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疑心暗鬼

 



永禄四年(1561年) 二月下旬          山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 細川藤孝




 中将様が穏やかな表情で微笑んでいる。

「祖父から頼まれたのです。長門の叔父に良い嫁を世話して欲しいと。幕府は嫁を世話するつもりはないようだし左兵衛尉の叔父の話では幕府には朽木を麿の縁者という事で忌諱する者が多い。これでは嫁を世話してくれと改めて頼んでも侮られてまともな嫁が来るとは思えぬと。随分と嘆いておりましたな。これまで忠義を尽くして来たのにと」

「……そのような事が……」

 中将様が”ええ”と言ってから一つ息を吐いた。

「麿も驚きましたな。困惑もしました。十二歳の麿に嫁を世話してくれと頼まれても……。一度はそう言って断ったのですが飛鳥井家の伝手でなんとか良い嫁を世話してくれぬかと。余程に困ったのでおじゃりましょうなあ」

 胸に苦い思いが満ちた。朽木家の幕府に対する不信は相当なものだと感じた。


「六角家を何故頼らなかったのでしょう」

「……」

「六角家を通して幕府に嫁をと願い出る事も出来た筈ではありませぬか? それならば幕府も決して粗略な扱いはしなかった。関係も改善したと思うのですが」

 中将様が私を見て”ホホホホホホ”と笑った。

「信用出来なかったようでおじゃりますぞ」

 信用出来なかった? それは如何いう事か? 三好、浅井との戦いに巻き込まれるのを避けたのではないのか? 訝しんでいると中将様が”ホホホホホホ”とまたお笑いになった。


「ご存じないようでおじゃりますな。朽木では高島越中の後ろに六角家が居たのではないかと疑っておじゃりますぞ」

「何と! それは真で?」

「さあ、疑っているのは事実でおじゃります。実際に六角が居たのかは……、麿には分かりかねますな」

 中将様が首を横に振った。


「しかし何故?」

「……」

 中将様は答えない。まさかと思った。だが有り得ぬと断言出来ようか? ……中将様はこちらを憐れむように見ている。事実なのだと思った。少なくとも中将様は事実だと判断している。あの戦いの裏に六角が潜んでいた。狙いは何だろう? 


「朽木には銭がおじゃりますからなあ。それに京の傍に在る。何かと都合が良い」

 銭か! 確かに銭が有る。公方様が兵を挙げた時、民部少輔殿は千五百貫の銭を献上した。それにいざという時には公方様は朽木へと移る。となれば狙いは朽木を滅ぼす事とは思えない。争わせて適当な所で仲裁に入る事で朽木に対して影響力を強めようとした。あわよくば従属させたいと思った、そんなところか。ならば六角と浅井の戦いで朽木が六角に馳走しなかったのは当然と言える。六角の影響下にあるとは思わせたくなかったのだ。幕府が馳走せよと命じた事は不快でしかなかっただろう。幕府は何も分かっておらぬ、頼りにならぬと不満に思ったに違いない。


「六角に頼んでは六角から嫁が来かねませぬ。それでは思う壺でおじゃりましょう」

「……」

 その通りだ。今回の嫁の件、朽木は六角を頼る事など最初から考えもしなかっただろう。もし頼れば六角は幕府に自分の娘を朽木に嫁がせようと言ったに違いない。朽木は誰も頼れなかったのだ。そして幕府はそれに全く気付かなかった。また思った。朽木家の幕府に対する不信は相当なものだと。左兵衛尉殿が憤懣をぶちまけたのも当然だ。……中将様に嫁を世話して欲しいと頼んだのは戦に巻き込まれる不安よりも幕府や六角に対する不信からなのかも知れぬ。


「いけませぬなあ」

「……」

「朽木は足利にとってもっとも大事な存在ではおじゃりませぬかな? それなのにまるで関心を持っていない」

「……」

 言葉が出ない。中将様が一つ息を吐いた。


「麿の縁者という事で何かと朽木を敵視する者が居るようでおじゃりますが逆でおじゃりましょう? むしろ朽木を大事にし麿と朽木は別、幕府は朽木を信頼していると伝えるべきだったと思いますぞ。そうでおじゃれば朽木も何かと幕府を頼ったでしょう。それなのに……、今では朽木は幕府を信用出来ず頼れずにいる」

 その通りだと思った。中将様は憂えるような表情をしている。少なくとも幕府の失態を喜んではいない。幕府と朽木の関係が思わしくない事を憂えているのだろうか……。


「思うように行かぬ。憤懣をぶつける相手が要る。朽木ならば構わぬと思ったというなら余りにも拙い。弱いという事の惨めさ、辛さを誰よりも知っているのは幕府ではおじゃりませぬかな? それなのに自分よりも弱い者を見つけて嬲るとは……。嬲られた方が如何思うか。それも幕府が一番良く分かっている筈」

「……」

 答えられずに要ると中将様が溜息を吐いた。


「高島越中の事、幕府も関わっているのではおじゃりませぬか?」

「それはどういう……」

 意味を図りかねていると中将様がジッと私を見た。

「公方が朽木に逼塞している間、どの大名も公方のために動かなかった」

「……」

「未だお分かりに成らぬのかな? それともとぼけているのか……」

「……某は何も……」

 中将様が”フッ”と笑った。

「六角を動かすために朽木を売ったのではないかという事でおじゃります」

「!」

 愕然とした。そんな事は有り得ない。”馬鹿な”と言うのが精一杯だった。


「馬鹿な、でおじゃりますか。しかしそう考えると妙に辻褄が合う」

「辻褄?」

 中将様が”如何にも”と頷いた。

「公方が京に戻ると直ぐに高島が朽木を攻めた。麿も殺されかかり左兵衛尉の叔父御達も何かと白い目で見られるようになった。朽木の者達が邪魔になったのではおじゃりませぬかな」

「そのような事はございませぬ!」

 そのような事は無い。有る筈が無い。中将様が”ホホホホホホ”とお笑いになった。


「そうムキになる事もおじゃりますまい」

「有り得ぬ事にございます」

「真に? 朽木は兵を出さなかった。その事に不満を持つ者も多かった筈。それなら六角をこの地にと思った者も居たのではおじゃりませぬか?」

「……」

「六角と高島は朽木は大した事は無いと思ったかもしれませぬな。兵を出さなかったのですから。しかし朽木は勝った。そして高島を滅ぼし二万石になった。六角は話が違うと思った。当然だが幕府に苦情を言ったでしょう。その事が叔父御達への、朽木への粗雑な扱いになった。有り得ませぬかな?」

「有り得ぬ事にございます」

 断言すると中将様が頷きながら”そうでおじゃりましょうな”と言った。


「麿も幕府がそのような事をしたとは思いませぬ。朽木にもそんな疑いを持つ者はおじゃりますまい」

「某を嬲ったのでございますか?」

 非難すると中将様が首を横に振った。

「そうではおじゃりませぬ。朽木が幕府に対して不信を持っているのは事実。それを放置しておいて良いのかと言っております。一つ疑えば二つ、二つ疑えば三つと疑念は増えていくもの。疑念が増えればそれまでは疑わない事も疑うようになっていきますぞ。そうではおじゃりませぬか?」

「……」

 その通りだ。何時かは幕府が朽木を売ったのではないかと疑うようになる。


「今は掠り傷でも放置すれば膿み、爛れ、取り返しのつかない事態になるやもしれませぬ。早めの手当こそが肝要。まあ麿が何を言っても聞く耳が無ければどうしようも無い」

「そのような事は……」

 否定しようとすると中将様が”フッ”と笑った。

「室町第では長尾が十万の兵を集め北条の城を攻略している事に大喜びだと聞きました。直に北条を下して上洛するだろうと。長尾に比べれば朽木は余りにも小さい。僅かに二万石。これでは無下に扱うのも無理はない。それに三好に追われて逃げる事も無いともなれば……。憐れでおじゃりますな」

「……」

 耳が痛いと思った。確かに今の幕府は関東の事で沸き立っている。だからと言って朽木を蔑ろにして良いわけではない。いざという時、頼れるのは身近に居る者なのだ。いや、それよりも憐れというのは誰の事だろう? 朽木か? それとも関東の情勢に浮かれる幕府か……。


「しかし小田原城が落ちたわけでも無ければ武田、今川が北条を見離したわけでも無い。現状では長尾が有利ではおじゃりましょうがそれ以上ではない。未だ未だ先は不透明と思いますぞ。そうではおじゃりませぬかな?」

 中将様が私を見ている。答えられない。答えれば公方様を、幕府を誹る事になるだろう。中将様に会っている事だけでも注意が必要なのだ。言動には細心の注意が要る。


「織田家から嫁をとお考えになったのは何故でしょう?」

 中将様が苦笑を浮かべられた。私の思いを察したのかもしれない。

「先代の織田弾正忠殿は子沢山でおじゃったようです。それに一族も多い。一人くらいなら近江に出してくれるかもと思いました。それに織田と朽木が縁を結べば当然ですが幕府も朽木を通して織田との関係を強化出来ましょう。朽木家の幕府内での立場も多少は良くなる。そう思ったのです」

「それは……」

 確かにそうだが、それだけだろうか……。


「実の妹を嫁に出すとは思いませんでしたな。その事は驚いております」

「……」

「他に聞きたい事がおじゃりますかな?」

 中将様が私を見ている。気遣うような表情だ。

「……いえ」

 自然と答えていた。中将様が頷いた。


「ならばお帰りになる事です。この邸に長居は無用でおじゃりましょう。来訪は歓迎しますが余り頻繁には来ない方が良い。此処に入り浸っているなどと噂が立っては幕府内での立場が悪くなる」

「お気遣い、有り難うございまする」

 頭を下げ礼を言った。


「気を付けて、見送りは致しませぬ」

「はい。いずれまた」

 中将様が目で笑われた。十分に成果は有った。苦い成果だが知らぬよりは知った方が良いのだ……。




永禄四年(1561年) 二月下旬          山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱




 兵部大輔が帰った。

「潜んでいるか?」

「はっ、三郎にございます」

 壁の奥からくぐもった声が聞こえた。

「こちらへ参れ」

「はっ」

 直ぐに戸が開いて穴戸三郎康近が入ってきて前に座った。二十代の半ば、挙措に落ち着きが有る。頼りになりそうな男だ。


「御苦労でおじゃったな」

 労うと三郎が”はっ”と畏まった。

「春齢と兵部大輔は何を話した?」

「中将様の御帰りが遅い事、なかなか一緒に居る時間が無い事など他愛無い事にございました」

「そうか」

 春齢はこの邸の女主人なのだ。俺が不在の時は相手をするのは可笑しな話じゃない。だが春齢から機密が漏れる事は避けなければ……。後で注意しておこう。


「それで細川兵部大輔だが如何判断した」

 三郎が俺を見た。

「されば、声に力がありませんでした。沈んでおりましたな。相当に困惑、或いは後悔をしていたかと思います。それに中将様の問いに答えない事もしばしばございました。忸怩たるものが有る。声からはそのように」

「判断したか」

「はい」

 声も重要な判断要素の一つだ。こういう時は耳だけでこの部屋を探っていた三郎の判断の方が信用出来るだろう。俺ではどうしても顔の表情、動きに惑わされてしまう。


 兵部大輔にとって織田と朽木の婚姻は相当にショックだったらしい。何故此処まで幕府と朽木の関係が悪化してしまったのかと後悔している。

「麿に対する感情は?」

「最初は構えるものが有ったかと思います。しかし最後は相当に心を許していたかと。あくまで某の心証でございますが」

「織田との結婚を勧めたのが麿だと認めたからな」

「はっ、随分と驚いておりました。……しかし、宜しかったのでございますか?」

 三郎が心配そうに俺を見ている。


「構わぬ。相手を騙せぬ嘘など不信を募らせるだけでおじゃろう。意味が無い。織田との縁談を勧めたのは織田と縁を結べば少しは幕府内での扱いも改善するだろうと思ったからだ。だから朽木は織田との縁談を受け入れた。この事は御爺にも文で伝えてある」

 まあそれだけかと疑うだろうがそれ以上のものは出てこない。となれば渋々でも自分を納得させるだろう。この婚姻の意味が表に出るのはずっと先の事だ。


「兵部大輔は呪詛の件、知らぬようでおじゃるの」

「はい、某もそのように見ました」

「麿を探るよりも仲間を探った方が良かろうに……」

 思わず嘲笑が出た。幕臣の中には如何見ても思慮の足りない連中が居るし三好のスパイもいる。それを放置して俺を探っても……。


「それにしても幕府が朽木を売ったとは……」

「驚いたか?」

「はい」

 三郎が素直に頷いた。向こうはこっちを探りに来ている。素直に探らせることはないさ。混乱させ怒らせ宥め同情する。そうする事で少しずつ心に食い込む。兵部大輔の心には俺への警戒よりも幕府への危機感があるだろう。


「折角幕府から人が来たのだ。手厚く持て成さなければ……」

 思わず含み笑いが漏れた。三郎がギョッとした表情で俺を見ている。

「これで少しは幕府も朽木の事を考えるだろう。無茶は言い辛くなる筈だ。そうでおじゃろう」

「はい」

 そんな怯えたような顔をするな。俺は嬉しいんだよ。細川兵部大輔が俺の所に来たんだからな。これから長い付き合いになるだろう。楽しくなりそうだな……。




永禄四年(1561年) 二月下旬            山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏  正親町帝




「目々よ、大事はないか」

「はい、この通りにございます」

 目々が腹部をさすりながら答えた。衣服に隠れて未だ目立たぬが後五ヶ月もすれば子が生まれる。

「動くか?」

「はい、時折蹴りまする」

「そうか、蹴るか。元気な子だな」

「はい」

 出来れば男子であって欲しい。皇子が誠仁一人では心細い限りだ。


 新大典侍がその事で相当に苛立っている。頭弁が頼りなく如何しても中将を頼みにする事が面白くないらしい。そして目々が身籠もった……。目々の産む子が男子なら次の帝位を奪われるのではないかと思っているのかもしれぬ。愚かな……。帝位は誠仁、生まれてくる子はあくまで控えだ。


 目々の傍に寄って腹部に手を当てた。目々が恥ずかしそうに、嬉しそうにしている。

「おお、動いた」

「はい、動きました」

 驚いた、腹の中の子が私の手を蹴った。間違いなく目々の腹の中には私の子が居るのだと思った。

「なんと、驚いたわ」

「はい」

 手を腹から離しても蹴られた感触が残っている。何とも不思議だった。


 頭弁を早めに参議にした方が良いかも知れぬな。頭弁のままでは誰もが中将と比較するだろう。だが余りに露骨には動かせぬ。やはり最低でもあと一年程は頭弁に留め置かねばなるまい。……万里小路という事で優遇したが失敗であったな。これからは気を付けねばならぬ……。


「出来れば男子が欲しいものよ」

「はい、私もそのように思っておりまする」

「風邪を引いてはならぬぞ」

「はい、これからは暖かくなります。御心配には及びませぬ」

「そうだな、もう直に三月だ」

「はい」

 三月か、公方が三好の邸に行く筈だ。三好は大分公家達に参列せよと声を掛けているらしい。自分達は朝廷に大きな影響力を持っていると公方に見せつけたいのであろう。ふむ、一体どんな訪問になるのか……。中将にも参加させるか。中将ならば何か察するかもしれぬ……。



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[良い点] いつも楽しみに読ませてもらっています 異伝だけでなく本篇も… 執筆…がんばってください [一言] さて…今話ではなく、平井の小夜さんが離縁されて、更に平井の嫡男が討ち死にした話で思ったの…
[一言] 六角の裏に幕臣(進士とか)がほんとにいても驚かない。 更に六角と同盟を結んだ斎藤(の家臣の竹中)の策だったりして。
[一言] 目々典侍に対する呪詛って幕臣が帝の妻子を呪ったって事だよね。 洒落になってない事を主人公の嫌がらせの為にする。 本作品では、再三将軍の不始末が出てきたがこれ極めつけじゃない。 馬鹿は恐い、表…
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