使命
永禄四年(1561年) 八月中旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 倉石長助
「うむ、これが南瓜か」
南瓜の煮物を箸で摘まんだ。黄色いのか、珍しい色だな。口に入れてみた。……うむ、甘いな。それにけっこうねっとりしている。こういう食感の野菜は無いな。うむ、これはこれで良い。
「如何?」
小雪殿が問い掛けてきた。その隣では志津殿がじっと見ている。
「甘いな」
「そうよね、甘いの。ちょっとこういう野菜は無いわね」
「うむ、無い。これは他の野菜との組み合わせが難しいな」
何が合うだろう? 蕪かな? それとも大根か? もう一つ食べた。うむ、やはり甘い。これだけで食べた方が良いかな。甘い物が好きな人間は喜ぶだろう。
「結構大胆に食べるわね。うちの人間は皆おそるおそる食べたわよ」
志津殿が呆れたように言った。
「大友家から種を送ってきたのだろう? 心配は要らんさ」
「まあ、そうだけど」
「これは結構腹に溜まるな」
「そうね、そっちの味噌汁も飲んでよ」
志津殿が南瓜の入った椀を指した。
「南瓜の味噌汁か。美味いのかな、想像がつかん」
椀を持って一口飲んでみた。
「やはり少し甘いな」
「南瓜を食べて」
小雪殿に言われて南瓜を食べた。
「なるほど、これだな」
小雪殿と志津殿が訝しげにしている。
「汁物に入れるのだ。具を沢山入れて南瓜と一緒に食べればあっという間に腹が満ちるぞ。鍋でも良いな」
小雪殿、志津殿が゛そうね゛、゛確かに゛と頷いた。
「人数の多い家は喜ぶだろう。野菜の端切れや肉と一緒に煮込めば良いのだからな。子沢山の百姓は喜ぶ筈だ」
一つ有れば結構食べられる筈だ。百姓達に広めれば喜んで作り出すに違いない。うむ、味噌汁と鍋だな。どんな具材が合うか、考えなければならん。結構皮が固かったから日持ちするのかもしれぬ。そういう意味でも嬉しい野菜だ。冬まで持つかな? 持つのなら鍋が喜ばれるのだが……。
「次は唐辛子よ」
「うむ」
志津殿が胡瓜と茄子の入った皿を出した。ふむ切り漬けか。唐辛子を刻んで一緒に漬けたようだな。胡瓜を一切れ口に運んだ。
「辛い!」
慌てて味噌汁を飲んだ。小雪殿と志津殿が笑っている。
「ほら、こっちを飲んで」
小雪殿がお茶を出してくれた。一口飲む。美味いと思った。はて……。もう一度、今度は茄子を食べた。やはり辛い。だが慣れたのかな。今度は余裕をもって茶を飲んだ。うむ、美味い。茶と合うな。もう一度、今度は胡瓜だ。バリバリと噛み締め飲み込む。辛いから茶を一口、やはり美味い。
「うむ、不思議な食べ物だな。辛いのだが茶と合う。もしかすると酒とも合うかもしれぬ」
「そうなの、これだけだと辛くて食べられないのよ」
「でも漬物とかに入れてご飯やお茶と一緒に食べると美味しいの」
「変な野菜よね」
小雪殿と志津殿が笑いながら言う。なるほど、米か……。
「いや、これは大事な野菜だぞ。これが有れば漬物だけで飯が進む。貧しい家では有り難い野菜だ」
俺の言葉に小雪殿と志津殿が゛そうね゛、゛その通りだわ゛と頷いた。
「今一杯、茶を貰えぬかな」
「良いわよ」
小雪殿が笑いながら茶を入れてくれた。茄子を摘まみながら茶を飲んだ。これは茶菓子の代わりになるな。魚や肉に塗しても良いのかもしれぬ。
「皇子様の御様子は?」
「お元気よ。大きな声で泣いているわ」
志津殿が答えた。
「飛鳥井家は慶事が続くな。皆が羨んでいるぞ」
二人の顔が真顔になった。
「妬んでいる、じゃないの」
志津殿が冷たい表情で言った。
「まあ、そういう部分も有るな」
出世はしている。銭も有る。妬むなと言う方が無理だろう。その事を言うと二人が渋々頷いた。
「しかし、男皇子誕生は大事だ。これまで帝には誠仁様しか男子が居られなかった。皆がその事を案じていたのだ。そうだろう?」
二人が頷いた。
「でも実際に産まれればね、妬むのよ」
「それに万里小路、あの家は飛鳥井家を目の敵にするわ」
二人の口調が渋い。
「万里小路は必死なのだ。飛鳥井家に追い落とされるのではないかと懼れている。こちらの主殿は頭も切れれば銭も有る。頼りになるからな。とても自分達の敵う相手ではない。そう見ているのだ。それだけに此度の騒乱は危険だ」
茄子を一切れ食べ茶を飲む。いかぬな、これは止まらぬ。
「そちらの棟梁から聞いているの?」
小雪殿が問い掛けてきた。
「ああ、聞いている。三好勢が大敗を喫する可能性が有るとな。俺は半信半疑だがこちらの主殿の目は確かだからな。ウチの棟梁も相当に危ういと見ている」
もし本当に三好が負けるようならこちらの主殿は化け物だな。
「万一の場合は俺もこの邸に詰める事になる」
「あんた、忍び働きなんて出来るの?」
志津殿が真顔で言うと小雪殿が吹き出した。
「志津殿、それは失礼ですよ」
「そうだ、一応の事は出来るぞ」
胸を張ったが志津殿は胡散臭そうに俺を見ている。冗談じゃないのか?
「でも私は百姓の方が向いていると思うんだけど。あんたを忍び働きで失うのは勿体ないと思うのよ」
「まあ、それはねえ」
二人が顔を見合わせて頷いている。うん、まあ、それは有るかもしれんなあ。百姓達に南瓜と唐辛子を広めるのは俺の使命だ。今死ぬわけにはいかん。胡瓜を一口食べ茶を飲んだ。美味いわ、此処に詰めたら毎日南瓜と唐辛子を食べられるな……。
永禄四年(1561年) 八月上旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 高倉永相
「男皇子が産まれ久し振りに仲秋の観月が行われるとは、目出度い事でおじゃりますな」
「真に。目出度い事でおじゃります」
勧修寺権中納言と山科権中納言がにこやかに話している。
「観月は随分と賑やかに執り行うようですが」
「はい、当初はささやかに行うつもりだったのです。ですが目々典侍殿が男皇子を儲けられました。それも祝おうとの事で」
勧修寺権中納言が゛ほう゛と声を上げた。
「しかし大丈夫なのでおじゃりますか? 費えが……」
それまで黙って聞いていた正親町三条三位宰相が不安そうに訊いた。
「それは、大丈夫だと聞いておじゃりますが?」
山科権中納言がこちらを見ている。勧修寺権中納言、三位宰相もこちらを見た。
「勾当内侍より大丈夫だと聞いておじゃります。なんでも三好家が男皇子誕生を祝って百貫を献上すると聞きました。他にも畠山、六角、織田から銭と祝いの品が届いておじゃります」
俺が答えると゛なんと!゛、゛真で!゛と声が上がった。皆が驚きの表情でこちらを見ている。
「真でおじゃります。仲秋の観月にはその内の百貫と頭中将が献上する百貫、合わせて二百貫を使うとの事でおじゃりました。まあ準備に余り日がありませぬ故、正月のようには行かぬかもしれませぬ」
答えると勧修寺権中納言と三位宰相が息を吐いた。頭中将が百貫を献上する事に驚いたのだろう。節会の事も含めれば三百貫を献上した事になる。
「大変な財力でおじゃりますな」
勧修寺権中納言の言葉に三位宰相が゛真に゛と同意した。山科権中納言は無言だ。山科権中納言は頭中将の大叔父にあたる。その縁で何かと頭中将から援助を受けている。驚きは少ないのかもしれない。
「頭中将にとって皇子は義弟でもあり従兄弟でもおじゃります。もっとも近しい親族なのですから盛大に祝いたいという気持ちがあるのでおじゃりましょう」
俺の言葉に皆が頷いた。
「それにしても三好家が祝ってくれるとは思いませんでした」
山科権中納言の言葉に皆が複雑そうな表情を見せた。
「武家の棟梁は三好家だと言いたいのでしょう。戦も余り動きはおじゃりませぬし余裕があるのかもしれませぬ。それに三好家と頭中将はそれなりに繋がりがおじゃります。此度の献金は筑前守の名で行われると聞きました」
俺の言葉に何人かが息を吐いている。畿内の覇者である三好家も頭中将には気を遣わざるを得ないのだ。その事に息を吐いているのかもしれない。
「幕府は?」
三位宰相の問いに皆が顔を見合わせた。
「男皇子誕生を祝うような事は致しませぬな。まあ、飛鳥井家の事でおじゃります。幕府としては不快なのでおじゃりましょう」
山科権中納言が答えると勧修寺権中納言、三位宰相が不愉快そうな表情を見せた。勧修寺家も正親町三条家も昵懇衆だ。だが武家の棟梁としての務めを果たそうとしない公方に不満なのだと思った。今回の事だけではない。公方が朝廷に対して関心が薄過ぎる事を昵懇衆に限らず公家達は皆が不満に思っている。我が高倉家も昵懇衆だが俺にも同じような気持ちは有る。
幕府に比べれば三好家の方がずっと頼りになるという声が有る。三好家の中にも頭中将を危険だと見て敵視する者が居る。その勢力は決して小さくは無い。だがそれでも男皇子誕生を祝った。武家の棟梁として行動しようとしているという事だろう。それに頭中将は幕府とは敵対関係にある。つまり三好家から見て頭中将の脅威は小さいのだろう。春に行われた御成でも頭中将は三好寄りの姿勢を示した。幕府が男皇子誕生を祝おうとしないなら三好家が祝うという決断はそれほど難しいものでは無かったのかもしれない。
今、公家達が持つ三好への不満は戦に動きが無い事だ。公家達は三好の軍勢が畠山、六角の軍勢を一日も早く蹴散らして畿内の平和を守って欲しいと思っているのだが膠着状態のまま動きが無い。やはり十河讃岐守の死の影響が大きいのだろうか。三好にかつての勢いが無いように見える。その事に多くの公家が不満と不安を感じている。
「そう言えば万里小路権大納言殿が室町第に頻繁に出入りしていると聞きましたが……」
三位宰相の言葉に皆が顔を見合わせた。本来なら万里小路権大納言は幕府に男皇子誕生を祝うように進言するべきだろう。だが万里小路権大納言が今回の男皇子誕生を喜んでいるとは思えない。無視するように勧めたか、或いは何も言わなかったか……。
「まあ、誠仁様御誕生の時はそのような祝い事はおじゃりませんでしたからな。面白くないのでしょう」
勧修寺権中納言の言葉に山科権中納言がやるせなさそうな表情で゛已むを得ませぬ゛と言った。
「あの頃の畿内は混乱しておじゃりました。何時京で戦が起きてもおかしくは無い状況だったのです。そうではおじゃりませぬか?」
山科権中納言の言葉に皆が頷いた。だが他にも理由はある。あの当時の朝廷は銭が無かった。だが今は運上の御陰で多少の余裕があるのだ。それは頭中将が産み出した銭だ。その事も万里小路権大納言にとっては面白くない理由の一つだろう。頭中将を゛商人のような゛と誹る声も有るが万里小路権大納言もそれを口にする一人だと聞く。
「まあ山科権中納言殿の言う通りなのでおじゃりますが万里小路権大納言殿も新大典侍も面白くはおじゃりますまい。飛鳥井家に対する寵愛が過ぎると不満に思いましょう。万里小路と飛鳥井の軋轢は益々激しくなりそうでおじゃりますな」
勧修寺権中納言の言葉に皆が顔を見合わせた。権勢だけではない。次の帝が誰になるかまで影響するかもしれない。その事を思ったのだろう。これまでは万里小路が帝を支えてきた。だがこの先は……。
永禄四年(1561年) 八月上旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 新大典侍
「三好が百貫を献上しました」
「うむ、皆喜んでおじゃるの。帝もお喜びじゃ」
「頭中将も百貫を献上しました」
「銭が有るの、羨ましいわ」
「不愉快にございます」
兄万里小路権大納言がチラリと私を見た。
「朝廷を守る武家の棟梁は三好だと言いたいのでおじゃろうよ。そんな事はそなたも分かっておじゃろう」
分かっている。それでも不愉快だ。
「それに三好が献金するのだ。頭中将も出さねばなるまい」
「……それはそうですが……」
あの小僧、本当に毒でも塗してやれば良かった。三好も碌な事をしない。戦の最中なのだ。そちらに専念すれば良いものを……。
「誠仁様の時は無かったと言いたいのか?」
「……」
無言でいると兄がフッと笑った。
「仕方がおじゃるまい。公方は朝廷に関心を示さぬ。それに、あの頃は混乱していた。幕府に誠仁様の誕生を祝うような余裕はおじゃらぬ」
最後は兄も不愉快そうな表情になっていた。
「役立たずの公方でございますね」
「そうでおじゃるの。何の役にも立たぬ。あれでは帝に疎まれるのも道理よ」
あの馬鹿公方が御大葬の費えを出していればあの小僧が増長するような事にはならなかったのに……。役に立たぬ所かこちらの足を引っ張るわ!
「それで、如何でございますか。美作守は」
声を潜めて訊ねると兄が微かに笑みを漏らした。
「その気じゃ、相当近衛が邪魔らしいの。信濃で上杉が負ければ良いと願っておじゃる」
「まあ」
「ふふふ」
二人で声を潜めて笑った。幕臣である進士美作守が公方の意に反し上杉の関東制覇が失敗する事を望んでいる。
「侮られておりますね」
「仕方おじゃるまい。泣く事しか出来ぬのだからの」
「ふふふ」
「ほほほ」
また二人で声を潜めて笑った。
「ところで上杉と武田の戦、如何なりましょう?」
訊ねると兄が゛ふむ゛と鼻を鳴らした。
「上杉も武田も戦上手と名が高い。難しいところでおじゃるの」
「……」
「頭中将は激しい戦になるが上杉が勝つのは難しいと周囲に言っているらしい」
またあの小僧……。思わず顔を顰めた。兄が゛ははははは゛と笑った。
「そう顔を顰めるな。不愉快かもしれぬが戦の帰趨を読む目は当代随一じゃ。あの小僧が難しいというのじゃ。関東制覇は成るまい」
「では?」
兄が真顔になった。
「幕府内部で近衛を排斥する動きが出る。元々幕臣達は関白殿下に良い感情を持っておらぬのだ。あの小僧と組んで幕府をコケにしたのだからの」
「左様でございますね」
私が頷くと兄も頷いた。
「後は二条様次第でおじゃるの。二条様が何所で仕掛けるか」
「楽しみでございます」
兄が首を横に振った。
「甘く見るまいぞ。あの小僧、関白殿下が後を託した者なのじゃ。二条様も甘く見てはおじゃらぬ」
「それでも、こちらに風が吹いてきました」
「まあ、そうじゃの」
兄が頷いた。必ず、必ずあの小僧を……。そして誠仁様を次の帝へ……。それが万里小路を繁栄させる事になるのだから……。