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独白〜成人期(エキドナ視点)〜


________***


『すみません。車に乗せて頂いて…』


『いいのいいの! 会場が遠かったしバスだと本数少ないもの。行きも拾えば良かったわね〜』


『とんでもないです。こうやって送って頂けるだけ有難いですから』


『えへへー♡』


隣に座る小さな女の子が笑顔でコテン、と私の腕にもたれ掛かる。


『もうこの子ったら甘えん坊なんだから…空き時間にいつもうちの娘とかみんなの遊び相手をしてくれてありがとうね〜』


『…いえ、子ども好きなんで』


ミラー越しから後部座席に座る私達を見ている彼女の母親の言葉にそう答えた。

そして未だにこにこしている女の子に目を細めその子の髪を指ですくように優しく撫でる。


私は大学生になった。


現状の問題を打開するには自分自身がひたすら変わるしかない…という事で高校を卒業後、看護女子大学に進学した。

現在大学四年生、二回目。

実習中に持病の咳喘息が悪化して単位を落とし、一年留年してしまったのだ。

そのため留年して空き時間が出来たので短時間のアルバイトと…体力向上及び護身術の一環として週に一回、空手教室に通っていた。

それほど遠くない場所にある小さな教室だから私以外は小学生ばかり。

現在空手の昇級試験の帰り道で行き同様にバスで帰ろうとした私を空手仲間の女の子のお母さんのご好意で車に乗せてもらっていた。

なお元々子どもが好きだから道場での休憩時間はいつも子ども達の遊び相手をしていた。

みんなとても可愛い良い子達だった。



再び女の子を見守る。

私の腕に身体を預けたまま、微睡んでいるらしいくリラックスしている。


(この子は今、小学一年生…)



男に襲われた時の私と同じ年だ…。



そう思った瞬間、私の中で冷たく鋭い風が胸を貫くような痛みと虚しさを感じた。


……けれども同時に、


(私みたいな人間を、慕ってくれている…)


汚い感情ばかり持て余して年齢不相応な冷めた思考をした、こんな自分を信頼してくれている。

大学生の…特に留年した期間は子どもに関わる機会が多かった。

その中でこの時のように子どもが自身に心を開いてくれたり、当たり前のように温もりを求めてくれたりして……相手が幸せそうに無邪気に笑ってくれていると少しだけ自分が救われたような気持ちになった。

子ども達の事が、ただただ愛おしかった。


(……それにこの子達と接し続けたからこそはっきりわかった)


大人になった今、私が犯人の男の立場からこの子達を見たとしても……か弱く小さな存在だから大切にしたい、守りたい、笑っていてほしいという慈しみの感情しか湧かない。

間違っても、"自分の欲望の捌け口" という認識はしない。



やはり "あの時" のあの男が子どもだった私にした仕打ちは……明らかに異常行動だったと改めて実感する。



誰であれ小さな子どもに何の罪もない。

ただ『愛されたい』『認められたい』と一途に想っている一人の人間なんだ。

どれだけ幼い子どもでも悩んだり傷付いたり気遣ったりする心を持っているんだ。

だから守り、愛情を注ぎはしても…身勝手な欲求で壊していい存在なんかじゃない。

私はあのクズ野郎みたいな酷い事は絶対しない。


この子達との交流を通して、自分の中で強く決意した。





話を少し戻すが、私は高校を卒業後は看護女子大に進学した。

つまり看護師になる事にしたのだ。


看護師を目指す理由は大きく三つ。

一つ目は『看護師みたいな手に職をつける仕事じゃなきゃどこにも就職出来ないわよ』と母親からいつもの冷え切った無表情で言われたから。

"それ以外の選択肢は与えない" という無言の圧力を強く感じた。


……でも、母の意見も一理あると思ったから私なりに納得して敢えて選んだ。

ちなみに看護大学に入学した辺りから母の私に対する態度が大きく変化した。

それはそれで内心かなり複雑な気持ちになったが、まぁ色々あって…いや何もないな。割とトントン拍子でたま〜に会話したり一緒に買い物に行くくらいの親子関係にはなれた。

つまり母から無視され当たられる事がほとんどなくなったのだ。


例え理不尽に感じても自分からさっさと折れた方が早く平和的に解決出来る場合があるのを、あの母から長い時間を掛けて学んだ気がする。




理由二つ目。

ただ漠然と『自分のために生きてみたい』と思うようになったから。

しかし兄の事もあるから、事実上私は将来一人で両親と…大学を中退して支援施設に通っている兄の面倒を見なければいけない。


家族から、兄から離れて自由に生きてみたい。

でもそれは家族を見捨てたい訳ではない。


……つまりある程度の給料が保証される現実的な職業が良かったのだ。

その点看護師なら母の言う通り就職に困らないし給料も安定している。


何より "その肩書"。

社会から一定の信頼を得られる。

それなら "(わたし)息子(あに)より恵まれているから並以上の結果が出せて当然" と思っている両親の自尊感情を満たせるし、同時に近所や周囲の人達から『あいつの妹は看護師』と思われる事で兄に対する差別や偏見の……気持ち程度でも抑止力になれたらと思った。


つまり家族の面倒は "仕送り" という形で援助しつつ、私は私で離れて一人暮らしをしよう! と思い立ったのである。


子どもが好きだから保育士の道も考えたけど……ほら、子どもって虫とかを平気で素手で捕まえて持って来るから…ははは。

だから看護師。

いざとなったら小児科ナースって選択肢もある訳だし。




最後三つ目の理由は…多分環境の影響が大きいと思うけど、人のお世話をするのが性に合ってると思ったから。

それに……


『××さんは真っ直ぐな良い子だね』


高校時代の養護教諭の先生の優しく穏やかな笑顔が思い出される。


…あの人のように、優しい言葉で誰かに寄り添える大人になれたらいいなと思ったから。



大学生活は体調不良による留年を除けばそれなりに順調だった。

すっかり普通に会話出来るくらいの言語力を獲得したから友人も居る。

…当然未だに私と友人達との育った環境や境遇の違いには内心劣等感や孤独を感じていた。

でももうそれごと受け止める事にしたら思いの他楽になれた。

加えて言わなければ案外バレないものだという事にも気付いたので、周りの人達とはだいぶ普通に渡り合えるようになっていた。


あ、でも前より身なりには気を使うようになったな。


私が通っていた女子大は…女子アナ系やギャル系、モード系などお洒落でキラキラな女の子の割合が多かったのだ。

見る分には好きだったけど自分の容姿に無頓着だった私は『周囲から浮く』『悪目立ちする』と初めて危機感を抱いた。

あと周囲の女の子達が綺麗に可愛く外見を整えているのに憧れて…見習わなきゃとも思った。


だから大学生以降は見た目に気を使う努力をした。

服や髪や化粧、アクセサリー……最初はものすごく抵抗があった。


(変って思われないかな)

(こんな服、私なんかには似合わないんじゃないかな)


何が正解か不正解かもわからず不安だらけだった。

顔を出すのも恥ずかしいし、視線が怖い。

でも親友も恩師も他の友人達もこんな私を『可愛い』と言ってくれたから、頑張れた。勇気を出せた。

姿勢も矯正した。

ずっと俯いて背を丸め続けていたから中々治らなくて…厳密には猫背気味まで直すので精一杯だった。


結果は好評。

大学の同級生達からもしばらく会わなかった中高時代の友人からも、


『似合ってる!!』

『めっちゃ可愛くなってる!?』

『雰囲気変わったね!』

『キレー! 周りから美人って言われてるんじゃない!?』


と褒めてくれた。

お世辞が大半だとは思うけどそれでも単純に嬉しかった。





……ただ、同時に


『綺麗になった』

『××ちゃん小さくて可愛いね〜!』

『良かったら連絡先を…』


同年代の男性の反応が変わった。

今迄私の事をほぼ空気のように扱って来た大半の男性達の態度が明らかに変わったのだ。

その声色、視線、放つ雰囲気、空気、大した理由もなく触ろうとする手…。

"あの時" に似ていると思った。



気持ちが悪いと思った。



そして自分の "女" としての客観的な価値を理解した途端…………どうしようも出来ない虚しさとやるせなさが私を襲った。

それは途方も無い、先行きが全く見えない、薄暗く不透明な… "何か"。


(私は一体、今迄何のために苦しみ続けているんだろう…)

(男なんて所詮女の肉体がほしいだけなんだ。支配したいだけなんだ)





"あの時" のように。





そんな、終わりが見えない虚脱感だけだった。


だからこそ自身が受けた仕打ちの意味を知ってから異性に恋をするなんて出来なくなった。


(その先に待っているのがあの苦痛でしかない…むしろ "あの時" 以上にキツい行為なんだ。私には出来ない)

(馬鹿馬鹿しい)


そう思った。

まぁ実習や職場での男性の患者さんやアルバイト先のスタッフさん、子ども達のお陰である程度は…異性と表面上の交流をするには問題ない範囲に治まっていたが。


何より兄の存在が私の男嫌いを緩和させていた。


すぐ癇癪(かんしゃく)を起こすのも人を利用するために平然と嘘を吐くのも決して好きになれない。

でも母から指摘され改めて思い返せば納得した事があって……実は私の兄は "その手の欲" へのこだわりがかなり薄いタイプの男性だったらしいのだ。

最も身近に居た男性が "その類" に淡白で興味関心が薄い兄だったからこそ、私はギリギリのところで "男" という存在を失望し切らずに済んだと思う。


『××…大丈夫か?』


あと大学を中退してちゃんと専門の治療を受けられるようになってからは少し落ち着いて…昔の優しい面も出るようになったから。

だから世の中の男全てが私を襲ったクズ野郎ではないと実感出来た。

なお兄とは流石に昔ほど交流していないが、たまに会話をしたり誕生日プレゼントを贈り合ったりするくらいには良好な関係だったと思う。



こうして色々経験を積むうちに国家資格に合格して卒業して就職した。家を出て一人暮らしも始めた。

『やっと自由に…』と新生活に胸を躍らせていた。

看護師の仕事はかなり大変で常に走り回っている状態だったけどとてもやり甲斐のある仕事だった。




でも、そんな生活は長く続かなかった。





"良性発作性頭位眩暈症(りょうせいほっさせいとういめまいしょう)"





難聴のリスクがあるメニエール病とは違い、あくまでめまい症状のみの "良性" の症状だ。

…………と言っても、この病気について改めて調べてみたら具体的な症状や原因が自身に当てはらない部分も多かったから、もしかしたら違う別の何かだったのかもしれないが。

ただ、担当医はその診断以外出せなかったんだと思う。



要するに新米看護師として働いていた私は仕事に慣れ始めた頃に…治療困難なめまい症状で立つ事も出来なくなり泣く泣く退職するしかなかったのだ。


じっとしていても視界が歪むというよりは平衡感覚そのものが歪みながら複雑に揺れ動いているような感じだった。


めまい症状にはめまい止めの薬が存在しているがほとんど効かなかった。

逆に副作用でもっと状態が悪化するばかりで……先輩看護師曰く『めまいの領域はまだ解明出来ていない部分も多く治療が進歩していない』らしかった。


(咳喘息は、だいぶコントロール出来るようになってたのになぁ…)


気付いた頃には…私は二十四歳の誕生日を、極力帰りたくなかった実家で寝込んで過ごしていた。


(……何でかなぁ。何で、こんなに上手く行かないんだろう…)


思えば兆候はあった。

幼少期、喘息気味でよく近くの医院に世話になっていた。友人達との外遊びで一人だけバテてついて行けない時があった。


高校生の辺りから身体が鉛のように重く、動く事が辛い時が増えた。だから保健室に通っていた。

咳喘息の発作が増えて、治るのに二ヶ月、三ヶ月なんて当たり前。

酷い時はそんな状態が三ヶ月に一回のペースで発作を起こした。体重もどんどん減った。

…単に家庭内問題やトラウマによる精神的なものだと思っていた。



でも、徐々に…大学生活で周囲の子達のスケジュールについて行けないと感じた時。

咳喘息が悪化して実習に行けなくなり留年が確定した時。

たった十五分程度の電車通学だけで、急に具合が悪くなって危うく急患にされかけた事が何度かあった時…。


どこかで、気付いていたのかもしれない。

でも気付きたくなかったのかもしれない。

或いは気付くだけの余裕が私に無かったのかもしれない。


少しずつ、確実に、身体の不調が増えていた事を。

そのような不調を、私以外誰もしていなかった事を。



(私は……周りの人より、身体が弱いんだ…)




看護師として働くには根本的な資質に欠けていた。


看護師とは病気や怪我で入院している患者さんの看護をするのが仕事。つまり看護師自身の身体が丈夫でなければならない。

すぐ具合が悪くなる私は、むしろ足手まとい。落第生だったのだ。



悔しかった。

結局三ヶ月はほぼ寝たきり状態だった。









…例え私にとって生きる事が苦痛なものでも世の中は何も変わらない。

ただ時間だけが過ぎて行く。


(だから今私が出来る事は…)


そう考えながらやっと活動出来るくらいに回復した私は、軽くウォーキングをしていた。


幸い両親はまだ健在だ。

介護はあと早く見積もっても五年から十年後。


兄の事は……正直考えたくない。

出来れば兄に縛られず生きて行きたい。

兄ちゃん、ごめんなさい。

自分勝手で、ごめん。


だからまずは体調を整える、次にアルバイトをしながらでも少しずつ体力をつける努力をする。


(今は少し歩いただけでも下手打つと一週間くらい寝込んじゃうから…調整しなきゃ…)


それから看護の勉強。


(せっかくお金を出して貰って得た資格なんだから有効活用しなきゃ。今迄業務の時間以外は寝込んでロクに勉強も出来なかったし)


と言っても今の私の体力だとある程度体調整えて体力をつけてから半日パートがせいぜいだと思うけど…。また長い間寝込んでしまっていたから。


それから、それから、


『っ……』


(ゔぅ…めまいが…)


外を軽く出歩ける程度には回復したが決して万全ではない。

めまい発作で私はその場で立ち止まった。

片手で頭を押さえながらもう片方の手を膝に置き、浅い呼吸を繰り返して体勢を整えようとする。


だから私は気付けなかった。

遠くから騒がしい声が聞こえていた事に。









気付けば一面真っ暗な世界だった。


『……?』


そしてすぐさま先程の…一瞬の出来事を思い出して直感する。


(あ……私、死んだ、の…?)




未だに実感が湧かないが思いの外恐怖も無かった。



いや、当たり前か。



だって私は…ずっと……



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