表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/100

甲賀




永禄四年(1561年) 九月下旬            山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱




 目の前に刀を二振り置いた。

「兄様、それ、お祝いの刀?」

「うむ、短いのは松永弾正殿、長いのは織田殿からの祝いの品だ」

 息を堪え短い方の刀を抜いた。優しいな、と思った。これで見るのは三度目だが見る度に優しいと思う。でも重ねが厚い。つまり刀身の幅が有るんだ。実戦には十分耐えられるだろう。長さは二尺。割と短めだ。そして腰に踏ん張りが有る。抜き易いかもしれんが手元に重心が有るから振った時にぶれるかもしれん。まあ、短いから大丈夫かな? 刀を収め静かに息を吐いた。


「綺麗ね。良い刀なの?」

「うむ、千手院長吉の刀らしい。大和の刀鍛冶だ。名工らしいな」

 千手院長吉は大和伝の刀鍛冶でも千手院派と呼ばれる一派の刀工らしい。弾正は大和を治めているから比較的入手し易かっただろう。千手院長吉を置くともう一振りの刀を取った。息を堪えて抜く。この刀も腰ぞりが強く踏ん張りが有る。そして身幅が広い。何というか堂々としていて豪快な感じがする。二尺一寸と短めだがこれも扱いには気を付ける必要がある。


 刀を収めて静かに息を吐いた。

「なんか、堂々としているわね。千手院長吉の刀とは違うわ」

 時々俺が手入れをしているのを見ているからかな。違いが分かるらしい。

「誰の刀なの?」

「綾小路定利、この京の刀鍛冶だ」

「え、じゃあ会えるの?」

 思わず吹き出しそうになった。


「ずっと昔の刀鍛冶だ。綾小路に住んでいたと聞く」

「そう」

 詰まらなさそうだな。

「刀に興味がおじゃるのかな?」

「そういうわけじゃないけど……。でもどんな風に作るのかなって思ったの」

「大変らしいぞ」

「そうよね」

 刀を持って立ち上がると壁掛けの刀掛台に刀を置いた。この刀掛台には道誉一文字、粟田口国綱も掛かっている。国安と平安城長吉はこれとは別の床に置く刀掛台に置いてある。

「ねえ、近衛の寿姫から文が来たの」

 思わず表情が動きそうになったが堪えた。出来るだけ平静に席に戻る。

「何と書いて有ったのかな?」

「御不快だと思うけど許して欲しいって。それと兄様を私と一緒に支えて行きたいって書いてあった」

「……そうか」

 気にしていたからな。もしかすると俺のためかな。


「ねえ、それだけ?」

「ん?」

 春齢が俺を見ている。

「そうかって、それだけなの?」

「文を貰ったのはそなたでおじゃろう」

 春齢が”そうだけど”と不満そうな表情で言った。溜息が出そうになって慌てて堪えた。

「麿は文を書けなどと強要はしておじゃらぬ。寿が自分の思いをそなたに伝えたい。そう思ったのでおじゃろう」

「……うん」

 如何扱って良いのか分からないのかな?

「返事を書いては如何かな?」

「何て書くの?」

 春齢が困惑を浮かべている。

「思った事を書けば良い」

「……うん」

 春齢は俯いて考えている。女房同士で手紙の遣り取りっていうのはおかしいのかな? 良く分からんわ。春齢はアドバイスが欲しいのかもしれないが俺には無理だ。悪いが手に余る。


「頭中将様」

 廊下から九兵衛の声が聞こえた。押し殺した声だ。何かあったのだと思った。

「如何した?」

「頭中将様にお会いしたいという客が」

「何者か?」

「六角家家臣、三雲新左衛門と名乗っております」

「そうか……。客間に通してくれ」

 ”はっ”と言う声がして九兵衛が去った。三雲か……。


「兄様、三雲新左衛門って何者? 六角の家臣って……」

 春齢が不安そうな表情をしている。このごろこういう表情をする事が多くなった。胸が痛む。

「甲賀だ」

「甲賀?」

 春齢の声が一オクターブ上がった。


「六角家の重臣、六人衆の一人に三雲対馬守という人物がいる。甲賀の実力者だがその身内、親族でおじゃろうな」

「大丈夫なの?」

「それをこれから探る」

 訪ねて来いと言ったが本当に来た。これで甲賀が何故俺を探るのか、多少なりとも分かるだろう。さて、行くか。

 



永禄四年(1561年) 九月下旬            山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱




 客間に行くと直ぐに九兵衛が三雲新左衛門を連れてきた。若い男だ。年の頃は二十代後半といったところだろう。背はそれほど高くないががっちりとした身体をしている。鍛えているのだと思った。細面だが鋭さは感じない。目が大きく視線が柔らかい所為だろう。良い顔だ。相手の警戒心を弛ませるに違いない。気を付けないと……。新左衛門が座ると九兵衛が部屋の隅の方に控えた。


「頭中将様にはお初にお目に掛かりまする。六角家家臣、三雲新左衛門賢持にございまする」

 ふむ、賢持の賢は六角義賢の賢だろう。となると新左衛門は対馬守の息子かな。

「ようこそ、新左衛門殿。歓迎致しまするぞ」

 新左衛門がニコリと笑った。良い笑顔をするじゃないか。

「有り難うございまする。先日は我が手の者が御無礼を致しました。お許し頂きとうございまする」

「ほほほほほほ、これからは忍ぶよりも正面から訪ねてきて欲しいものでおじゃりますな」

「お訪ねする事、お許し頂けましょうか?」

「歓迎致しますぞ」

 新左衛門が”有り難うございまする”と頭を下げた。


「新左衛門殿は三雲対馬守殿の御子息かな?」

「はい、嫡男にございまする」

「ほう、左様でおじゃりますか」

 やはり息子か。となると此処に来たのは父親の命を受けての事だろうな。六角勢は今将軍山城とその付近に二万の兵を展開している。三雲対馬守もそこに居る筈だ。新左衛門は戦には加わらず情報収集を命じられたのだろう。


「失礼致しまする」

 声と共に小雪が入ってきた。茶を新左衛門、俺、九兵衛の前に置いた。そして一礼して去って行った。一口飲んだ。新左衛門も茶を飲んでいる。ふむ、構えるところは無い。それなりに腹は据わっているようだ。

「対馬守殿は将軍山城でおじゃりますかな?」

「いえ、父は城では無く主左京大夫と共に城の近くに居りまする」

「なるほど。戦が始まってもう二月になります。この暑い時期に戦とは大変でおじゃりますな。蚊も居るでしょうし」

「はい」

 新左衛門が渋い表情をしている。夏場の戦を経験しているのだろう。山城の近くだ。蚊が居れば蛙が居るし蛙が居れば蛇も居るだろう。この時代はムヒも無ければキンカンも無い。楽じゃ無い筈だ。……そうか、浅井との野良田の戦いも夏だった。それに加わったのかもしれん。顔を顰めたのは負け戦だったからかな。そろそろ本題に入るか。


「ところで何故麿を探るのかな? 麿は公家、探る事に意味があるとは思えぬが……」

「そのような事はございませぬ。頭中将様は当代随一の軍略家。その動向は無視出来ませぬ」

 ”ほほほほほほ”と敢えて笑った。

「評判だけでおじゃります。実を備えておじゃりませぬ」

 これは本当。当代随一の軍略家って買い被り過ぎだよ。知ってる事を喋っただけだ。


「左様でしょうか? 美濃では大層な評判でございますぞ」

「美濃?」

 妙なところで評判になっているな。訝しんでいると新佐衛門が”はい”と頷いた。

「桶狭間での織田の勝利、頭中将様の軍略ではございませぬか。織田弾正忠様は評定らしい評定を一度も開かなかったと聞きました」

「……」

 なるほど、美濃の連中は信長の実力を認めたくないのかもしれない。それで俺に目を付けたか。


「そして頭中将様が尾張をお訪ねするとお二人で熱心に話し合っていたと評判でございます」

「ほほほほほ。織田殿が評定を開かなかったのは今川に通じている者が居るかもしれぬと危惧したからでおじゃりましょう。麿は関係ありませぬぞ」

 嘘じゃ無いぞ。あの時点で軍議など開けば今川に筒抜けだ。桶狭間の奇襲は成功しなかっただろう。


「川中島での上杉、武田の戦いも引き分けに終わりました。関東制覇成らず、これも頭中将様の見通しの通りにございます」

「……室町第では公方が随分と嘆いたと聞きました。関東の兵は頼れぬのかと」

「そのようでございますな」

 新左衛門の顔から表情が消えた。面白くないのだろう。重蔵からの報せでは義輝は関東の兵は頼れぬのかと泣いたらしい。周囲が畠山、六角が居ると慰めたが義輝は自分は関東の兵で三好を討ち破りたいのだと言ったと聞く。その辺り、新左衛門も聞いているのだろうな。


 まあ畠山も六角も結構義輝を無視した。義輝から信用出来ない連中だと思われても仕方が無い部分はある。しかしなあ……。

「困ったものでおじゃりますな。今畠山、六角が三好と戦っているというのに……。それを踏み付けにするような事を言う。無邪気と言えば聞こえは良いが武家の棟梁として人の上に立つには些か……」

 新佐衛門は無言だ。偉いぞ、同意すれば義輝を誹謗する事になるからな。だが表情は面白く無さそうだ。


「感情を露わにし過ぎる。人に対する好悪が激しいようでおじゃりますな」

「……」

 新左衛門が視線を逸らしている。義輝に対して懸念が有るのだ。関東の兵を使いたい。では畠山、六角の兵は何なのか? そんな疑問が生じたのに違いない。三好の戦力を磨り潰すために利用しているとも取れるのだ。なるほど、畠山も六角も三好と対峙してから結構月日が経つのに大きな動きが無い。もしかすると両者とも上杉、武田の戦いを注視していたのかもしれない。上杉が勝つなら上杉の上洛を待って総攻撃、そういう手も有る。今無理をする必要は無い。磨り潰されて堪るか。そう考えた可能性は有るな。


「まあ、関東制覇が失敗した以上、公方も畠山、六角の兵を頼らざるを得ますまい。良かったですな」

「はい」 

 頷いたが新左衛門は浮かない表情だ。まだ若いな。

「三好も十河讃岐守殿を失った所為か動きが今一つ鈍い。そうではおじゃりませぬか」

「はい」

「上手くやりましたな」

 ”ふふふ”と笑うと新左衛門が顔を強張らせた。


「なにを、でございましょう」

「讃岐守殿毒殺」

「……」

「隠す事はおじゃりますまい。三好は知っておじゃりますぞ」

 新左衛門が動揺を見せた。どうやら三好が知らないと思っていたらしい。まあ、三好は病死と公表したからな。騙されたと気付いたわけだ。

 



永禄四年(1561年) 九月下旬            山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 三雲賢持




 三好は知っていた? 頭中将様がこちらを面白そうに見ている。落ち着け。落ち着くのだ。

「どこからそれを?」

「三好の者が教えてくれましたぞ、毒殺だと」

「左様でございますか」

 間違いない、三好は知っているのだと思った。そして三好と頭中将様の間には強い繋がりが有る。そうで無ければ世間には秘している毒殺の事を教える筈が無い。


「殺すつもりは無かったのです。身体を不調にさせ動けなくすれば良い、それが狙いだったのですが……」

「ほう、毒が効き過ぎましたか」

「はい」

 本当は違う。奈津が勝手に毒の量を増やした。奈津は讃岐守を殺すつもりは無かった、今少し身体を弱めておこうとしたのだと言っているが動けなくすれば良いという指示を手緩いと思ったのかも知れぬ。昔から勝手に動く癖があるからな。三好が病死と公表したから気付いていないのかと訝しんだがやはり気付いていたか……。となると……。


「幕臣達は気付いておらぬのですな」

 問い掛けると頭中将様が頷いた。

「小侍従殿が懐妊しました。美作守殿は随分と喜んでおじゃるようですな。関白殿下を頼り無しと頻りに貶していると聞きました。男子が産まれれば次の将軍にと思っているのでおじゃりましょう」

 そうだな。三好が毒殺の件を知っている、それを知っていればとても喜べまい。男子誕生も望まぬ筈だ。産まれた赤子が男子なら間違いなく殺されよう。それでも三好が殺したとは騒げまいな。下手に騒げば讃岐守毒殺にまで飛び火しかねぬ。藪蛇だ。


「朽木家は? 知っているのでございますか」

 問い掛けると頭中将様が無言で頷いた。なるほど、では朽木は動かぬか。思わず溜息が出た。

「なるほど、麿を探ったのは朽木を動かそうと考えての事でおじゃりますか。麿の弱味を握ろうと考えたのでおじゃりますな」

 頭中将様が冷たい目でこちらを見ている。拙いな、怒ったか……。


「弱味を握ろうと考えたのではございませぬ。何か取引は出来ないかと考えたのです。それで失礼ですが探らせて頂きました」

「……」

「三好も畠山、六角を相手に余裕がありませぬ。今ここで京に朽木の兵を入れれば……。公方様も兵を挙げましょう。三好は混乱する。こちらが優位に立てる。そう思ったのです」

「無駄でおじゃりましょうな」

 そう、無駄だ。朽木は動かない。京に兵を出せば三好に潰される。朽木はそう懸念しているらしいが実際に潰されるだろう。そうなれば永田達もあっという間に潰されるに違いない。高島郡にまで三好の勢力が伸びる事になる。それはこちらも望むところではない。


 朽木は公方様を匿えないと言ったらしいがこれも已むを得ぬ。今後は六角家に逃げて頂く事になろう。今一つ大事な事を伺わねば……。

「三好が公方様を攻めるという事が有りましょうか? 朽木家はそれを危惧していると聞きました。それは頭中将様御自身のお考えでは有りませぬか?」

 頭中将様が口元に笑みを浮かべた。冷たい笑みだ。


「三好家が公方を弑したならば六角家は如何しますかな?」

「断じて許せませぬ。主殺しなど有ってはならぬ事にございます。六角家は兵を挙げてそれを正しましょう。赤松と同じ事にございます」

 ここははっきりと言わねばならぬ。公方様に対して不満が無いとは言わぬ。だが主殺しを許しては益々天下は乱れよう。それは防がねばならぬのだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] またお前か奈津
[一言] 奈津w ここでもやらかしていたか! 本編も外伝もちょい役なのに人気投票とかやったら、ワンチャありそうなタイプだなw
[良い点] 更新ありがとうございます。 [一言] 蚊が居れば蛙が居るし蛙が居れば蛇も居る そういえばこの時代ならニホンオオカミとかもまだいるんですね。何とか絶滅しないで欲しいものですが。 唐辛子は畑の…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ