過ちと罪 その2
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家庭環境が "普通" じゃない事を知った頃、私は兄の存在を心底煩わしく思っていた。
逆恨みして憎んだ事さえあった。
"あんたがいなければ" ……って。
癇癪持ちでよく暴れる兄との日々は辛く大変な事がすごく多かった。
…けど、幸せだった時もちゃんとあったんだ。
決して兄を不幸にしたかった訳じゃない。
私も不幸になりたかった訳じゃない。
〜〜〜〜〜〜
「_それで『私なりに出来る範囲で兄の事を最後まで面倒見よう』『家族としてちゃんと見届けよう』と思っていたんだけどね…」
そこで言葉が途切れる。
先程までポツリポツリと拙く言葉を繋いでいたエキドナを、フィンレーは複雑な気持ちで聞いていた。
(姉さまは心のどこかで『兄を守り切れなかった自分は幸せになっちゃダメなんだ』って、ずっと責任を感じてるんじゃないかなぁ…)
むしろ前世の家族を忘れず自ら罰を与え続けているようにも見える。
(例えばもし僕の所為で姉さまや妹のリアが大怪我を負ってあるはずだった未来を絶たせてしまったら、罪悪感でおかしくなってしまうかもしれない。忘れたくても忘れられないんだろうな…)
実に姉らしいと思った。
それだけ前世の家族を大切にしていたのだろう。
(…前世の "お兄さん" だって、きっとそんな姉さまの優しさに救われていたと思うのに…。なんだか自分の人生を犠牲にしてまで姉さまが守って支えようとしたお兄さんにはちょっとだけ妬いちゃうな)
しばらく見守っているとエキドナは俯いたまま再び口を開いた。
「…支離滅裂になってごめんね。結局私が言いたかったのは、前世で私は気付かないうちに兄と共依存状態になって……お互い不幸になった事があった。そういう経験があるからこそ、貴方達が私の境遇を哀れんだりしてさ…似た道を辿ってしまうかもしれない事がすごく不安で怖いんだよ」
(でもそっか…そっか)
姉の言葉にフィンレーは納得し始める。
するとエキドナは静かに顔を上げリアムとフィンレーの目を交互に見つめた。
意志の強い金の目が自身を真っ直ぐ貫く。
「これが、いやこれも "私" の一面だからさ…もし貴方達が一緒に居て辛くなったり苦しくなったりしたら……遠慮なく見捨てて逃げなさい」
力強く、はっきりと言い切っている。
その表情は真剣で切実なものだ。
「罪悪感があるでしょう。逃げる事に抵抗だってあるかもしれない。……けどね、逃げた方が後々正解だったと気付く事もある。だからこれから私の存在が貴方達を苦しめるようになったその時は、私との繋がりは……切りなさい」
そんな姉の大人びた声を、言葉を、表情を、フィンレーは一心に受け止めていた。
(うん、よくわかったよ姉さま)
「無理」ズバッ
強い意志を持って今度はフィンレーが姉の言葉を拒否する番であった。
「……」
流石にここまで明確に拒否されるとは思わなかったであろうエキドナが僅かに固まりジト目でフィンレーを見つめている。
しかしなおフィンレーは折れない。
姉からの視線を受けつつ逃げず真っ直ぐに見つめ返していた。
「ここまで知って『はいそうですか』ってなると思った? 最後まで付き合うに決まってるじゃない」
「…僕も同意見だよ」
リアムも呆れを含む冷めた表情でフィンレーの考えに乗る。
「『将来共依存するかもしれないから離れろ』なんてわざわざ自己申告する人間が同じ過ちを繰り返すとは思えない。むしろ今みたいに一人で勝手に自滅しそうだ」
「ほんとそれです!!」
上手く言葉に出来なかった考えをリアムが的確に説明したので迷いなく賛同する。
「う〜〜ん…でもね、情に流されちゃってずるずる行っちゃう事もあるかもよ…?」
困ったような顔で諭すようにエキドナが口を開く。
二対一で劣勢に立たされているがそれでも簡単には折れないらしい。
「ていうか僕には昔から散々『悩みがあればすぐ相談しなさい』『一人で抱え込んだらダメだよ?』って言ってる癖になんなのっ 僕はダメで姉さまは良いって事!?」
「ゔっ」
だがしかし、フィンレーも負けない。
痛い所を突かれたエキドナは言葉が詰まるのだった。
「ドナ、いい加減諦めなよ。そもそも貴女一人で抱えたって限度がある」
リアムも言い方はアレだがエキドナに負けず反論している。
「……」
やはり二人を相手取る事はエキドナにも困難だったらしくまた黙って俯き始めた。
一見するとリアム達の意見に押され納得しているようにも見えるだろう。
しかしながら先刻まで長年一人で重いものを抱え込み、隠し通し苦しんでいた事が露見したばかりなのだ。
ちゃんと本人から同意の言葉を得るまで妥協してはいけない事をこの二人は学んでいた。
少しして、エキドナの小さな声が響く。
「…………でもさ、私の事を知れば知るほど…嫌な気持ちになるかもしれないよ…?」
そう。
エキドナだって我がままで先程の話をしたのではない。
過去の失敗があるからこそ、
……自分の暗く重い心の陰を "毒" だと思っているからこそ、
リアム達にその重荷を背負わせたくないのだ。
ただ辛い思いを味合わせたくないのである。
けれどもエキドナの言葉にフィンレーはわざとらしく息を吐いた。
「…それってさ……僕達が嫌な思いをしない代わりに姉さまはずっと嫌な思いを我慢し続けるって事だよね?」
「嫌な目に遭うのは慣れてるから」
「そんなの慣れちゃダメだよ!!!」
平然と言うエキドナにフィンレーが思わず噛み付く。
大きな声に驚いたのかエキドナの肩がビクッと跳ねたが構わなかった。
とうとう痺れを切らしたフィンレーはその場で自身と姉の身体の向きを変え、両手を肩に置いて思いの丈をぶつける。
「姉さまは優し過ぎるよ!! なんでそこまで周りを頼ってくれないの!? ずっとずっっと辛かった癖になんで無理して笑っていたの!? …そういう優しさって僕達からすれば残酷なんだよ!!」
「ごっごめ…」
「だから謝らないでよ!!」
目の前でオロオロするエキドナにフィンレーは悔しさでいっぱいになっていた。
「僕はっ 姉さまを支えたかった! 役に立ちたかったんだよ!!」
「……!」
フィンレーの言葉にエキドナは驚きで目を見開く。
「姉さまも前世妹として生きてたならそれくらいわかってよ! 弟の姉に対する気持ちくらい気付いてよ!!…『同じ』だって事くらい気付いてよぉ!!!」
その瞬間、エキドナの脳裏に前世の光景が広がった。
兄は学校で同級生から酷い虐めを受けていたらしい。
さらに家庭内で父から兄を理解しない、明らかに "兄に合っていない" レベルの成果や立ち振る舞いを要求され続けていたらしい。
かなり後で知った、兄が追い詰められ病んでしまった直接的な原因。その時のショックと強い後悔。
深夜早朝暴れたかと思えば…………死人のように何も話さず微動だにしない兄の姿を見た時の事や見た時の自分の思いも、
『兄ちゃん…なんで何も言ってくれなかったの? そんな風に壊れる前に… "辛い" って、"苦しい" って一言でも言ってくれたら良かったのに』
『私は、兄ちゃんの役に立ちたかった。力になりたかった。…ただ笑っていてほしかったんだよ』
兄に向かって手を伸ばし、空を切ったまま下ろした事も全て。
(そっか…)
エキドナはこの時ようやく気付いた。
(この子も… "昔の私" と一緒だったんだ…)
「フィンレー落ち着いて。これ以上はドナを怖がらせるだけだ」
二人のやり取りを静観していたリアムがフィンレーの腕を掴んでエキドナから引き剥がしている。
「っ…。わかり、ました…」
フィンレーの葛藤が入り混じった声が聞こえる。
しかしエキドナは呆然とし……片手で自身の目元を押さえる事しか出来なかった。
残った方の手で迷いながらもフィンレーの服を掴む。
今度は、ちゃんと掴めた。
「! …姉さま?」
「ご…」
『ごめん』と言いかけ寸前で止める。
(違う。謝る言葉じゃなくてもっと…)
心臓がうるさい。
『兄も、あの時こういう思いだったから私に何も言ってくれなかったんだろうか』などと思考が散漫になりながら……エキドナは必死に伝えたい言葉を探した。
「フィン、」
「何? 姉さま」
「……ありがとう」
「!!」
か細くこぼれ落ちた言葉にラベンダー色の目が大きく開く。
エキドナは何故か目元を隠したまま、フィンレーと視線を合わせようとしない。
それでも…やっと気持ちが通じ合えたのだとフィンレーは思えたのだった。