弱いだけの
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「… "逃げる"? 何の事かな」
「とぼけないで」
リアムはエキドナの細い腕を掴んだまま正面から見据えている。
青い瞳をぶつけられたエキドナの無表情が僅かに強張る。その内面には…………強い動揺と恐怖が走っていた。
「とにかく腕離して」
視線から逃れるようにエキドナは思わず顔を逸らす。
「……」
「逃げないから」
腕を掴んだ状態で沈黙を貫くリアムにエキドナが下を向いたまま諦めたような声で繰り返す。
「わかった」
一応納得したらしい。
リアムは静かにエキドナの腕を離すのだった。
自由になった腕をエキドナはもう片方の手で庇うようにして押さえる。
「…それで? 私がいつ貴方達から逃げていたって言うの?」
顔を上げ、今度はエキドナがリアムに質問した。
その言葉使いはいつも通りだ。
しかし彼女の表情や目つき、声色、態度、放つ雰囲気からはいつもとは異なるどこか鋭い冷たさがあった。
「姉さま…」
二人の数歩後ろに居たフィンレーはあまり見ない姉の姿に動揺してその場で凍り付いている。
「『逃げる』という表現ではわかりにくかったかもしれないね」
一方のリアムはそんな彼女の視線を淡々と受け止め口を開いている。
「ドナ、何故いつまでも僕達に…いや僕達だけじゃないな。何故貴女は誰に対しても本心を明かそうとしないんだ?」
「……」
リアムの指摘にエキドナは無表情のまま……僅かに眉をひそめる。
そして無機質に答えるのだった。
「言う必要がないからだよ」
「何故?」
「何故って…」
エキドナの回答にリアムは追求の手を緩めない。
緩める事なく、その青い目でエキドナを真っ直ぐに見つめてさらに言葉を畳み掛ける。
「僕から見た貴女は…恐らく見た目以上に疲弊している。かなり、追い詰められているんじゃないかと思っている」
「……!」
リアムの言葉にエキドナが目を見開き即座に俯いた。
しかし一瞬見えたその表情はやはりどこか切実そうで……苦しそうだった。
「なのに何故貴女は「もういい!!」
リアムの言葉をエキドナが遮る。
未だに俯き自身のスカートを両手でぎゅっと握りしめたままエキドナが地を這うような低い声で宣言するのだった。
「もういいっ…貴方達には、関係ない事だ…!」
「僕はドナの婚約者だ」
「上辺だけじゃないか」
エキドナの反論に今度はリアムが僅かに固まり無言で歯を噛んだ。
エキドナはリアム達を見ない。
ずっと下を向いたまま再び方向転換して歩き出そうとする。
「…だから放って置いて。貴方達に話す事は何も無っ…
ドサッ!
「い"っ…。!!?」
エキドナは何が起こったのかすぐにはわからず混乱する。
辛うじて受け身を取ったけれど背中がズキズキと痛い。
しかし眼下に迫る光景に、混乱はますます激しくなるのだった。
ドッッックン
「なっ…な、何っ何で……!!!?」
悲鳴に近い怯えた声がエキドナから漏れ出る。
無理もないだろう。
後方からリアムに引っ張られ、押し倒され、馬乗りにされ…両手を拘束されたのだから。
ドッッックン
「ッ……!!!!」
手足から体温が徐々に失われ小刻みに震え始める。
少しずつ呼吸も浅くなって行く。
偶然にも思い出したくもない "あの日" と酷似した体勢になってしまいエキドナは発狂寸前だった。
しかし彼女に跨り拘束しているリアムは動じない。
恐怖の感情に飲まれそうなエキドナを真っ直ぐ見つめていた。
この時、リアムは決意したのだ。
…………エキドナを "壊す" 決意を。
リアムはにこっと微笑む。
その優しい微笑みは怯え切っているエキドナにマウントを取った状況下において…とても狂気めいたものに見える。
「リアム様! 姉さまから離れて…!!」
ドッッックン
目の前の光景を信じきれずしばしば呆然としていたフィンレーが我に帰り慌てて二人に駆け寄った。
しかし、そんなフィンレーに見向きもせずリアムはエキドナを真っ直ぐに見つめて…再度口を開くのだった。
「相変わらず細くて小さいね貴女は。片手だけで簡単に押さえられる」
ドッッックン
言いながらずっと震えたままのエキドナの両手を押さえている手に力を込める。
ギシッと骨が軋む音がした。
「ゔぅ…!!」
同時に下から苦痛の声が上がるが、構わずリアムはエキドナを嘲笑い、見下す。
「おかしいよね? 昔は剣で僕に勝てていたのに、今では長剣を捨てて双剣に変えてまで戦っても僕達 "男" に勝てるかどうかさえ怪しいんだから。……あぁそうか」
どこか小馬鹿にした言い回しをしてリアムは空いているもう片方の手でエキドナの顔を掴んで無理やり自身の方に向かせるのだった。
潤んだ金の目を見つめて…リアムは再び嘲笑う。
「女の子だからか。身体が小さくて力が弱いんじゃ勝てるはずもなかったね」
「ッ……!!」
リアムの指摘にエキドナの顔が大きく歪む。
「ごめんね? そんな当たり前の事を貴女に問いただすなんて」
(やめてっ やめてくれ!!)
エキドナは内側から溢れ出し、爆発しそうになっているものを押さえ込むのに必死だった。
ドッッックン
ドッッックン
ドッッックン
心臓が早鐘のように鳴り響く。
(傷付けたくない、傷付けたくない傷付けたくない!!! これ以上は…もうっ…)
「ただ貴女が… "弱いだけの女" だからだよね」
涙が一雫こぼれ落ち頬を伝った。
"弱いだけの女"
そんなの、
そんなの、私が誰よりも一番よくわかってる。
…プツン、と何かが切れる音が小さく響いた。
「リアム様! あんたほんとにいい加減に…!!」
フィンレーが慌ててリアムの肩を両手で掴み引き剥がそうとする。
けれどもエキドナにとっては…この状況さえ、もう心底どうでもいいと思った。
「…るさい」
「姉さまから離れろよ!!」
「フィンレー邪魔しな「うるさいっ!!!!」
強く激しい怒声が一帯に響き、フィンレーとリアムの二人の動きが止まる。
「私だって好きで身体が小さいんじゃないっ 好きで "女" として生きてるんじゃない!!!!」
しかしエキドナは構わず叫び続けた。
もう止まらない。
「何も知らないくせに…わかったような事を言わないでよ!!!」
……止められない。
大粒の涙が溢れて伝い続ける。
「本当はずっっと憎かった…嫌いだった! 大嫌いだった!!」
今迄罵声らしい罵声を出した事が無かったからだろう。二人とも固まったままエキドナを見つめている。
力や体格差で解けないのをわかっていながら…エキドナはもがくように手足をバタつかせ、金の髪が激しく動きながら叫び続ける。
「ずっと恨めしかった憎かった!! どうして一人にさせてくれないのっ! 放って置いてくれないのっ!!?」
浴びせたくなかった。
傷付けたくなかった。
「いい加減気付いてよ……!『男嫌い』だって言ったじゃない!! ずっと言ってたじゃない…ッ」
激しい後悔と罪悪感が胸中に吹き荒れながら、エキドナはずっと押し殺し続けていた憎悪を止め切れず…リアムとフィンレーに向かって叫ぶ。
「その "男" にはっ……あんたら二人も入ってるんだよ!!!」
それは紛れもない、エキドナがずっと隠し通していた "本心" だったのだ…。