明かす
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「_え? 一体何の話をしてるの…?」
「……」
フィンレーは淡い紫色の瞳を大きく開いて固まり、リアムは冷静に様子を伺っている。
「うん…それが "普通" の反応だと思う。だからもう一度言うね?」
フィンレーの正直な反応に苦笑しながら、エキドナは二人に過去の… "前世" の記憶を淡々と説明し直すのだった。
「私には "エキドナ・オルティス" じゃない前世の記憶が、八歳の頃からあるの」
言いながら再び俯く。
二人の顔を見るのが、恐ろしかった。
「……前世の、"ここ" とは全く違う世界に生まれた私は…六歳の頃に知らない若い男に…レイプまがいをされた。だから、男嫌いになった」
やはりこの話を人に話すのは不得手だ。
思いながらまた過呼吸が起きないよう、自身の両手を二人からは見えない背に隠してぎゅっと強く握り締める。
「…襲われ、た事を…思い出すから背後から触られるのが嫌だった。…薄暗い場所も、『夏の祭典』みたいな夜景も、苦手に、なった。……若い男性、も、みんな…」
最後の言葉は蚊の鳴くような小さな声をさらに絞り出すような感覚だった。
また強く、両手を強く握り締める。
密かに深呼吸を行い呼吸を整えようとする。
ここは人気のない準備室。
リアムの『何者なんだ?』という問い掛けに対してエキドナはリアムとフィンレーの二人に『 "幼少期に男に襲われたから男嫌いになった" という前世の記憶を持つ人間』である事だけを明かしたのだ。
もちろん前世の私としての人生はまだまだ色んな事があった。
言葉足らずな説明かもしれない。
でも、自身の生い立ちが世辞にも普通とはかけ離れた重く暗いものである事を誰よりも自覚していたからこそ……これ以上言う必要は無いと思った。
「「「……」」」
事務的な説明をしたエキドナは俯いたままそれ以上何も話さないので…まるで時が止まったかのような不安定な空間がそこにあった。
「姉さま何言ってるの…?」
静寂を破ったのはフィンレーだ。
かなり困惑した様子で未だ下を向いて表情が見えない姉に近付き、その華奢な肩に両手を置く。
「最近の姉さま変だよっ…! 一体どうしちゃったの? そんな、急にそんな話を言われたって」
「フィンレー」
そのまま揺さぶりそうになったフィンレーの腕をリアムが止めるように掴んだ。
冷静に、まるでフィンレーを落ち着かせるように見つめる。
「こんな悪質な嘘を吐く子じゃない。……それに、全て辻褄が合う」
「ッ…」
少し悔しそうにフィンレーはリアムの方を見て、しかし無言でリアムの手を振り解きながらエキドナの肩から両手を離すのだった。
(…うん、確かに急に言われても『はいそうですか』って納得するはずないよねぇ…)
俯きぼんやりとしながらもエキドナは二人の状況を読み取っていた。
…どちらかと言えば困惑しているフィンレーよりもリアムが冷静に受け止めていたのには驚かされた。
(でも内心はそれなりに動揺していると思う。多分、受け止めようとしてくれてるのかもしれない)
リアムはいじめっ子気質があるけど決して悪人じゃない事も、彼なりに他者への気遣いが出来る事もよく知っているから。
思いながら静かに笑みを作って顔を上げる。
「私はねぇ、前世で看護師…看護婦だったんだ」
「看護婦ぅ!!?」
また新たな事実にフィンレーが驚きの声を上げた。
前世はともかく今世の世界において看護婦とは貴族がなる職業ではなく『使用人』の印象が強いからだろう。
「うん。と言っても身体壊しちゃってヒヨッコのままリタイアしたんだけどね」
言いながらスッとフィンレーの片腕…正確には肘の裏側である肘窩を指差す。
「…でも今でも貴方達の血管に針を刺して採血したり、病気の人の看病くらいならすぐ出来ると思うよ?」
「……!」
「これが、私が『前世で生きた人間だった』っていうわかりやすい証拠かな?」
この世界でも注射器自体は存在するが前世ほどメジャーな道具として利用されていないのだ。
ただの…しかも箱入り育ちな貴族の娘が初見の注射器なんて扱えるはずがない。
「あ、う、そっ…そうなんだ……ね」
エキドナなりにかなりわかりやすい証明をしたつもりだったけれど逆効果だったらしい。
頭では理解しようとしているがフィンレーは上擦った声で言いながら視線を右へ左へと慌ただしく移している。
明らかに狼狽している。
「……」
リアムは何も言わない。
…否、普段の彼なら『フィンレー落ち着きなよ』などと言いながら冷めた態度で絡んでいるはずだ。
つまりそれが出来ない状態という事だ。
そう思いながらエキドナはまた俯き…再び顔を上げるのだった。
「困らせてごめんね。一旦お開きにしよっか」
そのまま三人は生徒会室に戻る。
この間、誰も言葉を発する事は無かった。
ガチャ
「おーお帰り! 丁度良かったわ、さっきクラーク先生から仕事頼まれてさ〜」
「ただいま〜。えっなになに?」
フランシスの声掛けにエキドナは普段通りに返して着席するのだった。
その後何事も無いように、各々いつも通り生徒会業務に取り組む。
しかしフィンレーは終始姉の方をチラチラ盗み見ては黙り込むのを繰り返していた。
またリアムも一見普段通りに見えて…ごくたまにエキドナとフィンレーを密かに見つめるのだった。
エキドナはそんな二人の視線を知ってか知らずか、変わらずいつも通りに笑っていた。
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「正直…姉さまの言ってる事がよくわからない」
人払いをした一室でフィンレーはそう言いながら先程出された紅茶をグイッと一気に飲み干した。
ここは王族専用の寮にある一室。
内密な話し合いにはもってこいの場所である。
生徒会の業務を終えエキドナ達とも別れた後…
『リアム様、この後お時間頂けますか?』
とリアムに申し出たのだ。
余談だが二人のやり取りをよく知るイーサンは『二人共、程々に…な…』と諦め気味に呟いて一人自室に戻って行った。
恐らく喧嘩と誤解されたらしいが今回ばかりは都合が良かったので敢えて何も説明していない。
「言葉通りの意味だと思うよ。それに "前世の経験" というものが理由なら "エキドナ・オルティス" の経歴から根拠が出なかったのも頷ける」
「そうじゃなくて!!」
淡々とエキドナの『前世の記憶』と『トラウマ』が結び付く点を説明するリアムにフィンレーが興奮気味に立ち上がった。
「フィンレー、落ち着いて」
「落ち着くなんて出来ませんっ…逆に何でリアム様はそんなに冷静なんですか!!」
「僕が人より感情の薄い人間だからだよ」
「……!」
フィンレーの指摘にリアムが即答したためまた目を見開き言葉を失って立ち竦む。
そう。
リアムが普段から冷静なのはその高い知性と合理主義なリアリスト故なのか…物事に対する感情が周囲より明らかに希薄なのだ。
例えば先日クラークの件でエキドナが過呼吸を起こした時、焦るフィンレーを他所にリアムは冷静にエキドナを介抱した。
その事さえ実は…フィンレーに比べて焦りや動揺をあまり感じなかったからこそ的確な判断と行動が為せたのである。
「「……」」
フィンレーが無言でリアムを睨みリアムも平然と視線を受け止める。
「〜〜〜〜! 知ってますけど!!」
結局気不味さに耐え切れずフィンレーはドスン! と勢いよく着席するのだった。
そのまま俯き両手で顔を覆って大きく溜め息を吐いた。
「…似てますよね。貴方と姉さまって」
手を覆ったまま顔を上げ、指の間から再びリアムを不満げに見やる。
「こう、大人びていて達観していて…すごく冷静なところが。ハッ……まさか貴方まで『転生しました』とか言いませんよね!?」
言いながら両手を外してまたフィンレーはうろたえるのだった。
「残念ながら違うよ。"前世の記憶" なんてものは無いしドナが言わなければ信じもしない。仮にそんな記憶を持っていたなら国の発展に使っていただろうね」
先刻から感情豊かに立ち振る舞うフィンレーとは対照的にリアムはずっと座った状態で微動だにしなかった。
しかし、徐々にその顔を…僅かに寂しそうな表情で下に向ける。
「ただ……僕とドナは、似ているかもしれないけど根本的な部分は "正反対の人間" だよ」
「え……?」
ポカンとした顔をするフィンレーをそのままにリアムが顔を上げる。
「フィンレーはドナの絵を見た事があるよね?」
「当たり前ですよ。すごく上手です」
「うん、かなり上手い。綺麗だった」
かつてフィンレーによる姉自慢が切っ掛けでリアムはエキドナの絵を見た事があった。
本人が少し気不味そうな顔で差し出したスケッチブックには……特に弱点がないリアムでさえ『描けない』と思わせるほどのものばかりだった。
一つ一つの部位に様々な色を色鉛筆を使って重ね合わせた…かなり緻密で、でも繊細で優しくどこか温かい。
そんな絵だった。
思わず『綺麗だ』と呟くと、『そう言って貰えて良かった』と彼女は何故か少し困った様子で笑っていた。
「……多分あれだけ繊細な絵を描けるドナだからこそ、昔襲われた事が大きな傷跡になって、変わったんじゃないかな」
変わった…いや、変わらざるを得なかったのかもしれない。
『深く傷付いたり、印象に残ったり……何かしらの心の "跡" になったものは簡単には変わらないし、治りません』
かつてリアムの義母でありイーサンの実母でもある現王妃…サマンサの話で彼女が言った言葉だ。
あの時の彼女は、どこか大人びた輪郭を持っていた。そこにはやはり陰りがあった。
『だから、ゆっくり…ゆっくりと時間を掛けて向き合って行くしかないんじゃないですか? ……焦らず確実に、自分と向き合い続けるんです』
(恐らく、彼女もずっと心の "跡" とも自分自身とも向き合い続けていたんだろう)
根が真面目なエキドナだ。
多分僕達に言えなかっただけで、ずっと悩んでいたのかもしれない。
一人で、ずっと。
そしてふと疑問に思う。
「何故このタイミングで秘密を暴露したんだろう…」
「え?」
リアムの言葉にまだ困惑を隠せないフィンレーが聞き返す。
「恐らく "前世の記憶" の存在は彼女のトップシークレットだったはずだよ。知られれば知られるほど利用する輩が現れかねない」
そして情報とはいつ・どこで流出してもおかしくないのだ。
だからこそエキドナは今迄近しい人間のはずの自分達にさえ言わなかった。
おおらかに見えて意外と慎重で秘密主義な面がある彼女らしい。
(それにあの子は……まだ何かを隠している気がする)
「確かに…」
そう考えているとフィンレーからも同意の声が上がる。
その声に頷きながらリアムは言葉を続けた。
「今彼女は何を考えているんだろう。何を思っているんだろう」
考えられる事は何だろうか?
相手の思考を推測し適切に動く事は出来るがその相手があのエキドナなのである。
「まさか、」
「どうしたのフィンレー」
思考を中断しフィンレーの方を見るとどこか唖然とした表情をしていた。
フィンレーもリアムの視線に気付いて見つめ返す。
「リアム様、僕が思うに…姉さまってすごく我慢強い人だと思います。自分よりもすぐ他人を優先しようとしますし」
「それは同感だ」
エキドナは今迄ほとんど弱音を吐いた事がない。
いつも落ち着いている。
そしてかなり我慢強い。
過去にニールが力加減を誤ってエキドナの足の骨を折った時だってそうだった。
武術の訓練中だからお互いリスクがあるのは承知の上で行っていたし、婚約関係もリアム達だけの密約により本当は仮初のもの。
しかし…………そうは言っても表向きは "未来の王妃" であるエキドナに怪我を負わせたのだ。
その事実から本来ニールには相応の罰則が与えられるはずだった。
それを痛かっただろうに、骨折した直後からエキドナはニールを庇っていた。
必死で父親であるアーノルド・オルティス侯爵にニールの減刑を訴えていた。
『私は大丈夫だから』と。
昔から彼女はそういう子だった。
「それが姉さまの良いところですごいところだと思うんですけどもっと自分を大事にしてほしいっていうか心配で……じゃなくて、だからこそ思うんです…! あぁっ何ですぐに思い付かなかったんだろう!!」
「落ち着いてフィンレー」
取り乱し半ばパニックになりかけているフィンレーに声を掛けて落ち着かせようとするが、フィンレーは勢いそのままリアムに向かって叫ぶのだった。
「そんな我慢強い姉さまがずっと隠し通していた秘密を僕達に漏らすくらい、今かなり追い詰められているって事です!!!」