何も
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三人の間に気不味い沈黙が流れる。
(……やっぱり、言わなきゃ良かったかな)
再び泣き出しそうな表情のまま、エキドナは自身の失言に後悔をし口を噤んで俯いた。
エキドナとて本来の… "大人の頃の" 精神力なら、ここ数年に渡る悩みや苦悩もある程度耐えられたのだ。
例えフラッシュバックが再燃した事で自身を襲った男の影にいつまでも怯え苦しんでも、
例え親しい異性であるリアム達をその男と重ね合わせ逆恨みで憎悪し…相手に情があるからこそ同時に自身を深く嫌悪し罪悪感で一人葛藤し続けていても、
……フィンレーに伝えたように、エキドナは前世の経験上嫌な目に遭う事も理不尽な思いをする事も全て慣れていたから。
感情を殺したり、諦めたり、受け入れたり…
そうやって自身の気持ちに折り合いをつけながら、リアム達とは良好だけれど深く踏み込まないような適切な距離間を保とうとしていた。
あくまで一人の大人として『目の前に居る子ども達を守り、人格を尊重して接する』と自身に課した義務を果たそうとしていた。
いずれ時が来れば静かに立ち去る…エキドナは前世の記憶を取り戻したあの時からそうする予定だったのだ。
しかし前世と今世分の人生を歩んでいたはずなのに、次第に成熟していた精神が崩壊していった。
良く言えば多感で無垢で純粋な…今世の年相応な少女らしさが戻って来たという事。
そして悪く言えば今迄必死に生きて獲得した精神的な強さ、冷静さ、余裕さが手のひらから砂のように零れ落ち失っていったという事。
人格形成時の環境の所為か元々大人びた部分が強いからこそ表面上はわかりにくい差である。
しかし…当人の内面的な葛藤は計り知れないだろう。
(外見は若いのに、感性は逆戻りしてしまったのに、冷め切った思考や価値観を持っている自分が気持ち悪い)
(肉体がないから前世の "私" はもう居ない。でも私はゲームのキャラクターの『エキドナ』でもない)
"そんな私は……一体何者なんだろうか"
目に見えない背後から迫って来る影のような、暗い霧のような…得体の知れない不安と恐怖が……月日を追うごとにどんどん大きく膨れ上がっていたのだ。
だからこそ今現在の精神的な未熟さや不安定さで当初の計画が大きく崩れリアム達に前世の記憶や本心を隠し通せなくなってしまったのである。
(言わなきゃ良かった)
エキドナは二人の強い感情の揺れを感じ取り後悔を深める。
リアム達は言葉を失い立ち尽くしている。
フィンレーは恐らくエキドナの言葉の意味を始めは理解出来ず…しかし徐々に飲み込んで困惑し衝撃を受けているようだ。
リアムは状況を瞬時に理解したからこそどう対処したら良いか考えあぐねている。
相手が受ける精神的ダメージを考慮して言葉を選び伝えるというのは沈黙で隠す以上に至難の技だとエキドナは思った。
隠していた事情が大きければ大きいほど、余計に。
一方のフィンレーはというとエキドナの読み通りひどく動揺していた。
(え? 姉さま昔からずっと大人っぽかったし今とそんなに変わらないんじゃ…? えぇ!? でもそれがほんとならよくわかんないけど姉さまにとってものすごく辛い事…? だよねぇ!? そもそもそんな精神状態って正気を保てるものなの!!?)
頭は混乱し思考が散り散りになっている。
だがしかし、一つだけ直感的にわかった事があった。
"今自分の対応をしくじれば、姉はまた周囲に遠慮し本心を明かさなくなってしまう"
"また、一人で抱え込んでしまう" と。
…………そしてそれはリアムも同じ結論に至っていた。
「フィンレー、僕の代わりにドナが逃げないよう捕獲」
「わっ!?」
真剣な声と共にドンッとリアムに思い切り背中を手で押されフィンレーは危うくバランスを崩しそうになりながらエキドナに正面から寄り掛かる。
「えっ!?」
エキドナも慌ててフィンレーを抱き止め支えた。
「…!!」
リアムの意図に気付きフィンレーはひとまずエキドナをそのまま両手でギュッと抱き締める。
「…フィン??」
エキドナは自身より上の位置にある背中をフィンレーの背中を軽く叩き合図を送りつつも状況がわからず狼狽るのであった。
「「……」」
抱き締めた側のフィンレーも内心焦っていた。
(どっどうしよう!? これで姉さまは逃げないけど、なんて言えば…!?)
すると先に口を開いたのはリアムだった。
はっきり簡潔に言い切る。
「貴女が『前世の記憶』を話した辺りから、もしかしてそうなんじゃないかと思っていた」
「えっ…」「えぇ!!?」
リアムの冷静な声で各々驚きの声を上げるのだった。
「フィンレーまで驚くなよ。…ほんの僅かな違いだけど、確かに昔に比べてドナの立ち振る舞いには変化があった。でも本当に僅かな変化だと思う。貴女は昔から良くも悪くもすごくおとなしいから」
そう。
リアムは群を抜く記憶力によりこの数年間におけるエキドナの微妙な変化に気付いてはいた。
"前より感情の起伏が大きくなった気がする"
"僅かに異性に対して勝ち気な面が強くなった気がする"
しかしそれでも "気がする" レベルだったのに加えて単に周囲に心を開いている証拠だと捉えていた。
何よりその状態でさえ同年代の少女に比べれば十分大人びた部類だったため特に気に留めていなかったのだ。
「…僕はドナやフィンレーのように気の利いた言葉は言えない」
珍しく少々口籠もって前置きしながらリアムが言葉を続ける。
「だけど精神年齢が引き戻されても別にいいじゃないか。貴女が "エキドナ・オルティス" である事には何も変わらない。少なくとも僕達の前では、ね」
「…!」
フィンレーは自身の腕の中でエキドナの身体がやや硬直したのを感じた。
(多分、動揺してる…?)
顔を下に向く姉の表情はよくわからない。
自分が何と声を掛ければいいのかもよくわからないまま時間ばかりが過ぎて焦る一方だ。
『そっとしてやれ』
「!!」
脳裏で蘇った理知的な大人の声に思わずその場でフィンレーは目を見開く。
『相手の事を想うなら何もしなくていい。むしろ下手に慰めたり励ましたりするくらいなら何も言ってやるな。逆効果だ』
先日エキドナの件で相談したクラーク・アイビンから貰った助言だ。
「……」
フィンレーは抱き締めたまま、何も言わず自身と同じサラサラした金の髪を指で梳き始める。
幼い頃からしてくれたまるで宝物に触れるような優しい手つきで静かに撫でる。
嬉しい時や悲しい時、落ち込んだ時、いつも姉に優しく頭を撫でて貰った。いつも無償の愛情を貰ってきた。
「……」
エキドナも黙ってフィンレーに頭を撫でられている。
相変わらず表情はよく見えないままだが…いつの間にか姉の中にある緊張でピンと張り詰めていた糸が、少し緩んだ気がした。
その様子にフィンレーも自然と肩の力が抜けていた。
「…ずっと頑張ってたんだねぇ」
「……」
彼女の体温や僅かに震える身体を服越しに感じながら……何を言えばいいかわからないと思っていた言葉は、自然と口から溢れ落ちる。
「そのままでいいんだよ。姉さま」
それは飾り気のないフィンレーの率直な "思い" だった。
「っ…」
(姉さまってやっぱり泣き虫だな〜)
とても小さな声で泣くのを我慢している姉の姿にフィンレーは甘酸っぱい愛おしさが込み上げてつい口角が上がってしまう。
近くでリアムが安堵したように息を吐く音が聞こえた。
フィンレーはエキドナの頭を撫でながらしばらく抱き締め続けた。
しばらくして、
「__じゃあ、姉さまって僕が触れていた時も耐えられる範囲だけどほんとは少し怖かったの?」
「…ごめん」
フィンレーの問い掛けにエキドナは申し訳なさそうな顔でコクンと頷いた。
先程エキドナが「ありがとう。もう大丈夫だよ」と遠慮がちに微笑みフィンレーに声を掛けた際、リアムが "前世での男性に対する拒絶反応は結局どうなったのか" について問い掛けたのだ。
リアムの質問にエキドナは最初は一瞬固まるものの腹を括ったのか正直に答えた。
前世の "今" と同じ年齢の頃はフラッシュバックが酷すぎて異性が同じ空間に居る事さえ強い恐怖があった事。
一時期はひたすら交流どころか存在自体を避け続けた事。
成人した頃には周囲の影響もあって同じ空間に居る事も軽い交流も出来る程度に緩和された事。
……それでも例え前世で最も親しい異性である兄も含めて、男性に触れられる嫌悪と恐怖は治らなかった事。
話を聞くうちにフィンレーの眉は下がり寂しげな表情になっていった。
「…そっか。じゃあしばらくは『リハビリ』の回数を減らして「思ったんだけど、」
姉思いなフィンレーの言葉を何故かリアムが遮った。
「どうしたの?」
「何ですかリアム様」
エキドナが罪悪感が混ざった不思議そうな顔でリアムを見つめフィンレーは少し不満気に声を掛ける。
二人分の視線を受けているリアムは普段通りの青い目で見つめ返しながら…またはっきりと言い切るのであった。
「思ったんだけど、むしろ『リハビリ』の回数は増やした方がいいんじゃないかな?」