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千句連歌




永禄四年(1561年) 六月上旬            山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井基綱




「頭中将様」

 小番で詰めていると女官に名を呼ばれた。見覚えが有る。勾当内侍の所の女官だと思うのだが……。

「何か?」

「帝が頭中将様をお召しでございます」

 ピンと空気が固まるような気がした。小番で詰めている他の公家達が何事も無いように座っているが緊張しているのが分かった。どうせなら゛基綱チャン、何番テーブルご指名入りました゛とか洒落てくれれば良いのに。


「分かりました。少し外しまする」

 皆に断ると公家達が微かに頷いた。席を立って廊下に出ると女官が゛こちらへ゛と案内してくれた。六月になって夜も寒さは感じない。薄暗い廊下を歩く。やはり不便だ、不要心でもある。灯りも何とかしなくては……。運上だけでは銭が足りない。交易か何かで稼がなくては無理だな。


 清涼殿の前で女官が止まった。はて、ここで? 戸惑っていると女官が振り返った。

「帝は夜御殿でお待ちでございます」

「分かりました。お手数をお掛けしました」

 労うと女官が一礼して立ち去った。それを見届けてから清涼殿の中に入った。夜御殿、まさか帝が寝所で俺を待っているとは……。


「飛鳥井におじゃりまする。お召しにより参上致しました」

 夜御殿の直ぐ近くにまで行き声を掛けた。帳で中は見えない。

「御苦労だな、近う」

「はっ」

 近付けって言われてもね。誰か一緒じゃないの。ちょっと気不味いんだけど。躊躇っていると゛遠慮は要らぬ、中へ゛と声があった。


 仕方ないよな。思い切って帳の中に入った。繧繝縁うんげんべりの畳が二枚並べられその上にもう一枚畳がある。その上に帝が座っていた。周囲に人は居ない。一人か……。ちょっとホッとした。

「今少し」

 帝が手招きした。一人なのだ。遠慮は無用だろう。゛はっ゛と答えて畳の直ぐ傍にまで近付いた。


「目々が居らぬと不便じゃの」

「真に」

 帝と二人で苦笑した。以前は養母を介して情報の伝達が出来た。だが養母が宿下がりをした事で仲介役が居ない。直接会って話さなければならなくなった。不便なんだよ。周囲の目も有るし。特に新大典侍、こいつが何かと探りを入れてくる。俺は勿論だが帝も鬱陶しいと感じているらしい。新大典侍は避けられがちだ。宮中でも大分噂になっている。その所為で余計にカリカリしているらしい。


「目々は元気か、変わりは無いか?」

「はい。特に変わりはおじゃりませぬ」

 帝が満足そうに頷いた。

「出来れば男子が欲しいが……」

「養母もそれを願っておじゃりまする」

「うむ」

 皇統が絶える事無く続くには男子が欲しい。これは宮中の総意だ。万里小路の者達もそれは否定出来ない。それだけに不満だろう。


「朕が気に掛けていたと伝えてくれ」

「畏れ多い事におじゃります。養母も喜びましょう」

「それで、如何かな? 皆、騒いでいるか?」

「はい。戦が間近に迫っていると噂しておじゃりまする」

 帝が息を吐いた。御成から三好・細川の和睦。そして長尾の関東制覇は失敗した。畿内から戦は遠のきつつある。公家達は皆がそう思った筈だ。安心しただろう。だが三好が細川晴元を幽閉した事で畠山、六角が三好を非難しその増長を正すと言って兵を挙げようとしている。勿論、幕府も不快だと三好を非難している。幽閉しなくても良いものを……。公家達の間ではそんな声がある。その事を言うと帝がまた息を吐いた。


「何も知らぬというのは憐れよな」

「……」

 公家達は分かっていないが三好は上手く嵌められたのだ。現状では細川晴元の幽閉は已むを得ない。放置してはまた反三好で動き出すだろう。それに畠山・六角が同調する。今の三好にはそれを許せるような余裕は無い。

「三好は大丈夫なのか? 飯盛山城で連歌を催したと聞くが……」

 部屋の四隅には灯りがある。その灯りが僅かに帝の顔を照らす。憂鬱そうな表情をしているのが分かった。


「十河讃岐守殿の供養のためと聞いておじゃります。千句の連歌で三日間に亘って行われました。五機内の名所が発句に詠み込まれているとの事におじゃります」

 帝が首を傾げた。

「……つまり五機内の支配者は三好だと言っているのか……」

「おそらく。幕府ではその事を不遜だと咎める声も有ると聞きまする」

 帝が不愉快そうに顔を顰めた。三好一族は文化芸術にも秀でている。連歌もその一つだ。だが天下の覇者三好修理大夫が連歌を行うのだ。当然だがそこには政治的なメッセージも込められている。


 五年前にも千句の連歌が行われている。摂津の滝山城で行われたのだがこの時は摂津の名所が発句に詠み込まれれている。摂津を支配しているのは三好家だと宣言したのだ。今回の千句は義輝に対して畿内を支配しているのは三好家だ。武家の棟梁は三好修理大夫だと言っているのだろう。それは畠山、六角、幕府への宣戦布告でもある。細川晴元幽閉を咎める幕府、畠山、六角に対して受けて立つと宣言したにも等しい。その事を言うと帝が頷いた。

「やはり戦は避けられぬな」

「はい」

 皆が戦を望んでいる。望んでいないのは公家達だけだ。それにしても連歌で宣戦布告か。なんとも雅な事だ。


「若狭でも戦が起きようとしておじゃります」

 帝が゛若狭?゛と首を傾げた。

「若狭の守護は武田氏でおじゃりますが近年は御家騒動と内乱で力を失っておじゃります。当代の治部少輔義統は公方の妹を妻に迎え領内の混乱を収めようとしたようでおじゃりますが上手くいきませぬ。若狭の国人に逸見駿河守という者が居りますがこの者が三好の力を借りて自立しようとしておじゃりました」

「その事は朕も知っている。逸見を支援しているのは丹波の内藤備前守であろう。武田治部少輔は公方の縁者。それ故に若狭を混乱させようとしている。治部少輔は逸見を持て余していると聞いていたが……」

 帝が自信なさげに言った。そうなんだ。これまでは持て余していた。だが事情が変わってきた。


「武田は朝倉に援助を頼んだようでおじゃります。そして朝倉は兵を出す事を決めたようで……」

「なんと……」

 帝が呆然としている。ここ近年、朝倉には動きが無かった。朝倉宗滴が死んだ事で武威は衰えたと見られていたのだ。その朝倉が動く。驚いたのだろう。

「三好は畠山、六角と戦になりましょう。今なら若狭で攻勢に出ても三好との全面対決にはならないと踏んだのでおじゃりましょう。朝倉の狙いは武田治部少輔に影響力を強める事で若狭を自らの支配下に置く事かと思いまする」

 帝が゛なるほど゛と言って大きく頷いた。


「武田はそれを分かっておらぬのか?」

「他に手がおじゃりませぬ。今のままでは逸見の思うままにおじゃりましょう」

 帝が゛なんと゛と言って息を吐いた。気持ちは分かる。若狭の武田と言えば名門守護大名なんだけどな。もう自分だけの力では逸見駿河守を降せないほどに弱体化している。御家騒動が如何に国力をロスするかという見本だ。

「朝倉が公方に与する事は?」

「幕府が朝倉を動かそうとした形跡はおじゃりませぬ」

 これは事実だ。桔梗の一党からはそういう報告は無い。おそらく朝倉は三好、畠山、六角が戦で動けなくなると見たのだ。それに乗じようとしたのだろう。言ってみれば火事場泥棒だ。その事を言うと帝がホッとしたように表情を緩めた。朝倉が幕府方に付けば間違いなく京が戦場になる。それは避けられると思ったのだろう。


「公方に与したわけではないか。三好は如何する?」

「分かりませぬ」

「ではそなたなら如何する?」

「逸見駿河守を切り捨て若狭を朝倉に譲りまする」

「譲るのか?」

 帝が驚いている。

「譲れば内藤備前守を動かせまする」

「なるほど」

 優先順位は畠山と六角の方が高い。こいつらを叩くために兵力を集中するべきだ。その事を言うと帝が゛道理で有る゛と頷いた。


「美濃はどうなっている? 一色左京大夫が身罷ったが……」

「織田が美濃に攻め込みました。短期間に森部、十四条、軽部という場所で戦っております。僅かにですが織田が優勢でおじゃりました」

「そうか」

 帝の声に喜色が有った。

「なれど稲葉山城は堅城、美濃攻略には未だ時が掛かりましょう」

「そうか」

 今度の声には落胆が有った。景気の良い事ばかり言っても仕方が無い。現実を見せなくては……。腹が減ったな。




永禄四年(1561年) 六月上旬            山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 目々典侍




「殿様のお戻りにございまする」

 声と共に春齢が立ち上がった。パタパタと足音を立てて出迎えに行く。苦笑と共に妬ましさを感じた。お腹に子が居なければ私も出迎えたのに……。直ぐに足音が聞こえてきた。頭中将が姿を見せる。笑みを浮かべて部屋に入ってきた。

「養母上、只今戻りました」

「お疲れでしたね」

 声を掛けると頭中将が゛はい゛と答えた。目の下が少し蒼いような気がする。疲れているのだと思った。


「帝が養母上をお気に掛けておられました」

「そうですか、畏れ多い事です」

「大事にしなければなりませぬぞ」

 頭中将が私を気遣ってくれる。疲れているのに何と優しいのか。

「兄様、お腹が空いていない?」

「いや、大丈夫だ。宮中で少し食べたから。それよりも休みたい」

「臥所の用意は出来ているわ」

「それは助かる。養母上、少し休ませて貰いまする」

「私に遠慮は要りませぬ。疲れているのですからゆっくりと休むのですよ」

 頭中将が笑みを浮かべた。


「有り難うございまする」

 立ち上がると春齢も立ち上がろうとする。頭中将がそれを抑えた。

「麿は大丈夫だ。そなたは養母上の傍に」

「……」

「帝も心配していた」

 不満顔をしていた娘も腰を下ろした。


「では、失礼致しまする」

 軽く頭を下げて部屋を出て行く。

「兄様は母様の事ばかり」

「このお腹ですからね。心配しているのです」

「それは分かるけど……」

「そなたの事も案じていますよ。分かっているでしょう?」

 娘が渋々頷いた。


「戦が近付いています」

 娘が頷いた。流石に表情は改まっている。

「頭中将殿の軍略の才は当代一と皆が称える程のもの。これまで戦の帰趨についてあの子の読みが外れた事は有りませぬ。それ故帝も頼りにするのです。ですが此度は読めぬと言っています。京が戦場になる事も有り得ると……。労って上げなさい。それがそなたの役目ですよ。そうでなければ頭中将殿の信頼を得る事は出来ませぬ」

「はい」

 今度は素直に頷いた。以前に比べれば少しずつ自分を抑え頭中将を労るようになっている。憐れなと思う。娘も頭中将も未だ若い。それなのにその若さに甘える事を許されない立場に立っている。


 兄、左衛門督飛鳥井雅教がやってきたのはそれから一刻も経ってからの事だった。顔色が良くない。

「頭中将に変わりはないか」

「ええ、小番明けで休んでおります」

「真か? 真に休んでいるか? 具合が悪いという事はないか?」

 娘と顔を見合わせた。何か有ったらしい。娘が立ち上がって部屋を出た。


「一体何が有ったのです?」

「……」

 兄は答えない。俯いて黙っている。直ぐに娘が戻ってきた。

「兄様なら良く寝ています」

 娘の言葉に兄が゛ホウッ゛と息を吐いた。


「兄上、一体何が有ったのです?」

 兄がまた゛ホウッ゛と息を吐いた。

「昨夜の事じゃ。頭中将は帝のお召しを受け夜御殿で半刻程の間、二人きりで過ごしたと聞く」

「まあ」

 思わず声を上げてしまった。娘も目を丸くしている。


「まあ娘婿じゃ、妙な事は有るまい」

「当たり前です」

「そうよ、そんな事有るわけ無い」

 私と娘が憤慨すると兄が辟易したように首を横に振った。

「分かっておじゃる。大事なのはその後じゃ。新大典侍が小番で詰める者達に握り飯の差し入れをした」

 差し入れ? まさか……。


「それって……」

 娘の声が震えている。兄がムッとした表情で゛脅し、嫌がらせでおじゃろうな゛と言った。

「毒は入っていなくとも腹下しの薬ぐらいはまぶしてあるかもしれぬ。普通ならそう思う。皆、礼は言ったが遠慮したそうじゃ。だが頭中将はその場で二つ食べた。皆驚いたそうじゃ。新大典侍も驚いていたと聞く」

 思わず息を吐いた。娘も息を吐いている。相変わらずあの子は無茶をする。


「それで此処に?」

「うむ、もしやと思うての。だが寝ているのなら大丈夫でおじゃろう」

「……」

「そなたが宿下がりしてから帝が頭中将を召し出す事が多くなった。その所為でおじゃろうの。新大典侍はかなり苛立っている。宮中でも噂になっているからの」

 兄が憂鬱そうな表情をしている。暫くは宮中には戻れない。夏に子を産んで戻るのはどんなに速くても秋になるだろう。暫くは新大典侍の苛立ちは続く。


「麿は戻る。頭中将が目を覚ましたら余り無茶はするなと伝えてくれ」

「はい」

「それとそなたも気を付ける事だ。此処なら大丈夫だと思うが大分苛立っておじゃるからの。油断は出来ぬ」

「はい」

 兄が帰った後、娘が深刻な表情で゛母様゛と私を呼んだ。


「父様に文を書いた方が良くないかしら」

「握り飯の事ですか?」

「ええ、父様から新大典侍を注意して貰えば……」

「無駄でしょう。ただの差し入れだと言われればそれまでです。頭中将殿に異変は無いようですし……」

「でも」

 不安そうな表情をしている。憐れなと思った。この娘を見ると最近は憐れさばかりを感じてしまう。


「新大典侍は頭中将殿が握り飯を食べないと思ったのです。肝が小さい、臆病と嗤いたかったのでしょう。そういう噂を流して頭中将殿の顔を潰したかったのだと思います」

「でも兄様は食べた」

 呟くような声だった。

「一度食べておけば次は断っても誹られる事は有りませぬ。多分そこまで考えての事でしょうが……。無茶をしますね」

 娘が哀しげな表情で頷いた。頼りになるのだけれどそれ以上に心配ばかり。困った事……。



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― 新着の感想 ―
[一言] まさに夜の関白だ、基綱君
[良い点] >夜御殿、まさか帝が寝所で俺を待っているとは……。 本伝では、主人公は信認している忍を寝所に呼んでいますし、呼ばれた忍も名誉に感じている描写がありました こちらでは逆に、主人公を帝が「忍…
[一言] 握り飯一つでも、腹の読みあい、腹が痛くなりそう。
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