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綸旨




永禄五年(1562年)三月上旬            山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 倉石長助




「三好勢は明日には摂津に向かいまする」

 棟梁の言葉に頭中将様が頷いた。

「三好筑前守、松永弾正、内藤備前守の三名より言伝【ことづて】を預かっておりまする。本来なら御挨拶に伺うところですが危急の時なれば御容赦願いたいとの事でございました」

「三好豊前守殿の事、心からお悔やみ申し上げる。それと皆様の御武運をお祈りしていると伝えて貰いたい」

 頭中将様の返事に棟梁が”はっ”と畏まった。


「松永弾正からは御一報、心から御礼申し上げまする。御蔭で遅れを取る事無く室町第を抑える事が出来ましたとの事にございます」

 頭中将様が首を横に振った。

「京を戦から守るための事、礼には及ばぬと伝えて貰いたい」

 棟梁が”はっ”とまた畏まった。

「某からも御礼申し上げまする。畠山の最初の使者の件ではお手数をお掛けしました」

 頭中将様が苦笑を浮かべた。


「それも京を戦から守るための事、礼には及ばぬ。……それより何故分かった?」

 今度は棟梁が苦笑を浮かべた。

「幕府では畠山からの最初の使者が届いていない。その使者が届いていれば兵を挙げられたかもしれぬ。何処に行ったのかと大分問題になっております。某も不思議に思いましたので調べさせて頂きました」

「そうか、幕府は気付いたかな?」

 棟梁が”いいえ”と笑いながら首を横に振った。


「ふむ、となると六角は幕府に伝えておらぬらしい。使者を始末するところを甲賀者に見られたのだが……」

「今更報せてもどうにもならないと思ったのかもしれませぬな」

 頭中将様が”そうでおじゃるの”と言って頷いた。

「ところで、先日話した米の件でおじゃるが」

「はい。近江、紀伊にて直ぐにも取りかかりまする」

「無茶はするな。全ての米を奪う必要はおじゃらぬ。不安を持たせるだけで良いのだ。向こうも罠をしかけてくるだろう。引っ掛かってはならぬ」

「はい」

 棟梁が頷く、頭中将様も頷いた。


「そろそろ失礼させて頂きまする」

「うむ、また会えるかな?」 

「そう願いたいもので」

「そうでおじゃるの。折角親しくなれたのじゃ。二度と会えぬというのは寂しい」

「真に」

 棟梁も頭中将様も声に笑みがある。悲壮さは何処にも無い。大した物だと思った。


 棟梁が去ると春齢様と桔梗の一党が代わりに入ってきた。最年少の七恵も入っている。桔梗の一党は二十五人、こちらは十人。合わせて三十五人。一人一人が名乗り自己紹介をした。

「飛鳥井基綱である。今日からは麿の命を主膳の命と心得よ。良いな」

 皆が畏まった。


「九兵衛、この者達に邸の全てを見せよ。武具、備え、隠し部屋の事もだ」

 流石にざわめきが起きた。桔梗の一党だけじゃ無い。俺達の方でも驚いている。全部見せる? 本気か?

「頭中将様、それは」

「いずれこの者達が敵になった時に困るか?」

 頭中将様の声に笑みがある。本気だと思った。


「此処を乗り切るのが先でおじゃろう。此処を乗り切らねば先の心配などしても無意味よ。そうではおじゃらぬかな」

「それは……」

 九兵衛殿が渋々頷いた。

「敵が邸の中に入ってくる可能性もある。こちらは女子供を入れても四十名に足らぬ人数だ。邸の中の仕掛け、備え、武具。全てを利用して戦わねばならぬ」

「はっ」

 九兵衛殿が畏まった。流石よ、思い切りが良いわ。


「そなた達の事は何と呼べば良いのだ?」

 仲間達が顔を見合わせた。

「我等の事は堀川党とお呼び頂きたく思いまする」

 佐多五郎が答えると頭中将様が頷いた。

「九兵衛、隠し部屋には堀川党も潜ませよ。それと麿の警護もして貰う。その方が差配致せ、良いな」

「はっ」

 九兵衛殿が畏まると頭中将様が立ち上がった。


「後は頼むぞ。春齢、参れ」

「はい」

 頭中将様と春齢様が立ち去った。それを頭を下げて見送る。頭を上げると自然と息を吐いていた。

「これから邸を案内する」

「良いのか?」

 佐多五郎が問うと九兵衛殿が一つ息を吐いた。

「頭中将様の御命令だ」

 シンとした。頭中将様の御命令。桔梗の一党が無条件に従う。その事に身が引き締まった。


「隠し部屋に我等を潜ませるとの事ですが」

 萩原次郎が問うと九兵衛殿が”うむ”と頷いた。

「頭中将様が来客と話している時に隠し部屋に潜んで貰う。相手が頭中将様を襲うような事があれば防ぐ。それ以外の時は黙って話を聞く。聞いた後は私に話して貰う」

 おいおい、良いのか。全てを曝け出すようなものだが……。案じていると九兵衛殿が”フッ”と笑った。何だ? 寒気がするぞ。


「喜ぶな、堀川党。我等はあの部屋を修行部屋と呼んでおる」

「修行部屋とは?」

 萩原三郎が声を上げた。

「あのお方の凄みに直に触れる事になる。驚かぬよう、声を出さぬように忍ぶのは至難の事だぞ。忍びとして基礎を鍛え直す事になる」

 シンとした。嘘じゃ無いと分かった。桔梗の一党は皆が奇妙な笑みを浮かべている。嗤っているのだ。秘密が分かると喜んでいた我等を嗤っている。もう一度鍛え直してこいと嗤っている。俺はその仕事は遠慮させて貰おう。野菜作りの方が良い。


「警護も手抜かり無くして貰う。あのお方は敵が多い。決して油断するな。これは堀川党だけでは無いぞ。桔梗の一党もだ」

 皆が頭を下げた。

「では案内する。付いてこい」

 九兵衛殿が立ち上がって歩き出す。その後に堀川党が続いた。


 堀川党には四つの部屋を与えられた。その内一つは倉、弓の女達に。もう一つは佐多五郎、江尻太郎、小暮治兵衛。もう一つは萩原次郎、萩原三郎。残りの一つは田坂平助、村山仙三、俺が使う事になった。邸を案内して貰った後、皆が佐多五郎達の部屋に集まった。「皆に言っておく。頭中将様の事が探れる、桔梗の一党の事が探れる等と思うな。心から頭中将様に仕えるんだ。九兵衛殿の差配に従え」

「五郎、それはあちらの心遣いに応えろという事か?」

 小暮治兵衛が問うと五郎が首を横に振った。


「そうではない。頭中将様の御命令。桔梗の一党はあのお方に無条件に従う。心服しているだけでは無いな。相当に畏怖の念が有ると俺は思う。詰まらぬ欲を持つな。あのお方に押し潰されるぞ」

 かもしれぬな。豊前守様は討ち死にした。三好は京を捨てる事になった。あのお方の読み通りだ。当代随一の軍略家か。怖いわ。五郎の声にも畏怖が有った。


「長助、あんたは頭中将様と親しいんでしょ。如何思うの?」

 問い掛けてきたのは弓だった。珍しく真顔だな。

「阿呆、俺などに計れるお方では無いわ。だがな、怖いぞ。あのお方、するりとこちらの心に入ってくるような所が有る。それに頼り甲斐が有るからな。気が付くと好きになっているんだ。五郎は畏怖が有ると言ったが俺も同感だ。だが畏怖だけじゃ無い。好きなんだと思う。だから心服しているのだろう」

 皆が頷いた。


「あんたも頭中将様が好きなの?」

 倉が悪戯な笑みを浮かべている。

「ああ、好きだな。俺に野菜を作らせてくれるし金払いも良い。それにあのお方は出会った時から俺を警戒する事が無いんだよな。忍びだと蔑む事も無い。だから俺もあのお方を警戒せずに済む。反発せずに済む。あのお方と会うのは不思議なんだが楽しいんだ。妙なお方だよ」

「あんたも妙な男だからウマが合うのかもね」

 皆が笑い出した。俺も笑った。そうなんだ、あのお方は妙なお方なんだ。でも好きなんだよ。




永禄五年(1562年)三月上旬            山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井基綱




「これからどうなりましょう?」

「さあ、どうなるか」

 頭弁が不安そうな表情をしている。溜息が出そうになって慌てて堪えた。平常心、平常心だ。蔵人所には他にも人が居るのだ。周囲を不安にさせるような行動をとってはいけない。

「大丈夫でおじゃります。三好は京から退去しました。京で戦が起きる事はおじゃりますまい」

 頭弁が頷いた。昨日もこの会話はした。でもそれは言ってはいけない事だ。


 三好勢が京を放棄してから三日、六角勢が入京した。六角勢は約二万。上御霊神社に陣を敷いている。なんでそんなところに陣を敷くかね。上御霊神社って応仁の乱のきっかけになった上御霊神社の戦いが有った場所なんだけど。嫌がらせだろうな。京を火の海にしたくなければ言う事を聞けって事だろう。おかげで肝の細い公家達が三人寄ると怯えた顔でこそこそ話している。まあ俺も春齢、寿達を養母の元に待避させているから余り他人の事は言えない。


 三好勢は義輝を連れて摂津に退いた。義輝は京から移動するのを嫌がったらしい。まあそうだよな。京に残って入京した六角勢と共に三好を討つ。そんな事を考えていたのだろう。でもね、それが許されるほど世の中甘くは無いのだよ。義輝と幕臣達、慶寿院は強制連行。側室の小侍従も連れて行かれた。小侍従は身重で無理は出来ない。小侍従を押さえられたのでは義輝は身動き出来ない。進士も。京を離れる前日、細川藤孝が俺を訪ねてきた。前途を悲観していたな。藤孝は兄の三淵大和守と色々話しているようだが大和守も相当に悲観しているらしい。


 毬は近衛に残った。義輝とは不仲だからな。人質の意味が無いと判断されたらしい。不思議なのは春日局も連行されなかった事だ。義輝の乳母だが進士一族とは距離が有る。その辺りを考慮したのかもしれない。だとすると三好一族は義輝の周辺でも進士に距離を取っている者は左程に危険視していないのだろう。妙なところでは政所執事の伊勢伊勢守も京に残っている。伊勢守は親三好だ。本当なら三好と行動を共にすべきなのに京に残った。あの老人にとっては幕府という機構を守る事が大事らしい。或る意味、義輝を傀儡扱いしていると言える。


 五畿内では米の値が暴落した。三好が負けるまでは結構高かったんだけどな。庶民も苦しんでいたんだけど三好が負けて京を放棄すると分かった途端に暴落した。葉月が米を買いまくっている筈だ。畠山、六角を兵糧で苦しめつつ三好に米を売って大儲けする。うん、これぞ死の商人だな。俺って本当に悪党だわ。でも京を守り生き残るためには仕方が無いんだ。心の痛みなんて無視だ、無視。


 二条、万里小路は多数派工作に余念が無い。御蔭で最近俺を妙な目で見る輩が増えた。もっとも露骨に敵対行為をする人間は居ない。だが安心は出来ない。皆、切っ掛けを待っているのだと思う。俺を蹴落とす切っ掛けを。養母の傍に居る梅、松からは新大典侍が上機嫌だと報告が入った。梅、松、貞には養母、寧仁様を必ず守れと命じた。こっちが有利になっても決して気を抜くなと。自暴自棄になった人間ほど怖い者は居ないからな。


「頭中将、頭弁殿」

 従兄の雅敦が顔を強張らせている。はてね、従兄は帝のところに行っていたのだが……。「如何なされました、従兄上」

「六角左京大夫、息子の右衛門督が参内した。いま、武家伝奏の広橋権大納言様が応対している。帝が頭中将、頭弁をと。急ぎ殿上の間へ」

 ありゃありゃ。頭弁も顔を強張らせている。平常心、平常心だ。


「分かりました。従兄上、お手数をお掛けしました。頭弁殿、参りましょう」

「そうでおじゃりますな」

 二人で帝の元に向かう。急ぐな。いつも通りに歩くんだ。一体何を要求してくるのか……。単純に京の治安はお任せ下さいなら良いんだが……。期待薄だな。帝の元に行くと公家達がぞろっと揃っていた。嫌な目を向けてくる者も居る。ホッとしたのは太閤も居た事だ。これで孤立はせずに済む。


「飛鳥井におじゃりまする」

「甘露寺におじゃりまする」

 俺と頭弁が帝に声を掛けると帝が頷いた。

「新蔵人から話は聞いたな?」

「六角左京大夫、右衛門督が参内した事。広橋権大納言様が応対している事は聞いておじゃります」

 また帝が頷いた。


「直に広橋が戻ろう」

「はっ」

 十を数える間も無く広橋権大納言が戻ってきた。拙いわ、権大納言の顔は血の気が引いている。余程の事を言われたな。改元かな。

「如何であった。六角は何と?」

 権大納言が御前に控えるのを待ちかねたように帝が問い掛けた。


「はっ、六角左京大夫は朝敵、三好修理大夫を討てとの御綸旨を頂きたいと申しておじゃりまする」

 ざわめきが起きた。御綸旨? 朝敵? とんでもない事を要求してきたな。拙いわ、帝も顔から血の気が引いている。


 綸旨、御綸旨というのは綸言の旨の略で元々は蔵人所が帝の意を受けて発給する文書だったが今現在は帝の口宣を元に蔵人が作成発給した奉書の事を言う。要するに六角左京大夫は三好修理大夫は朝敵だから討ち滅ぼせという帝の命令書が欲しいと言っているわけだ。しかしね、帝は三好修理大夫を武家の棟梁と認めている。義輝には武家の棟梁の資格は無いと認めていない。


 つまりだ、三好修理大夫を朝敵にするという事は武家の棟梁ではないと宣言する事になる。となると武家の棟梁は誰か? 征夷大将軍である義輝という事になる。六角は帝に三好修理大夫を武家の棟梁と認めたのは間違いでした、武家の棟梁は義輝ですと言わせたいのだ。綸旨の次は改元だろうな。永禄という修理大夫が作った元号を終わらせる事で三好の天下は終わったと宣言する。左京大夫だけの考えじゃ無い。間違いなく義輝、幕臣達が絡んでいる。三好修理大夫の武家の棟梁の正当性を潰す。そして三好を叩いて勢力を弱める。それが狙いだ。



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しかしね、帝は三好修理大夫を武家の棟梁と認めている。義輝には武家の棟梁の資格は無いと認めていない。 ここの描写がちょっとわかりづらい感じです。 義輝には武家の棟梁の資格は有ると認めていない。 でしょう…
無患之子さん 貫首で 「六角でございますか?」  頭中将様が頷いた。 「京で簡単に米が手に入らぬようにしたいのだ。米が無ければ動けぬ。これも兵糧攻めよ」 というやり取りがありましたので、桔梗屋に…
朝廷がコメ転がしするのは不味いからやってないのでは? 六角への敵対行為だし
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