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五年




永禄四年(1561年) 十一月下旬            山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井基綱




「新嘗祭も無事に終わりました。後は新年を迎える準備でおじゃりますな」

「その前に内侍所御神楽ないしどころのみかぐらがおじゃります」

「ああ、そうでしたな。でもあれは頭弁殿が」

「ええ、吉日を決めれば良いだけです」

 甘露寺右中弁と勧修寺左小弁が小声で話している。時折こちらをチラリと見るのは元日節会の事が頭に有るからだろう。今年も二百貫を献金したからな。それに宮中では年明けの除目で俺が正四位下に昇進するという噂が流れている。今従四位下だから従四位上を飛び越えての昇進だ。蔵人所には他にも大勢の人間がいるのだが皆こちらをチラリ、チラリと見る。


「頭中将様、御家来の方が番所に参っております」

 教えてくれたのは雑色ぞうしきだった。未だ若い男だが勿論俺より年上だ。”有り難うおじゃります”と丁寧に礼を言ってから外様の番所に向かった。急ぎたいんだけど走るわけには行かない。多少早歩きで移動する。番所で待っていたのは黒野小兵衛だった。うむ、重蔵に似ているな。俺の姿を見て頭を下げると近寄ってきた。


「如何した」

 小兵衛が手を差し出した。紙縒こよりが有る。それを受け取ると顔を寄せてきた。「始まりましてございます」

「……」

 囁くような小声だったがはっきりと聞こえた。小兵衛が俺を見て頷いた。

「御苦労でおじゃったな。気を付けて帰るが良い」

「はっ」

 小兵衛が一礼して去って行く。俺もゆっくりと戻った。周囲の目が有る。余り大した事では無いのだと思わさなければならない。途中で紙縒りを開く。紙縒りには将軍山城で三好と六角が激突したと書いてあった。多分畠山も兵を動かしただろう。そちらも激突している筈だ。


 大規模な威力偵察なら戦闘はそれほど長くは成らない筈だ。多分、夕方には兵を退くだろう。今夜中には重蔵、主膳が来る。そこで戦闘の推移を確認しなければ……。

「頭中将様、どちらにいらっしゃいましたの?」

 蔵人所の前で待っていたのは新大典侍だった。嫌味な目で俺を見ている。誰かが俺が外に出たとこの女に教えたらしい。頭弁万里小路輔房は非番だがそれ以外にも情報源は有るのだ、俺の行動は逐一監視しているのだとでも言いたいのだろう。そうする事で自分の勢威を示し俺を動き辛くさせようとしているのかもしれない。


「家人が訪ねてきましたので」

「まあ、お美しい奥様を迎えると大変ですわね。ほほほほほ」

 春齢の焼き餅で大変だろうと揶揄しているらしい。その情報は少し古いぞ。今の春齢は七恵に書や和歌を教えたり文を出したりと忙しいのだ。小雪に体術も教わっている。もっとも今は未だ基本的なストレッチが中心だが身体の彼方此方が痛いと悲鳴を上げている。でも楽しいらしい。寿にも会ったがどういうわけか俺の話題で盛り上がったようだ。ただ何を話したのかは教えてくれなかった。女は良く分からん。


「男女の仲というのは焼き餅を焼かれるうちが華でおじゃりますな。それに焼き餅を焼く妻というのも可愛いものでおじゃります」

 軽くいなしてやると面白く無さそうな表情をした。

「では失礼します」

 軽く頭を下げて蔵人所の内に入った。


 蔵人所に入ると右中弁が近寄ってきた。

「頭中将、内侍所御神楽でおじゃりますが」

「はい」

 なんで小声なんだろう?

「勾当内侍からどうなっているのかと問い合わせが」

 甘露寺右中弁が困ったような表情をしている。そうだよな、この件は頭弁が陰陽頭に吉日を問い合わせ、決まったら勾当内侍に伝える事になっているんだ。十月の半ばにそう決めたんだが……。未だ日が有ると後回しにして忘れたか。


「右中弁殿、お手数でおじゃりますが陰陽頭に内侍所御神楽を執り行う吉日を早急に選んで欲しいと伝えて下さい。頭弁からの依頼だと」

 俺も小声になった。頭弁の失態を公にはしたくない。万里小路を必要以上に刺激するべきじゃ無いからな。

「分かりました。陰陽頭からの報告は頭弁に?」

「ええ、そのように。この件、他に知る者は?」

 右中弁が首を横に振った。

「麿だけにおじゃります」

「では他言は無用に」

「はい、そのように」

 右中弁が軽く一礼して下がった。内心では呆れているだろうな。頭弁が忘れるのは一度や二度じゃ無いんだから。


 実をいうと頭弁の失態を公にしたくないという理由は他にも有る。来年正月の除目で頭弁は参議に昇進する話が出ている。つまり蔵人頭から外れる事になるのだ。まあ、頭弁になって二年経ったし参議に昇進するのはおかしな話じゃない。だが帝の本音はちょっと違う。実務能力の無い頭弁を参議に昇進させる事で蔵人頭から外したいのだ。そして蔵人達の多くは同じ理由から頭弁が参議に昇進する事を歓迎している。


 右中弁が内々に処理しようとしている俺に同調するのも公にしては昇進に差し障りが出かねないと思ったからだろう。右中弁は新年の除目で従四位下に昇進し左中弁、蔵人頭を兼任する予定になっている。つまり右中弁が頭弁になる。そして貫首は俺だ。本来なら頭弁が貫首なのだが特例で俺になる。それだけ来年は厄介な事になると帝は見ている。俺も同感だ。一々他人に気を遣っているような余裕は無くなると思う。だから辞退はしないし頭弁の失敗を内々に処理しようとしている。


 新大典侍、万里小路権大納言はその辺りの内状を薄々気付いているらしい。頭弁の参議への昇進を必ずしも喜んでいない節がある。頭弁でいた方が帝の傍に居るのだから何かと好都合だと思っているのだろう。だが頭弁を二年務めたのだから参議への昇進は順当と言って良い。あの二人も不当だと声を上げる事は出来ない。まあ、俺が貫首になる事には不当だと文句を言っている。貫首は頭弁が務めるのが慣例だからな。もっとも他の公家達からは非難の声は無い。今年も運上が入ったし二百貫の献金もある。それに俺の方が蔵人頭としては先任だし帝の娘婿で近衛の娘婿なのだ。已むを得ない、そんな感じだ。


 頭弁は参議昇進を大喜びだ。自分に事務処理能力が乏しい事を自認しているから大きな失敗をする前に頭弁を離れられてラッキーと思っているらしい。まあ来年参議で三年から四年で従三位になるだろう。そして順当に出世して権中納言、権大納言だ。


 関白殿下に寿との結婚の事を報せたら手放しで喜んでいる返事が来た。寿は以前から殿下に太閤殿下の容体を報せていたらしいのだがその際、俺への想いも伝えていたようだ。文には寿をよろしく頼むと書いてあった。勿論大事にするよ。それより問題なのは殿下が当分京に戻りそうに無い事だ。関東管領上杉政虎を見捨てる事は出来ないらしい。それどころじゃ無いんだけどな……。




永禄四年(1561年) 十一月下旬            山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 堀川国重




「ご存じかと思いますが畠山、六角が仕掛けてきました」

 私の言葉に頭中将様が頷いた。

「宮中にも激しい戦が起きたと報せが入った。もっとも報せは六角、三好の戦いの事でおじゃった。畠山の方は未だ入っていない」

「左様で」

 六角の方が京の周辺で戦っている。報せは直ぐに入ったのだろう。


「両軍が日を合わせて攻め寄せました」

 また頭中将様が頷いた。

「畠山も六角も訝しんで日を合わせて三好を試したという事でおじゃろう。六角との戦は三好が優勢だと聞いたが?」

「はい。神楽岡を占領されましたが松永弾正様、内藤備前守様が直ぐさま反撃し六角家の重臣永原越前守重隆を討ち取るほどの戦果を上げ浮き足だった六角勢を将軍地蔵山城へ押し返しました」

 頭中将様が”ふふふふ”と笑った。


「宮中でも流石は三好とその武勇を讃える声が上がっておじゃる。幕府では六角を頼りにならぬと嘆く声が上がったとか。まあ野良田の後でおじゃるからの。嘆く気持ちも分からぬでも無い」

「筑前守様が頭中将様に感謝しております。若狭を捨てた事で十分な体制で六角勢を待ち受ける事が出来たと。弾正様、備前守様も頭中将様に感謝しております」

 頭中将様が首を横に振った。


「問題は豊前守殿でおじゃろう」

「はい」

 口中が苦い。頭中将様も厳しい表情をしている。既に桔梗の一党から報告が入っているのだと思った。

「如何なのかな? 相当な被害が出たと聞いているが」

「はい。畠山勢の攻勢に上手く対応出来ず……」

 物頭、侍大将が何人も討ち死にしている。畠山勢が攻めてくると警告したのだが……。


「これまで小競り合いで大きな動きが無かった。油断したか……」

「かもしれませぬ」

 何処かで畠山を甘く見ていたのかもしれない。一昨年、畠山は良いところ無く三好に負けた。その事を言うと頭中将様が頷いた。問題はこれからだ。六角に勝ち畠山に負けた。この結果が何を齎すか……。


「明日になれば宮中にも畠山が優勢に戦を進めたと報せが入る。今頃幕府にも報せが入ろう。公方、幕臣達は大喜びでおじゃろうな」

「はい」

「これから暫くの間、畠山、六角は動くまい。三好側の動きを見守る筈。修理大夫殿は動けぬと以前聞いたが今も変わらぬのか?」

 頭中将様がこちらを気圧されるほどに強い視線で見ている。


「はい、残念ですが……」 

 頭中将様が息を吐いた。

「出来る事なら正月に前線を見回り皆の慰労ぐらいはして貰いたいのだが……」

「難しいかと思いまする。……敵は何時頃攻め寄せて来ましょうか?」

 頭中将様が”さて”と言って小首を傾げた。


「年の瀬から正月は修理大夫殿の動きを見守ると思う。しかし修理大夫殿に動きが無ければ病だと判断して戦の準備に取りかかろう。畠山、六角に動きが出るのは年が明け二月から三月、その頃でおじゃろうな」

 もしかすると畠山、六角がこれまで動かなかったのは正月を待っていたのかもしれない。そう思った。


「今度は本格的な攻勢になりましょう」

「そうでおじゃろうな。三好家にとっても正念場となる」

「……」

「問題は豊前守殿でおじゃろう。此度の敗戦で焦るようだと畠山に足を掬われかねぬ」

 頭中将様は憂鬱そうな表情をしている。このお方、豊前守様が敗れると見ているのかもしれぬ。豊前守様は百戦錬磨、まさかとは思うが……。


「修理大夫殿が動けぬ。筑前守殿は未だ若い。自分こそが等と気負うと危うい」

「……かもしれませぬ」

 まさかではないか。実際危ういのかもしれぬ。

「一色、浅井への働きかけは?」

「筑前守様が文を書き我らは六角は一色を助ける事は無いと噂を流しております」

 今のところ一色に目立った動きは無い。六角に対する不満が出始めているのは確かだが……。




永禄四年(1561年) 十一月下旬            山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱




「如何かな、主膳は?」

 問い掛けると重蔵が薄い笑みを頬に浮かべた。

「こちらが忍んでいる事に気付いておりませんでしたな。大分追い込まれているようで……」

「讃岐守殿を暗殺された事で負い目が有るのでおじゃろう」

「左様でございますな。それに修理大夫様の病も堪えておりましょう」

「そうでおじゃるの。……気鬱の病か」

 ”はい”と重蔵が頷いた。重蔵の表情に深刻さは無い。多分、修理大夫がこの病で死ぬとは思っていないのだろう。俺は心の病に詳しいわけじゃ無い。だがこの状況になっても気力が出ないとなれば相当に心が病んでいると判断せざるを得ない。修理大夫の心はボロボロなのだろう。となれば……。


「頭中将様、三好豊前守殿でございますが次の戦、負けるとお考えでございますか?」

 重蔵が俺をジッと見ている。

「そうだな、負けるだろう。豊前守殿は死ぬかもしれぬ」

「……」

「豊前守殿の下には四国の者達が多く居ると聞いている。勝っているならともかく膠着状態だ。長い帯陣に兵達は倦み疲れているのではないかと思う。此度の敗戦もそれが理由かもしれぬ」

 重蔵が”なるほど”と頷いた。正月も間近だ。埒のあかない戦など止めて早く四国に帰りたいと兵達が思ってもおかしくはない。 


「兵を鼓舞するには修理大夫殿が戦場に出るのが一番でおじゃるのだが……」

「……」

「重蔵、今も忍んでいる者が居るのか?」

「はい」

「外すように言ってくれ」

「はっ、聞いての通りだ。外せ」

 ”はっ”という声が壁の向こうから聞こえた。女だ、誰だろう? 小雪じゃないのは分かったが……。重蔵に手招きして傍に寄らせた。


「これから言う事、他言は無用だ。仲間内でも話す事は禁じる」

「はっ」

 重蔵が居ずまいを正した。余程の大事だと思ったのだろう。

「修理大夫殿の命、あと五年と持つまい」

「!」

 重蔵が目を見開いていた。


「ふふふふ、そんなに驚くな」

「はっ、しかし」

 あたふたしている。

「人間何時かは死ぬ。そうでおじゃろう?」

「はい」

「修理大夫殿はそれが五年以内という事だ。まあ、麿の見立てが誤っているという可能性もおじゃるが」

 重蔵は無言で俺を見ている。なんだかなあ、そうですね、ぐらい言っても良いのに。


「この事、知る者は?」

「麿とそなたと帝だ」

「!」

 重蔵が固まっている。

「修理大夫殿の寿命、天下の秘事だ。常に頭に入れておけ。それとこの事、決して漏らすな。寿命の事も知る者もだ。外に漏れれば三好の者達、必ず命を奪いに来よう。たとえ帝といえどもな」

「はっ」

 重蔵が畏まった。


「修理大夫殿が死ねば三好一族は公方を弑すだろう」

「それが五年以内……」

 呟くような口調だった。

「征夷大将軍を殺すのだ。三好一族はもう後には戻れぬ。邪魔だと思えば麿を殺す事も躊躇うまい」

「確かに」

「ここを凌いでも五年以内に今一度危機が来る。覚えておいてくれ」

「はっ」

 その時は京を離れる事になるだろうな。そして信長と共に上洛する。そういう形で京に戻る。だからこそここを凌がなければ……。


「それにしても、公方様も御運がございませぬな。五年待てば修理大夫様は亡くなられるというのに……」

 重蔵が冷笑を浮かべている。そうだな、運が無い。いや、運なのかな? どちらかと言えば選択ミスと統制力の弱さが義輝を追い詰めたように思える。義輝は三好の勢力範囲である京に居るのだ。本来なら三好と協力して幕府の権威を高めるべきだった。反三好の動きをするのなら京を離れ反三好の大名のところに行くべきだったのだ。


 だが義輝は京に居ながら三好を討ち破る事を望みその度に失敗した。三好側には義輝への不快感だけが募っただろう。そして今回は甲賀が十河讃岐守を毒殺した。義輝が命じた事ではない。甲賀の暴走だ。だがそれが通用するとはとても思えない。三好の義輝への不快感は憎悪へと変わっただろう。三好長慶が生きている間は抑えるだろうが死ねば抑える人間は居なくなる。憎悪は義輝へと叩き付けられるに違いない。


 義輝が馬鹿だとは思わない。だが判断が甘過ぎるし周囲が自分を如何見るかが分かっていないと思う。独り善がりなのだ。義輝にあるのは自分は征夷大将軍で有り三好から実権を取り戻し幕府の権威を立て直すという事だけだ。征夷大将軍として当然の権利だと思っているだろう。自分は正しい事をしていると思っているに違いない。だから三好が如何思うかという視点を持てない。


 周囲に配慮出来ない、関心を持てないと言うのは傲慢でしかない。そして傲慢というのは政治的には馬鹿という事だ。なぜなら皆から嫌われ人が付いて来ないからだ。人を纏める力、それこそが上に立つには必要とされる力なのだが義輝にはそれが無い。史実通り、最後は悲惨な事になるだろうな。




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― 新着の感想 ―
別に重蔵に知らせる必要はありません、 要するに「王様の耳はロバの耳」だと思います、 基綱君のストレスもかなりやばいかも。
毎年恒例で年末年始あたりにまとめて更新あるんだが今年はないのかなあ 待ってる
公家でも幕府に組する連中は朝廷、三好家が幕臣として厳しく扱わないと不公平。 基綱なんか幕府、三好の両者から睨まれて常に討たれそうなのに不公平。
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