功利的な家
永禄三年(1560年) 六月中旬 山城国葛野郡 近衛前嗣邸 飛鳥井基綱
目の前に若い女性が居る。二十歳をちょっと超えたくらいだろう。それは良い、問題は目の前の女性が凄い美人だという事だ。細面で切れ長の目、形の良い眉、鼻筋が通っていて唇には微かに笑みが有る。
「寿【ひさ】と申しまする」
うん、声も良い。なんて言うか鈴を転がすような声だ。……いかん! 挨拶しないと。
「右近衛権少将、飛鳥井基綱におじゃりまする」
声が裏返らないように気を付けて言うと相手が顔を綻ばせた。一気に華が咲いたような感じがした。蝶が舞いそうな……。相手がジッと俺を見た。そして袂で口元を隠しながらクスクスと笑った。え、何? 俺なんかおかしいの?
「宮中の実力者、武家にも負けぬ乱暴者と聞いていましたけど何ともかわいらしい殿方ですのね」
太閤が苦い表情で“寿”と窘めた。もっとも相手は全く気にしていない。父親の威厳は何処にも無いな。それにしても武家にも負けぬ乱暴者か。不本意だな。
「越前にはそのように麿の事が伝わっておりますので?」
問い掛けると寿が“はい”と頷いた。お願いだからにっこりしないで欲しいな。不本意だと思う気持ちが何処かに飛んでいく……。
「妹の毬から文を貰いました。それに一乗谷には京から公家が何人も来ます」
「……」
「本当に広橋前内府を殺すと脅しましたの? 室町第でも襲ってきた者を打ちのめしたと聞きましたけど」
可笑しそうに問い掛けてきた。なるほど、やはり毬の姉だな。好奇心の強い所は良く似ている。トラブルメーカな所は似ないで欲しいものだ。
「大袈裟に伝わっているだけでおじゃります」
「そうですの? 邸に入り込んだ盗賊を斬り捨てたのでしょう?」
「麿が斬ったのではありませぬ。家人が斬りました」
一応そういう事にしている。
「それに逃げた者もおじゃります」
「本当に?」
悪戯っぽい目で俺を見ている。近衛家の女ってのは好奇心の強過ぎる特徴が有るらしい。この寿という女性、太閤近衛稙家の娘で関白近衛前嗣の妹なのだがつい先日までは越前の国主朝倉左衛門督義景の正室だった。今は離婚されて近衛家に戻って来ている。所謂バツイチだ。
「いい加減にせぬか、寿。右少将が困っておるぞ」
太閤殿下が苦り切った表情で窘めたが相手は“ウフフ”と笑って終わりだった。
「私の事なんて気にしていないみたいですけど」
寿が俺を見ながら笑う。そんな事も無い、美人は大好きだから気になるさ。でも春齢の焼き餅が煩いから気を付けている。それにしても勿体無いよな、これだけの美人を離婚しちゃうなんて。
「右少将様、私が何故離縁されたと思います?」
「……」
「子が出来ないから離縁なんですって。挙句の果てに私は側室を妬んで呪詛したそうですわ」
寿が笑い出した。笑い終わっても可笑しそうな表情は変わらない。父親の太閤殿下は苦虫を潰したような表情だ。不憫だと思っているのかな? しかしなあ、落ち込んでいるよりは良いだろう。
「右少将様は如何思います? 私がそんな事をするように見えます?」
「呪詛したのでおじゃりますか?」
問い掛けると笑いながら“いいえ”と答えた。
「呪詛する程に左衛門督様を想うてはおりませぬ」
「左様で」
「はい」
寿が可笑しそうに答えた。うん、何故愛せなかったのと聞くのは控えるべきだろうな。
「離縁の理由は寿殿が邪魔になったからでおじゃりましょう」
寿の顔から笑みが消えた。太閤が俺を見ている。太閤は気付いているな、寿もだ。
「邪魔でもなければ近衛家の娘を追い出す事はおじゃりませぬ」
「……」
「側室というのは鞍谷御所の娘でおじゃりますな?」
「はい、良く御存じで」
寿が驚いたような表情をしている。
「もし側室が身分の低い家の娘なら生まれた子の立場は弱い。その側室は生まれた子を寿殿の養子にする事で子の立場を強固なものにしようと考えましょう。左衛門督殿がそれを進めるかもしれませぬ。しかし鞍谷御所の娘ではそのような必要はおじゃりませぬ。それに他の側室が子を産んだ時、寿殿を頼るかもしれませぬ。そうなれば面倒な事になる」
太閤も寿も言葉が無かった。
鞍谷御所というのは越前では極めて大切に扱われている家だ。元は奥州の斯波氏の流れを引いている。斯波氏は足利氏から分かれた家だからこの時代では間違いなく名門中の名門だろう。そして越前という国は管領を出し武衛家と尊称された斯波氏が代々守護に任じられた国だ。奥州の斯波氏はこの武衛家の庶流に当たる。まあ朝倉にとっては直接の主筋ではないが主筋の親戚ではあるな。鞍谷御所は朝倉氏とも積極的に姻戚関係を結んできた。その所為で代々朝倉氏の当主からはかなりの敬意を払われている。
「つまり寿殿は邪魔という事でおじゃります。だから鞍谷御所は寿殿の悪評を立てて追い出そうとした。そんなところでおじゃりましょう」
この鞍谷御所、讒言で明智光秀を朝倉家から追い出した事でも有名だ。気に入らない奴は追い出す事が趣味なのだろう。碌な奴じゃないな。そんな奴が越前で力を持っている。朝倉も先が暗いわ。
「それと左衛門督殿は足利にうんざりしたのかもしれませぬ」
寿が“うんざりした?”と問い掛けてきた。
「公方は何かにつけて三好を討てと文を出したでしょうからな。左衛門督殿に三好と戦う意思はおじゃりますまい。煩い奴とうんざりしたのではおじゃりませぬか?」
「……」
「近衛の娘を娶っているからしつこく文が来る、そう思ったのかもしれませぬ」
寿が考えるような素振りを見せた。思い当たる事が有るのだろう。
本来なら五摂家の一つ、近衛家の娘を妻に持つというのは朝倉家にとっては名誉な事なのだ。京との繋がりも強くなる。多少の不仲でも飾りとして置いておく、俺ならそうする。だが義景は寿を追い出した。寿を積極的に追い出そうとしたのは鞍谷御所だろうが義景にもそれなりに理由が有ったから離縁したと見るべきだ。
それと若狭の問題が有る。若狭は御家騒動と家臣の反乱で治まらない。若狭を治める武田氏の力は衰える一方だ。朝倉にとっては美味しそうな肉だろう。だが若狭の武田は公方の義弟で六角左京大夫義賢の甥でもある。簡単には食えない。だが浅井が六角から離れた。朝倉が好機と思ってもおかしくは無い。益々足利と密接に繋がる近衛の娘は邪魔だ。
「邪魔なら邪魔だと言って下されば良いのに……、面倒なお方」
「……」
寿が俺を見てクスッと笑った。ちょっと危ないだろう、挑発するような事はするな。
「右少将様は本当に公家ですの。まるで武家のような……」
悪戯っぽい目で俺を見ている。寿が太閤に視線を向けた。
「父上、右少将様は面白いお方ですのね」
「……」
太閤が一つ息を吐いた。娘を窘めるのは諦めたらしい。賢明な判断だな。近衛の娘ってのは厄介なのが多過ぎる。
「私ね、離縁されても全然悲しくありませんの。不思議でしょう?」
「……」
「嫁いだ時は胸を弾ませていました。北陸の雄、朝倉家の当主左衛門督義景様とはどのようなお方なのかと」
寿が視線を宙に彷徨わせている。昔を想いだしたのか、それとも想像した義景を思い出したのか……。
「……どのようなお方でおじゃりました?」
寿が俺を見てクスッと笑った。
「公家のようなお方です」
「……」
「お好きなのは和歌や連歌、絵にお茶、それに能。武家らしい事は犬追物ぐらいです。それも武技を鍛えるためではなく犬追物の作法を心得、恥をかく事がないようにと嗜んでおられました」
今は戦国なんだけどな。長閑な事だ。
「私は武家の殿方というのは雄々しくて荒々しく公家とは違うのだと思っていました。当然ですが左衛門督様もそうだと思ったのです。でも現実の左衛門督様は私の想像、いえ期待した左衛門督様とは違いました」
なるほど、失望したか。まあ寿が嫁いだ頃なら名将朝倉宗滴が存命だった筈だ。朝倉家の武威は誰もが認め恐れただろう。当然だが朝倉家の当主であった義景を武勇の大将と思った筈だ。
「公家は嫌いでおじゃりますか?」
寿が“いいえ”と言って笑みを浮かべた。
「そうでは有りませぬ。私は自分で運命を切り開こうとする殿方が好きなのです。運命に流されるだけの弱い殿方は嫌いです」
「なるほど」
要するに強い男が好きか。毬と似ているな。だから武家に憧れを持ったのだろう。しかしなあ、武家に生まれたからって強いとは限らんぞ。弱い奴なんて幾らでもいる。太閤が溜息を吐いた。俺と同じ事を感じたのかもしれない。
永禄三年(1560年) 六月中旬 山城国葛野郡 近衛前嗣邸 飛鳥井基綱
「寿、麿は右少将と話がある。そなたは部屋に下がりなさい」
「はい」
寿が素直に立ち上がって部屋から出て行った。嫌がるかと思ったんだがな、意外に素直なところが有る。この辺りは毬よりも良いな。そんな事を思っていると太閤が溜息を吐いた。
「不憫なものよ」
「……」
「左衛門督を想うておらぬと言ったが時々寂しそうにしておる」
「……左様でおじゃりますか」
愛していないと言っても不要だと越前を追い出されるとは思っていなかったのだろう。寿の寂しさは自分が必要とされていない、何のために自分は生まれてきたのかという不安、いや絶望かもしれない……。太閤がまた“不憫なものよ”と言った。
「朝倉もとうとう掌を返しおったわ」
「……」
「まあ寿は生きて帰って来た、それだけでも良しとしなければの」
随分と物騒な事を言うな。冗談だよな。
「それは如何いう事でおじゃりましょう」
問い掛けると太閤が苦笑いをした。そして人を呼んで白湯を用意するようにと命じた。
「元々左衛門督は細川右京大夫晴元の娘を娶っておった。女児を産んで直ぐに死んだのだがその死んだ時期というのがちと微妙でおじゃっての」
「……」
「細川の娘は天文十七年に嫁いで翌年の十八年に死んだ」
ふむ、嫁いで直ぐに妊娠して子を産んで死んだか……。夫婦仲は悪くなかったのだろうな。この時代は十代半ばで嫁ぐ、未だ身体は成熟しきっていないのに嫁ぐのだ。当然だが出産のリスクは高い。だが太閤は微妙と言った。如何いう事だ?
「先程微妙と仰られましたが?」
太閤が“ふむ”と頷いた。
「実はの……」
「失礼致しまする」
声と共に女中が部屋の中に入って来た。太閤と俺の前に白湯を置いて立ち去った。太閤が白湯を一口に飲んだ。そして息を吐いて茶碗を置いた。
「右少将の生年は何時でおじゃったかな?」
「生年でおじゃりますか? 麿は天文十八年でおじゃります」
なるほど、俺が生まれた年に細川の娘は死んだか。妙な事を聞くと思ったがそれが理由か。
「そうか、……では気付くまいな」
いや、違うようだな。太閤は別な事を言っている。何を俺は気付いていないんだ?
「細川の娘が朝倉左衛門督に嫁いだのは天文十七年の初め、その年の三月に左衛門督の父親が死んだ。左衛門督は十六歳で朝倉家の当主となった」
「……」
「もっとも朝倉には宗滴という偉い男が居たからの。朝倉が揺らぐ事は無かった」
俺が“左様でおじゃりますな”と言うと太閤も頷いた。朝倉が揺らぐのは宗滴が死んでからだ。つまり、今だな。
「だがの、天文十七年、十八年というのは畿内で騒ぎが有った年なのじゃ。天文十七年の後半には三好修理大夫、当時は筑前守と名乗っていたが主君である細川左京大夫に反旗を翻した。そして翌年の十八年の前半には江口の戦いが有り左京大夫と当時の公方、義晴公は修理大夫に負けて坂本へと逃げた」
「なるほど」
素直に頷けた。細川晴元が没落し三好が覇権を握ったのが天文十八年か。その年に晴元の娘が死んだ。太閤が微妙と言うのも当然だな。
「朝倉は細川から来た嫁が邪魔になった、殿下はそうお考えでおじゃりますか?」
殿下が頷いた。
「そう思うておる。実際左京大夫や公方は朝倉、六角に対して打倒三好に力を貸して欲しいと頼んだのじゃ。だが当時の六角は先代の管領代が病で動けず朝倉は代替わりしたばかりで当主は若い、到底兵を出せる状況には無かった。兵を出して欲しいという頼みは鬱陶しい事でおじゃったろう。細川の娘を邪魔と思うのは当然でおじゃろうな」
全く同感だ。
「では殺したと?」
問い掛けると太閤が“分からぬ”と言って首を横に振った。
「産後の肥立ちが悪くて母親が死ぬ事は珍しい事ではおじゃらぬからの」
「……」
「だがあの家は結構功利的での、油断は出来ぬ」
「……」
無言でいると太閤が小さく笑った。
「細川左京大夫が没落した後は近衛に近付きおった。本来朝倉家は左衛門尉に任じられるのだが左衛門督に任官出来たのは、そして公方から義の字を貰って義景と名乗れたのは近衛と縁を結んだからよ」
「なるほど」
近衛は足利と縁を結んでいる。公方が頼りにする武家よりも公家の方が利用し易いか。それは有るかもしれないな。離縁しても武力に訴えるという事は無い。
「それが天文二十一年の六月の事よ。今度は分かるであろう?」
「はい」
今度は俺にも分かる。天文二十一年の初めに義輝は三好と和を結んで京に戻った。だがその一年後には細川晴元と結んで三好に敵対した。例の二度も細川を許す事は無いと誓っておきながら破ったと非難される一件だ。当然だがそこには朝倉は自分達の味方だ、兵を出してくれるという意識が有ったからだろう。だが朝倉は兵を出さなかった。当てが外れただろうな。
「離縁の事、室町第でも話題になっておじゃる」
「左様でおじゃりますか」
答えると太閤が“うむ”と頷いた。
「もっとも朝倉からは長尾が上洛する時は共に兵を起こすと文が来ておる。室町第で話題になるのは近衛の娘は余程に嫉妬深いという事よ」
太閤が不愉快そうに吐き捨てた。近衛と足利か、妙な関係だ。仲は決して良くないんだが互いに頼りにしている。
「まあ長尾が上洛する時は加賀の一向一揆を共に攻めて潰すであろうからの、後顧の憂い無く上洛出来るわ」
「左様でおじゃりましょうな」
朝倉の常套句だ。この家は上洛を求められれば必ず加賀の一向一揆の脅威を理由にして断った。そして頼りにならないと思わせないためだろう、越後の謙信が上洛すれば上洛すると言い訳した。なるほど、確かに功利的だわ。味方なら信用出来ない味方だな。浅井が滅ぶのも当然か。




