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母として




天文二十二年(1553年)  八月中旬      山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 目々典侍




 「居るかな?」

 声をかけて部屋に入ってきたのは兄、飛鳥井左衛門督雅春だった。一人だ、今日は息子の雅敦は同道しなかったらしい。兄が周囲を見渡すようなそぶりを見せた。

 「竹若丸は何処かな? 朽木から竹若丸に届け物がおじゃった。文も預かっておる」

 兄が小包をこれだと言うように胸の高さまで上げた。

 「娘と遊んでおります。今呼びましょう」

 女官に二人を呼ぶように頼んだ。女官が立ち去ると直ぐに兄が近くに座った。深刻な表情をしている。


 「竹若丸の事でおじゃるが、そなた、如何思う」

 「以前から思っておりましたが一月預かって良く分かりました。やはり五歳には見えませぬ」

 兄が太い息を吐いた。

 「そなたにもそう見えるか」

 「はい」

 子供らしくない子供だと兄から聞いていた。姉からは何を考えているのか分からない息子だと教えられた。私もそう思う、何を考えているのか分からない、どう見ても五歳の幼児ではない。


 「それと兄上の仰られた通りにございます。笑いませぬ」

 私の言葉に兄が痛ましそうに顔を歪めた。

 「やはりそうか、……手のかからぬ子じゃ。我を張る事も無く勉学も嫌がらぬ。それ故最初は分からなんだ。だが妻に言われて気が付いた。全く笑わぬとな。それに殆ど表情が動かぬ。心から喜んだところ等見た事が無い。何か薄い膜でも被っているようじゃ」

 「……」

 「無念でおじゃるのかのう」

 「朽木を、継げなかった事でございますか?」

 兄が頷いた。


 「民部少輔殿の文に書かれておじゃった。竹若丸に朽木を継がせたかったと。当主として才を振るう竹若丸の姿を見たかったと。無念だと書かれて有った……。その無念は民部少輔殿だけのものでは無いのかもしれぬ」

 「……」

 「無念を抑えて生きているとなれば笑わぬのも道理よな。己を殺して生きているのじゃ、笑わぬのではなく笑えぬのでおじゃろう。武家である事を諦め無理矢理公家として生きようとしている……。憐れな……」

 兄が息を吐いた。


 「そう考えるとあれも本当かのう。今少しで斬られるところであったというが……」

 「……かもしれませぬ」

 「公家として生きる事よりも武家に斬られる事を望んだかのう」

 また兄が息を吐いた。甥が三好筑前守と会ってから一月が経った。当初、私達は三好孫四郎が竹若丸を斬るべきだと主張したのは何か三好孫四郎の逆鱗に竹若丸が触れたのだと思った。だが実際にはそれほど単純な話ではなかったらしい。


 この一月の間に色々と噂が耳に入って来た。それによれば竹若丸は三好筑前守を失神しかねぬほどに震え上がらせたのだと言う。筑前守は恐怖、怒りのあまり脇差に手をかけるほどだったとか。実際に三好孫四郎と松永弾正が脇差を抜いて竹若丸に迫った。筑前守が二人を止めなければ竹若丸は斬られていたのだろう。


 尋常な会談では無かったのだ。松永弾正は二人の会話はまるで合戦のようであったと周囲に漏らしたらしい。そして脇差を抜いて迫っても甥は微動だにせずその場に座っていた。対手はあくまで三好筑前守であり自分達の事など全く眼中に無い様であったと。その平然とした様はむしろ脇差を持つ自分を圧倒したと……。

 

 その後、甥と三好筑前守は不思議な事に急速に打ち解け余人を交えず二人だけで長時間話をしたのだと言う。話の内容は分からない。筑前守は家臣達からその内容を問われても口外しないらしい。甥も何も言わない。真相は闇の中だ。


 「戦が終わって三好が戻って来た。三好孫四郎は未だ竹若丸を斬るべきだと言っているらしい。筑前守に何度も訴えているとか」

 「真でございますか?」

 兄が頷いた。公方と三好筑前守の戦いは三好筑前守が幕府軍が籠る霊山城を攻め落とす事で決着が付いた。公方は敗走し朽木に逃げ込んでいる。朽木を押さえるためなら竹若丸は人質として利用した方が良い筈。だが三好孫四郎は執拗に竹若丸を危険視して斬るべきだと主張している。もしかすると孫四郎も甥に怯えているのかもしれない。


 「九条さんが耳打ちしてくれた。あそこは娘が鬼十河に嫁いでおるからの。そこから聞いたらしい。筑前守は竹若丸は自分の生き様を見届ける男、斬ってはならんと孫四郎を止めたと聞く。だが孫四郎が独断で事を運ばぬとも限らぬ。今しばらくは宮中に匿った方が良かろうと言われた」

 溜息が出た。


 「幼児を斬っては体裁が悪いからの、教えてくれたのよ」

 「左様で」

 「鬼十河は筑前守に竹若丸と何を話したか聞いたらしい。だが筑前守は教えぬそうだ」

 兄が私を見た。

 「弟にもですか?」

 私が問うと兄が“うむ”と頷いた。信じられない。十河左衛門尉一存は筑前守にとって最も信頼出来る弟の筈、その弟にも口を閉ざすとは……。


 「そなたは如何じゃ」

 「私が竹若丸に訊ねても佳言を欲しいと言われて御身御大切にと言っただけだと答えるだけです」

 兄が首を横に振った。有り得ない、それなら人払いの必要など無いし筑前守が口を閉ざす理由も無い。甥と筑前守は何かを話したのだ。他人には言えぬ何かを……。


 二人きり、壮年の三好筑前守と五歳の竹若丸が顔を寄せ合い密やかに、しめやかに何かを話し合っている。竹若丸が問い三好筑前守が答える。三好筑前守が問い竹若丸が答える。何度もそれを繰り返しやがて二人が頷きあう……。想像がつかない、一方は畿内の覇者、一方は何も持たない幼児。だが三好筑前守は竹若丸を自分の生き様を見届ける男と言ったのだ。筑前守は竹若丸を自分と同等、或いはそれ以上の者と認めたという事だろう。一体二人は何を話したのか……。


 「どうかの、宮中で今しばらく預かる事は可能かの」

 「それは構いませぬ」

 兄がホッと息を漏らした。

 「そうして貰えると有難い。孫四郎の事も心配だが実はの、息子がの、竹若丸が居ると委縮するようじゃ」

 「まあ」

 驚いて声を出すと兄が頷いた。


 「竹若丸が何かをするというわけではない。だが雅敦にとっては意識せざるをえぬのかもしれぬ……。或いは雅敦も尋常ならざるものを感じているのか……」

 兄が首を横に振った。

 「この一月、表情が明るいわ」

 兄が苦い表情をしている。息子の事が心配なのだろう。

 「もしやすると自分の競争相手になると思っているのやもしれませぬな」

 「未だ子供でおじゃるぞ」

 兄が眼を剥いている。

 

 「理屈ではありませぬ、本能でそう思ったのやもしれませぬ。兄上も申されましたな、尋常ならざるものを感じたと。男は外で戦う生き物にございます」

 「……なるほど、そうかもしれぬ」

 兄が頷いた。

 「私の子として育てましょうか?」

 「そなたの子として? 宮中でか?」

 「ホホホホホホ」

 兄の驚愕した顔が可笑しくて笑ってしまった。兄が憮然としている。


 「閑院大臣(かんいんのおとど)の例も有ります。親王様、帝に相談してみましょう」

 「それは構わぬが女王様は嫌がらぬかな?」

 兄が小首をかしげた。

 「大丈夫です。娘は竹若丸になついでおります」

 「それなら良いが……」

 あの子が如何育つのかは分からない。だが三好筑前守と互角に話し合える力を持つ公家が朝廷に居る、その事は悪くない筈。その辺りを話せば……。


 女官が二人を連れてきた。二人が兄に挨拶をし少しの間兄と話をした。女官に娘を預け遊ばせるように言う。娘が竹若丸と離れるのを嫌がったが女官が宥めて娘を連れて行った。兄が竹若丸に包みと文を渡した。包みの中には干し椎茸が五つ入っていた。

 「叔母上、これは叔母上にお渡しします。私の費えに当ててください」

 この辺りも子供らしくない。兄も苦笑している。

 「良いのですか?」

 「構いませぬ」

 「では遠慮なく頂きますよ」

 竹若丸は頷くと文を読み始めた。


 竹若丸が子供らしからぬ厳しい表情で文を読んでいる。朽木民部少輔殿、竹若丸の父方の祖父からの文。竹若丸が宮中で暮らす様になって一月、これで文が来るのは二度目だ。二人は頻繁に文の遣り取りをしているらしい。読み終わった。しかし表情は変わらない。少し考えまた最初から読み始めた。


 「相も変わらずか……」

 竹若丸が呟いた。兄と視線を交わす。兄は微かに首を横に振った。話しかけるなと言っている。

 「泣く暇が有ったら考えろ」

 吐き捨てた。

 「甘いわ、阿呆共も三好も甘い」

 表情が苦い。明らかな侮蔑が有った。背筋が凍る程の恐怖が有った。兄も顔を強張らせている。


 竹若丸が視線を上げた。そしてこちらを見て“どうぞ”と言って文を差し出してきた。兄が困惑しながら“良いのか”と問うと甥は“構いませぬ”と答えた。兄が文を受け取って読み始めた。私も脇からそれを覗く。文には幕府に出仕していた三人の叔父が無事であった事が記されていた。


 そして公方が京を追われた事を嘆き泣いている事、公方に随伴する者は知行を没収すると三好筑前守が通達したため随伴者の多くが公方を見捨てて帰京した事、その事をまた公方が嘆いている事、残った幕臣達が憤慨し公方を慰めている事等が記されていた。これからは六角左京大夫、朝倉左衛門督を動かして京を目指すだろうとも書かれていた。


 兄と顔を見合わせた。泣く暇が有ったらと吐き捨てたのは公方の事だろう。そして阿呆共と言うのは幕臣の事に違いない。甥は幕臣も三好筑前守も甘いと罵っている。多分知行の没収の事に違いない。竹若丸ならば如何したのか……。甥を見た、静かに座っている。何を考えているのか……、分からない。だがどんな事でも平然と行いそうな感じがした。


 「竹若丸よ、六角、朝倉は動くかの」 

 兄が躊躇いがちに訊ねた。多分、答えそのものよりも甥が如何答えるかを確認しているのだろう。

 「動きますまい」

 そっけない返事だった。

 「動かぬか?」

 「はい」

 「何故動かぬのです?」

 私が問うとこちらをじっと見た。甥は時々こんな表情をする。まるで何かを確認するかのように……。甥の口元に笑みが浮かんだ。


 「公方様が今回の戦の前に朝倉、六角に声を掛けなかったとも思えませぬ。声をかけたが動かなかったのだと思います。朝倉も六角も代替わりからそれほど日が経っておりませぬ。三好相手に兵を起こすのは危険と見たのでしょう。それを今更声をかけても……」

 最後は苦笑になった。


 「朝倉には宗滴が居るが」

 苦笑が止まらない。

 「養父上、宗滴は名将かもしれませぬが老いています。到底上洛など出来ますまい。それに幕府には恩賞を与える力が無い。そんな幕府のために宗滴が積極的に動くとは思えませぬ。おまけに北には一向門徒も居る」

 兄と顔を見合わせた。兄の顔に驚きは無い。私も驚いていない。やはり五歳ではない。


 「では公方は当分朽木か、三好に攻められぬかな?」

 兄が不安そうな声を出した。朽木が滅べば援助が無くなると思ったのだろう。

 「御安心を」

 「……」

 「三好が朽木を攻める事は有りませぬ。朽木は銭は有りますが兵が無い。あそこなら公方様が居ても危険は無い。そのまま放っておくでしょう。下手に攻めて六角や朝倉に行かれては面倒な事になりかねませぬからな」

 また兄と顔を見合わせた。兄の顔には畏怖が有る。なるほど、これでは三好孫四郎が危険に思うのも無理は無い。多分、甥は三好の弱点を突いたのだ。生きて戻ったのは僥倖だったのかもしれない。一体その弱点とは何だったのか……。聞いてみたいと思ったが口に出せば甥がどんな反応をするか。それが不安で口に出せない。


 「朽木の祖父に文を書きます。暫くお待ちいただけますか?」

 「ああ、構わぬぞ」

 竹若丸が離れたところにある文机に向かった。それを見届けてから兄が顔を寄せてきた。

 「そなた、あれを朝廷のために役立てようと考えておじゃるのかな?」

 「……はい」

 兄がじっと私を見た。


 「気持ちは分かるが難しいぞ。あれが欲しているのは力でおじゃろう」

 「……」

 「あれの心は武家じゃ。そして武家とはそういうものじゃ。朝廷には力が無い。力を欲すれば欲するほど朝廷からその心は離れよう」

 「……」

 「我ら難しい子を預かってしまったの」

 兄がポツンと言った。


 「そうは思いませぬ。私には息子が居りませぬ。難しい子の方が育て甲斐がありましょう」

 兄が私を見て“かもしれぬの”と言った。春齢の事を考えたのかもしれない。いずれはあの子を寺に送る事になる。そうなれば私の周囲は寂しいものになる……。手のかかる子の方が寂しさを紛らわせてくれるだろう。


 竹若丸が文を書き終えると兄はその文を持って帰った。

 「竹若丸、そなた将来は何になりたいのです」

 「何とは?」

 竹若丸が訝し気な表情をしている。質問の意味が分からないらしい。

 「例えば武家伝奏になりたいとか……、大納言、大臣になりたいとか」

 「さあ、……ありませぬ」

 詰まらなさそうな表情をしている。甥は公家社会で出世する事には関心が無いらしい。兄との会話が胸をよぎった。


 「武家に戻りたいのですか?」

 甥が私をジッと見た。そして詰まらなさそうに笑うと“良く分かりませぬ”と言った。

 「叔母上は私が不安ですか? 最近叔母上も養父上も不安そうに私を見ます。まるで腫れ物に触る様な扱いをする。母上もそうでした」

 胸を突かれるような思いをした。私達はこの子が理解出来なかった。だから距離を置いた。この子は敏感に察していたのだろう。孤独だったのかもしれない。

 「先程も養父上と共に私を試したのでしょう。私が何者かを知るために」

 「……」

 竹若丸が私を見ている。あの時じっと私を見ていたのは私を見定めていたのだと分かった。私達がこの子が何者であるかを知ろうとした時、この子は私達が自分をどう思っているのかを計っていた……。


 「竹若丸、私達は」

 「構いませぬよ、慣れております」

 「……」

 言葉が出なかった。”慣れております”、さり気無い口調だった。五歳の子供がどんな思いで口に出したのか……。


 「私は何故自分がこの世に生まれて来たのかを知りたい。ただこの世に存在するのではなく何事かを成し、そのために生まれて来たのだと自分の一生を肯定したい。例え武家でなくともそれが叶うなら後悔はしない。そう、公家でも構いませぬ。ただ生きるためだけに生きるのは御免だ」

 苦しんでいるのだと分かった。この子は苦しんでいる。この子の才は他者を圧している。だがその才を使う場が無い。この子は自分の力が何のためにあるのか分らずに苦しんでいるのだ。だから三好筑前守との会談でその力を出した。嬉しかったのだろう。斬られそうになっても動じなかったのは満足していたからだ。斬られれば笑いながら死んでいったに違いない。


 「私は、自分の力を試してみたいのです」

 「焦ってはなりませぬ」

 気が付けばいざり寄って抱きしめていた。離れようとする竹若丸を更に強く抱きしめた。

 「そなたはまだ幼いのです。焦る必要はありませぬ」

 「……」

 「いずれ分かる時が来ます。そなたが何故この世に生を受けたのか、何を成す為に生まれたのか、分かる時が来ます。だから焦ってはなりませぬ」


 この子を支えていこう。この子の母として支えていこう。この子を理解するのは難しいのかもしれない。ならば理解ではなく受け入れていこう。この子が疲れた時、孤独になった時、戻って休む場所を私が用意しよう……。

 

 



書籍の第七巻ですが既に原稿は出来上がって校正待ちの状態です。これからイラスト、表紙、挿絵を相談していく事になると思います。発売時期は未定ですが準備中ですのでお待ちいただければ幸いです。


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― 新着の感想 ―
本編何度も読んでから来ましたが、綾さん再婚させられたのを見てやっぱりかわいそうだなあと思いましたか、目々内侍おばさんの方が度胸があるというか、母性が強いですね…主人公はああなんだから、仕方ないとは言え…
[良い点] 受け入れてくれる女性が妻以外に現れてよかった。 [一言] 対比ルートの存在によって、今更ながら武家ルートはあれはあれで恵まれてる面もあったんだなと気付いた。 公家ルートの大人はある意味で…
[良い点] 別作ではあまり表面に出てこなかった公家社会の中で竹若丸の姿と目目典侍の愛情の深さに惹かれる
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