表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/100

怯え

明日も更新します。




永禄四年(1561年) 四月中旬            近江国高島郡安井川村  清水山城  飛鳥井基綱




 叔父御達が苦笑いを浮かべている。そして御爺、長門の叔父後、大叔父、主殿は不愉快そうな表情をしていた。誰が刀を選んだのかは分からない。だが人を馬鹿にした遣り方だ。御爺達が不愉快になるのも当然だろう。俺に対する反発もあるのだろうが朽木を小身と侮る気持ちもあるのだと思う。朽木は小身、それならこれで十分。どうせ文句は言えないのだ。そんなところだろうな。馬鹿な連中だ。幕府には力が無いのだ。となればどれだけ味方を集められるかが大事なのに。一番身近な朽木にそっぽを向かれている。そんな幕府に誰が力を貸すというのか……。


「兄様、数打ちって何?」

 春齢が困ったような表情で訊ねてきた。苦笑いが皆に伝染した。まあ分からなくても仕方無いよな。

「大量に作られた粗悪品だ」

「粗悪品?」

「応仁・文明の乱以降、全国で戦が起きている。その所為で刀が大量に必要とされるようになった。それに答えるために刀鍛冶達が間に合わせで作った刀が数打ちだ。言わば使い捨ての刀だ。間違っても贈答用に使う品ではない」

 春齢が曖昧な表情で頷いている。分かっているのかな?


「そんな刀を贈って問題にならないの?」

「もうなっている」

 ”そうじゃなくて”ともどかしそうに春齢が言った。

「公方が知ったら如何思うのかなって事。幕臣達を怒るんじゃない」

 なるほど、そちらか。それで今一つ春齢の反応が鈍いのか。

「それなりの刀を贈ったと言えば良い。朽木は嘘を吐いている。幕府から離れようとしているのだと言ってな」

 春齢が”そんな”と声を上げた。


「実際に叔父上達は朽木に戻った。そして長門の叔父上は織田家から嫁を娶る。幕府には事後承諾だ。幕府から見れば離れようとしているとしか思えまい。大和守、兵部大輔が叔父上の婚儀に参列するのも幕府と朽木の関係を改善しようとしての事だ。それほどまでに危機感を抱いている。公方は幕臣達が嘘を吐いていると確証は持てまいよ。疑心暗鬼になるだろうな」

 春齢は納得出来ずにいるようだが御爺達は皆が頷いている。幕臣達にとって年若い義輝を操るのは容易い事だろう。 


「大和守と兵部大輔は何と?」

 問い掛けると左兵衛尉の叔父御がまた笑った。

「手違いがあったようだと頻りに詫びておりましたな。面目無さそうにしておりました。京に戻り次第改めて刀を贈ると言っておりましたのでそれには及ばないと断りました。まあ贈ってくるでしょうな」

 そうだろうな。そのままにしては大和守と兵部大輔も朽木にはその程度で十分と認めた事になる。しかしなあ、この問題で幕臣達は大騒ぎだろう。大和守と兵部大輔は赤っ恥をかかされたのだ。自分達の面子を潰した連中を許す事はあるまい。戦の前に内輪もめか、笑えるわ。


「苦労をされたな」

「……」

「京で辛い立場にあった事は知っていたが此処までとは思わなかった。俺の所為だな。済まぬ事をした。この通りだ」

 俺が頭を下げると叔父御達が”中将様”、”そのような事はお止め下さい”、”どうか”と言った。

「中将、そなたの所為ではない。言っても詮無い事じゃが幕府が、公方様が朽木を重んじれば幕臣達も斯様な愚かな振る舞いはしなかった筈じゃ。頭を上げよ。誰もそなたが頭を下げる事など望んではおらぬ。さあ」

 頭を上げたがすっきりはしない。義輝達が愚かなのは事実だが俺が原因なのも事実なのだ。


「殿と兄上との会談では何処まで向こうは突っ込んで来ますかな」

「分からぬのう。兵を出せとは言い辛いと思うが全く言わぬとも思えぬ。まあこちらが断るとは予想していようし無理強いはするまい。だが万一の場合は公方様を匿えとは言ってくると思う」

 話題を変えようと言うのかな。大叔父と御爺の会話に皆が頷いた。迷惑そうな顔をしていない者は居ない。もう足利は沢山だと思っているのだ。しかしなあ、兵を出せと言ってくる可能性は十分にある。弾正はそれを心配していた。そして義輝が京を追われる可能性も十分にある。

「受け入れは拒否出来まい。しかし匿うのは上策とは言えぬ。まだ公表はされていないが讃岐守の毒殺で三好と足利の怨恨は以前にも増して強まった。足利への肩入れは危険だ。直ぐに六角か朝倉を頼れと言って追い払う方が良いだろう」

 俺の言葉に皆が頷いた。朽木は二万石の小大名でしかない。そして京の直ぐ側に在る。鮮明に親足利色を出すのは危険だ。足利に同情も許されない程に三好と足利の関係は拗れているのだ。


「中将様に会談に加わって頂いては? 向こうも無茶は言い辛くなるのではありませぬか?」

 主殿が提案すると御爺が”なるほどのう”と言って俺を見た。

「如何する?」

「俺は構わんぞ。向こうは俺とも会いたいと言ってくる筈だ。皆で一緒にと言ってもおかしくは無い」

「ではそうするか」

 御爺の言葉に皆が頷いた。長門叔父御が少しホッとしたような表情をしている。大和守、兵部大輔と会うのは気が進まなかったのだろう。


「ところで、浅井は、高島五頭は如何なのだ?」

 俺の問いに御爺達が顔を見合わせた。そして御爺が”長門守”と言うと長門の叔父御が頷いた。

「高島五頭は頻りに使者の遣り取りをしております。どうやら六角から兵を出せと言われたのではないかと。しかし五頭の領地では徐々にですが六角が兵を出せば浅井が攻めてくるのではないかという噂が広まりつつあるようです。それに三好と戦う事を望んでいるとも思えませぬ。対応に困っているのでしょう」

 長門の叔父が答えた。うん、こちらの得ている情報と一致する。差異は無い。


「まあこちらは順調じゃの。朽木から共に浅井に備えようと言えば乗ってくると思って居る。浅井が攻めてくるという噂は此処にも広まっているからのう」

 御爺が笑うと皆も笑った。俺もね。噂を広めて五頭を上手く利用しようという策は上手く行っているようだ。

「問題は浅井よ。こちらの動きは今一つ鈍いのう。六角との境目の備えを固めてはいるようだがそれほど大規模なものではない」

 御爺が嘆息を漏らすと皆も面白く無さそうにしている。そうなんだ。重蔵からの報せでも浅井の動きは鈍いと報告が来ている。


「野良田の戦いでの損害が響いているようだ。そろそろ田植えの季節が来る。ここで百姓を兵に徴したくないと考えているのだろう。それに京では御成があったし前管領は京に戻る事になった。本当に戦が起きるのか疑問視しているようだな」

 皆が頷いた。

「しかしな、もうじき十河讃岐守の死が公表される。そうなれば浅井も戦は間近だと判断する筈だ。戦支度を急がざるを得ない」

 重蔵達が流した噂は六角が三好と戦う前に浅井を叩くというものだ。浅井としては有り得ないと無視したいだろう。だが本当に六角は三好と戦うのか。三好は畠山に任せて浅井を叩きに来るのではないか。この危険性は無視出来ない。六角が本当に三好と戦い始めるまでは備えざるを得ない。


「そしてこちらは高島五頭に文を出す」

 御爺が言いながら皆を見回した。

「永田達もこちらと手を結ぶ事を嫌とは言いますまい」

 大叔父の言葉に皆が頷いた。高島五頭と朽木が浅井を不安視している。六角も無視は出来ない。御爺が満足そうに髭を扱いているのが可笑しかった。

 

「何時戦が始まりましょう」

 長門の叔父御が問い掛けてきた。

「直に近江の前管領が和睦のために京に入る。三好は監視を付けるか、幽閉するだろう。場合によっては殺す事も有り得る。間違っても前管領に行動の自由は許すまい。それが戦のきっかけになると思う」

 皆が頷いた。春齢、そんな怯えた顔をするな。今は戦国なんだ。


「中将様はどちらが勝つと思われますか? 三好は讃岐守を失いましたが……」

 大叔父が訊ねてきた。

「地力では三好が上だ。多分、勝つとは思うが難しい戦いになると思う。大叔父上の言う通りだ。三好にとって讃岐守の死は痛い。それに畠山と六角を相手にするとなれば二方向で戦う事になる。どちらも片手間に戦える相手ではない」

 三好は二正面作戦を余儀なくされる。要するに兵力の分散であり指揮官の分散を強要されるのだ。本来兵は集中して相手よりも多い戦力で戦うのが基本だ。三好はそれに背く事になる。


「京は守り辛いからの」

 御爺の言葉に皆が頷いた。それもある。京は内陸にある所為で四方から攻められやすいんだ。京を守って成功したなんて例を俺は知らない。源平の争乱では木曽義仲は敗死したし承久の乱では後鳥羽上皇も敗北した。平氏は木曽義仲に追われて京を捨てたが京を捨てたから西国で戦う事が出来た。一度は京へ迫る勢いを見せたのだ。義経が現れなければ日本を西国の平氏、東国の源氏、奥州の藤原氏で三分割する事態になっていたかもしれない。日本版三国志か。ちょっと面白そうだな。


「何度も言っているが三好と足利の戦いに巻き込まれては駄目だ。朽木のような小さい身代ではあっという間に潰されてしまうからな」

 俺の言葉に皆が頷いた。刀の事でも分かるが幕府は頼りにならない。




永禄四年(1561年) 四月中旬            近江国高島郡安井川村  清水山城  飛鳥井春齢




「ところで織田の方は如何なのだ? 松平と同盟を結んだそうだが……」

 義祖父様が問い掛けると兄様が顔を綻ばせた。

「三河に牛窪城という今川方の城がある。そろそろ松平が牛窪城を攻める筈だ。そうなれば皆が松平は織田方に付いたと見なすだろう」

 兄様の答えに幾つか声が上がった。兄様って朽木の人達と話すと口調が変わるのよね。ちょっと不思議。でもこっちの兄様も素敵。


「では今川は慌てますな」

「美濃の一色もだ。織田は美濃攻めに総力を上げられる」

 左兵衛尉の叔父上、右兵衛尉の叔父上が声を弾ませた。

「ふむ、織田の名はまた一つ高くなるわ。松平は名門今川を見限って織田に付いたのだからのう」

 義祖父様も満足そうに髭を扱いている。ちょっと可笑しい。兄様も可笑しそうに義祖父様を見ている。


「その織田様の実妹を娶るのです。兄上の名も以前とは違う重みを持つ筈です」

 左衛門尉の叔父上が長門守の叔父上を誇らしげに見ている。長門守の叔父上がちょっと照れ臭そうな表情をした。やっぱり若い奥方を貰うのが嬉しいのかしら。

「関東制覇に影響は出ましょうか?」

 長門守の叔父上が問うと兄様が”うむ”と頷いた。


「今直ぐには出ない。武田にとっても今川にとっても長尾の関東制覇を防ぐのが最優先だ。問題はその後だ。武田は今信濃方面で動いている。信濃から越後を目指す動きを見せて長尾を牽制しているのだが長尾はこれを放置出来ぬ。長尾は小田原城の包囲を諦め鎌倉の鶴岡八幡宮で上杉家の家督継承を行い関東管領に就任した。名も上杉政虎と改めた」

 皆が”何と!”、”真ですか!”と声を上げた。凄いわ、皆が知らない事を兄様は知っている。桔梗屋って役に立つのよね。葉月は胸が大きくてちょっと気に入らないけど。なんであんなに大きいんだろう。私もあの半分でいいから胸が脹らんでくれれば……。


「事実だ。兵糧にも不安があった。集まった者達の中には撤兵を望む者も少なからず居たようだ。これでは戦は無理だ。むしろ綺麗に切り上げたと言って良い」

「幕府は、知っているのか?」

 義祖父様が問い掛けると兄様が嗤った。冷たさを感じさせる笑み。怖いのよね、でもそんな兄様も好き。

「いや、未だ知らぬだろう。大和守と兵部大輔も知らぬ筈だ」

「三好は如何で?」

 長門守の叔父上が問い掛けてきた。また兄様が嗤った。あーん、そんな顔をしちゃ駄目。

「知っている。俺が教えたからな」

 皆が顔を見合わせている。

「三好の連中、今回の婚儀に幕臣が出席する事を大分気にしている。俺が出席する事もな。幕府の要請に従って朽木が兵を出すのではないかと疑っているようだ」

 また皆が顔を見合わせた。私の所為よね。私が結婚しても詰まらないなんて手紙を書いたから……。母様にも叱られた。兄様の足を引っ張る様な事はするなって。


「三好は怯えておるのか?」

 義祖父様が首を傾げながら問い掛けると兄様が頷いた。

「昨年、畠山に勝った時は自分達に敵は居ないと思った筈だ。だが僅かな期間で三好の覇権は揺らぎつつある。余りの脆さに怯えたとしても可笑しくは無い。御成りでは俺は三好に協力した。しかしそれは京を戦火にさらさぬためだ。場合によっては足利に付くかもしれぬと不安に思ったようだな。松永弾正、それに三好の忍びの棟梁が俺を訪ねてきた。怯えているとしか思えぬ」

 皆が唸りながら頷いている。


「関東の事、三好も知っていたかもしれぬ。だが俺から報せが有れば安心するだろう。自分達の敵ではない。朽木の事も心配要らないだろうとな」

 兄様が笑うと皆も笑った。

「関東管領が誕生した。目出度い限りだ。祝いの文を送った。今頃は越後へ帰還の最中だろう。次は武田と北信濃で決戦する事を考えていると思う。武田を討ち払わなければ関東制覇は無理だからな」

 兄様の言葉に皆が顔を見合わせた。


「武田と長尾、いや上杉の戦いか。どちらが勝つ?」

 義祖父様の問いに兄様が首を横に振った。

「どちらが勝つかは分からぬ。だがな、武田が大きく勝てば越後へと攻め込める。しかし勝てなければ武田は苦しい。領地を広げる場所が無いのだ。そんな時に今川がふらつけば武田の目は必ず南を見る」

 南を見るって今川を攻めるって事?

「兄様、武田と今川と北条は同盟を結んでいるのでしょう?」

 兄様が軽く笑った。ちょっと怖い。


「同盟というのはそこに利が有るから結ぶのだ。利が無くなれば当然だが同盟を破棄する事になる。これまでは今川、北条と結ぶ事で信濃攻めに専念出来るという利が有った。だが長尾が出てきた事でこれ以上信濃で領地を広げる事は難しくなってしまった。つまり同盟を維持する事で得る利が小さくなったのだ」

 兄様の言葉に皆が頷いた。


「そして上杉は関東に攻め込んだ。北条を助けるために武田は北信濃、関東に兵を出す事になる。これが続けば武田は北条のために上杉と戦い続ける事になるだろう。利が有るのは北条であって武田ではない」

「……」

「北条、今川との同盟を維持する事で安全を取るか、それとも危険を承知で同盟を破棄して今川を攻めるか……。場合によっては上杉、北条、今川を一度に敵に回す事になる。武田は迷う筈だ」

 迷うって、武田はどちらを選ぶのかしら?


「それでも今川を攻めるか?」

 義祖父様が問うと兄様が頷いた。

「多分な。駿河には金山も有る。そして海も。武田は我慢出来まい。その時武田が結ぶのが松平だろう。今川は北と西から攻められる事になる。なかなかに厳しい」

 ”なるほど”、”確かに”そんな声が上がった。皆が興奮している。やっぱり兄様は凄いわ。


「そうなれば北条は孤立しますな。上杉の関東制覇はなりましょうか?」

 左兵衛尉の叔父上が問うと兄様が笑った。

「さあ、どうなるかな。北条はなかなかしぶとい。そして小田原城は堅固だ。簡単には行かぬと思う」

「……」

「関東から東海道は混乱が続く筈だ。北条、武田、今川、上杉、生き残りを賭けて戦う事になるだろう」

「滅ぶの?」

 思わず問い掛けていた。北条、武田、今川、上杉、皆強い事で知られているけど……。その事を言うと兄様が私をジッと見た。


「たとえ強くともその強さを維持出来なければ滅ぶ。三管領の内、細川、斯波は没落した。西国の雄、大内は滅んだ。油断すれば、弱味を見せれば滅ぶのだ。三好を見ろ。あっという間に苦境に追い込まれている。乱世とはそういうものだ」

 兄様の言葉に皆が頷いた。もしかして三好は滅ぶのかしら……。 

 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 先生の日本版三国志はとこで読めますか?
[良い点] ベタ惚れ春齢(笑) ここまで惚れ捲ってたんですね。 (内心の言動が、めっちゃ現代っ娘ですけど) まぁこの時代には珍しい、成就した『恋愛結婚』ですしね。 けど・・・夫婦になっても、いまだに…
[良い点] 十代前半という事を考えれば十分聡い方には入ると思うんですけどね春齢 割と勘も良さそうですし ある程度育つ前に婚姻決まっちゃったのが痛いなぁ 一応反省は出来ているみたいなので順調に成長して欲…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ