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報復の恐怖




永禄四年(1561年) 四月下旬            山城国葛野郡    近衛前嗣邸  飛鳥井基綱




「式は、如何だったかな?」

「良い式でおじゃりました」

「ほう、花嫁は?」

「はい、織田の家系は美男美女が多いと聞いておじゃりましたがなるほどと思いました」

 太閤殿下が笑い声を上げた。寿、毬が”まあ”と声を上げている。いやね、本当に美人、いや美少女だった。細身で色白、目が大きくて鼻筋が通り額が広い。聡明そうな感じで性格も朗らかだ。長門の叔父御が照れちゃって真っ赤になってた。春齢がまた焼き餅焼いて困ったわ。


「そのように美しい御方なのですか?」

 寿が興味ありげに聞いてきた。毬がその隣で興味津々といった表情をしている。別に隠す事は無い。疚しい事は無いのだ。”はい”と答えると二人が顔を見合わせ、そして俺を見た。落ち着け、俺には疚しい事は無い。平然とするのだ。二人が俺を探るように見ていたがやがて顔を見合わせて頷いた。うむ、どうやら上手く切り抜けたらしい。太閤殿下がそんな俺達を見て声を上げて笑った。そんな面白がる事じゃないのに……。話題を変えた方が良いな。


「三好と前管領の和睦が纏まりましたそうで」

 俺の言葉に殿下が”うむ”と頷いた。和睦の条件は細川晴元の隠居だ。跡は嫡男の六郎が継ぐ事になっている。この六郎だが天文十七年に生まれたというから数えで十四歳、俺より一歳上になる。未だ幼い時に三好の人質に出されそのまま三好家の元で育った。元服も修理大夫の元でしたらしいが本人は六郎の仮名を諱の代わりに用いている。流石に父親を追い出した人間に付けられた諱は使い辛いらしい。どんな諱を付けられたんだか。修理大夫の諱から一文字取って慶元とでも付けたかもしれん。


 この六郎だが母親は六角定頼の娘だ。つまり六角左京大夫義賢の甥という事になる。三好側としてはその辺りも六郎を殺さなかった理由としてあるのだろう。しかしなあ、晴元が息子の六郎を見殺しにした事は否定出来ない。六角との繋がりもあるから六郎を殺さないと思ったのだろうが六郎から見れば何時殺されるかと不安だっただろう。六郎が父親を慕っているとは思えない。三好側から見れば懐柔出来ると思ったのかもしれん。或いは六郎を使って六角と交渉出来ると考えたか。


「月が変われば前管領は京に戻るようでおじゃるの」

「はい」

 戻った前管領を三好は如何扱うのか……。三好は前管領が今回の一件に密接に絡んでいると確信している筈だ。となれば放置はしない。おそらくは幽閉、もしかすると毒殺もあるかもしれん。幕府、六角、畠山に対しての報復だ。息子の六郎が三好側に居る以上、むしろ邪魔だと思ってもおかしくはない。


「皆喜んでいるそうですわ。迷惑な御方が大人しくなると」

 寿の言葉に毬が声を上げて笑った。俺も失笑した。殿下も笑っている。まあ、その通りなんだけどね。でも迷惑な御方はもう一人居るんだな。こいつが居る限り京が安定する事は無いだろう。困ったもんだよ。


「讃岐守が、死んだの」

「そのようで」

 そう、三好は讃岐守の死を公表した。ようやく公表出来るだけの態勢が整ったらしい。

「未だ若いのに……」

「人間なんて儚いものですね」

 毬と寿が眉を顰めている。二人は讃岐守が毒殺された事は知らない。三好側も病死と公表している。この辺りは駆け引きだな。三好側は死因に不審を感じていない。油断していると思わせているのだろう。


「寿、毬、少しの間、席を外してくれるか。中将と内密の話が、有る」

 太閤殿下の言葉に二人が大人しく従った。それを見届けてから殿下が俺を手招きした。遠慮せずに躙り寄った。脇息に身を預けている。先程までは穏やかな表情だったが今は憂い顔だ。

「公方は大喜びのようじゃ」

 殿下が小声で言った。ふむ、小声の方がスムーズに声が出るな。唇に負担が掛からないからかもしれない。


「毒殺の事は知らぬのでおじゃりますな」

 殿下が頷いた。

「春日がの、訪ねてきた。何故毬が戻らぬのかと」

「教えましたので?」

 問い掛けると殿下が首を横に振った。


「毬が戻り、たがらぬと答えた。その時じゃ、讃岐守の事が話に出た。室町第では天佑だ、勝利は間違いないと、公方が喜んでいると……。困ったもので、おじゃるの」

 いい気なものだな。だがな、敵の死は喜ぶものじゃない。たとえ内心では喜んでも顔では悼むものだ。讃岐守は死んだが修理大夫は生きている。強大な三好は健在なのだ。無邪気、素直というのは必ずしも美点にはならない。殿下も憂い顔だ。碌な事にならないと見ているのだろう。


「叔父の婚儀には三淵大和守、細川兵部大輔が祝いの使者として幕府から来ました」

 殿下がジッと俺を見ている。

「朽木に兵を出せと言ってきたので毒殺の事を教えました」

「どうで、あった?」

「二人とも驚いておじゃりました。知らなかったようで」

 殿下が大きく息を吐いた。そうだよな、無責任に過ぎる。ここで兵を出せば朽木は間違いなく潰される。一つ間違えば朽木は毒殺を事前に知っていた。それが出兵の条件だったと疑われかねない。


「刀の事も教えたようじゃの。春日が言っておった。室町第は大騒ぎじゃと。真の事なのか? 麿には信じられぬが」

 殿下が首を捻っている。そうだよな、普通なら信じられない。

「真におじゃります」

 答えると殿下が溜息を吐いた。


「細川兵部大輔でおじゃりますが京に戻った後、直ぐに大和へと向かったようにおじゃります」

 殿下が”大和”と首を傾げた。ジッと俺を見ていたが目を瞠った。

「か、覚慶か! 義輝を、み、見限ったか!」

 声が高い。”殿下”と言って首を横に振った。殿下がハッとしたように俺を見て肩を落とした。

「見限ったとは限りますまい。ですが危ういとは見ておじゃりましょう」

 殿下が首を横に振った。


「責める事は、出来ぬ。麿とて、毬を戻さぬ、のじゃ」

 力の無い声だ。自分を責めている。

「勧めたのは麿におじゃります」

 殿下がまた首を横に振った。

「毬を戻さぬのは、正解であった。そなたの御陰で、近衛は危難を、免れた」

「……」

 義輝の馬鹿野郎。お前の所為で俺と殿下が切ない思いをしている。


「こうなると、問題は、関東で、おじゃるが……」

「長尾は兵を退きました。小田原城は健在でおじゃります」

 殿下が目を剥いて俺を見た。

「真か?」

「はい、直に関白殿下より報せが届きましょう」

 殿下が目を閉じて息を吐いた。足利はまた一つ追い込まれた……。




永禄四年(1561年) 四月下旬            山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱




「本当に綺麗なのよ、七恵」

「まあ、そんなに?」

 七恵が目を丸くしている。

「ええ、淡海乃海って大きくて本当に綺麗なの。それに桜もとっても綺麗だったわ」

「それは宜しゅうございました」

 七恵が笑うと春齢も声を合わせて笑った。


 七恵は春齢の話し相手として新たに雇い入れた娘だ。年齢は八歳、俺や春齢よりも五歳下になる。最初は年上の娘を探していたのだが年下の方が話し相手には良いんじゃないかという事になって選ばれた。七恵は色は白いが顔立ちは丸顔で性格も良く笑顔が可愛い女の子だ。背は低く当然だが胸は出ていない。春齢も七恵相手に焼き餅を焼く事はないだろう。朽木に行ったのも気分転換になったらしい。今も機嫌良く話している。


 七恵は一日に一刻程は忍者としての修練をしている。体術、剣術、弓、手裏剣。結構厳しく鍛えられている。それとは別に春齢から和歌、笛、琵琶を教わっている。これは重蔵の方から頼んできた。もしかすると鞍馬忍者に新しい技能を取り入れようと考えているのかもしれない。春齢も七恵に教えるのは楽しそうだ。これも悪くない。


「また行きたい。今度は七恵も一緒に」

 春齢が俺に視線を向けると七恵も俺を見た。

「無理だ。暫くはそんな余裕はおじゃらぬ」

 二人が詰まらなさそうな表情をした。

「暫くって?」

「さあ、分からぬ」

 これから戦が始まる。どの程度の戦になるかは分からん。だが一五六三年には観音寺騒動が起きるのだから長くても二年ほどで終わる筈だ。その後は三好修理大夫が死に永禄の変が起きる。永禄の変は一五六五年だ。あと四年、四年で三好一族は義輝を殺すまでに関係を悪化させるという事になる。最後の一年は一触即発のような状況だろう。観光旅行に行くような余裕は無い。


 廊下から”中将様”と声が掛かった。九兵衛が控えている。妙だな、表情が硬い。緊張しているのか?

「如何した」

「お客様でございます。御台所様が」

「御台所? 真か?」

 驚いていると九兵衛が頷いた。


「一人か?」

 また九兵衛が頷いた。太閤殿下も寿も一緒じゃない。一人か……。

「如何なさいます」

 溜息が出た。春齢が俺を睨んでいる。俺が呼んだわけじゃないぞ!

「追い返すわけにもいくまい。客間で会う。そなたも同席せよ」

 九兵衛が”はっ”と畏まって立ち去った。


「何の用かしら」

 好意なんて一欠片も無い口調だった。春齢が横目で俺を睨んでいる。滅入るよ。

「さあ、分からぬ」

 遊びに来たんじゃないだろう。何か厄介事の筈だ。

「私も同席して良い?」

「駄目だ」

 不満そうな表情を見せた。


「多分厄介事の筈だ。関わらぬ方が良い」

「でも」

 溜息が出た。なんで納得しないんだろう。

「養母上から文を貰ったな。何と書いてあった?」

 春齢がバツが悪そうな表情をした。

「……兄様を労って上げなさい……」

「知らねばならぬ事は教えている。これ以上我儘を言うな」

「……はい」

 シュンとしている。なんで俺が罪悪感を感じなきゃならんのだ?


 客間に向かうと毬が思い詰めた表情で座っていた。九兵衛は端に控えている。

「如何なされました」

 敢えて明るい声で話し掛けながら席に座った。毬が俺を見た。困ったような顔をしている。はて……。

「御台所、如何なされました」 

 もう一度問うと毬が”うん”と言った。


「室町第へ戻りたいの」

「……」

「父上も随分と元気になったし元々四月頃には戻るという約束だったから……。その事は中将殿も知っているでしょう?」

「はい」

「でも父上は駄目だって……。理由を聞いても教えてくれないのよ」

 溜息が出そうになった。止めたのは俺だけどね。


「関東制覇は失敗に終わったのでしょう」

「はい」

 三淵、細川の兄弟は室町第に戻ると長尾、いや上杉の関東制覇が失敗した事を伝えた。とんでもない騒ぎになったらしい。情報源が俺だと知ると騙されていると金切り声を上げる者も居たようだ。もっとも三淵、細川の兄弟が俺が嘘を吐いた事が有るかと問うと何も言い返せなかったらしい。やっぱり人間正直が一番だよな。その後、上杉、関白殿下から文が届いた。内容は一定の成果は出たが武田の邪魔で小田原城は攻略出来なかった。武田を討ち滅ぼしてから再度関東遠征を行うというものだった。要するに成功はしなかったけど失敗とも言えない。再チャレンジするから待っててね。気落ちしないでね。そんなところだな。


「室町第ではその所為で近衛は面目を失った。だから私は戻らないんだって噂になっているらしいの」

「愚かな事を。面目を失ったのは幕府でおじゃりましょう」

 呆れたわ。北条、武田、今川は義輝の意向に敵対したのだ。それを近衛の所為にして如何するんだ。現実逃避も大概にして欲しいわ。足利の権威は関東でも通用しなくなっている事に目を向けるべきだろう。


「そうよね。私もそう思う。でも室町第ではそういう事になっているらしいの。私は嫌よ。そんな噂に負けたくない」

「……」

 殿下は讃岐守毒殺の件を彼女に話していない。知っても碌な事にはならない。知らない方が良いと判断している。俺もそう思う。三淵、細川の兄弟も関東制覇の失敗の事は言っても毒殺の事は口にしていない。讃岐守の死が公表されてもだ。証拠も無しに口に出来る事じゃないと判断しているのだろう。密かに調べているのかもしれない。


 今幕府を揺るがしているのは朽木に贈った刀の件だ。誰が指示したのかで大騒ぎになっている。義輝は面目丸潰れだと怒っているらしいが幕臣達からは朽木が嘘を吐いているのではないかという声も上がっているようだ。まあこの辺りは予想通りだ。そして誰が指示したかは未だに分からない。多分、実際に指示した者は独断で行ったんじゃない。何人かで相談して行ったのだろう。口裏を合わせれば義輝を欺くのも難しくはない。新しい刀を贈ったようだが真相は闇の中だろうな。


「ねえ、如何して父上は私を止めるのかしら? 中将殿も賛成しているって言ってたわ。理由は何なの?」

 毬がジッと俺を見た。俺の名前を出したのか。出さなくても良いのに。余程に食い下がられたのだろうな。それで俺の名を出したのだろうが……。

「私には教えられないの?」

 毬がジッと俺を見た。教えられないと言えば勝手に詮索し出すだろうな。何で俺の周りには面倒な女が多いんだろう。溜息が出そうだ。


「三好は相当に怒っておじゃりますぞ」

「……」

「公方は三好を敵視するだけでこれでは何時まで経っても関係は改善しないと」

「それは……」

 毬が何か言いかけて口を閉じた。無理だとでも言いたかったのかもしれない。

「まあ無理でおじゃりましょうな。しかし三好にしてみればしつこい、好い加減にしろ、現実を受け入れろ。そう思っても不思議ではおじゃりませぬ」

 毬が”そうね”と頷いた。


「多分、もうすぐ戦が起こります。畠山、六角が兵を挙げる事になる。その裏には公方が居ると三好は見ておじゃります」

「でも御成が……、それに公方様は三好と細川の和睦を勧めたけど……」

「細川との和睦など三好にとっては挑発も同然でおじゃりましょう」

「……」

 その事は義輝自身が一番良く分かっているだろう。義輝も三好を許せずにいる。義輝が三好を許せれば、協力出来れば畿内は安定するのだ。


「それに讃岐守殿も亡くなり三好の勢威に僅かではおじゃりますが陰りが出た。三好も何処まで我慢が続くか……」

「それって……」

 毬が顔面を蒼白にしている。口に出して自分も危険だと思った。讃岐守は毒殺されたのだ。義輝に対する三好の報復は十分に有り得る。永禄の変はまだ先だと思ったが此処で起きる可能性が無いとは言えない。殺さなくても圧力を加える事は十分に有るだろう。太閤殿下もそれを考えたに違いない。


「麿に言える事は此処まででおじゃります。室町第に戻るのは勧められませぬ」

「……」

「御台所」

 声を掛けると毬が溜息を吐いた。

「分かりました。室町第には戻りません」

 漸く納得したか。

「中将殿」

「はい」

「折角此処に来たのです。春齢様にお会いしたいのだけれど……」

 なんでまた面倒な事を……。溜息が出た。




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― 新着の感想 ―
[一言] 本編のほうでは、女性陣には表(仕事)の話とそれ以外をきっちり切り分けて伝えていたし、女性陣側も割り切ってたと思うんですけど、こっちでは、どの女も表の話に首突っ込んで来て、そんなに死にたいんで…
[気になる点] 現状の状態を主人公に説明させる為に 女性キャラを愚かにしてるのかもしれないが 毎回毎回同じで女性キャラに成長を感じず ヘイトを溜めるだけになってる気がする
[一言] 連続の更新ありがとうございます。 春齢の話し相手は、キリじゃなかったか。 どこかで登場するのかな?
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