乱世を翔る
永禄四年(1561年) 九月上旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱
前列に男が五人、後列に女が三人座っている。重蔵に頼んでいた鞍馬忍者がやってきた。一安心だな。養母と寧仁様が居るからな。備えは固めておかなくては……。
「佐山源三昭文にございまする」
でかい男が頭を下げた。他の男達よりも頭半分くらいでかい。胸板も厚そうだ。こいつは強いと確信した。
「柳井五郎正義にございまする」
こいつは結構イケメンだな。得意技は女を誑かして情報を得る事かもしれない。
「香川助八長信にございまする」
愛想は良いが目が笑っていない所が忍びらしくて良いわ。笑顔で人を殺しそうだ。
「黒野小兵衛影昌にございまする」
黒野? 重蔵に似ているような……。
「秋山信蔵高明にございまする」
うん、顔に力が有る。眉が太くて顎が張っている。美男子ではないが頼りになりそうな男だ。
「萩にございまする」
ほっそりとしている。でも巨乳チャンだ。葉月と良い勝負だろう。顔立ちは普通だな。春齢、睨むんじゃ無い。もっとどっしりと構えろ。お前はこの家の女主なんだ
「信にございまする」
これはぽっちゃりだな。丸顔が可愛い。この娘も結構大きいな。何が? 訊くんじゃない。顔立ちが優しそうだから皆から好かれるだろう。……だから睨むな、春齢!
「秋にございまする」
この娘は鍛えているな。何となく分かる。ひ弱そうな所が無い。小雪とどっちが強いかな?
「九兵衛、皆若いな」
俺が問うと九兵衛が恐縮するような素振りを見せた。
「はい、随分と無茶をする事になるかもしれませぬので」
「そうだな。……小兵衛は重蔵の親族か?」
「息子にございまする」
小兵衛が答えた。春齢が驚いている。棟梁の息子が危険な任務に就く事に驚いたのだろう。だがな、そうじゃなきゃ周囲の信頼を得られないんだよ。
「飛鳥井基綱である」
俺が名乗ると皆が頭を下げた。
「現在、畿内は混乱している。はっきり言って先が読めぬ状況に有る。この京が戦場になる可能性も有るだろう。そして飛鳥井を目障りだと思う者は沢山居る」
皆が頷いた。
「先程九兵衛が無茶をする事になるかもしれぬと言った。出来るだけそういう事にならぬように務める。それでも駄目な時が来るやもしれぬ。その時は麿も戦う。その方等だけを危険に晒すような事はせぬ」
春齢が゛兄様゛と抗議しようとしたから手を上げて黙らせた。
「よろしく頼む」
皆が゛はっ゛と言って頭を下げた。九兵衛が立ち上がると皆も立ち上がった。
「九兵衛、後で小雪と共に養母上の所に来てくれ」
「はっ」
軽く頭を下げてから九兵衛が歩き出す。その後を五人の男が、三人の女がついていく。元から邸に居た者が十六人、新たに入れた者を含めれば二十四人か……。
「兄様、さっき……」
「養母上の部屋に行くぞ。そなたも参れ」
皆まで言わせずに立ち上がった。これから大事な話だ。寿の事を話さなければならぬ。嫌がるだろうな。……上手く説得出来れば良いんだけど……。
永禄四年(1561年) 九月上旬 山城国葛野郡 近衛前嗣邸 近衛稙家
「寿、毬、大事な、話が有る。前に座りなさい」
儂の言葉に両隣に座っていた二人が顔を見合わせながら立ち上がった。そして儂の前に座った。左側に寿、右側に毬。二人とも訝しそうな表情をしている。
「何ですの、父上」
毬が問い掛けてきた。長くなりそうな話だ。上手く話せるかどうか……。思わず溜息が出た。
「寿、そなたのむ、婿を決めてきた。頭中将じゃ」
毬が゛まあ゛と声を上げ寿が困惑したような表情を見せた。
「でも頭中将様には春齢様が……」
「帝のお、お許しを得た。正室はふ、二人という事に、なる。か、春齢様とそなただ」
寿が嬉しそうに頬を染め毬はそんな寿を羨ましそうに見ている。胸が痛んだ。頭中将に添うては平凡な人生は送れまい。人並みな幸せなど感じる事が有るか……。寿は過酷な運命に苦しむかもしれぬ。
「頭中将は、此処にそなたを、訪う事になる。色々と準備が有る。今月の末には、来る筈じゃ。それまでにあ、飛鳥井家よりと、頭中将の衣服が、届く。そなたが、預かりなさい。良いな」
「はい」
寿がしっかりと頷いた。妙な事に気付いた。公方と頭中将は相婿か。これほど合わぬ相婿もなかろう。一口茶を飲んだ。今一つ、大事な事を話さねば……。
「良く聞きなさい。こ、小侍従がか、懐妊した」
二人が息を飲むのが分かった。寿が気遣わしげに毬を見ている。毬が゛大丈夫よ゛と言った。
「美作守はだ、男子誕生を、望むだろう。そして次の、将軍にと、望む筈じゃ。そのためには……」
「近衛が邪魔なのね」
毬が低い声で言った。
「うむ。幕臣達の間にも、こ、近衛を忌諱する、動きが有る。そして二条、ま、万里小路が幕臣達に、近付いている。二条の狙いは、関白のお、追い落とし。万里小路はあ、飛鳥井を蹴落とし、や、寧仁様を、孤立させる事、でおじゃろうな」
「では私と頭中将様を結び付けるのは近衛と飛鳥井の紐帯を強めるため。協力して幕府、二条様、万里小路様と戦うためなのですね」
寿が怯みを覚える程に強い視線で儂を見た。
「そうだ。そなたには、辛い思いをさ、させるかもしれぬ。済まぬの」
「いいえ、嬉しゅうございます」
「……寿」
「好きな人の妻になれるのですし近衛家の役に立てるのですから。これでも気にしていたのです。何の役にも立っていないと」
「……そ、そんな事は、無い」
儂が否定すると寿が゛有り難うございます゛と頭を下げた。
「私、きっと幸せになりますわ」
寿が晴れやかな笑みを浮かべている。不安など一欠片も無いらしい。不意に可笑しくなった。幸せなどというものは周囲が決めるものでは無く自分が感じるものなのかもしれぬ。だとしたら……。
「はははははは、そうじゃの」
寿は幸せになれるかもしれない。
永禄四年(1561年) 九月中旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 黒野影久
飛鳥井邸を夜遅くに訪ねると直ぐに頭中将様の部屋に通された。お休みだったのだろうか? 夜着を纏っている。
「お休みでございましたか。申し訳ありませぬ」
頭中将様が首を横に振った。
「気にしなくてよい。今、着替えたばかりだ。此処に来るという事は大事が起きたという事でおじゃろう。今養母上と春齢が来る。それまで待ってくれ」
「はっ」
頭を下げると゛重蔵゛と頭中将様が俺を呼んだ。
「小兵衛は良くやっているぞ」
「畏れ入りまする」
照れ臭かった。それが分かったのだろうか? 頭中将様がクスッと笑った。
「一人息子だと聞いた。良いのか?」
「頭中将様の御傍で世の動きを見極めよと命じております」
「分かった。麿も心しよう」
頭中将様が頷く。その直後だった。゛頭中将殿、入りますよ゛と声が有り目々典侍様、春齢様が部屋に入ってきた。二人とも袿を纏っている。そして最後に九兵衛、小雪が入ってきた。四人がそれぞれに座る。それを見て頭中将様が頷いた。
「それで、何が起きた」
「北信濃で上杉と武田がぶつかりました」
目々典侍様、春齢様の身体が強張った。頭中将様はジッと俺を見ている。
「それで」
平静な声だ。流石だと嬉しくなった。
「両軍共に大きな損害を出して兵を退きましてございます」
「損害とは?」
「武田は約四千、上杉は三千程の死者が出たと」
「!」
俺の言葉に目々典侍様、春齢様が声にならない声を出した。九兵衛、小雪も息を吐いている。頭中将様だけが変わらない。益々嬉しくなった。このお方を驚かすにはどうしたらよいのか。そんな事を考えてしまう自分が居る。
妻女山に登って陣を構える上杉勢に対して兵力に優る武田は兵を分けて一隊を以て夜襲を掛けた。そして山から下りてくる上杉勢を武田の本隊が迎え撃つ、二段構えの策。だが上杉はその策を見破った。夜襲の前に山を下り武田の本隊に明け方襲いかかった……。不意を突かれた武田の本隊は散々に打ち崩された。信玄の実弟である典厩信繁が討ち死に。他にも武田の名有る武将、物頭が討ち死にしている。信玄自身、本陣を急襲され手傷を負った。関東管領上杉政虎自ら斬り込んだという噂もある。その事を言うと頭中将様が頷いた。
「事実だとしても麿は驚かぬ。関東管領は必死なのだ。此処で武田を完膚なきまでに叩けば二度と信濃で武田が動く事はおじゃらぬ。越後も安全、北条は孤立し関東制覇も大きく前進する。命を掛ける価値は有る。……それで、武田はやり返したのだな? 夜襲に向かった別働隊が戻ったか」
「御明察にございます。新手の武田勢が上杉勢に襲いかかり、大きな被害を受けた上杉勢は兵を退きましてございます。ですが武田勢にもそれを追う力は無く……」
どちらかと言えば上杉に分の良い戦だった。武田は武将、物頭が多数討ち死にしているが上杉方ではそれが無い。武将、物頭が多数討ち死にしたという事はそれだけ戦線が崩されたという事だ。
「関東管領上杉政虎、戦も上手ければ胆力も有る。三好修理大夫、毛利陸奥守と比べても劣る事はおじゃるまい。だが惜しい事に運には恵まれぬようだ。あと兵が二千余計に有れば、或いは武田の別働隊の到着があと半刻遅ければ武田大膳大夫を討ち取れたかもしれぬ。そうであれば関東制覇も成ったのだが……」
頭中将様がフッと笑った。
「関東管領が不運なのか、それとも関東管領を頼った公方が不運なのか、難しいところでおじゃるの」
「真に」
頭中将様の言葉に頷きつつ織田の事を考えた。桶狭間の事を考えれば明らかに織田は運が良い。この事を軽視しては成るまい。
「北条は喜んでおじゃろう」
「武田はぼやいておりましょう」
頭中将様がまたフッと笑った。
「そうでおじゃるの。割が合わぬとぼやいておじゃろう。武田も上杉も北信濃ではもう戦えまい。睨み合いは続くとは思うが積極的に動く事はおじゃるまいな」
「では?」
問い掛けると頭中将様が厳しい表情で頷いた。
「武田の目は徐々に南に向かう。関東、甲信越の混乱はこれからが第二幕だ」
皆が緊張しているのが分かった。これまでが第一幕。これからが第二幕。第二幕は武田、北条、今川の三国同盟崩壊から始まる事になる。
「兄様、関東制覇は失敗なの?」
春齢様が問い掛けると頭中将様が一つ息を吐いた。
「失敗だ。武田が健在である以上、北条を滅ぼすのは無理だ。幕臣達が動き出すぞ。関白殿下を誹る声が広まるだろう。そして二条、万里小路も機会を窺う筈だ」
今度は目々典侍様、春齢様が息を吐いた。九兵衛、小雪が顔を見合わせている。二人とも表情が厳しい。これからが大変だと考えているのだろう。
「養母上、養母上にはお伝えしていませんでしたが小侍従が懐妊したそうです」
「なんと、真ですか?」
目々典侍様が目を見張った。
「真でおじゃります。父親の進士美作守は関東制覇が失敗に終わる事を望んだとか。幕府から近衛を排斥し産まれてくる子が男子なら次の将軍にと思ったのでおじゃりましょう。美作守の望みは叶いました。次は近衛の排斥です。二条、万里小路と組んで近衛、飛鳥井の排斥に動くでしょう」
「防げますか」
目々典侍様が問うと頭中将様が目々典侍様をジッと見た。
「そのために近衛の寿姫を娶りました。そして本来なら来年だった春齢との床入れも前倒しにして行ったのです。春齢を蔑ろにしている等と詰まらぬ噂が出ないように。足を掬われてはなりませぬからな。春齢もそれを分かっておじゃります。太閤殿下も小侍従の懐妊を知って危機感を強めておじゃります。近衛無くして飛鳥井無く、飛鳥井無くして近衛も無し。共にこの場を凌ごうとの覚悟におじゃります」
目々典侍様が大きく息を吐いた。嫉妬深いと言われる春齢様もこの件には不満を表さない。危険だと判断している。七恵からの情報では今度こそ毒を盛られるのではないかと懼れているらしい。
「問題は戦の方です。多分ですが三好は大敗を喫するでしょう。一時的にですが京を捨てる事になると思います」
目々典侍様、春齢様が身体を強張らせた。
「三好修理大夫は病のようでおじゃりますな。それも戦場には出られぬ程の。その所為でおじゃりましょう。三好勢の動きはどうにも鈍い。このままなら負けると思います」
「そなたがそう言うならそうなのでしょう。そなたが間違った事は有りませぬ」
目々典侍様がノロノロと言った。
「それで、その後は?」
「おそらく、六角勢が京に入ると思います。危ないのはこの時です。三好には公方の身柄を押さえろと言いましたが幕臣達は必ず六角と連絡を取る筈です。そして麿を殺そうとする。その後は二条様、万里小路権大納言様を使って関白殿下を解任し宮中から近衛を追い出す、或いは近衛も滅ぼそうとするやもしれませぬ。そして後ろ盾を失った寧仁様は寺へと追いやられるでしょう」
目々典侍様が息を吐いた。
「その事、帝はご存じなのですか?」
頭中将様が゛はい゛と頷いた。
「全てお伝えしておじゃります。近衛の寿姫を娶る事を許したのもそれ故でおじゃります。帝には万一の場合は春齢を宮中に戻す事も有り得るとお伝え致しました」
目々典侍様が春齢様に視線を向けると春齢様が頷いた。また目々典侍様が息を吐いた。
「随分と気遣って貰ったようですね。私は何も知りませんでした」
「養母上には出来るだけ心配を掛けたくなかったのです。しかし関東制覇が失敗に終わった事が明確になりました。小侍従の懐妊の事もおじゃります。もはや隠し事は出来ませぬ」
その通りだ。ここからは間違いは許されない。知らないという事も。
「以前、百日の祝いで戻ると言いましたね。良いのですか? 私と寧仁様が此処にいた方が良いのでは有りませぬか?」
目々典侍様の言葉に頭中将様が首を横に振った。
「此処を襲うのはおそらくは浪人者ではないかと思います。六角は直接関係はしますまい。それに六角家の嫡男、六角右衛門督は麿を敵視しています。この邸に母上、寧仁様が留まる事は危険でおじゃります」
「……」
「どうやら此処で初陣を迎える事になりそうです。そうでおじゃろう、九兵衛、小雪」
九兵衛と小雪が゛はい゛と答えた。
「頼りにしている」
「御安心を。頭中将様は我ら鞍馬忍者がお守り致しまする」
俺が誓うと九兵衛と小雪が頷いた。必ず守る。そして鞍馬忍者はこのお方と共に乱世を翔るのだ。




