閑話〜いつの日か(エキドナ視点)〜
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夢幻かと思った。
正直、未だに実感が湧かない自分が居る。
でも私とセレスティアがリアムやフィンレーから前世について色々質問されるたびに現実なのだと理解する。
…まさか本当に "前世の記憶" を受け入れられるなんて思わなかった。
狂言と言われるか、正気じゃないと言われるか。
とにかくまともに取り扱われる事は無いと思っていた。
そう判断したからずっと黙っていた。
何より私があの二人に "毒" を吐きたくなくて、汚したくなくて、傷付けたくなくて。
だって大した理由もなく他者から当たられたり巻き込まれたりして毒を浴びるのは前世の…当時の私にとってとても辛い経験だったから。
悲しかったから。傷付いたから。
そしてどれだけ毒が心を蝕みズタズタに引き裂いても、苦しくて上手く息が出来なくなっても、泣き叫びたくて本心から笑えなくなっても、
その感情さえ "無かった事に" して、ずっと隠して…笑顔を作って "普通に" やり過ごす。
今思い出してもあの頃はまるで生き地獄のような日々だった。
二人に私と同じような思いを味合わせるのだけは絶対に嫌だったんだ…。
あぁでも一つ訂正させて貰うなら、前世の記憶を思い出してからの今世の七年間は全部が全部苦しい日々じゃなかった。
無理して笑っていた時があったのは認めるけど。
私は前世の幼少期から思春期辺りは男に襲われたフラッシュバックが酷く、加えて家庭の問題もあったから割り切れず泣いて鬱々と過ごす日が多かった。
……だけど、
『泣いてようが笑ってようが時間だけが平等に流れ、過ぎ去って行く』
『不幸な目に遭ったからといって優遇されるはずは無い。"無かった事にされたまま" 残酷なほどに淡々と世界は回る』
『泣いていても誰かが助けてくれる訳じゃないし私が救われる訳でも無い』
十年以上の時間が経過した…高校を卒業する少し前のある日、冷めた感情でそう悟ったんだ。
ただ一人でめそめそ泣いていても周囲に置いて行かれるだけ。差が開くだけ。
もちろん泣くという行為そのものを全否定するつもりはないのだけど、出来る事なら少しの瞬間でも私は泣くより笑って楽しく生きて行きたいと思った。
だから今世の七年間だって悲しみと憎しみの感情だけではない。
楽しい時は私なりにちゃん笑っていた。
その笑顔は偽物じゃないんだよ。
ただここ数年はフラッシュバックの悪化だけでなく精神の逆行? と言うべきなのかな…特にそれが辛かった。
昔なら出来ていた激しい感情の波を柔軟に処理出来なくなっていた。
その事実がさらに不安や恐怖を呼んだ。
だから隠れて泣いていた。
多分、この時点ですでに何が苦しいのか悲しいのか自分でもわからなくなっていた。
それでも今更言い出せるはずがなくて。
というかそれ以前にあまりにも絵空事過ぎるから信じてもらえる訳ないと思っていた。
半ば意地になっていた事も認める。
……だけどリアム、あんたほんとに鬼畜だよ。
流石にわざとじゃないだろうけど押し倒して両手を拘束するあの体勢は完全に襲われた時の再現だった。
怖かった。
すごく怖かったよ。
"身体が小さくて弱いだけの女" っていう私の最大のコンプレックスまで見事に抉ってさ。
今迄押さえ込んでいたのに、たくさん毒を吐いちゃったよ。
ずっと吐かないよう我慢していたのに。
でも、やっと気持ちが軽くなったよ。
フィンレーは…弟の事は心のどこかでずっと小さな男の子のままだと思っていたのかもしれない。
リアム達にも言えるけど私にとって彼らはあくまで守る対象だと認識していたから。
『私がしっかりしなきゃ』
『この子達を守るんだ』
でも気付いた時にはもうあの子達は立派な青年になろうとしていた。
いつも間にか、すっかり姉にも反論出来るくらい頼もしい男の子になっていたんだ。
少しだけ寂しいけど……健やかな成長を嬉しく思う。
セレスティアはあんなに簡単に前世の記憶をリアム達に打ち明けるとは思わなかったし、同様に私とセレスティアの転生者としての違いにはすごく驚かされた。
…それでもセレスティアは結構冷静で大人なところがあるよなぁって改めて実感した。
エミリーに対しては罪悪感がすごい。
私なりに最大限の配慮をしたつもりだったんだけどダメだったか…と思った。
正直今回の一件でフラッシュバックが治った訳でも男嫌いが良くなった訳でもない。
つまり根本的な問題がみんなに知られてしまったのであって問題が解決された訳ではないのだ。
私は今この瞬間を生きている生身の人間だから、あの一回だけで "呪い" が解けて全部解決するほど簡単じゃないんだ。
だから私は多分またフラッシュバック等で泣くと思う。
こういう時エミリーにどう説明したらいいのかな。
幸い彼女は私の秘密をまだ知らないし尋ねないでくれていて、そんな彼女に前世の事や男に襲われた経験を話すべきなのか未だに悩んでいる。
話すかどうかはしばらく保留させて頂ければと思っている。
だけど次また泣いてしまったその時は…フィンレー達にも言える事だけどもっとちゃんと話そう、頼ろうと思う。
貴方達は、私が泣いても、醜く毒を吐いても離れないでいてくれた。
放って置けば良かったのに、
切り捨てれば後が楽だろうに、
本当に………………有難い。
結局人を傷付け壊すのはいつも他者だ。
だけど……助けてくれて、そばで支えてくれるのも温もりをくれるのもいつも他者なんだ。
矛盾している。でもそれがこの世の現実なんだ。
だから私はいつまで経っても他者を嫌いにはなれなかった。憎み切れなかった。
"繋がっていたい" と心のどこかで願わずにはいられなかった。
あと私は前を向くのが怖かったのかもしれない。
輪廻転生をして、前世の家族を忘れて別の人生を送るのは裏切りだと。
でも、いいのかな?
前世の家族も親友も、みんなも、絶対に忘れない。
だから前を向こうとしても……いいのかな…。
正直なところ、実はまだリアムとフィンレーの二人を心の底から信じ切れてはいない。ごめん。
『信じよう信じよう』と思うたび、念じるたび、…心の奥底で蜘蛛の糸のような細い何かが絡まって引っかかって…例えるなら深く押さえ込んだままリアムに煽られ爆発した直前のように、本心や弱い自分をさらけ出せないでいるのだ。
これを無理やりにでも出せばいいのか、そのままにしてもいいのか正解さえよくわからない。
案外あっさり糸が解けて自由になれるのかもしれない。
もしくは切り刻まれてバラバラになって二度と戻れなくなってしまうかもしれない。
…それでも、
かつて男に襲われた後の私は自身の死を願うような子どもだった。
だけど今ではそれなりに生きようと思えている。
かつて実の兄に対して愛情から憎悪に変わり逆恨みまでした。
でも死ぬ少し前、そして今だって兄に対して『もっと役に立てたらよかった』と後悔している。
なんだかんだで私は兄に家族としての情を抱き続けている。
ただの自己満足な懺悔でしかないかもしれないけれど。
つまり私が言いたいのは、"それでも人は変われるんだ" という事。
長い時間をかけて向き合い続ければ…言葉に出来ない "何か" が、確実に変わっていくのだ。
だから今二人を心から信じ切れなくても、
いつの日か………………きっと。