独白〜思春期後編(エキドナ視点)〜
<<警告!!>>
残酷描写および鬱描写があります。
苦手な方は飛ばして読んで下さい。
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どれだけ残酷で不条理な日々でも時間だけは "平等に" 流れる。
日常を、誤魔化しながらやり過ごす。
私は高校二年生になった。
学校へ通う。
文字通り…ただ自転車に乗って学校へ行き、教室まで歩き、座り、授業を傍観し、帰宅する。
それだけの "動作" を繰り返すのが精一杯だった。
友人達との会話も、昔に比べてだいぶ話せるようになった。
かつての私が望んだ光景、望んだ場所。
……なのに未だに孤独を感じるのは何故だろう。
むしろ昔以上にみんなが遠く感じるのは何故なんだろう。
時々みんなから離れて、姿を消したくなる自分が居る。
『…はぁっ……はぁっ…』
授業中突然苦しくなって、上手く呼吸が出来なくなって。
目立ちたくないからすごく不本意だったけど…教師に自己申告してから一人教室を出て保健室へ向かう。
……保たなくて近くの女子トイレに隠れる。
息苦しさと強い脱力感でしばらく動けないまま過ごして…なんとか落ち着いたのでゆっくり覚束ない足取りで移動するのだった。
『…失礼、します…』
『あらどうしたの〜?』
多分これが恩師の… "先生" との出会いだった。
母よりも幾分か若いと思われる養護教諭の先生に『具合が悪くなった』と伝えて体温計を借りる。
結果は微熱。
というか、確か高校生辺りからずっと普段の体温が微熱だった気がする。
つまり明らかな体調不良はないという事。
(『仮病』って疑われるのかな…)
しかし私の予想に反して先生はにっこり微笑み、
『今の授業が終わるまで、とりあえずベッドで横になっておく?』
と言うのだった。
先生の柔らかい対応に少し驚いた。
『……はい。ありがとうございます…』
結局その日は少し休んでから教室に戻った。
でもまた何日か経つと具合が悪くなり、保健室へ行き、休む、教室に戻る。
一、ニ週間に一回のペースでこれを繰り返すようになった。
(…流石に怪しまれるよね。"サボってる" って呆れられて当然だ…)
居た堪れなさからその場で俯く。
そもそも学校自体を休めたら良かったのだが、高校生までは原則として保護者からの連絡が必要なのだ。
今迄だってどれだけ持病の咳喘息の発作が酷くても母は学校を休ませてくれなかった。
授業中も咳が煩くてクラスメイトに申し訳なかった。
『……ねぇ××さん。もしかして何か悩みがあるんじゃないかな?』
『!!』
先生はいつも通りにっこりと穏やかに微笑む。
…その微笑みは、不思議と私に安心を与えてくれた。
『…………あの、…』
『? …うん』
(嫌な思いをさせないかな。こんな話なんて…)
『…っ…その…………実は…』
ポツリポツリと、少しずつ話した。
家庭内問題で悩んでいる事。
母と兄と一緒に居るのが辛い事。苦しい事。
本音を言うと……誰でも良かった。
誰でもいいから聞いてほしかった。
押し潰されそうだった。
『そっか、そういう事があったんだねぇ…』
先生は当たり前のようにそんな私の話を受け止めてくれた。
『それは辛いねぇ…』
その穏やかな表情や声からは、私が嘘を吐いていると疑う様子はない。
けれども異物を見るような目で気味悪がる訳でも、あからさまに同情して哀れむ訳でもなく…… "普通に" 話を聞いて、受け止めてくれた。
それがただ嬉しかった。
こうして体調不良で保健室に行って、横になった後に先生と少しお話をするようになった。
先生とはいろんな話をしたと思う。
今の勉強の話や友人の話、先生の今迄の仕事の話。
先生はいつも穏やかに微笑んで座っていて、その姿を見るたびに縮こまった心が少しだけ楽になれた。
様々な会話の中で一番印象に残っているのはやはり "あの時" の話だった。
家庭問題は辛かった。でもそれ以上に……意味を理解し現実を知れば知るほど、フラッシュバックはいつも私を苦しめていた。
だから……先生に話した。
"あの時" の話を知っているのは母親と親友と兄だけだったから、お世話になっているけれど一緒に居た年月が長いとも繋がりが強いとも言えない第三者の立場である大人に話した事が無かった。
全てを、話す事は出来なかった。
ハァ ヒューッ ハァ ヒューッ
『男に、押し倒さっ…それでっ…!!』
『××さん無理して話さないで!! ゆっくり息をして!!』
途中で過呼吸を起こしたから。
私はこの時になって初めて、自分が過呼吸を起こすほどに傷付いていた事に気付いて心底驚いた。
だけどそれよりもずっと……
『っ…兄ちゃんは、ずっと苦しんでて母さんも辛そうで…ッ! ……私が、しっかりしなきゃいけないのに、頑張らなきゃいけないのにずっっと…この記憶が消えてくれなくて』
過呼吸が治った後私は堰を切ったように、馬鹿みたいにぼろぼろ泣いていた。
『あの時、ちゃんと男から逃げられていれば…!!』
(何で噛み付いてでも抵抗出来なかったんだろう。
そうじゃなくても襲われてすぐ、何で母親以外の大人に訴えられなかったんだろう…!!)
深い後悔が押し寄せ真っ暗な絶望に呑み込まれそうになった刹那、先生は毅然とした態度で私の目を見て言い切るのだった。
『あなたは悪くない』
私は一瞬、自分の耳を疑った。
この人は何を言っているんだ?
悪くない?
私が??
『そんな、はずないです。だって私は抵抗する事も出来なかった、大声で助けを呼ぶ事だって……それが出来ていたら、あんな酷い目に遭わなかったはずです』
慌てて反論する私に、先生はじっと真っ直ぐ見つめながら静かに口を開く。
『それはあなたを力づくで襲った男が悪い。…そもそもまだ六歳の子どもが自分より身体の大きい男に掴まれたら、恐怖で何も出来なくなって当たり前だわ』
全身の力が抜けるような感覚だった。
『あ……そっか…』
僅かに呟くだけで精一杯だった。
泣きたいような、笑いたいような、ほっとしたような…そんな感じだった。
(そうだ)
普通六歳くらいの子どもがいきなり知らない人に掴まれてすぐに冷静で的確な行動を取れる子なんてほぼいない。
(私はどうして、そんな簡単な事さえ気が付かなかったんだろう…)
私は静かに涙を流して、安堵した。
"あの日" から十年以上の歳月が流れて…やっと自分を責め続けるのをやめる事が出来た。
そしてようやく、私は自分の内面を素直に見つめ返す事が出来たと思う。
(襲われた時の事を思い出すから夜景やプラネタリウムみたいな『暗闇から覗く僅かな光』を見る空間がダメになった)
(男が嫌いだ。特に自分より背の高い若い男が嫌いだ。ダイレクトに昔の事を思い出させる。古傷を抉られる。一緒に居たくない)
だから高校生…否、男女の差が広がり始める中学生辺りから今迄以上に異性との交流を避け続けている。
(本当は母さんも兄ちゃんも憎い)
兄に対する憎しみに関しては逆恨みだってよく解っている。
でも母も、兄も、愛しているからこそ腹の底から憎悪していた自分が居たのだ。
(父さんの事は割と前から軽蔑している)
実は父は職を転々とする所があって、家族を養っているとは言いづらい状況だった。
それに明らかに時間に余裕があるのに…具合が悪くなった母を私が訴え掛けても病院に連れて行こうとしない。
兄の事を家族の中で誰よりも理解しないし聞く耳さえ持たない。
『気合が足りないだけだ』
『父さんが若い頃はもっと…』
そして私の咳喘息も含めて時代錯誤な根性論と理想論ばかりを押し付ける人だった。
(…貴方の無責任な発言で、兄ちゃんが苦しんでいるのが見えていないのか)
あと母達の前では愛想が良いのに私しか居ない空間ではいつも母と兄の悪口を言っていた。
『あいつらは頭がおかしい』って。
だから "この人は私がその場に居なければ二人に私の悪口を聞かせているんだな" ってずっと冷めた気持ちを抱えていた。
距離を置かれた親友に対しては……正直恨めしい気持ちよりも諦めに近い納得する感情が大きかったと思う。
(あの子も私と同じただの高校生。しかもあの子は生まれた時から家庭に恵まれてる普通の女の子だから、私のこういう重い話を聞きたくないと思うのも当たり前だよなぁ…)
改めて彼女には謝っておこうと思った。
余談だが謝罪後、逆に彼女から泣きながら謝られてしまった。
『××はずっと辛いのを我慢してるのに、逃げずに向き合って本当に偉いよ。××は強いよ』
『ごめんね。逃げてごめんね。…私、××の親友であり続けたい』
やっぱり優しい子だなぁ…って思った。
彼女という唯一無二の親友を失わずに済んで、本当に良かった。
自分がずっと押し殺していた苦痛を、孤独を、罪悪感を、劣等感を、後悔を、汚さを、恨みを、憎しみを、悲しさを、改めて見つめ返す。
そして潔ぎよくそれらの存在を認める。
今迄 "無かった事にしたもの" の存在も、全部。
現実を受け止めるのにはだいぶ時間が掛かった。
時には心理学や犯罪心理学など沢山の専門書を読んで勉強した。
結局高校生活の三年間はほとんどをそれに費やした。
でも得られる物もとても大きかった。
長年ずっと苦しめられていたフラッシュバックが……ほんの少しだけど頻度が減った。
映像や音が、少しだけ薄く小さなものになった。
初めて、良くなる兆しが見えた気がした。
そして少しずつ…やっと本心から笑える時間が増えて気持ちに余裕が出来てきたある日……気付いたのだ。
(憎い。憎い。…………でも、そもそも私も相手に理想を求めて押し付け過ぎたのかもしれない…)
ある意味悟りを開いた感覚だった。
よくヒステリーを起こしたり体調を崩すまで酒を飲んで現実逃避する母が。
多分、兄への罪の意識もあるけど元々精神が脆い面があるらしい私の母が、"普通の母親" になんて最初からなれるはずがない。
兄も同じ。
生まれ持ったものは基本的に治らない。
私なりに治療法も調べたけど現時点で特効薬なるものは存在しなくて、あるのはやたら抽象的で根本の問題を誤魔化しているとしか思えない説明文だけ。
ただそれ以前に、兄がそのような特性を持って生まれた事は兄の所為でも母の所為でもない。
だって "あんな" 母と兄であっても苦しみながら必死に生きているのをずっと見て来たから。
……大して役に立つ事も、力になる事も出来ず無力のままずっと私は二人を見て来たから。
私の事をそれなりには愛してくれているのも冷静に関わって行くうちに少しずつ気付いてしまったから。
だからあの二人の事は、結局最後まで嫌いになれなかったな…。
父は……恐らく臆病な人なんだろうな。
というか、自分にとって都合の悪い物は逃避する傾向があるのだろう。
現実を見ていないのだ。
それから私を襲ったロリコンクズ野郎。
あいつだけは絶対許さん。出来ればこの手で死ぬより辛い生き地獄を味合わせたかった。以上。
そして私は再び発見する。
(『ああしてほしい』『こうしてほしい』って勝手に期待して勝手に失望しているだけだったんだ。…こんなのただの無意味な独り相撲だ)
なら次は求めなければいい。
最初から何も期待しなければいい。
現状を打開するには相手に変化を求めるのではなく自分が変わるしかない。
だって生まれ育った環境は選べないし、変えられないのだから。
どうしたって過去は変えられないのだから。
それなら、ひたすら自分自身が変わって行くしかないのだ。
そのような考えに至ってからは今迄以上に、冷静に周囲を見渡して行動する事が出来るようになったと思う。
そして次第に友人達からの私への評価が変わっていった。
『なんか××雰囲気変わったね〜!』
『そぉ?』
『うんマジマジ! 元から大人びてたけど最近はよりクールって言うかなんか貫禄がある!!』
『え、貫禄? 老けたって事…?』
『合ってるけど違うよ〜! 褒めてんの!!』
『褒めてんのッ!!?』
精神的な不安定さが無くなってやっと落ち着き……同時にだいぶ冷めた性格になってしまった気がする。
でもまぁいいかと思った。
ずっと思い悩んで苦しみ続けるよりは遥かにマシだったから。
こうしてそんな私の姿を見た事によって、遠方に住む叔母から『母親殺し』だと、『実の母親よりも精神年齢が上回ってしまったのだ』と評されるのは結構すぐの話である。