畿内騒乱の始まり
永禄四年(1561年) 六月下旬 近江国高島郡安井川村 清水山城 朽木藤綱
「いよいよ始まりますか」
直ぐ下の弟、左兵衛尉が険しい表情で言うと右兵衛尉、左衛門尉も険しい表情で頷いた。「京へ進軍している六角の兵力は二万を超える。総力を挙げての決戦となる。三好も簡単には勝てまい」
儂の言葉に弟達、父、日置五郎衛門、宮川新次郎が頷いた。
「おそらく畠山も兵を動かしている筈、畿内は大騒ぎになっていよう」
父の言葉にまた皆が頷いた。
「公方様は大喜びでしょうな。畠山、六角の兵で三好を挟み撃ちに出来ると。漸く念願が叶ったのですから」
「若狭でも内藤備前守が敗れました。幕臣達も大喜びでしょう。もっとも頭中将様の策だと知れば悔しがりましょうが」
大きなものではないが笑い声が上がった。右兵衛尉、左衛門尉の口調には揶揄があった。幕府に対する不満は儂よりも弟達の方が強いのかもしれない。それだけ嫌な想いをしたのだろう。
「頭中将の文には勝っても負けても三好と足利の対立は先鋭化すると書いてあった。自分で自分の首を絞めているようなものじゃ。儂ならとても喜べぬの」
父が言うと皆が頷いた。
「御隠居様、殿、冗談ではなく公方様が追われてここへ逃げて来るような事態になるやもしれませぬ」
五郎衛門の言葉に皆が顔を顰めた。
「そうじゃの。まあ此度の戦ではその可能性は少なかろうがその後は分からぬ。三好が勝っても負けても有り得る話じゃ」
「父上、三好が負けてもでございますか?」
儂が問うと父が渋い表情で頷いた。
「公方様に畠山、六角を御する器量が有ると思うか? 儂にはそうは思えぬ。衝突して兵を挙げて逃げ出す事になろう」
皆が゛なるほど゛、゛確かに゛と同意した。自分も納得した。十分に有り得る事だ。
「三好も負けたままでは終わりますまい」
「新次郎殿の言う通りです。畿内は混乱しますな」
五郎衛門の言葉に皆が頷いた。頭中将様の事を考えた。何とか京を戦乱から守ろうとされているが果たして何所まで守れるか……。場合によっては頭中将様も朽木に逃げてくるかもしれぬ。
「織田様は如何で?」
左衛門尉が儂の顔を見ながら問い掛けてきた。
「五月の美濃攻めは優位に進んだが予想したよりも戦果は少なかったようだ。これからが勝負だと織田様からの文には書かれていた」
「……」
「京の様子にも関心を持っている。これからも状況を教えて欲しいと書かれていた。戦が始まった事も報せねばなるまい。六角が一色を助ける事は無い」
皆が満足そうに頷いた。上洛の意思が有る。そう思ったのだろうか。或いは一色に六角の援助が無ければ優位に戦を進められると思ったのか。
「永田から文が届いた」
皆が儂を見た。
「真か、長門守」
「はい、つい先程の事です。文には六角が京へ進軍した事と戦に巻き込まれずにホッとしていると書かれてありました。永田も三好と戦う事には気が進まぬのでしょう。楽な戦にはなりませぬからな。兵を失いたくない、そんな気持ちが透けて見えました」
父が゛なんと゛と言った。驚いている。これまで永田からはまともな文など来なかったのだ。それが来た。そして心情を吐露している。
「本心かもしれませぬがこちらが如何思っているかを探ろうとしているのではありませぬか?」
新次郎の意見に皆が頷いた。
「儂もそう思っている。永田には小さい国人は大きな大名に使い潰されぬように気を付けねばならないと書くつもりだ。浅井だけではない。六角も油断は出来ぬと」
皆が頷くのを見ながら思った。八千石から二万石になって分かったのは自分が大きくならなければ生き残れぬという事だ。そして戦は勝たねばならないという事。朽木が生き残るためには永田達を喰わねばならぬ。その日までは油断させなければ……。
永禄四年(1561年) 七月中旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 倉石長助
「花が咲いたわね」
「うむ、花が咲いた」
俺の言葉に小雪殿が頷いた。黄色い大きな花だ。
「綺麗な花ね。あら、花の下に丸い実が有るけど……」
「気付いたか。多分これが南瓜の実なのだと思う。花の大きさ、形からするとこれから丸々と大きくなるのだろう。楽しみだ」
小雪殿が゛ふーん゛と言った。
「でも大丈夫? これ随分大きくなるんじゃない。重さで落ちるんじゃないかしら。幹は太いから折れる事は無さそうだけど……」
「もう少し大きくなったら網で下から支えるようにするつもりだ。来年からは棚は作らん。地面に直に成らせるようにする」
小雪殿がまた゛ふーん゛と言った。そして花の下に付いた実を触っている。棚の補強が必要だな。今のままでは棚が実の重さに耐えられなくなるかもしれぬ。
「どんな味がするのかしら」
「瓜に似ているような気がするがもう少し大きくならんと分からんな。割って中を見れば大凡の見当は付くと思うのだが」
小雪殿が実から手を放した。
「そうね。楽しみだわ。……唐辛子も花が咲いたけど南瓜とは随分と違うわね」
「そうだな」
唐辛子からは白い小さな花が咲いている。これから実が成るのだろうが一体どんな実がなるのか……。
「ところで、此処に来ていて大丈夫なの? 忙しいんじゃないの」
小雪殿が心配そうにこちらを見ている。
「今のところは大丈夫だ。畠山にも六角にもおかしな動きは無い。小競り合いでこちらの様子を窺っている状況だ。本格的に戦うのはもう少し後だろう。それに俺の役目はこちらに出入りして親睦を深める事だからな」
「変な役目ねえ」
呆れたような口調に思わず苦笑いが出た。
「確かに変な役目だがそれだけ三好家はこちらの主殿を重視しているという事だ。分かるだろう?」
「……まあ、それは」
「随分と助けて貰っているからな。頼りにしているのだ。もっとも敵に回れば厄介だという思いもある」
小雪殿が貌を顰めた。頼りにしているのが松永弾正様、厄介だと思っているのが三好日向守様だ。まあ、その辺りは小雪殿も分かっているだろうな。
「頭中将様は公家よ。武家じゃないわ。兵も無い。それに頭中将様が心を砕いているのは京を戦場にしない事よ」
「危険視する必要は無いか?」
「ええ」
「それが通用するとは思っていないだろう?」
「……それは……」
言葉が途切れた。今度は困ったような表情をしている。小雪殿も分かっているのだ。頭中将様は公家だがその軍略家としての才能は当代一と言われている。そして胆力もある。軽視出来る存在ではないのだ。
「三日前の夜、春日局様が此処を訪ねたな。その翌日、細川兵部大輔様が此処を訪ねた」
「見張ってたの?」
「此処は見張っていない。そういう約束だからな。見張っていたのは春日局様と細川兵部大輔様だ」
小雪殿が゛フフン゛と笑った。
「此処に来た理由を知りたい?」
「教えてくれるのか?」
小雪殿が゛良いわよ゛と言った。え、そんなあっさり教えてくれるのか。
「話して困るような事でも無いし隠して変に疑われるのは御免だわ。それにあんたには世話になっているからね。少しは手柄を立てさせないと」
やはり野菜の効果は大きいな。
「それは助かる。俺も皆に野菜作りに夢中になって仕事をしていないんじゃないかと最近嫌味を言われるのだ」
小雪殿が゛ホホホホホホ゛と笑った。嫌な笑い声じゃ無かった。俺も一緒に笑った。
「御礼なら頭中将様に言う事ね。頭中将様が長助に教えろと言ったのよ」
「なんだ、そういう事か」
また小雪殿が゛ホホホホホホ゛と笑った。そして真顔になった。
「春日局様は讃岐守様が毒殺された事に気付いたわよ」
「……」
「公方様から人質を取ったでしょう。その時だけど三好日向守様は随分と厳しく迫った。その事を訝しんだのよ。これまでとは違うって。慶寿院様も公方様に兵を挙げるか、人質を出すかだと迫った。それでね」
「おかしいと思った。そしてまさかと思った……」
小雪殿が頷いた。
「そういう事。それでね、此処に来たの。讃岐守様は毒殺されたんじゃないかって」
「頭中将様は」
小雪殿が俺を見た。そして視線を南瓜へと逸らした。
「その通りだと答えたわ。そして三淵大和守様、細川兵部大輔様の御兄弟も知っていると教えた。婚儀の時に話したのだと分かったでしょうね。朽木が公方様を匿えないと言ったわけも分かった筈よ」
なるほどと思った。春日局は驚愕しただろう。とんでもない事になったと思った筈だ。
「それで?」
「あんた、欲張りね」
「いや、折角だからな。聞けるものは聞いておきたい」
小雪殿が゛うふふ゛と笑った。
「まあ、良いわ。春日局様は公方様の身は安全かと訊ねたわ」
「……頭中将様はなんと?」
「三好修理大夫様が生きておられる間は多分大丈夫だろうって答えた。でもその後は分からないって」
思わず唸り声が出た。そこまで話したのか。驚きがあった。
「親しいのかな?」
「頭中将様と春日局様?」
頷くと小雪殿が首を横に振った。
「親しくは無いわね。でも頼りにはされているみたい。今幕府内部で力を持っているのは進士、上野達だけど春日局様は彼らとは上手くいっていないのよ。分かるでしょう?」
小雪殿が俺を見たから頷く事で答えた。
「まあ、そういう風に俺も聞いている」
「春日局様は彼らを信用出来ずにいるの。それでね、頭中将様に色々と訊ねるようになったわけ。まあ公方様が心配なのね。だから誰にも知られないように夜中に訪ねてくるのよ。それに頭中将様も幕府内部に話の出来る人物が必要よ。陰陽師の件では春日局様に動いて貰ったわ」
なるほどと思っていると小雪殿が゛うふふ゛と笑った。
「春日局様は三淵大和守様、細川兵部大輔様に話したみたいね。次の日に兵部大輔様が夜更けに訪ねてきた」
「……」
「あんたの所と同じよ。少し前に松永弾正様が夜に訪ねてきた。此処へ来る事は周囲には知られたくないらしいわ」
それだけ此処で話される内容は重大なのだ。その事を言うと小雪殿が笑うのを止めた。
「気付いているのだろう。甲賀がこちらの主殿を大分気にしているぞ」
「……」
「注意するのだな」
警告すると小雪殿が頷いた。今のところは頭中将様の動きを監視するだけだ。害意は無いようだがこれから先は分からん。特に戦局が動いた時は注意が必要だろうな。
永禄四年(1561年) 七月中旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱
「養母上、御加減は如何でおじゃりますか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
宮中から戻って養母を訪ねると笑顔で迎えてくれた。和むなあ。美人の笑顔は精神安定剤だよ。
「これから暑くなります。無理は成りませぬぞ」
暑い中での出産だ。労ると養母が゛有り難う゛と言った。春齢が傍で控えているが最近は養母に嫉妬する事もなくなった。まあちょっと動くと養母は息切れするからな。大変だと分かったらしい。
「そなたこそ大丈夫ですか? 帝から文が届きました。そなたに苦労させていると書いてありましたよ」
「麿は戦をしておりませぬ。左程の事は……」
「本当に? 私への気遣いは無用ですよ」
養母が心配そうに俺を見ている。ちょっとジンときた。養母の産み月が近付くにつれて新大典侍の苛立ちが酷くなりつつある。他にも妙な動きが……。しかし養母には言えんよな。他の事を話そう。
「六角は山城国に進出し将軍地蔵山城に入りました。三好筑前守、松永弾正はそれぞれ梅津城、京西院小泉城で六角の動きを抑えておじゃります。三好方は六角は三好筑前守、松永弾正で抑えられると見たのでしょう。三好日向守を初めとして淡路、阿波からの援軍を岸和田城の三好豊前守に送りました。岸和田城を囲んでいた畠山は挟撃される事を恐れ城の包囲を解いています。三好勢は合流し久米田寺の直ぐ傍に陣を敷いて畠山と対陣しています」
「……」
「三好勢は畠山を優先的に叩くと決めたようです。河内から摂津は三好にとって大事な場所でおじゃります。ここを狙う畠山は許せないのでしょう」
敢えて淡々とした口調で状況を説明していく。養母が頷いた。
「関東は如何なのです?」
「上杉は八月に出陣するようです。今はその準備に追われています。武田もそれを知って戦の準備をしています。信濃で大戦が起きましょう。関東がどうなるかはそれ次第かと思います」
「……」
「幕府は上杉が大勝する事を望んでいます。そして畠山、六角が三好を討ち破る事を。そうなれば畠山、六角、上杉が幕府を支える体制が出来る。そう考えているのだと思います」
養母が眉を顰めた。うん、良いねえ。美人が眉を顰めると絵になるんだ。守って上げたいと思う。春齢には絶対内緒だ。
「そなたは上杉は勝てないと見ていました」
「はい、勝てませぬ」
史実通りなら勝てない。それどころか上杉も武田も二度と戦いたくないと思うほどの悲惨な戦になる。そして現状では史実から逸れるような兆候は見えない。つまり幕府の願いが叶う事は無い。
深刻なのは畿内だ。俺の予想では今回の戦いで三好豊前守が討ち死にする筈だ。豊前守は対畠山戦の総大将なのだから三好側は相当に大きな損害、戦線崩壊に近い状況にまで追い込まれるのだろう。となれば三好は京を放棄せざるを得ない。弾正に負けた時には京を捨てろと助言したがそれが現実になる。
その時だな。二条、万里小路、幕府が動き出す筈だ。冗談抜きで命が危うい状況に追い込まれるかもしれない。多分、二条、万里小路は自分の手は汚さない。俺は帝の娘婿だからな、自分の手を汚すのは危険だ。幕府、畠山、六角を唆して俺を殺そうとする筈だ。そこをどう凌ぐかだ。重蔵を呼ばなければ成らん。それに主膳も呼ぼう。三好にとっても京は放棄しても影響力は残したい筈だ。協力は出来る。
それと気になるのは三好修理大夫長慶の動きだ。飯盛山城で総指揮を執るようだが本当にそうなのか? 畠山を優先的に叩くという方針が間違っているとは思えない。ならば戦力を対畠山戦に集中するべきだ。修理大夫自ら対畠山戦に乗り出すべきだと思うのだが後方の飯盛山城に居る。どうも不自然だ。連歌を興行して健在をアピールしたが実際には戦は出来ない状況なのかもしれない。だとすると相当に危ないな。溜息が出るわ。




