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妻の座




永禄四年(1561年) 五月上旬            山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 倉石長助




「うーむ」

 思わず唸り声が出た。畑に芽が出ている。南瓜の芽だ。近付いて腰を下ろして間近で見た。

「うーむ」

 このような芽が出るのか。はて、瓜の芽に似ているような気がするな。気のせいか? 視線を先に向けた。二間先には唐辛子の芽が出ている。あちらも確認しなければならん。立ち上がってそちらに行き腰を下ろして芽を見た。

「うーむ」

 こっちは茄子に似ているような気がするな。茄子のような実がなるのなら煮て良し、焼いて良しだが……。いや、その前にこれからどう育つのだ? 芽が出たのは嬉しいがさっぱり分からん。分からぬとなれば目を離す事は出来ぬ。毎日来る事になるな。

 

「何を唸っているのだ?」

 背後から男の声が聞こえた。いかんな、芽に夢中になっていて人が来た事に気付かなかった。まあ飛鳥井家の邸内だからな。命に関わるような事は無いから良いか。顔を上げ後ろを振り返ると間宮源太郎殿とその妻の志津殿が居た。内心怯むものが有った。この女子はなかなか値切るのが手厳しいのだ。小雪殿は結構手加減してくれるのだがこの女子は一切手加減がない。遣り辛い。


「芽が出ている」

「うむ、出ているな」

「これから如何育つのかと考えていた」

「ほう、如何育つのだ?」

 源太郎殿が興味ありげに芽を見ている。

「分からん。そちらの芽は南瓜だが形は瓜に似ているような気がする」

「「瓜」」

 源太郎殿と志津殿の声が重なった。二人が顔を見合わせた。


「蔦が伸びるのかしら」

「漬物が楽しみだな」

「俺も瓜の漬物は好きだが未だ分からんぞ。形が似ているだけだからな。全く別な物になるのかもしれん。しかし瓜のようなものなら棚が要るな。案外大きな実がなるのかもしれん。楽しみだ」

「芽だけでそんな事が分かるのか」

 源太郎殿が感心している。


「想像しただけだ。根拠など何処にもない。外れる可能性もある。しかしな、種を蒔いてから早いものは三日ほどで芽が出てきた。案外育て易いものなのかもしれぬ。或いはこの時期に蒔くのが正しかったのか」 

「そっちの唐辛子は如何なの?」

 志津殿が問い掛けてきた。


「茄子に似ているように思うのだがこれも分からん。こいつは五日ほどで芽が出た。南瓜に比べると少し遅いのが気に入らぬが他の野菜でもそのくらいかかる物はざらにある。まあ一月とは言わぬが二十日も経てば南瓜も唐辛子も如何育つかの大体の見当は付いてくると思う」

「二十日か、五月の末だな」

 うむ、五月の末だ。その頃には見当が付いて欲しいものだ。


「しかし少ないのではないか。南瓜も唐辛子も芽は三つしか出ていないが……」

 源太郎殿が首を傾げている。

「種はそれぞれ十五程有ったが一度に全部を使う事は出来ぬ。失敗する事も有り得るからな。さっきも言ったが種を蒔くのが今の時期で良いのかも分からんのだ。少しずつ試していくしかない」

「駄目だったら?」

 志津殿が問い掛けてきた。

「秋から冬にかけて試してみようと思っている。穫り入れは年を越えてからという事になるだろうな」

 二人が頷きながら感心している。ちょっと気分が良かった。


「新しい畑も作っているようだな」

 源太郎殿が視線を少し先に向けた。新たに耕した場所だ。

「うむ。今年この畑が上手くいけば来年はそちらを使う。同じ場所で続けて作ると出来が悪いのだ。あと二つほど作らねば……」

「黒い土を入れていたみたいだけど……」

「あれは土ではない。木の葉を腐らせた物だ。この畑にも入れたぞ。土が肥えるのだ。作物が良く育つ」

 二人が頷いている。


「簡単に作れるのだ。葉を集めて水を掛け米ぬかを二掴み程かける。良く混ぜて麻袋に入れて陽当たりの良い場所に置く。二、三ヶ月程で完成だ」

 此処でも作った方が良いな。一々持ってくるのは面倒だ。秋になれば落ち葉を集めて作ろう。


「そう言えば新しくひとが入ったようだな。未だ子供のようだが……、七恵と言ったかな」

「ええ、春齢様の話し相手にね。歳の近い娘を入れたの」

「なるほど。奥方様を落ち着かせようという事か。焼き餅が酷いと聞いているぞ。中将様は御艶福と評判だからな」

 二人が困ったような顔をした。


「結構噂になっているようだな」

 源太郎殿が顔を顰めながら言った。

「まあ、面白がっている部分があるようだ。分かっているのだろう? 何と言ってもこちらの中将様は異例の御出世だからな」

 摂関家の出身でもないのに十三歳で頭中将だ。裕福だし帝の御信任も厚い。周囲からやっかまれている。その事を言うと二人が頷いた。


「帝の女婿だというのが出世の理由だと思いたい人間もいる。そういう人間はこちらの奥方様の焼き餅が酷い。中将様はとんでもない貧乏くじを引いた。ざまあみろと笑いたいのだ。所詮は鬱憤晴らしよ。それほど気にする事もあるまい」 

 二人が顔を見合わせて息を吐いた。

「幕臣達か」

「公方様もな。余程に中将様が気に入らぬらしいな」

 二人の表情が渋い。長尾による関東制覇は失敗に終わった。その事で中将様を讃える声が上がる一方で公方様を頼りないと嘲笑う声が強まっている。勿論それには俺達も関わっているが俺達が関わらずともそういう声は上がっただろう。公方様や幕臣達から見れば中将様は自分達をコケにする憎い存在でしかない。


「春齢様がお可哀想。未だお若いのですもの、不安なのよ」

 志津殿が呟くように言った。ふむ、値切るだけでは無いな。結構情の厚いところも有るのかもしれん。

「近衛の上の姫は相当に中将様に御執心らしい。御成で夢中になると言われたからな」

「あれは、あの御方が天下を取りそう等と言ったからでしょう。中将様は笑い話にしようとしてそう言ったと……」

 志津殿が不満そうに言った。まあそうだろうな。しかし天下を取りそうと言うのが戯れ言で済ます事が出来ぬのも事実だ。実際にそれなりの武家に生まれていれば相当の存在になった筈という声が上がっている。


「問題は上の姫よりも下の姫、御台所様だ。本来なら四月に室町第に戻る筈だったが未だに戻らぬ。その事を中将様に結び付ける者も居る」

 二人が渋い表情をした。源太郎殿が”あれは”と言うから”分かっている”と遮った。

「近衛家は公方様に近付くのは危険だと思ったのだ。讃岐守様の一件があるからな。だから御台所様を戻さない」

 二人が頷いた。


「しかしな、近衛家、中将様に不満を持つ者達はそれを利用出来ると見たのだ。近衛家を排斥しつつ中将様を貶める。それが狙いだろう。先日、御台所様が此処を訪ねてきた。それも面白く無い」

 公方様の御母堂、慶寿院様も近衛家の出だ。何かと煩い慶寿院様を黙らせようという狙いもあるのかもしれぬ。二人の表情が益々渋いものになった。奥方様と対面したと聞いている。中将様もハラハラしただろうな。この辺で話を変えるか。ふむ、前管領の話よりも目々典侍様の話の方が良かろう。

 

「もう直、目々典侍様が宿下がりされるな」

「ええ、あと十日ほどでこちらに」

 志津殿の声が明るい。源太郎殿も明るい表情で頷いている。

「まあ家族が久し振りに揃うのだ。奥方様も少しは気が晴れるのではないかな」

 二人が頷いた。目々典侍様がお産みになられるのが皇子か皇女か……。宮中では皇子を望む声が強いがそれを望まない者も居る。さて、どうなるか。暫くはこの家から目が話せぬな。




永禄四年(1561年) 五月中旬            山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱




 養母が脇息に身を預けて大きく息を吐いた。お腹を突き出して仰け反るような態勢だ。子供を産むのは大変だよな。背もたれみたいな物を用意した方が良いな。葉月に相談しよう。量産して売り出せば儲かるに違いない。喜んで作ってくれるだろう。

「お疲れでおじゃりますか?」

 気遣うと養母が軽く笑い声を上げた。

「そうですね。動くのも一苦労です」

 宮中から退出して一安心だ。漸く養母をこの邸に迎え入れる事が出来た。


「この邸は養母上の邸でもおじゃります。何事であれ遠慮はなされますな」

「ええ、そうさせて貰います」

 養母が嬉しそうに言った。

「兄様は母様に甘い」

 春齢が口を尖らせた。なんで母親にまで焼き餅を焼くんだ?


「甘いのではおじゃらぬ。養母上を気遣っているのだ。当然の事でおじゃろう。養母上は身重なのだぞ」

「……」

 不満そうな表情は変わらない。養母が一つ息を吐いた。

「困った事。宮中でも評判になっていますよ。そなたの嫉妬が酷い、不満ばかり言っていると。良い事とは思えませぬ」

 春齢がバツが悪そうな表情をした。


「その事で中将殿を嗤う者も居ます。そなたはそれで良いのですか?」

「だって……、兄様にちょっかいをかけるんだもの」

 ちょっかいって、なんだよそれは。養母も呆れている。俺と養母が呆れているのが分かったのだろう。春齢が露骨に不満そうな表情を見せた。

「近衛の寿姫、御台所、それに勾当内侍も皆兄様に夢中よ。非番の日にも呼び出すんだから」

「勾当内侍は帝の命で麿を呼び出したのだ。勾当内侍の独断ではおじゃらぬ」

 仕方ないだろう。頭弁が頼りにならないんだから。必然的に相談相手は俺にならざるをえない。


 内裏を囲む土塀で崩れている場所が幾つかある。帝と勾当内侍は京が戦場になるかもしれないから修理は戦の後が良いと考えていた。戦で土塀を崩されれば二度手間になると考えていたんだ。しかしね、崩れた場所から兵が出入りする方が危険だ。人攫いをしかねないし場合によっては内裏の中で戦闘という事にもなりかねない。今直ぐ修理しようと説得した。この件は山科の大叔父が担当する。大叔父は自分の邸の修理でその手の職人達には顔が利くからな。


「寿姫は? 兄様は夢中になるって言ったのでしょう?」

「御成で天下を取りそうだと言われたからだ。そう言って冗談事にした。皆も興じて笑っていた。その事は教えたでおじゃろう」

 何で蒸し返すかな。納得したんじゃないの。

「御台所は? この邸にも来たわ」

 また口を尖らせた。


「御台所は室町第へ戻るべきか否かで相談に来たのだ。本人は戻りたがっていたが危険だと言って説得した。近衛家のためにもならぬからな。疚しい事はおじゃらぬ」

 春齢が涙目になっている。俺ってそんなに信用無いの。品行方正で女遊びなんてしてないんだけど。

「あの人、私に羨ましいって言ったのよ。兄様が夫で羨ましいって」

 前にもそんな事を言ってたな。養母が大きく息を吐いた。


「困った事。そなたは何も分かっていない」

「……」

「もう直ぐそなたに弟か妹が生まれます。その意味が分かりますか?」

「意味って……」

 春齢が口籠もった。それを見て養母がまた息を吐いた。


「今、帝には誠仁様以外に男皇子は居られません。お世継ぎは誠仁様と皆が思っています。私もです。しかし誠仁様以外に男皇子が居られないのはとても不安です。ですから多くの人が男皇子が産まれる事を願っています。私に男皇子が産まれてもその方が帝になられる事はありませぬ。あくまで誠仁様の控えです。でもそうは思わない人達もいます。私達飛鳥井家の者達が中将殿への帝の御信任を利用して皇位を望むのではないかと懸念しているのです。或いはそういう事にして飛鳥井一族を失脚させようと考えるかもしれませぬ」

 十分に有り得る話だ。公家達だけじゃ無い。公方や幕臣達。俺を目障りだと思っている人間は掃いて捨てるほど居る。


「本来ならそなたと中将殿の婚儀は今頃の予定でした。それが早まったのは帝の御意向も有りましたが宮中に置いていてはそなたが危険だと中将殿が案じたからです。そなたもそれは分かっていますね」

「それは……」

 春齢が渋々頷いた。


「此処に居れば命を狙われる事は無いでしょう。ですがそなたが不満を言い募れば今度はそれを利用出来ると考える者が現れます。飛鳥井一族を失脚させたいと考えている者達です。狙われますよ」

「私はただ……」

 まだ納得していない。養母が俺を見て切なそうに息を吐いた。


「そなたは御台所の事を口にしました。それ自体危険なのです。長尾の関東制覇は中将殿の予想通り、失敗に終わりました。その所為で公方、幕臣達は益々中将殿を憎んでいます。面目を潰されたと中将殿を恨み、その軍略の才を怖れているのです。中将殿と御台所が密かに通じていると誹謗する者が現れるかもしれませぬ。その証拠となるのがそなたの嫉妬、不満です。そうなれば中将殿は失脚しかねませんよ。それで良いのですか? そうなれば中将殿がずっと自分の側に居てくれるとでも思っているのですか?」

「違います! そんな事、考えていません!」

 春齢が激しく首を横に振った。そうなんだ。春齢はそんな事は考えていない。無邪気に焼き餅を焼いているだけだ。だから困るんだ。そんな事が許される立場じゃないという事を理解してもらわないと。


「春齢、良く聞いて欲しい」

 春齢が俺を見た。不安そうな表情をしている。

「幕府内部では近衛家に反感を持つ者も居る。そして公方は御台所に関心を示さない。そう、御台所は邪魔なのだ。上手くいけば麿と御台所、邪魔な二人を共に片付ける事が出来ると考えるかもしれぬ」

「……」

「そなたも朽木を見てきただろう。数打ちやなまくらを渡されたのだぞ。そして忠義を尽くせと要求された。京に兵を出せとな。そういう事を平気でやる者達が幕府には居るのだ。養母上の仰られた事は決して大袈裟ではおじゃらぬ。危険なのだ」

 春齢が項垂れた。可哀想だと思う。現代なら未だ小学生なんだ。


「中将殿、その数打ちやなまくらというのは?」

 養母が問い掛けて来た。叔父御達が酷い刀を貰った事を話すと養母が溜息を吐いた。

「酷い話ですね」

「酷い話でおじゃります。幕府では問題になっているようでおじゃりますが朽木が幕府から離れようとして嘘を吐いているという者もおじゃります。直に戦が起きます。そうなれば有耶無耶になるでしょう。真相を突き止める事は出来ますまい。そして同じような事がまた起きる」

 養母がまた溜息を吐いた。


「分かったでしょう、春齢。危険なのです。帝も案じておられます」

「お父様が?」

 驚いたような春齢の問いに養母が頷いた。

「帝がそなたに朽木に行く事を許したのは余りに不満が酷いので息抜きになればと考えての事です。中将殿を常に夜遅くまで側に留め置いておく事への謝罪も有ったのでしょう。でもそなたからは不満や嫉妬が酷いという話ばかりが聞こえてきます」

 春齢がまた項垂れた。


「中将殿が言いましたがもう直、畿内で大きな戦が起きます。場合によっては京が戦場になるかもしれませぬ。帝はこの危機を乗り越えるには中将殿の能力【ちから】が必要だと思っています。だからそなたとの結婚を急がせ側近である頭中将に任じたのです。それなのにそなたは不満ばかり言っている。これでは中将殿に負担を負わせた事になってしまいます。何のために結婚させたのかと案じるのも当然でしょう。宮中を退出する時に帝からはそなたの事を諭して欲しいと頼まれました」

 春齢が嗚咽を漏らしている。膝に揃えた手の甲にポタポタと涙が落ちた。


「春齢」

「……」

「済まぬな。麿の妻になったばかりに辛い思いをする」

「そんな事ない」

 春齢が鼻を啜りながら首を横に振った。


「時々思う事が有る。麿の妻にならず尼になった方が穏やかで安らかな一生を送れたかもしれぬと。危険とは無縁であっただろうと。そなたもそう思った事は無いか」

 春齢が激しく首を横に振った。

「そうか。思った事は無いか。ならばそなたは耐えなければならぬ。不満を持っても良い。焼き餅を焼くなとも言わぬ。だがそれを口には出すな。文に書いてもならぬ。そうでなければ危険だ」 

「……」

「言いたい事が有るなら麿にだけ言え。麿が聞く。麿にはそのくらいしかそなたのためにしてやれる事は無いからな」

 春齢が床に突っ伏して泣き声を上げた。そんな春齢を養母が悲しそうに見ている。やりきれなかった。






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― 新着の感想 ―
兵の持てない公家は四面楚歌。どこから足元を掬われ首を落とされても不思議ではない緊張感。それを12歳の女の子に理解しろと言っても、周りの悪意を上手く見えないように隠している状態では理解も難しいですよね。…
甘やかされて育ったからでしょうね。 自分は幼少期から保護者がいつ死ぬかわからんと思ってたから、ここまでひどくはなかったけど。
小学生ですし仕方なくない?
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