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怨恨

もしかすると今日、もう一話更新するかもしれません。




永禄四年(1561年) 四月中旬            近江国高島郡安井川村  清水山城  細川藤孝




「これは」

 部屋に通されて足が止まった。朽木民部少輔殿、長門守殿の他に中将様が座っている。兄と二人、驚いていると中将様が笑い声を上げた。

「久しゅうおじゃりますな、兵部大輔殿。まさか此処で会えるとは思っておりませんでした。そちらが兄君の三渕大和守殿でおじゃりますかな?」

 慌てて座って頭を下げた。兄も同じように頭を下げている。


「お久しゅうございまする。我が兄、三渕大和守藤英にございまする」

「お初に御挨拶をさせて頂きまする。三渕大和守にございます。弟が中将様から御厚情を頂いていると聞いております。心からお礼申し上げまする。これを機に弟同様、昵懇に願いまする」

「いやいや、こちらこそよしなに願いまする。大和守殿、いつでも邸にお出でなされ。歓迎致しますぞ」

 頭を上げた。中将様が穏やかな表情でこちらを見ている。そして民部少輔殿、長門守殿が幾分緊張した表情でこちらを見ていた。


「驚かれましたかな。祖父と叔父がお二人に会うと聞きました。ならば麿も一緒にと頼んだのです。婚儀の前でおじゃりますからな。色々と準備もある。話は一度に済ませてしまいましょう。その方が面倒が無くてよい」

 分が悪いと思った。刀の件も有る。如何しても引け目を感じてしまう。兄も遣りづらそうな表情をしている。


「倅達から話は聞いており申す。思うところは有るが刀の事は置いておこう。公方様は朽木を頼りにしている。これからも幕府のために力を尽くして欲しいとの事でしたが具体的に朽木に何を望んでおられるのかな?」

 民部少輔殿が我らを交互に見ながら問い掛けてきた。随分と直裁的だ。場を和ませるような雑談は不要という事らしい。交渉は厳しくなると思った。兄がこちらを見て”私から話そう”と言った。


「公方様は長門守殿に京に兵を出して頂きたいとお望みです」

 民部少輔殿、長門守殿の表情が硬い。不愉快なのだと思った。

「それは三好と戦うための兵かな? 大和守殿」

「如何にも。公方様は長門守殿の武勇に期待しておられるのです」

 兄が答えると民部少輔殿と長門守殿が顔を見合わせた。二人が苦笑している。


「如何思う、長門守」

「無理です、とても出せませぬ」

 長門守殿が一つ息を吐いてからこちらを見た。

「京で三好対畠山、六角の戦が起きそうだという事は中将様より伺っております。それに合力せよという事なのでしょうが朽木が兵を出せば浅井が動きかねませぬ」

 浅井が? はて、兄も訝しんでいる。


「しかし、浅井は野良田の戦いでの損害が大きく動けぬのではありませぬか?」

 私が問うと長門守殿が首を横に振った。

「密かに戦支度を整えているようです。浅井が攻めてくるのではないかという噂が流れております」

 まさかと思った。六角からは浅井が動く事は無いとあったが……。


「おかしな話ではなかろう。三好対畠山、六角の戦となれば相当の大戦になる筈。六角は総力を上げねばなるまい。浅井がその留守を狙って兵を動かす事は十分に有り得る。違うかな?」

「……」

「それに南は六角の本領なれば守りも堅いかもしれぬが西の高島郡は小さい国人領主が多い。浅井も攻め易い筈だ。まして六角に従って兵を出していれば高島郡はがら空きに近い。兵部大輔殿は浅井の損害は大きいと申されたが二千程の兵でも十分な成果を期待出来よう。或いは三好が浅井を唆す可能性も有る。違うかな?」

 兄と顔を見合わせた。渋い表情をしている。多分自分もだろう。三好が浅井を唆す。民部少輔殿の指摘した事は有り得ないとは言えない。それに高島郡なら兵を動かし易いというのも尤もだ。


「大和守殿、兵部大輔殿」

 中将様が我等の名を呼んだ。

「そなた達は十河讃岐守殿の事をご存じかな?」

 讃岐守? 兄と顔を見合わせた。一体何を……。

「暫く前から姿が見えぬと聞いております。病ではないかと噂が立っておりますが……」

 兄が答えた。長くは保たないのではないかというのが大方の見方だ。十河讃岐守は鬼十河と称される程の猛将。その讃岐守が居ない。その事も今回の戦で優位に立てるという根拠の一つになっている。


 中将様が民部少輔殿、長門守殿へ視線を向けた。二人は渋い表情をしている。中将様が”困った事でおじゃりますな”と言った。困った事? 中将様が私達に視線を戻した。

「讃岐守殿は既に死んでおじゃりますぞ。この世には居りませぬ。一月程前の事になりましょうな。御成の前の事です」

 なんと! 既に死んだ? 御成の前? 三好は隠していた?

「死因は毒殺」

「毒殺?」

 思わず声が出た。兄が”それは真でございますか?”と上擦った声で中将様に問い掛けた。毒殺?


「真でおじゃります。三好の者から聞きました」

「なんと……」

 それほどの大事を中将様に伝えるとは……。中将様と三好には相当に強い繋がりが有るのだと思った。それにしても毒殺……。一体誰が……。

「それ故御成の時に三好と細川の和睦を勧めました。あの時点で戦となれば三好は相当に追い込まれた筈。京が戦場になる事も十分に有り得た。そうなればまた京は焼け野原になってしまう」

 中将様が息を吐かれた。なるほど、三好は中将様に態勢を整えるために時を稼ぎたいと言ったのかもしれない。そして中将様は京を戦火から守るために三好に合力したという事か……。


「公方はそのような事は気にしますまい。困った事でおじゃりますな。自分は武家の棟梁だと言っておりますが無責任に過ぎる。御陰でこちらが憎まれ役を務める事になる」

「憎まれ役など」

 私が言うと中将様が”ホホホホホホ”と笑い声を上げた。

「幕臣達の間では戦のきっかけを麿が潰したと不評なのではおじゃりませぬかな?」

 中将様が皮肉そうな目で私と兄を見ている。思わず目を伏せた。その通りだ。そういう声が有る。


「讃岐守が毒殺された以上、足利と三好の怨恨は更に深まった」

 兄が”お待ちください!”と声を張り上げた。

「中将様、公方様は讃岐守殿の毒殺には関わってはおりませぬぞ」

 中将様がジッと兄を見た。

「では幕臣達が勝手に動きましたかな」

「それも有り得ませぬ。室町第でそのような話が討議された事は無いのです。そうであろう、兵部大輔」

 兄が厳しい表情で私を見た。


「はい、そのような事は有りませぬ」

 確かに無い。しかし幕臣達の中に勝手に動いた者が居ないとは言えない。

「ホホホホホ、では刀の事は討議されましたかな?」

「……それは……」

 兄が言葉に詰まった。中将様が”ホホホホホ”とまた笑った。それも討議されていない。一部の幕臣が勝手に遣った事だ。


「幕府内部では進士一族の力が強まっていると聞きました。確か以前に修理大夫殿を暗殺しようとしたのも進士一族だった筈。違いましたかな?」

 民部少輔殿、長門守殿が厳しい表情でこちらを見ている。もう曖昧な話は通用しないと思った。


「兄上、認めましょう」

「何を言う! 何処にも証拠は無いではないか! 我等も相談には与らなかった!」

 兄がムキになって反論した。

「そうではありませぬ。公方様が関与した可能性、幕臣達の一部が関与した可能性は否定出来ないという事です。なにより三好の者達は必ず公方様の関与、幕臣達の関与を疑う筈。何も無かった等と言っても通用しません。となれば此処で否定する事に意味が有りましょうか?」

 兄が唇を噛み締めている。もしかすると兄は讃岐守暗殺の真実よりも自分がそれに関わらなかった事を口惜しく思っているのかもしれないと思った。 


「そうでおじゃりますな。三好は必ず疑いましょう。それにたとえ関係していなくても畠山、六角に対して三好を討てと煽ったのは公方。となれば無関係とは言えますまい。三好が公方に責任が有ると思うのは必定。違いますかな?」

「……」

「今一度言いますぞ。讃岐守が毒殺された以上、足利と三好の怨恨は更に深まった。これを前提に話をすべきではおじゃりませぬかな?」

「……」

 今度は兄も反論しなかった。皆が押し黙っている。重苦しい空気が纏わり付く。民部少輔殿が咳払いをした。


「兵は出せぬ。兵を出せば三好は必ず朽木を潰しに掛かるだろう。朽木は二万石じゃ。六角、畠山ほどの大身なら三好の攻勢を撥ね返せようが二万石の朽木にはそれが出来ぬ。朽木の家は滅びる事になろう。そのような事は出来ぬ」

「我等が勝てば……」

 兄が呻くように言うと長門守殿が首を横に振った。

「勝てれば良いと思います。負ければ?」

 答えられない。負ければ三好は必ず朽木を攻めるだろう。京に兵を入れた朽木を三好が許すとは思えない。朽木は攻め辛い場所に在る。多少の損害を三好に与えられるかもしれない。だが多勢に無勢だ。最後は滅ぶ事になる。


「それにたとえ勝っても三好を滅ぼす事が出来ましょうか? 三好は四国に戻り捲土重来を期するのではありませぬか? 戻ってきた時には必ず朽木を攻め滅ぼす事になりましょう」

 これも道理だ。三好を滅ぼす程の大勝利を得られるとは思えない。そして形勢が不利となれば四国へ戻って時期を待つのは三好の御家芸だ。残念だがこちらには四国に戻った三好を討つ手立てが無い。長門守殿の危惧は無視出来ない。


「……関東では長尾弾正少弼様がもうじき小田原城を攻め落としましょう。そうなれば新たな関東管領として関東を治める事になります。長尾様が上洛すれば朝倉も上洛するでしょう。三好を必要以上に怖れる事は無いと思いますが」

 兄の言葉に民部少輔殿、長門守殿が中将様を見た。中将様が一つ息を吐いた。憐れむように我らを見ている。


「長尾殿は兵を退きましたぞ。小田原城は健在でおじゃります」

 ”なんと!”、”まさか!”。思わず声が出た。兄も愕然としている。関東制覇が難しい事は分かっていた。だが十万の兵が集まったのに落とせなかったのか……。

「武田が北信濃で動いたようでおじゃりますな。放置すれば越後へ攻め込むと長尾殿は見たのでおじゃりましょう。それに集まった者達の中には兵糧が不安だと言って撤兵を望む者が少なからず居たとか。近年、関東は凶作が続いたと聞きました。兵糧の不足は余程に深刻だったのかもしれませぬ。長尾殿は小田原城の包囲を解き鶴岡八幡宮で上杉家の家督継承と関東管領への就任を行ったようです」

「……」

「これからは関東で北条と。信濃で武田と戦うことになる。上洛などとても」

 中将様が笑いながら首を横に振った。その通りだ。関東の兵は当てに出来ない。公方様の望みがまた一つ潰えた……。


「大和守殿、兵部大輔殿、公方様にはこうお伝えして欲しい。浅井に不穏な動きが有る以上、朽木は兵は出せぬと」

「民部少輔殿、讃岐守殿の事は……」

 私が問うと民部少輔殿が苦笑を漏らした。

「公方様は関わり無いのでござろう。ならば言ったところで我等の危惧は御理解頂けまい。それどころか兵を出さぬために嘘を吐いていると思うかもしれぬ。それに中将は三好からその事を聞いた。それを言えば朽木は中将を通して三好に繋がっていると疑いを持たれるのがオチでござろう。碌な事にはならぬ」

 最後は不愉快そうな表情だった。兄と顔を見合わせた。私が首を横に振ると兄が頷いた。已むを得ない。民部少輔殿の危惧は尤もだ。


「分かりました。公方様にはそのように伝えましょう」

「万一、公方様が三好に攻められた時は朽木谷へと落ちられれば良い。そこからならこの清水山城は直ぐじゃ。後は淡海乃海を渡って六角を頼るか、或いは陸路で朝倉を頼るかを選ばれれば良かろう」

「この城にての滞在は叶いませぬか?」

 問い掛けると民部少輔殿が首を横に振った。

「公方様と三好の対立はこれまでに無い程に深まった。三好が此処を攻めれば我等は公方様を庇いきれぬ。公方様には逃げて頂く事になろう。となれば公方様は朽木を見捨てて逃げたと悪評が立つ。御名に傷が付く事になる。それは避けねば……」

「確かに」

 厄介払いなのかもしれぬ。それでも民部少輔殿の言を否定出来ない。公方様が此処に滞在するのは危険だ。


 会談を終え、用意された部屋に戻ると兄が大きく息を吐いた。肩が落ちている。

「困った事だ」

「朽木の事でございますか?」

「いや、幕臣達の事よ。碌な事をせぬ」

 兄がまた一つ息を吐いた。


「兄上は讃岐守殿毒殺に公方様が、或いは幕臣の誰かが絡んだと思われますか?」

「兵部大輔、そなたは如何思う?」

 問い掛けたが逆に問い返された。兄がジッと私を見ている。

「無いとは言えませぬ。毒殺に動いたのは六角か畠山でしょうがそれを口に出した者が室町第に居たのかもしれませぬ」

「……」

「それにあの場でも言いましたが三好は必ず幕府の中の誰かが関与したと疑う筈です。御成は幕府側から持ち掛けた事でした」

 御成を利用して三好を騙す。そして細川との和睦を持ち掛けて六角、畠山に兵を挙げさせる。これは進士、上野が公方様に勧めた事だった。讃岐守毒殺はその渦中で行われた事だ。到底無関係とは思えない。兄がまた一つ息を吐いた。


「進士、上野を疑っているのか?」

「兄上は如何です?」

 今度は私が問い返した。兄が視線を伏せ”否定は出来ぬ”と言った。そして一つ膝を強く叩いた。

「困った事だ。三好の力は山城国にも及んでいる。我等は三好の勢力範囲の中に居るのだ。何故そこを考えぬのか。敵対なら良い。だが毒殺ともなれば中将様の仰られるとおり怨恨になる。それが強まれば公方様の御身に危険が及ぶかもしれぬというのに……」

 兄の表情が歪んだ。今のままでも互いに父親を殺されたと思っているのだ。だが互いになら痛み分けであろう。それに両者とも直接手に掛けたわけではない。微妙だが均衡は取れていた。しかし今回の毒殺でその均衡も崩れる事になる。


「兵部大輔、此度の戦だが三好を滅ぼす程の大勝利を得られぬのなら思いっきり負けた方が良いと私は思っている」

「……その訳は?」

 問い掛けると兄が頬を歪めて嗤った。

「中途半端な勝ち負けでは三好の肚が収まるまい。そうなれば三好の怒りは公方様へと向かう事になる」

「……兄上は三好が公方様を弑すと? 主殺しになりますぞ」

 兄がジッと私を見た。そして嗤った。


「武士とはそういうものであろう。赤松も六代様を弑した」

「……確かに」

 六代将軍足利義教公は赤松満祐に殺された。その理由は義教公に滅ぼされると赤松が怯えたからだった。座して死を待つのは武士に非ず、たとえ主であろうとも自分を殺そうとする者には立ち向かうのが武士。赤松は武士としての一分を通したに過ぎない。となれば三好も同じ事を考えるという事は十分に有り得る。兄がまた膝を叩いた。余程に憤懣が溜まっている。


「京に戻ったら大和へ行ってくれるか」

 大和?

「……一乗院でございますか?」

 兄が無言で頷いた。一乗院には公方様の弟君覚慶様が居られる……。

「分かりました。覚慶様にお会いします。あくまで御機嫌伺いですが。それで宜しいですな?」

「それで良い。まあ無駄になれば一番良いがな」

 兄が沈痛な表情をしている。確かに無駄になれば良い。だが兄は楽観していない。最悪の状況に備えようとしている。





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こっちの三淵兄ぃはまだまともそう…
[良い点] >部屋に通されて足が止まった。朽木民部少輔殿、長門守殿の他に中将様が座っている。 幕臣としては上位にある兵部大輔と大和守の二人は上座に通されると思っていたら、そこには頭中将が上座に、そして…
[一言] 義輝と上野たちを毒殺するから幕府は許して、と持ち掛けても良いじゃない。
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