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天文二十二年(1553年)  九月下旬      山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 目々典侍




 「夜分御迷惑をお掛け致しまする」

 「いや、この時間にと願ったのはこちら、弾正殿には御足労をお掛け致しました」

 竹若丸と松永弾正が挨拶を交わした。宮中の一室、同席するのは私と兄の二人。薄暗い灯りの中で四人の顔が浮かんでいる。九月下旬、部屋の中はそれほど暑くは無い。


 「左衛門督様、目々典侍様にも御手数をお掛けしました」

 「なんの、気になされますな。良い思い出になりましょう」

 「真、妹の言う通りでおじゃる」

 弾正は兄の案内でここまで来た。帰りも兄が案内する。兄にとっては好都合だろう。私も兄もこの会見で竹若丸の真の姿が見えてくると思っている。三好筑前守を怯えさせたその才能を。そしてこの会見の事は親王様にもお伝えしてある。親王様も大きな関心をお持ちだ。だが竹若丸はその事を知らない。


 「それで弾正殿、私に相談したい事とは?」

 竹若丸の問いに弾正が姿勢を正した。

 「実は、三好家内部にて公方様を廃し新たに平島公方家より義維様を公方に迎えようという動きが有りまする」

 “なんと”と兄が呟き慌てて口元を扇子で隠した。私も驚きを隠せない。だが竹若丸は黙って聞いている。


 「竹若丸殿は如何思われますや?」

 竹若丸が“はて?”と呟いた。

 「それに答える前にお伺いしたい。筑前守様は弾正殿が此処に居られる事を御存じなのですか?」

 「いえ、某の一存のござる」

 「表に漏れれば厄介な事になりますぞ」

 弾正が頷いた。


 「確かに厄介な事になりましょうな。しかしそれは某個人の厄介。困った事に三好家にもこれ以上は無いというくらいの厄介事が生じ申した」

 「……」

 弾正と竹若丸がジッと見詰め合った。

 「六角家、畠山家が気付き申した。公方様の解任は認められぬと当家に使者を送って参ったのです」

 兄がごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。顔が強張っている。多分私も強張っているだろう。


 「なるほど、甲賀が動きましたかな」

 「……かもしれませぬ」

 「……」

 「今回の三好家と公方様の戦い、六角、畠山の両家は非は公方様に有ると見ております。公方様は主筑前守に細川右京大夫晴元は決して許さないとの誓紙を二度も出しながらそれを反故になされた。お若いとはいえ許される事では有りませぬ。そしてそれを唆した上野民部大輔、進士美作守らの幕臣達に対しても強い不信感を持っております。それ故両家は公方様に同調せず静観しました。しかし、公方様を廃すとなれば六角、畠山は必ず反対し戦となりましょう」

 弾正が大きく息を吐いた。弾正の溜息も分からないでは無い。一つ間違えば三好対六角・畠山の戦争が始まるだろう。六角・畠山は当然だが公方、細川右京大夫晴元と連合する。畿内は荒れに荒れるだろう。私達の顔も強張ったままだ。

 

 「阿波から公方様を迎えようというのはどなたの意見です。六角、畠山が動くとなれば一人や二人というわけでは有りますまい。それなりの実力者、勢力が有る筈」

 竹若丸の問いに弾正が“いかにも”と頷いた。

 「声高に主張しているのは三好孫四郎様、それに三好豊前守様、安宅摂津守様、十河讃岐守様が同調しておられます。他に阿波の篠原孫四郎。筑前守様も無視は出来ませぬ」

 溜息が出そうになった。兄が首を振っている。三好家でも錚々たる顔ぶれが公方の解任を望んでいる。六角、畠山は可能性が有ると見たのだ。竹若丸が“なるほど”と頷いた。


 「その方々に六角、畠山から使者が来た事は話していないのですか?」

 弾正が首を横に振った。竹若丸が眉を顰めた。

 「では六角、畠山との戦を覚悟していると?」

 “はい”と弾正が答えた。空気が痛いほどに強張った。いや強張ったのは自分の身体だろうか。

 「公方様が三好を侮るのも約めて言えば六角、畠山が在るからだと。公方様を解任し六角、畠山を叩けばもう三好を侮る様な者は現れるまいと」

 竹若丸が“フフフ”と笑った。

 「確かに一理有りますな、もっとも勝てるかという問題がある。勝てるのなら一気に三好家の勢威は天下を圧しましょう」

 弾正がゆっくりと頷いた。


 「その方々は勝てると見ております」

 竹若丸がまた“フフフ”と笑った。

 「弾正殿はそうは思っておられない、そうですな?」

 「有利には戦えましょう。某も否定は致しませぬ。しかし勝ち切れるかと言われれば……」

 弾正は沈痛な表情だ。兄と顔を見合わせた。兄も難しい表情をしている。竹若丸だけが笑みを浮かべていた。この事態を面白がっている。どう受け取ればよいのだろう。


 「勝ち切る自信は有りませぬか」

 弾正が“ホウッ”と息を吐いた。

 「平島公方家が天下の諸大名に将軍として認められるとは思えませぬ。認められるのならば先代の筑前守様があのようなご最期を遂げる事は無かった……」

 呟くような口調だ。

 

 先代の筑前守、三好元長は平島公方家の義維を公方にするべきだと考え細川右京大夫にもそれを訴えた。だが右京大夫は義維では天下の諸大名が納得しないと見た。右京大夫は三好元長、足利義維を切り捨て現公方の父、足利義晴を公方とした。右京大夫としては幕府を安定させ細川政権を安定させるには已むを得ないと思ったのだろう。実際右京大夫が義晴を公方と認めた事で幕府は安定した。だがその事が今の三好と公方・細川の対立の原因になっている。


 「おそらく六角、畠山にとどまらず三好に敵対する者が続出するのではないかと思っております。戦は続く」

 「なるほど、それが勝ち切れぬですか」

 弾正が“はい”と頷いた。

 「筑前守様は如何お考えなのです」

 「迷っておられます。皆の意見を無視は出来ませぬ。それに筑前守様にも公方様に対して恨み、そして信用出来ぬという不満が有られる。しかし勝てるという確証もない……、迷っておられるのです」

 もしかすると弾正が此処に来たのは三好筑前守の密かな命令によるものなのかもしれない。兄が私を見た、同じ事を考えた?


 「それで、今一度問いますが何故私に?」

 弾正が姿勢を正した。

 「されば竹若丸殿は主筑前守がその才を認めたお方、何か良きお知恵は無いかと」

 「……」

 「それに公方様が解任され阿波より公方様が迎えられれば三好孫四郎様の勢威は今以上に増しましょう。竹若丸殿にとってそれは避けたい事態ではありませぬか?」

 竹若丸が声を上げて笑った。


 「弾正殿はなかなか交渉が上手い。嫌いではありませぬよ、そういう方は」

 竹若丸が上機嫌で笑うと弾正が“畏れ入りまする”と言って笑った。笑い終わるとシンとした。ここからが本当の会談だろう。兄も緊張を見せている。

 「公方様を解任したいと仰られている方々は公方様は常に三好家を敵視している。それに煽られる諸大名が居る以上、三好家は常に敵を抱え続ける事になる。それを危惧しておられるのですな。どこかで断ち切りたいと」

 弾正が頷いた。


 「ならば解任は下策でしょう。弾正殿の申される通り、戦は続きます。諸大名からは三好家は増長し自分の意のままになる将軍を作ろうとしたと非難される事になる。公方様を忌諱する気持ちは分かりますが冷静に考えれば三好家のためにはなりませぬ」

 また弾正が頷いた。


 「六角、畠山には将軍の解任はしないと答えた方が良いでしょう」

 「しかし」

 遮ろうとした弾正を竹若丸が“お待ちあれ”と制した。大したものだ、声には余裕が有った。

 「その際、六角、畠山には三好家が怒っているという事を強く訴える事です」

 「……と言いますと」

 竹若丸が表情を改めた。弾正が座り直した。


 「二度も誓詞を出して誓ったにも拘らず公方様はそれを破った。天下の将軍が自ら約を破るとはどういう事なのか。それで武家の棟梁と言えるのか。義藤公には将軍としての資質無し、これを解任すべきであるという意見も家中には少なからず有るがそれを行えば天下大乱となる。筑前守様は家中の者に皆の気持ちは良く分かるが天下を乱すような事をしてはならぬと諭して抑えている。それだけに今回の公方様の為さり様、筑前守様の怒りは大変大きい。公方様として認めはするが今回の件は許す事は出来ぬと考えている」

 「……」

 弾正はじっと考えている。


 「いずれ筑前守様の怒りが収まれば和睦という事になろうが条件は厳しくなるだろう。その時はお力添えを頂きたい。そう言っておけば六角、畠山は動きますまい」

 「なるほど。公方様の地位は安泰、和睦の意思も有る。自分達に協力を要請してきた。敵視しているわけでは無い。後は筑前守様の御腹立ち次第か……。そして筑前守様が御怒りになるのも道理、となれば六角、畠山も敢えて戦をとは考えぬか……」

 弾正が頷きそして竹若丸に視線を向けた。


 「竹若丸殿のお考えは良く分かり申した。しかし三好孫四郎様達への手当ては?」

 竹若丸が“フフフ”と笑った。老獪な感じがした。とても五歳には見えない。

 「放置で宜しいでしょう」

 「放置?」

 弾正が声を上げると今度は竹若丸が声を上げて笑った。


 「公方様の事です」

 「……」

 「公方様が居ないのです。幕府に、この京に三好家の力を浸透させる良い機会では有りませぬか?」

 「……」

 「そのためにも筑前守様の御怒りは長く続いた方が良いでしょう。和睦は急がぬ事です。将軍が京に居ない事が当たり前になる、皆がその事に不安を感じぬようになれば……」

 「なるほど」

 弾正が大きく頷いた。驚いた、竹若丸は公方から実権を奪えと言っている。今以上に傀儡にしてしまえと。兄は顔を強張らせている。


 「公方様を解任し阿波から新しい公方様を迎えても義藤様は納得しますまい。互いに自分こそが将軍であると称し全国の諸大名はそれに引きずられる事になる。つまり皮肉ではありますが公方様の、足利の存在感と影響力はより大きくなる。その辺りの事も話せば……」

 竹若丸が口をつぐみ笑みを浮かべると弾正が大きく頷いて“必ずや納得致しましょう”と言った。なるほど、天下の諸大名はどちらの将軍を支持するかを迫られる事になる。乱れはするがより影響力が増すという事も有るのだ。

 



天文二十二年(1553年)  九月下旬      山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井竹若丸




 会談が終わり伯父と弾正が部屋から居なくなると養母が話しかけてきた。

 「竹若丸、三好筑前守殿は弾正が此処に来た事を真に知らないと思いますか? 私にはそうは思えませぬが……」

 「さあ、私には分かりかねます」

 養母が不満そうな表情を見せた。もう少し真面目に答えろと思ったのかもしれない。


 知っているというより筑前守の意向で此処に来たんじゃないかな。六角、畠山が知ったという事だったが筑前守が積極的に家中の内情を流して六角、畠山の反応を探ろうとしたんじゃないかと思う。

 「養母上、将軍解任の話ですが宮中で噂になっておりますか?」

 養母が“いいえ”と言って首を横に振った。

 「そのような話は聞いた事が有りませぬ。兄上も驚いておられました」

 そうだな、驚いていた。となると作り話、或いは冗談のような話だったのかもしれない。それを利用した。反対が無い様なら一気に解任して平島公方家から将軍をと思ったのだ。義藤が将軍では幕府内部に浸透し辛い。平島公方家の将軍の方が幕府内部に浸透し易いと思った可能性は有る。


 筑前守は迷っているという事だった。案外反対は無いと思っていたのかもしれない。両家とも戦には参加しなかったからな。特に六角は代替わりの後だ、代替わり直後は拡大路線より内部統制に時間をかけるのが普通だ。不満には思っても敵対はしないと考えたとしてもおかしくは無い。だが六角も畠山も解任を許そうとしない。筑前守にとっては予想外の反応だった。思い切ってハイリスク・ハイリターンを選択するかと悩んだとしてもおかしくは無い。見かねて弾正が俺の意見を聞いてみようと提案した……。こっちかな?


 「これからも将軍家と三好家の対立は続くのでしょうね。お互いに父親を殺されていますし」

 お互いに父親を殺されている? 妙な事を言うな、筑前守の父親は殺された。殺したのは一向一揆だが唆したのは細川晴元で足利義晴を将軍にするためだった。三好が足利を恨むのは分かる。しかし殺された将軍は足利義教と義輝しかいない。今の将軍は義藤、多分年代的に義輝の事だと思うのだが父親が殺された?


 「養母上、互いにとは?」

 養母が“ああ、そなたは知らないのですね”と言った。

 「先代の公方、義晴公は筑前守殿と対立し敗れ朽木に逃げました。そなたが生まれた頃だったと思います」

 その話は俺も聞いている。

 「義晴公は京の奪還を目指し坂本から穴太(あのう)へと移ったのですがその頃から病がちだったようで穴太で亡くなられました。水腫だったと聞いています」

 それも聞いている。


 「ですが本当は病で動けなくなりそれを恥じて自害したとも言われているのです」

 その話は聞いていない。本当かな? 

 「無責任な噂ではないのですか?」

 養母が首を横に振った。

 「亡くなる前日には絵師を呼んで寿像を画かせています。絵師は義晴公の死を知って驚いたそうです。そなたは偶然と思いますか?」

 「……」

 病の所為で動けなくなり京の奪還は不可能になった。征夷大将軍の地位にあるものが病で動けない。屈辱だろう。死を決断し最後に絵を描かせたとしてもおかしくは無い。


 「公には病死とされていますが実際には自害、憤死ではないか、多くの者がそう思っています」

 そう言うと養母が溜息を吐いた。なるほどな、本来なら三好と協力するのが幕府を安定させ将軍の権威を高める最善の手だ。にも拘らず義藤が打倒三好を叫ぶのは三好が父親の仇という認識があるからだろう。幕臣達が三好排斥に同調するのも単純に義藤への迎合ではないのかもしれない。将軍を憤死させた者など許せないと考えた可能性はある。御爺ならその辺りの事情は知っているだろう、確認してみるか。……いや、待てよ。


 「養母上、その時義晴公の御傍には伯父上が居たのでは有りませぬか?」

 飛鳥井は昵近衆だ。今でこそ飛鳥井家は足利将軍家から距離を取っているがその当時は誰かが傍に居た筈だ。養母が首を横に振った。

 「一度兄に訊いたのですが教えてくれませんでした。それ以降、訊いていません」

 否定はしていない。ならば事実か。養母は暗い顔をしている。養母も事実だと思っているのだ。


 これが事実ならば三好が義藤を忌諱するのは自らの父親の事だけではなく先代の公方の事が有るからと見た方が良い。互いに恨み骨髄に徹しているわけだ。これじゃ義藤は打倒三好を諦めないし三好も公方を忌諱し続けるだろう。そこに細川が絡み六角、畠山が絡むか。最悪だな、畿内の安定なんて夢のまた夢だ。


 「竹若丸、これからどうなりましょう」

 養母が不安そうな表情をしている。憂い顔がなんとも美人だ。俺が大人だったら“心配するな”とか言って肩を抱き寄せるんだが……。

 「さあ、筑前守様次第ですね」

 養母がまた不満そうな表情を見せた。馬鹿にしているとでも思ったかな。しかしなあ、そうとしか言いようがない。畿内は三好を中心に動く筈だ。皆がそれに振り回されるだろう。


 筑前守が俺の案を受け入れれば義藤は暫くは朽木で逼塞だな。御爺への文には今回の解任の件も書いておこう。義藤、幕臣には知らせるなと書いた方が良いな。ヒステリックに騒がれては御爺や長門の叔父もうんざりだろうからな。





この解任の話ですが実際に有った話です。但し時期的にはもう少し後なんです。大体1555年くらいですから小説と比べると一年半くらい後ですね。三好家、六角家、畠山家でかなり問題になったらしい。この時、六角家との交渉役だったのが松永久秀でした。この時、久秀は義輝を約束を破ったと責め朽木で逼塞しているのも天罰が下ったのだと言ったそうです。

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[良い点] 一日で二つも更新をありがとうございます。 [一言] 若いとはいえ、天下に轟く梟雄が縋るほどの智謀 某帝国の士官学校校長閣下の上を行きます 天下唯一の知恵袋 今後に放たれる神算鬼謀が楽しみで…
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