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血脈




永禄四年(1561年) 九月下旬            山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱




 主殺しなど有ってはならぬ事か……。大分意気込んでいるな。若いねえ。いや、今は俺の方が若いのか。ちょっと可笑しかった。坊や、世の中そんなに真っ直ぐでもなけりゃ綺麗でも無いよ。乱世なんだぜ。分かってるだろ?

「なるほど、主を持つ身としては当然の事でおじゃりましょうな。ところで六角家は三好家と戦をしておじゃりますが、公方が殺されましたかな?」

「……」

「三好家が公方に対して謀叛を起こしましたかな。一時は御成が有るほどに親密な間柄でおじゃりました。半年ほど前の事でおじゃりましたな」

 あらあら、憮然とちゃって。まあ、そうだよな。あれは三好を挑発するための策だったんだから。


「この京は三好家の支配下におじゃります。言ってみれば公方は三好家の庇護下に有ると言って良い。三好家を怒らせれば殺される事も有り得る」

「それは」

 新左衛門が声を上げたから手を上げて押し止めた。逸るなよ、坊や。

「そう、殺せば厄介な事になりますからな。皆が三好家を謀叛人と責め戦になりましょう。しかし生かしておいても戦になっておじゃります。しかも公方が嗾けている。はて、生かしておく意味がおじゃりますかな?」

「……」

 新左衛門がこちらを睨んでいる。


「公方は畠山、六角が兵を挙げた事で喜んでいるかもしれませぬ。しかし麿にはとても喜べる状況に有るとは思えませぬな。自分で自分の首を絞めているようなものでおじゃりましょう。危うい危うい」

 新左衛門が目を伏せた。漸く分かったか。お前達は義輝と一緒になってその首を絞めているという事が。征夷大将軍は絶対不可侵の存在じゃ無い。その事は六代将軍足利義教が示している。義教は赤松満祐に殺されたのだ。


「公方様は危ういと?」

「産まれてくる子は男子であって欲しいものでおじゃりますな」

 新左衛門が顔を引き攣らせている。

「……公方様の身代わりでございますか。なんという事を……」

 喘ぐような口調だった。非難するような視線で俺を見ている。何で俺を責めるんだ。十河讃岐守を毒殺して戦をしかけて殺し合いをしているのはお前達だろう。俺じゃ無いぞ。教えてやろうか。


「讃岐守殿を毒殺した事を忘れましたかな?」

「……あれは」

「間違いだから許せと? それで済むとお考えかな? 三好が納得すると」

 新左衛門が力無く首を横に振った。そうだ、三好は必ず報復する。狙われるのは義輝自身か、義輝にとって最も大事な者だ。俺はそれを言ったに過ぎない。

 

「公方を弑すわけではないから謀叛人、主殺しと責められるわけではない。それに赤子が成長する事無く死ぬのは珍しくも無い」

 三好からみれば警告だ。これで反省すれば義輝は長生き出来る。まあ史実では反省しなかったみたいだが。

「三好は公方様の血を絶つとお考えでございますか?」

「……さて」

 ちょっと意表を突かれたな。


 義輝を殺すのではなく義輝の子を殺す事で義輝の血統を絶つか。三好が義輝にうんざりしているのは事実だろう。主殺しが危険だと見ているのも間違いない。そして義輝との関係改善は不可能とも見ている筈だ。となれば有り得ないとは言えないだろう。史実では義輝を殺したが殺さずに血脈を絶つ歴史もあるかもしれない。

「なるほど、有り得ますか」

 新左衛門が頷いている。

「三好修理大夫殿が健在の間は陰惨な事にはなりますまい。あの御仁は自分に自信がある。但し、その後は分かりませぬ」

 新左衛門が頷いた。


「三好筑前守殿は中々の人物と聞いておりますが」

「そうですな、中々の人物だと麿も思います。しかし家を継ぐというのは簡単な事ではおじゃりませぬ。特に大きい家ほど家臣も多く負担は大きい」

 新左衛門が”左様ですな”と頷いた。

「その辺りは六角家も同じでおじゃりましょう。六角家は二代に亘って人を得た。それ故大きく勢威を延ばした。しかし次はどうでおじゃりましょうな」

 新左衛門が無表情を装っている。本当は顔を顰めたいだろうな。もう一押ししてやろうか。なんか、いじめっ子になった気分だな。


「六角家は三好家と共に畿内を安定させてきました。しかし六角家が揺らぐようだと畿内の安定も揺らぎましょうな」

 今度は露骨に顔を顰めた。右衛門督の器量に期待出来ないのだろう。嫌な事を言うと思ったのかもしれない。しかしね、こいつは事実だ。史実の永禄の変は六角が観音寺騒動で弱体化していたから起きたと言って良い。強い六角が健在なら三好も躊躇った筈だ。実際永禄の変の後、三好を武力によって制裁しようとした勢力は無いのだ。待てよ?

 

「朽木を動かすために麿を探る。右衛門督殿の御発案かな?」

 新左衛門が首を横に振った。

「そうではありませぬ。我らに命を下せるのは御屋形様だけにございます」

 なるほど、右衛門督の影響力は甲賀には及ばないか。あの男、大分俺に対して面白くない感情を持っているらしい。本当なら良い報せだな。


 しかしなあ。朽木を京に入れるという案、幕府だけじゃ無い、六角も執心している。三好が敗れ京を放棄するようだとまた騒ぎ出すだろうな。頭が痛いわ。




永禄四年(1561年) 十月上旬            山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 正親町天皇




「大分激しい戦だったそうでおじゃりますなあ」

「兵が大勢死んだと聞きました。武田が四千、上杉が三千とか」

 ざわめきが起きた。損害の多さに驚いたのだろう。

「関東管領は自ら斬り込んで武田大膳大夫と一騎打ちをしたと聞いておじゃります。大膳大夫は負傷したそうでおじゃりますな」

「恐ろしい事でおじゃります。武家というのは容赦が無い」

 権中納言勧修寺晴右、権大納言三条西実枝、権大納言中院通為、権大納言烏丸光康が恐る恐る話している。遅いと思った。今はもう十月の初め。戦があったのは九月の半ばだ。頭中将が私に戦の結果を報告したのは戦の直後であった。早いわ、公家達よりも半月も早い。


 頭中将には手足、耳目と成って動く者達が居る。その正体は分からない。目々も知らなかった。或いは朽木の者達かもしれない。

「武田が健在では関東制覇はなりますまい」

「公方は関東の兵は使えぬのかと泣いたそうでおじゃりますな」

「三月の御成では関東制覇は成ったも同然と喜んでおじゃりましたが……」

「ほほほほほほ、頭中将に窘められておじゃりました」

「左様、左様、関東制覇が成らぬうちからそのように喜んでは頼りないと誹られると。ほほほほほ」

「その通りに成りましたなあ」

 シンとした。公方が泣いていると話していた時は蔑む口調だった。笑い声も有った。だが今では口を閉じ顔を見合わせている。関東遠征、信濃での上杉、武田の戦い。どちらも頭中将の予想通りに成った。その事に畏怖を感じているのだろう。頭中将は武田の目は徐々に南に向かうと言っていたが……。 


「武家の血でおじゃりますかなあ」

「かもしれませぬなあ」

 勧修寺権中納言、三条西権大納言の言葉に皆が頷いた。  

「当代随一の軍略家、惜しい事でおじゃりますな。武家ならばあっという間に天下に名を轟かせたでしょうに」

「真、惜しい事でおじゃりますな」

 駄目だな。此処に居る者達は戦の結果に一喜一憂するだけだ。頼りにならぬ。


「関白殿下はどうなされるのでおじゃりましょうな」

「左様、何時までも関東に居られては困ります。そろそろお戻り頂かなくては」

「さあ、簡単には戻れぬのではおじゃりませぬか。室町第では関東制覇が成らなかったのは殿下のお力が足りなかったからだという声があるのだとか」

 ”なんと”、”それは”と声が上がった。


「元はと言えば幕府の力不足、公方の力不足が原因でおじゃりましょう。本来なら殿下を労うべきではおじゃりませぬか。それを殿下に責任を擦り付けるとは……。ましてや殿下は公家でおじゃりますぞ」

「都合の悪い事は皆他人の所為にするのでおじゃりましょう」

「それでは怖くて頼れませぬな」

 ”真に”、”その通りでおじゃりますな”と同意する声が上がった。その通りだ。頼れぬ。此度も一つ間違えば京が焼け野原になりかねぬ戦を嗾けている。武家の棟梁としての自覚など何所にも無い。


「畠山、六角も公方が嗾けておじゃります。あの御成はなんだったのか……」

「三好を油断させるためだったのではおじゃりませぬか。まあ麿等は料理に能と楽しませて貰いましたが」

 ”ほほほほほほ”、”はははははは”と笑い声が上がった。

「三好修理大夫も怒っておじゃりましょう。信用出来ぬと」

「修理大夫よりも筑前守の方が怒っておじゃりましょう。公方をもてなしたのは筑前守です」

「困ったものでおじゃりますな」

 この者達は十河讃岐守が毒殺された事を知らぬ。それを知れば何と言うだろう……。


「戦も二月になりましょう。一体どうなるのか……」

 勧修寺権中納言、三条西権大納言、中院権大納言、烏丸権大納言が私を見ている。頭中将から私が何かを聞いていると思ったのだろう。

「地力では三好が上だと頭中将が言っていたが……、早く終わって欲しいものだ」

 私の言葉に皆が曖昧に頷いた。修理大夫が病、三好は大敗する可能性がある。そう言えばこの者達は慌てふためくだろう。そしてその時には二条、万里小路、幕臣達が近衛を追い落とし飛鳥井を蹴落とそうとする……。何とかそれは防がねばならぬ……。




永禄四年(1561年) 十月上旬            山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 勾当内侍




「運上は如何でございましょう」

 問い掛けると頭中将様が一つ息を吐きました。

「桔梗屋に聞いたのですが物は良いようでおじゃります。しかし去年ほど売れるかどうかは分からぬとの事でおじゃりました」

「戦の所為でございますか?」

「ええ、畠山と六角。二方向に敵を抱えておじゃります。それに三好が優位に戦を進めているわけでもおじゃりませぬ。民は買うのを控えるかもしれませぬ」

「左様でございますか。困った事でございますね」

 私の言葉に頭中将が”はい”と頷いた。運上の御陰で今年は随分と楽だった。これまでのように銭が無いと頭を抱える事は無かった。銭が有るというのは本当に有り難い。帝も折に触れその事を言う。


「畠山、六角、織田からの献金は全て非常時用の蓄えに加えました。これで非常時用の蓄えは五百貫になります」

 頭中将様が一つ息を吐きました。

「未だ未だ足りませぬ。常時三千貫程有るようになればと思います」

「三千貫……」

 私が唖然としていると頭中将様が頷いた。


「はい。内裏の修理や急な行事には大きな費えが掛かります。そうではおじゃりませぬか?」

 行事……。はっきりとは言わないが御大葬、御大典の事を言っているのだと思った。

「それはそうですが三千貫ともなれば……」

「ええ、毎年三千貫程の収入が必要でおじゃりましょう。今の運上の他に二千貫が必要となります。その二千貫を費えとし運上の一千貫を蓄えに回す。そうなれば随分と楽になると思うのでおじゃりますが……」

 三千貫の収入。確かにそれが有れば……。費えに二千貫を使えればどれ程楽か……。溜息が出そうになった。


「そのような事、可能でしょうか?」

「運上で得た銭を元手に交易で稼ぐしかおじゃりますまい」

「交易……」

 思わず呟くと頭中将様が”そうです”と頷いた。

「商人に話を付けて銭を渡すのです。その銭で交易をして貰い得た利益の幾ばくかを貰う。それを繰り返し徐々に元手を増やしていく。そうなれば利益も大きくなりましょう」

「左様でございますね。ですが反対する者も多いと思いますが」

 頭中将様が”ええ”と頷いた。


「それに常に儲かるとは限りませぬ。それを考えれば朝廷が行うのでは無く麿が自分の銭で行い利益を献上する形を取らざるを得ないと思います」

「……桔梗屋でございますね?」

 問い掛けると頭中将様が苦笑を漏らした。

「桔梗屋にも頼みますが他の商人にも頼もうと思います。分散した方が大損をしないと思うのです」

 なるほどと思った。一人が損をしても他の者が利益を出してくれれば良い。そう考えているのだろう。


「時が掛かるのではありませぬか?」

「掛かると思います。それでもやらなければ朝廷は常に貧に喘ぎましょう」

「御苦労をお掛けします」

 頭を下げて労うとまた頭中将様が苦笑を漏らした。

「麿も利益を得るのです。多少の苦労は已むを得ませぬ。何と言ってもやんごとない所から妻を二人も迎えてしまいましたからな。妻達にひもじい思いをさせるわけには行きませぬ。ここは麿も男の甲斐性を見せなければ」

「まあ」

 私が声を上げると頭中将様が”はははははは”と笑い声を上げた。私も声を上げて笑った。良い男振りだと思う。女達が夢中になるのも無理は無い。私だって惹かれているのが分かる。春齢様、寿様が妬ましいのだ。


「精々お気張りなされませ」

「はい」

 また二人で笑った。何をするにも銭が要る。でも朝廷は困窮し十分な銭が無い。そして公家達にも銭を稼ぐ力は無い。今朝廷を銭で支えているのは目の前の頭中将様なのだ。それなのに……。頭中将様を商人のような、銭に卑しいと誹る声が有る……。


「それとご用心を」

「……」

「万里小路では有りませぬよ。二条様です。妙な動きをなされています。西園寺左府、花山院右府に頻りに声を掛けているようです」

 私の忠告に頭中将様が頷いた。

「有り難うございまする。気を付けましょう」

 驚いてはいない。知っていたのだと思った。二条様の狙いは関白殿下を追い落とし自らが関白に就任する事。そのためには頭中将様が邪魔なのだ。万里小路と手を組んで頭中将様を追い落とそうとしている。太閤殿下のお身体も万全ではない。今が狙い目だと思っているのだろう。西園寺左府、花山院右府、今のところ二条様に靡く様子は無い。しかし……。


「先日頂いた南瓜と唐辛子ですが美味しく頂きました。帝もお喜びでした。南瓜が甘い、漬物で食が進むと」

「左様でおじゃりますか」

「ええ、異国の野菜と聞きましたが?」

 問い掛けると頭中将様が”はい”と頷いた。

「九州の大友から種を貰いました。麿の邸で育てたのですが余り手は掛からぬようでおじゃりますな。この日本でも広めたいと思います」

「楽しみでございますね」

「はい」

 笑顔で頷く頭中将様を見ながら思った。この方が現れてから朝廷は少しずつ変わってきている。五年後、十年後はどうなるのだろう……。







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[一言] 愛人の座また空いてるよ、早い者勝ちだ
[良い点] バグで更新に気づかなかった!再開だー! [気になる点] 縦書きにして楽しんでいるのですが、 呟きで使ってる「゛」がおそらくダブルカンマではなく濁点になっているので、キャラクターがいきなり薩…
[気になる点] ……まさかな……まだ奈津が勝てに何かするんじゃないよな……?
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