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永禄三年(1560年) 七月上旬      山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路  飛鳥井邸 山川九兵衛




 「御苦労だな」

 声を掛けると目の前に座った六人の男女が頭を下げた。柴田左之助正広、柴田巳之助正幸、真中源次郎定正、玉、万、菊。

 「今日からこの邸で働いて貰う」

 六人が頷いた。顔には緊張の色が有る。楽な仕事にはならぬと思っているらしい。結構な事だ。


 「そなた達、右少将様についてどの程度知っている?」

 六人が顔を見合わせた。

 「されば、尋常ならざる御器量の持ち主と聞いております」

 「それに気性激しく非情だとも」

 左之助、巳之助の答えに皆が頷いた。ふむ、間違ってはいないが……。

 「お仕えすれば直ぐに分かると思うが右少将様は多少皮肉な物言いをなされる事は有るが穏やかでお仕えし易い御方だ」

 六人が訝しげな表情を見せた。


 「だがその本質は極めて怜悧、冷徹だ。必要と有れば非情にも激しくもなれる」

 「……未だ十二歳でございますが?」

 「十二歳と思うな、源次郎。俺より年上だと思え」

 六人が困惑を見せた。

 「俺はそう思ってお仕えしている」

 今度は頷いた。でも納得はしていない。溜息が出そうになって慌てて堪えた。あの方の事をどう説明すれば良いのか。どれほど丁寧に説明しても理解出来ると思えない。


 「この京では右少将様に敵意を持つ者が少なくない。幕府だけではない、三好一族にも、公家にも居る。それぞれに理由は違う。また今のところは協力はしていない。だが油断は出来ぬ。先日もこの邸に賊が入った。指嗾したのは幕府だと見当も付いている。右少将様を護るには細心の注意が要る。その事を忘れるな」

 六人が頷いた。

 「右少将様にお目通りする。ついて参れ」

 六人を引き連れ右少将様の許へと向かった。




永禄三年(1560年) 七月上旬      山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路  飛鳥井邸 飛鳥井基綱




 廊下から”右少将様”と声がかかった。 

 「九兵衛にございまする。新たに仕える者達に目通りを賜りたく……、宜しゅうございましょうか?」

 「構わぬぞ」

 「有り難うございまする」

 九兵衛が部屋の中に入り脇に控えた。その後に六人の男女が入って来た。三人ずつ二列に並ぶ。前列に男三人、後列に女三人。読んでいた本を閉じ書見台を脇に寄せた。


 「御書見中でございましたか?」

 「ああ、闘戦経をな」

 「闘戦経でございますか?」

 九兵衛が訝しそうな表情をしている。六人も同様だ。そうだよな、俺もつい最近まで知らなかった兵法書だ。


 「大江匡房が作った兵法書だと聞く。北小路家に無理を言って借りてきた。八幡太郎も学んだのかもしれぬな」

 「なんと!」

 九兵衛が声を上げた。六人も驚いている。孫子、呉子を知る人間は多いが闘戦経を知る人間は希だ。まして日本人が作ったとなればその驚きは相当だろう。この時代、兵法書といえば中国で作られたものという意識が有る。俺もこの本の存在を知った時は驚いた。直ぐに大江家の末裔にあたる北小路家に行ったよ。拝み倒して借りてきた。


 「……九兵衛、その六人が新たに麿に仕えてくれるのか?」

 「はい、名を」

 「柴田左之助正広にございまする」

 「柴田巳之助正幸、左之助の弟にございまする」

 「ほう」

 思わず声が出た。二人とも眉が太く眦が吊り上がっている。似ているなとは思ったが兄弟か。肩幅が広いな。羨ましい程だ。二人とも相当に鍛えているのだろう。


 「真中源次郎定正にございまする」

 この男も引き締まった身体をしている。男三人は未だ若い、二十代の前半だろう。鞍馬忍者でも腕利きの男達なのかもしれない。

 「玉にございまする、戸越忠蔵の妻にございまする」

 「真か?」

 おいおい、忠蔵の奥さん? ”真にございます”と九兵衛が答えた。二十代の半ばから後半くらいの女だ。色白でほっそりしている。大きな目が印象的だな。


 「後に控えるのは万、菊にございまするが万は穴戸三郎の、菊は久坂小十郎の妻にございます」

 「万にございまする」

 「菊にございまする」

 九兵衛の紹介の後、万、菊が頭を下げた。万は二十代前半、菊は二十歳になったかどうか……。この二人も細い。万は目が細いが菊はちょっと垂れ目で狆みたいな目をしている。


 「これまでずっと亭主殿を借りていた。さぞ寂しかった事でおじゃろう」

 女達が”いえ”、”そのような”と困ったように言った。いやいや、寂しかった筈だよ。未だ若いんだから。

 「色々と面倒を掛けると思うがよろしく頼む」

 頭を下げると六人が恐縮したように身を縮めている。


 それを機に九兵衛が六人を促して退出した。若い女が三人居たから拙い、春齢が煩いと思ったが三人とも旦那が傍に居るとなれば春齢も目くじらを立てることは無いだろう。さて、闘戦経の続きを読むか。現代に居る頃は寝っ転がって読んだんだけどな。今は流石に出来ん。公家に生まれるのも善し悪しだな。




永禄三年(1560年) 七月上旬      山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路  飛鳥井邸 飛鳥井基綱




 足の位置を確かめる。的を見た。大丈夫だ、問題ない。矢を弦につがえた。そして弓を上に持ち上げながら少しずつ矢を引く。十五間ほど先の的に向かって矢を放った。ゆっくりと矢が飛んでいく。これなら誰でも避けられるだろう。いや、避けるまでも無いな。矢は的から二尺程離れた場所に落ちた。チラッと後ろを見た。師匠で有る吉田六左衛門重勝が厳しい目で見ている。


 「続けられませ」

 「はい」

 暑いな、額の汗を拭う。背中に汗が流れるのが気持ち悪い。だが我慢だ。弓を斜め下に向けもう一度矢を弦につがえた。そしてゆっくりと上に持ち上げながら引く。時代劇だと弓を上から下ろしながら引くのが良く有るがあれは小笠原流で騎射の場合だ。俺が学んでいる日置流は歩射。小笠原流は見た目の美しさや品位を重視するが日置流は的に当たったか、どの程度威力があるかを重視する実戦派だ。戦国向きの流派と言って良い。


 矢を放った! 相変わらず勢いは弱い。それでも今度は的に当たった。そして落ちた。的に刺さらないくらい弱いって……。

 「お気になさいますな」

 「……はい」

 「その弓は二人張り、しかも弦は引きや易いように弱めてあります。勢いが無いのは当然の事。今は弓の握り方、打ち起しをしっかりと身に付けることです。いずれ身体が大きくなり力が強くなれば強い弓を引けるようになります」

 「はい」

 その通りだ。今は未だ発展途上だ。頑張るしかない。


 そう思うんだけどね。弓を習い始めてから五年以上が経つんだけど全然上達したように思えないんだよ。……いかん、いかん、ネガティブになるな。五年後を信じるんだ。きっと弓の名手になっている。先生も暑い中をわざわざ邸に来てくれているんだから信じるんだ。


 更に小一時間程弓を引いて腕がパンパンに張った事で練習は終わりとなった。今は汗を拭って邸内に戻り師匠と麦湯を飲んでいる。ぬるいけど美味いんだな、これが。

 「疲れましたかな?」

 「はい、疲れました」

 俺が答えると六左衛門先生が顔を綻ばせた。厳めしい顔の男なのだが笑うと意外なほどに優しい表情になる。年齢は五十には未だ間があるだろう。


 本来なら俺が師匠の邸に出向いて教えを請うべきなのだが師匠の弟子には幕臣達も多い。トラブルになっては拙いという事で俺の邸に来てくれている。師匠は親切なおじさんなのだ。

 「夏場の練習は疲れる以上に汗で心が乱れます。中々集中出来ませぬ」

 「はい」

 もっともだ、背中に流れる汗の気持ち悪さにはうんざりする。


 「しかし冬になれば寒さで指がかじかみますし風が強いですから矢が流されます」

 同感だ。屋内ならともかく屋外で行う以上天候に左右されるのは已むを得ない。まして戦は何時、何処で始まるか分からないのだ。暑い、寒いで泣き言を言うべきじゃ無い。その事を言うと師匠が”左様ですな”と大きく頷いた。


 「あと二、三年もすれば弓も本来の物を使えましょう」

 「はい、その時が楽しみにおじゃります」 

 本来、弓の長さは七尺三寸が標準なのだが俺は身体が小さい。という事で年少者用の少し小さい弓を使っている。それでも六尺程有るから扱いは結構難しい。ちなみに何人張りというのは弦を張る時に何人で張ったかという事を表す。二人張りなら一人が弓を撓めて一人が弦を張ったという事になる。 


 「ところで本家の兄から少々気になる文が届きましてな」

 本家の兄というのは六角家の家臣で蒲生郡川守城を本拠にしている吉田出雲守重高の事だが……。 

 「右衛門督様が平井加賀守殿の娘の事で右少将様に強い不快感を示しているとか」

 「……」

 「お心当たりがございますか?」

 師匠が心配そうな表情で俺を見ている。


 「はい、おじゃります。加賀守殿の娘の事、師匠はご存じでおじゃりましょうか?」

 「浅井に嫁いだ娘でございましょう。平井に戻された事は知っております」

 「その娘を右衛門督殿が側室にと望んでいるのだそうです」

 「……」

 「もう嫁ぐ事は出来ないだろうからと」

 師匠が”なんと”と声を出した。信じられないというように俺を見ている。どうやら本家からの手紙はその事には触れていなかったらしい。


 「真でございますか」

 「はい、麿はその話を加賀守殿から聞いて決して受けてはならぬと言いました。御息女の幸せを願うのならば断りなされと」

 師匠が大きく息を吐いた。

 「では断ったのですな」

 「加賀守殿とはそれ以来文を交わしておりますが断ったそうでおじゃります。右衛門督殿の不快とは多分その事でおじゃりましょう」

 師匠がまた大きく息を吐いた。


 「道理ですな、断るのが道理です。余りにも酷すぎる。右衛門督様には良い評判が無いと本家の兄から聞いていましたが納得しました」

 「……」

 師匠が俺を見た。

 「文には右少将様に身辺に注意するように伝えて欲しいと有りました。決して油断してはなりませぬぞ」

 「御忠告、有り難うございます。出雲守殿にも麿が感謝していたとお伝え下さい」

 師匠が頷いて一口麦湯を飲んだ。

 「では某はそろそろ失礼致しましょう」

 「はい、有り難うございました」

 立ち上がった師匠を邸の入り口まで出て見送った。師匠の姿が見えなくなってから邸に戻った。そして九兵衛を自室に呼んだ。


 「如何なされましたか?」

 声を掛けながら九兵衛が部屋に入って来た。座るまで待つ。

 「六角右衛門督義治が麿に不快感を示しているそうだ」

 九兵衛の顔が引き締まった。

 「吉田様がそのように?」

 「うむ、平井の娘の事が原因だと本家の出雲守殿から報せが有ったらしい」

 「なるほど、御本家から……。ならば油断は出来ませぬな」

 そう、油断は出来ない。わざわざ報せてきたという事は俺に対する不満をかなり口にしていると見るべきだろう。


 「もうじき六角は浅井と戦になる。そちらに集中するとは思う。だが右衛門督義治、六角家の内部でも相当に危ぶまれているようだ。何をしでかすか分からぬ怖さが有る」

 何と言っても観音寺騒動を引き起こした阿呆だからな、不安だ。九兵衛も頷いている。

 「あそこには甲賀者も居ります。それを動かすやもしれませぬ。皆に注意するように伝えましょう。右少将様も油断は禁物にございますぞ」

 「分かった」

 九兵衛が一礼して立ち去った。

 

 吉田家は相当に六角家を意識しているようだな。まあそれも無理はないか。……吉田家と六角家は過去にトラブルが有った。吉田家は師匠の祖父吉田出雲守義賢が日置流の宗家、日置弾正豊秀に付いて弓術を修め家伝を受けた。家伝というのは日置流の全てという事だから吉田出雲守義賢が日置流の宗家となったわけだ。そして息子の吉田出雲守重政が次の宗家となる。重政の弟子には六角家当主、左京大夫義賢もいた。主君が弟子なのだ、吉田家、日置流は安泰だと誰もが思っただろう。


 ところがだ、問題が起きた。左京大夫義賢が家伝を受けたいと言い出したのだ。重政は家伝は息子に伝えると言って断った。その事で六角家と吉田家の関係は悪化、出雲守重政は六角家を離れ越前に流れ朝倉家を頼った。身の危険を感じたか、或いは出て行けと追い出されたのか、微妙なところだが後年の事を考えると身の危険を感じたのだと思う。


 その後、出雲守重政と左京大夫義賢は和解する。和解の条件は義賢が重政の養子となって家伝を受ける事、その後重政の嫡男である重高に家伝を授ける事だった。要するに義賢の面子を立てる事が六角家に復帰する条件だったのだ。だが重政は義賢が約束を守るか不安だったらしい。家伝が絶える事を危惧した重政は四男の六左衛門重勝、つまり師匠に日置流の全てを伝え家伝を授けて分派させ京へと送った。越前へ逃げたのはそのための時間を稼ぐ為だったのだろう。


 その後、日置流の家伝は重政から義賢へ、義賢から重高へと授けられた。約束は守られたのだ。重政の不安は杞憂だったのか? そうは思わない。重政が其処まで配慮したから義賢は重高へ家伝を授けたのだろう。六角家で家伝を独占は出来ないと諦めたのだ。そうでなければ吉田家を滅ぼした可能性も有る。京へ移った師匠は仕官はしなかった。多分本家と六角家のトラブルで仕官は危険だと思ったのだろう。或いは父親の重政から仕官はするなと命じられたか……。


 出雲守に文を書こう。忠告への礼と日置流を学べて光栄だと書く。喜んでくれる筈だ。いずれ信長の上洛戦が起きれば南近江の国人衆への調略が重要となる。平井加賀守、吉田出雲守、それに観音寺騒動で殺される後藤但馬守の遺族……。義治君には頑張って貰わないと。馬鹿をやればやるほど寝返りが多くなる筈だ。頑張れよ!




 


七月一日にも更新する予定です。原稿は今から用意します。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 平井の娘の縁談を断るように勧めたことはどこから漏れたのでしょう? 主人公が広めたという記述はありませんでしたが、やったんですかね。
[一言] 最近、主人公の周囲の女性たちが賑やかですね。小夜さんとの関係がどうなっていくのか目が離せません。さらに毬や寿といった女性たちとの関係も気になります。 次回の更新も楽しみです。
[気になる点] 本編と違って長政が戦死しないなら再婚もあり得るのかな [一言] 本編の方も宜しくお願い致します
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