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横死




永禄四年(1561年) 三月中旬      山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 堀川国重




「大分暖かくなってきました」

「うむ、夜も過ごし易くなった。それで、今日は何用かな?」

 思わず顔が綻んだ。会って早々に何用かとは……。中将様も微笑んだ。

「お互い暇ではおじゃらぬ。話し易いようにと思ったのだが……」

「これは、お気遣いを頂きましたようで……」

 二人で声を合わせて笑った。妙なものだ。この御方は三好家が最も警戒する人物なのだが妙に話がし易い。部屋には私と中将様の他に九兵衛が居る。九兵衛は私を警戒しているが中将様にはそんな気配は無い。私を信用しているという事なのだろうか?


「では先ずは簡単な事から」

「長助の事かな?」

「はい、構いませぬので?」

 問い掛けると中将様が笑い出した。九兵衛も笑う。こちらも笑った。長助の奴、困ったものよ。この西洞院大路の邸で野菜を作りたいとは……。頭を床に擦り付けて頼み込んできた。そういう話が有ったのは事実だが探索する相手の邸で野菜作りなど……。やはりあれは忍びには向かぬな。


「構わぬぞ。いや、むしろこちらから長助に頼みたい。好きこそものの上手なれという言葉も有る。初めて作る野菜だ。失敗する事もおじゃろう。野菜作りの好きな者でなければ続かぬ」

「なるほど」

「麿は独り占めするつもりは無い。ここで上手く行ったら三好の領地でも同じように作れば良い。その時は長助が百姓に教える事になる。新しい産物が出来ればそれだけ豊かになる。そうではおじゃらぬかな?」

「確かに」

 素直に頷けた。そして思った。やはりこの御方は変わっていると。まあ良いか。どうなるかは分からぬが悪いようにはなるまい。これも一興よ。


「ではお願い致しまする」

「うむ。どんな野菜が出来るか、楽しみでおじゃるな」

「はい」

 また中将様と声を合わせて笑った。困ったものよ。これから話す事は笑える事ではないのだが……。


「それで、今日来訪の理由は?」

 問われて出されていた白湯を一口飲んだ。気を鎮めなければならぬ。茶碗を置く時にカチリと音がした。

「……十河讃岐守様が亡くなられました。一昨日の事にございます」

 中将様は無言だ。九兵衛にも驚いた様子は無い。

「やはり、ご存じでございましたか」

「讃岐守殿の姿が見えぬという事は報せを受けて知っていた。おそらく床に伏せている、相当に悪いと見ていた」

 無表情に淡々と話す。その姿に恐怖を感じた。おそらく讃岐守様が周りに自分の容態を伏せていた事、その所為で三好家が混乱している事もご存じだろう。


「毒が使われた形跡がございます」

「……」

 中将様も九兵衛も表情が動かない。一つ息を吐いた。

「これもご存じでございましたか」

「可能性が有る。そう見ていた」

 今度は中将様が一つ息を吐いた。


「畠山を破り六角は浅井に敗れた。その所為で三好家全体に畠山、六角を甘く見るような風潮が生じた。違うかな?」

「……確かに」

 口中が苦い。中将様の仰られる通りだ。油断したつもりは無かったが何処かで相手を甘く見たのだろう。


「修理大夫殿は岸和田城に十河讃岐守殿を置いた。これで畠山は動けぬ。皆がそう思った事でおじゃろう。その事も油断を助長した」

「……」

「先日、弾正殿と日向守殿がこの邸に来た。二人とも麿と織田殿の繋がりばかり気にしていた。危うい事だと思った」

 溜息が出た。もう少しで何故教えてくれなかったのかと口に出しそうになった。愚かな……。この御方は敵ではないが味方でもないのだ。むしろこうして答えてくれる事はこちらへの好意だろう。


「毒殺の事、何時お気付きになりました?」

 問い掛けると中将様が”九兵衛”と声を掛けた。九兵衛が”宜しいので?”と問うと中将様が頷いた。

「その事を中将様が口にされたのは昨年の暮れ、春齢様との婚儀の時にござる」

「……」

 表情が動きそうになるのを懸命に堪えた。まさかその頃に……。


「六角と畠山が三好との戦を望んでいる事、そのためには岸和田城の讃岐守様が邪魔な事。浅井の回復を考えればここ一、二年の間に戦を起こそうとするであろう事。そして幕府内部で進士の影響力が強まっている事。それらを付き合わせれば十河讃岐守様のお命が危ういと」

 溜息が出た。中将様を見た。無表情に座っている。

「お教え頂ければ……」

 愚痴が出た。言っても詮無き事なのに……。


「証拠は何処にもおじゃらぬ。全て麿の憶測よ。これを表に出せば幕府、六角、畠山を誣告する事になるだろう」

 その通りだ。場合によっては大問題になるだろう。気付かなかったのはこちらの落ち度……。

「公方の周囲には三好家に通じている者が居る筈」

「……」

「警告は無かったのでおじゃるな」

「……はい」

 中将様が頷いた。

「その者が警告を出さなかったという事は讃岐守の暗殺は公の場で討議された事は無い。そういう事でおじゃろう。おそらくは一部の者が独断で六角、畠山と謀ったか。或いは六角、畠山が幕府に諮る事無く事を起こしたか。いずれにしろ公方は知るまいな」

 だからこちらに動きが見えなかった。


「讃岐守様の逝去を知れば公方様も気付きましょう」

「おそらくな、余りにも都合が良すぎる。訝しむと思う。だが知らぬ振りをするだろう。言わぬが花ならば聞かぬも花というものでおじゃろう。違うかな?」

「……」

 答えられずにいると中将様が冷たい笑みを見せた。

「汚れ仕事は下の者にやらせ自らの手は白いままにしておく。上の者の特権でおじゃろう」

「左様でございますな」

 その通りだ。我等もそうやってきた。


「讃岐守殿の死、何時公表するのかな?」

「……御成の後、四月の半ば以降になるかと」

 中将様が頷かれた。

「他に聞きたい事は?」

「いえ、ございませぬ」

 中将様が”フッ”と息を吐いた。

「日向守殿に麿が知っているか確認せよと命じられたかな?」

「それもございますが某自身が知りたいと思いまして」

 中将様が頷いた。


「気を付ける事だ。幕府は八岐大蛇のようなものでおじゃろう。頭が八つ有りそれぞれに別な事を考えて動く。それだけに動きが読み辛い」

「確かに」

 だがその読み辛い動きを読み切る方が居る……。

「畠山も六角もここが勝負と見ておじゃろう。六角は一色と同盟を結んだ。改元の時は一色を使って六角を牽制出来たが今回はそうはいかぬ。一色も織田との戦いに総力を挙げる必要が有ると見たらしい。六角との同盟はそういう事でおじゃろう。畿内以上に東海も緊張している」

「はい」

 予想外の動きであった。こちらに気付かれる事無く一色と交渉した。織田か、織田……。


「今度の御成、気を付けた方が良い」

「と申されますと?」

 中将様の表情が厳しくなった。

「六角も畠山も戦の準備は整ったと見て良い。そして三好が混乱しているとも見ている筈。ならば後は戦のきっかけでおじゃろう」

「……そのきっかけを作りに来ると?」

 中将様が頷いた。


「その可能性が有る。三好に非礼が有ればそれを咎める。六角、畠山はそれをきっかけに兵を挙げる。非は三好にある。そういう形を取るのではおじゃらぬかな?」

「……」

「そうなれば筑前守殿の面目を潰す事にもなる。三好家内部でも筑前守殿を責める声が上がろう」

「なるほど」

 十分に有り得る事よ。気を付けなければならぬ……。




永禄四年(1561年) 三月中旬      山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井春齢




「入って良い?」

 声を掛けると”良いぞ”と兄様の返事が有った。部屋には兄様と九兵衛が厳しい表情で座っている。兄様の隣に座った。

「十河讃岐守が死んだ」

 思わず兄様の顔をまじまじと見てしまった。そして九兵衛の顔を。二人とも私を見ようとしない。


「病死なの?」

 問い掛けると兄様が首を横に振った。

「毒が使われた形跡が有るとの事でございました」

 答えたのは九兵衛だった。本当に毒殺だなんて……。

「六角も畠山も周到に準備を進めている。三好は後れを取った」

「どうなるの?」

 兄様が私を見た。


「先ずは岸和田城に誰を入れるかだが……。九兵衛、如何思う?」

 問い掛けられた九兵衛が”されば”と畏まった。

「三好豊前守殿を入れるのではないかと」

 兄様が頷いた。

「そうだな。だが……」

「如何したの?」

 問い掛けると兄様が私を見た。


「状況を動かしているのは幕府、六角、畠山でおじゃろう。三好は主導権を取れずにいる。いや、幕府、六角、畠山に振り回されている。このままなら苦戦するだろう」

「負けるの?」

 兄様が”分からない”と首を横に振った。

「京で戦が起きる?」

 また兄様が”分からない”と首を横に振った。


「三好が讃岐守の死を公表するのは来月の半ば過ぎになる。態勢を立て直すのにそれだけの時が要るという事、そこをどう凌ぐか……」

「……」

「暫くは三好は受け太刀で戦わざるを得なくなる。上手く受けられれば良いがそうで無ければ手酷い損害を受ける事になる」

「……」

「出かける」

 兄様が立ち上がった。


「出かけるって今から? もう夜よ。何処へ行くの?」

 まさか近衛?

「帝にお伝えする。始まったと」

 兄様が歩き出すと九兵衛が後に続いた。戦が始まったのだと思った。




永禄四年(1561年) 三月中旬      山城国葛野・愛宕郡 四条通り 三好邸 堀川国重




 空気が重いと思った。部屋には日向守様、弾正様、私の三人が居る。だが静かだった。そして重い……。日向守様が一つ息を吐いた。

「幕府は八岐大蛇か。言い得て妙よ。確かにそういう所がある」

「織田と中将様の事もありました。そちらに気を取られたという事もあります」

 日向守様、弾正様の表情が渋い。してやられたと思っているのだろう。


「毒は甲賀者の得意とするところにございます。調べたところ讃岐守様の側近くに仕える女中が一人消えておりました。名は奈津、昨年の秋に召し抱えられた者です。おそらくはそれが……」

「甲賀者か……」

「ではないかと」

 弾正様の問いに答えると弾正様が息を吐いた。


「此度の御成、我等の目を欺こうとする稚拙な罠と思ったが……」

 日向守様の言葉に弾正様が首を横に振った。

「余りにも稚拙過ぎます。本当の狙いは中将様の仰られた通り、戦のきっかけを作る事なのかもしれませぬ」

「そうだな」

「筑前守様のお立場を守るためにもなんとか無事に終わらせなければ……」

「うむ。……しかし一体どんな手を使ってくるか……」

 日向守様の表情が渋い。難しいと思った。相手の手が読めない以上、その場での判断が求められる。そして筑前守様は未だお若い。果たして上手く凌げるのか……。


「中将様が讃岐守様の暗殺を想定していたという事は帝にもそれは伝わっておりましょう。となれば中将様が御成に御臨席なされるというのは……」

「単純に結末を見届けるだけではないのかもしれぬ。或いは戦のきっかけを作ろうとする公方や幕臣達を抑えようという事かもしれぬ」

 弾正様と日向守様が顔を見合わせて頷いた。十分有り得る事だ。今戦となれば京が戦場になる事も有り得る。帝がそれを望んでいるとは思えない。となれば中将様になんとか抑えよと命じた可能性はある。私に忠告したのもそれ故だろう。その事を言うと二人が頷いた。


「太閤殿下の御臨席の事もありましたな」

「確かにそうだ」

 なるほど、太閤殿下の御臨席を勧めたのも中将様だった。太閤殿下は公方の舅だが反三好感情が強い御方ではない。どちらかと言えば公方や幕臣達を抑える事が多い御方だ。中将様が太閤殿下のお力を借りようと考えている可能性はある。

  

「中将様は我等の味方というわけでは有りませんが戦を防ぐという点ではこちらの力になってくれましょう」

「うむ。御成を無事に終わらせる、その一点では信じて良かろう。京での戦を避けたいとお考えの筈だ」

「こちらの態勢を整えるには最低でも一月は時を稼がねば……」

 弾正様が呻くように言った。日向守様が息を吐いた。


「儂は豊前守殿の負担が大きくなる事が不安だ。四国の抑えと畠山の抑え、どちらも片手間に出来る事ではない。本当ならお主の弟に岸和田城を頼みたい所だが……」

 弾正様が首を横に振った。

「それは無理です。弟は丹波を抑えなければなりませぬ」

「そうだな」

 日向守様の表情が渋い。丹波の国人衆は昨年の戦で畠山寄りの動きをした。それを無視は出来ぬ。


「それよりも日向守殿。これからは朝廷にも目配りが必要ですぞ。中将様が帝の御側に居る以上、朝廷は無力な存在ではありませぬ。何より、中将様を通して幕府の動きを知る事が出来ましょう」

 弾正様の言葉に日向守様が渋い表情で”うむ”と頷いた。

「兵は無いが目と耳の良さ、そして中将様の状況を見極める力は油断がならぬ。残念だが勾当内侍、広橋権大納言様だけでは中将様の動きは追いきれぬ」

 日向守様が私を見た。弾正様も私を見ている。


「宮中に人を入れるのは難しいかと思います。幸い中将様の邸には出入りを許されております。情報の交換、それによる情勢の見極め、意見交換という形で中将様の内懐に食い込むしかございませぬ」

「……」

「今まで以上に接触する事になります。場合によっては中将様のお手伝いをする事も有り得ましょう。お許しいただけましょうか?」

 私の言葉に二人が顔を見合わせて頷いた。




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奈津ですと!
[一言] いつも楽しみに拝見しています。 時代背景や人物関係の深い考察と、魅力的な人物描写。 たくさんのなろうのストーリーを読んでいますが、今更新が楽しみなのはこの羽林と淡海の二つです。 淡海はしばら…
[一言] 奈津祭(笑) 本人登場してないのに、この称賛の嵐 本来「甲賀にくノ一はいない」という形のコメントが溢れるだろうけど、そこは対作品で乗り越えてるからなぁ しかし私も含め、読者は対作品に出た…
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