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呪詛




永禄四年(1561年) 二月上旬            山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱




「お疲れの所、申し訳ありませぬ」

 重蔵が申し訳なさそうに言った。まあ夜更けに押しかけてきたんだからな。だが頭中将は激務なんだから日中はなかなか会えない。仕方が無いんだ。

「気にする事はおじゃらぬ。それよりも梅と松の事、助かっている。養母上も頼りにしているようだ」

「それは宜しゅうございました」

 重蔵が満足そうに頷いた。

「急ぎの用と聞いたが何か起きたかな?」

「四つございます。先ずは目々典侍様の事で。大分騒がしゅうございます」

 重蔵が夜中にわざわざ報せに来るという事は無視出来ない状況にあるという事だろう。厄介な……。


 気分転換に熱いゲンノショウコを一口飲んだ。疲れた身体には美味いわ。重蔵も美味しそうに飲んでいる。

「未だ未だ寒い日が続くな」

「真に」

 そう答える侍姿の重蔵はあまり寒そうには見えない。まあ忍者だからな。その辺は一般人より鍛えているんだろう。


「誰が騒いでいるのだ? 万里小路か?」

「武家も騒いでおります」

 武家もか……。重蔵がジッとこちらを見ている。

「幕府か?」

「はい」

 重蔵が頷いた。


 幕府の中に養母の懐妊を面白くなく思っている連中がいる。男皇子が生まれれば俺の勢威が今以上に強くなると思っている。そういう事だろう。 

「密かに陰陽師に祈祷をさせているようで」

「……誰だ?」

「上野、進士など、男皇子が生まれぬようにと」

「愚かな」

 世の中馬鹿が多いよ。うんざりするわ。それにしても祈祷か。戦国乱世だからな。幕府が頼りにならない所為で呪術だの宗教が幅を効かせている。中世ど真ん中だな。


「公方は知っておじゃるのかな?」

 重蔵が首を横に振った。やはりな、義輝には家臣に対する統制力は殆ど無いな。それだけに幕臣達が何をするか分からない危うさが有る。ふむ、もしかするとこれが幕府の、義輝の凄みかな。

「新大典侍は?」

 問い掛けると重蔵が”今のところは”と首を横に振った。動きは無いか……。


「但し、兄の権大納言万里小路惟房が上野、進士に接近しております。新大典侍が絡んでいるのかは分かりませぬ」

「……」

「如何なさいます?」

 重蔵が俺を見た。溜息が出た。

「養母上のお耳に入る前に片付ける。あれは気にしたら負けでおじゃろう」

「はっ」

「権大納言は麿が釘を刺す。頭弁を使う」

 誠仁様の立場が悪くなると脅せば権大納言は動かなくなるだろう。


「幕臣達は?」

「幕臣達か……。そうだな、春日局に頼もう。馬鹿共に釘を刺して欲しいと」

「……」

 不満そうだな。

「そちらは依頼を受けた陰陽師を殺して欲しい。出来るだけ残酷にな。そして帝の御子を害そうと呪詛して天罰が下った、依頼人が怖くなって証拠隠滅のために口を封じたと噂を流す」

 重蔵が頷いた。こういう噂は直ぐに広まる。二度と養母を呪おうとする阿呆は出ないだろう。


「二条、九条達五摂家に動きはおじゃらぬか?」

「今のところは」

 なるほどな、連中は未だ余裕が有る。万里小路は天皇家と密接に繋がる事で勢威を維持してきた。それだけに焦りが有る。それに比べれば二条、九条達は黙っていたって摂政、関白まで出世する。そこの違いだろう。それに皇統の維持を考えれば養母の懐妊は歓迎するべき事なんだ。元日節会でも連中は喜んでいた。


「二つ目は?」

「松平が幕府に馬を献上するそうにございます」

「ほう」

 思わず声が出た。重蔵も顔を綻ばせている。幕府に馬を献上する。つまり松平は直接幕府と繋がりを持とうとしている。それは今川の配下から抜け出すという事だ。


「とうとう織田と結ぶ気になったか」

「織田と結ぶ前に幕府と繋がりを持とうとしたようで……」

「なるほど、家格を上げるか」

「はい」

 笑いが止まらない。重蔵もニヤニヤしている。家康、いや今は元康だったな。なかなかやるもんだ。


「相当に悲観しておりますな」

「そうか」

「今川は頼りにならぬと見たようで」

「そうでおじゃろうな」

 上州の長尾のもとには関東の武士達が集まっている。北条も危ないと見たのだろう。そして今川は体勢の立て直しと関東への援軍で精一杯だと判断した。元康は孤立無援になった。


「公方も喜ぶ事でおじゃろう」

「はい」

 長尾は大軍を集め元康が使者を寄越した。六角、畠山も三好との戦に乗り気だ。ウハウハだろうな。

「それと六角が一色と同盟を結びました」

「……」

 改元の時は一色を味方に付ける事で六角を抑えた。今度もそれをするかもしれないと見て先手を打ったか。一色も織田が勢力を伸ばしている事で不安になった。六角との同盟は望むところというわけだ。


「六角側で推し進めたのは嫡男の右衛門督にございます」

「急でおじゃるの」

「申し訳ありませぬ。密かに進めていたようで……。動きを掴めませんでした」

「なるほど、本気という事か」

 重蔵が”はい”と頷いた。右衛門督か……。おそらく段取りは父親の左京大夫が整えただろう。密かに進めていたというのは家臣達にも知られないようにしたという事だ。周囲に右衛門督は六角家のために頑張っている。そう思わせたいのだろう。左京大夫は戦の前に少しでも右衛門督の立場を良くしようとしている。


「それと、十河讃岐守の姿が見えませぬ」

 シンとした。重蔵は俺を窺うように見ている。

「それが四つ目かな?」

「はい。十河讃岐守は和泉国で松浦家に養子に行った息子の後見をしている事になっておりますが……」

「始まったか」

「かもしれませぬ」

 胸の鼓動が早くなった。興奮しているのかな。


「讃岐守に人は張り付けておらぬな?」

「はい。遠くから監視しております」

 遠くからか、まあ良いだろう。

「畿内騒乱の始まりだな」

 重蔵が頷いた。

「三好、幕府、六角、畠山、如何動くか……。重蔵、目を離すなよ」

「はっ」

 重蔵が畏まった。





永禄四年(1561年) 二月上旬      山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏  飛鳥井基綱




「弁殿」

 声を掛けると頭弁が露骨に身体を強張らせた。未だ声を掛けただけだろう!

「何用でおじゃるかな、中将」

「少々お時間を頂けませぬか?」

「麿は忙しいのだが……」

 おいおい、そう逃げ腰になるなよ。スッと傍に寄った。頭弁が露骨に嫌な顔をする。俺だって好きで近寄ったわけじゃ無いぞ。プンプン!


「お父君、権大納言様の事で御相談が」

 小声で囁くと頭弁が嫌そうな表情を見せた。周囲には甘露寺、勧修寺などが居る。

「他人に聞かれたく有りませぬ」

 ”あちらで”と囁くとぎこちなく頷いた。奥の小部屋へと誘う。キョロキョロするな、却って怪しまれるだろう。


「父上の事とは」

 部屋に入ると直ぐに話し掛けてきた。不安そうな表情をしている。

「弁殿は権大納言様が近頃幕臣達と親しくしているのをご存じでおじゃりますか」

「知っている」

「では、その幕臣達が麿の養母を呪詛しているという噂も?」

 頭弁がギョッしたような表情を見せた。

 

「馬鹿な、麿はそのような噂は知らぬ」

「真に?」

 問い掛けると頭弁が激しく頷いた。

「真だ。関東で長尾の勢いが凄まじい。北条も危うい。長尾が上洛する日が来るのではないか。今から幕府に近付いていた方が良い。父上はそう考えたのだ。呪詛など関係おじゃらぬ」

 なるほど、有り得ない話じゃ無い。俺が関東制覇はならないと言っているからな。逆張りをした可能性もある。


「良く分かりました。権大納言様は関係ないようでおじゃりますな」

 頭弁がホッとしたような表情を見せた。

「分かってくれるか」

「勿論でおじゃります。いや、麿も安心しました。権大納言様が絡んでいるとなれば大変な事になります。権大納言様だけの問題では済みませぬ。万里小路の家は帝にとって特別な家では有りますが相応の咎めを受けましょう」

 頭弁が顔を青ざめさせた。謀叛と判断されても仕方が無いのだ。家を潰されかねない。そう思ったのだろう。


「この件、頭弁殿から権大納言様にお伝え下さい。詰まらぬ噂に巻き込まれぬようにご用心をと。一つ間違えると誠仁様のお立場にも悪い影響が出かねませぬ」

「ああ、分かった。父上には麿から話す」

 頭弁が安心したように息を吐いた。まあこっちはこれで良いだろう。後は幕臣達だな。




永禄四年(1561年) 二月中旬            山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱




「何を読んでるの?」

 春齢が覗き込むように俺の手元を見ている。

「朽木の御爺からの文だ」

 ”フーン”と春齢が言った。

「長門の叔父御と織田殿の妹の縁談が正式に決まった。輿入れは四月になる」

 春齢がまた”フーン”と言った。そしてさり気なく身体を寄せて来た。四月か、結構忙しいな。幕府の邪魔が入らぬように、そんなところかもしれん。


「式には出るの?」

 目を輝かせている。多分清水山城に行きたいのだろうな。

「いや、仕事が有るから無理でおじゃろうな」

 頭中将って激務なんだよ。常に帝の傍に居ないといけないんだから……。その事は春齢も分かっている。それでも寂しそうな表情をする彼女を見ると胸が痛んだ。本当は式を挙げた後に朽木に連れて行こうと思ったんだが京を離れる事は出来なかった。


「三月には三好の邸へ御成がおじゃろう。何か畿内で動きが出るかもしれない。そういう意味でも行くのは難しい」

 春齢が表情を曇らせた。

「戦になるの?」

「それは分からない。だが戦をしたがっている者が居る。戦というのはその気になれば何時でも始められる。止めるのは難しいがな……」

 足利、六角、畠山、細川。……連中は三好との戦を切望している。そして三好がそれを避けようとするとは思えない。切っ掛けが有れば戦は簡単に始まるだろう。その事を言うと春齢が”そうね”と頷いた。


「それに麿と朽木の関係は出来るだけ薄いと思わせなければ……」

「そうよね、援助も断ったんだものね」

「うん」

 朽木からの援助を断った事で色々と噂が流れている。公家達の間では勿体無いともっぱらだそうだ。運上と領地で余程に収入が有るのだろうと羨む声も有る。そして幕府では俺と朽木の関係はあくまで俺と祖父の関係が親密なのであり俺と長門の叔父は疎遠なのだと見ているらしい。長門の叔父は式に出なかったからな。それに俺を追って当主に成ったという経緯も有る。長門の叔父は俺よりも幕府を重んじていると思いたいのだ。まあそう思って貰えれば幸いだ。


「まあその辺りは御爺も長門の叔父御も分かっている。祝いの品を贈って終わりだ。織田にも贈らなければ……」

 何が良いんだろう? 後で葉月に相談だな。その事を言うと春齢が頬を膨らませた。あのなあ、これは仕事だろう。一々焼き餅を焼くな! 注意すると唇を尖らせた。全く! 結婚したら少しは治まるかと思ったらむしろ激しくなった。困ったもんだよ。


「織田との繋がりは大事にしなければ……。以前にも言ったがいざとなればそちらに逃げる事も有り得る」

「……尾張には行って欲しくない」

 未だ不満そうな表情をしている。

「麿が殺されてもか?」

「そんな事は」

 首を横に振った。声が小さい。


「公家は力が無い。自分で自分の命を守るのには限界が有る。逃げる場所は確保しておかなければ……」

「越前の朝倉は?」

 なんだかなあ、妙に織田を嫌っているんだよな。

「宗滴亡き後の朝倉は頼りにならぬ」

「でも……」

「近衛の寿殿を離縁するような者達でおじゃるぞ。気に入らぬなら飾りにしておく。その程度の配慮も出来ぬ阿呆を頼って如何する」

「……」

 この時代の結婚は個人の問題じゃないんだ。家と家の問題だ。近衛の娘を離縁して送り返すなんて俺から見ればただの馬鹿だ。


「頼りにならぬ者を頼るのは危険だ。命を失う事になる。今、この乱世で頼れるのは織田か、長尾でおじゃろう」

「……でも……」

「いい加減にしろ! 大寧寺の変の事を忘れたか! 何人公家が巻き込まれて殺されたと思っている! 関白も殺されたのだぞ! 地方なら何処でも安全というわけでは無いのだ!」

 春齢がハッとした表情で”ごめんなさい”と謝った。


 大寧寺の変の事は公家社会では有名だ。大内氏の本拠地山口は多くの公家が戦火を逃れてやってきたため西の京と呼ばれるほどに京文化が繁栄した。だが大内義隆が陶晴賢の謀反で殺された時、山口に滞在していた公家も巻き込まれて死んでいる。関白二条伊房、息子の二条良豊、左大臣三条公頼、権中納言持明院基規等だ。闘争の場では官位なんて何の役にも立たない。戦は日本全国で行われているのだ。逃げる先を間違えれば関白といえども死ぬ事になる。今はそういう時代だ。 


「二度と詰まらぬ事を言うな。これは好き嫌いの問題ではない。生きるか死ぬかの問題なのだ」

「……はい」

 二ヶ月保つかな? 溜息が出た。

「朽木から幕府に織田から嫁を取ると報せが行く筈だ。また煩く騒ぐだろう。上手く捌いてくれれば良いのだが……」

「そうね」

 力が無いせいだろうな。妙にプライドだけが高いんだ。変に嫌がらせをして来なければ良いんだが……。 


「産所の用意もしなければ……」

「産所?」

 春齢が首を傾げた。養母が子供を産む場所だと言うと春齢が”あ!”と声を上げた。考えてなかったらしい。

「養母上は七月頃が産み月になる。その前に、多分五月頃にはこちらに宿下がりをするからそれまでに産所を用意しておく必要がある。産婆も要るな。乳母も要る。こちらは本家に相談してみよう」

 春齢が頷いた。五月か……。きな臭くなる時期かな?


「道場に行く。その後近衛家に行くから帰りは少し遅くなる」

「……」

 不満そうな表情は見せたが口には出さなかった。二ヶ月は無理だな。




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― 新着の感想 ―
[一言] 春齢ちゃんは、お年頃もあるけど、結婚したんだしね。 落ち着いてほしい所… ママを見習いなさいw 日本トップの天皇と転生チートの主人公の2人に大事に思われている女性って…凄すぎるでしょうww…
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 色々な意味で不安になるのでしょうね。 主人公を取り巻く問題のうち、やはり妻の立場から気になるのは女性関係になるのは自然なこと。しかも相手は自分よりオトナな人(…
[良い点] いつも更新を楽しみにしております。 [気になる点] 「頭中将は艶福家。それを直近にする春齢姫は悋気激しく、近衞の寿姫のみならず、公方室毱姫や尾張の織田殿室や実の母親にすら悋気を向けている」…
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