女だい…「ジェンナ!!!!」
エキドナが声を掛けようとした瞬間、大人の男性の大声が一帯に響く。
「おっお兄様…!!」
「えっ…」
ジェンナとエキドナが戸惑い、見つめる先には……クラーク・アイビンが険しい表情で立っていたのだった。