桶狭間の戦いの後
今日は【淡海乃海】のコミカライズの更新が有るそうです(羽林じゃないですよ)。ということでこちらも更新しました。楽しんでもらえればと思います。
永禄三年(1560年) 五月中旬 尾張国 春日井郡 清洲村 清洲城 濃姫
ドンドンドンドンという足音とガシャガシャガシャガシャという音が遠くから聞こえてきた。帰って来た!
「お濃! お濃!」
「はい!」
声が弾む! 急いで廊下に出た。夫が居た。猛々しいほどの気を放っている。
「お戻りなさいませ……」
声が止まってしまった。何も言えない。
「勝ったぞ、お濃」
「はい!」
夫の白い歯が眩しい。
「今川治部大輔を討ち取ったわ」
「はい!」
夫が声を上げて笑った。そして笑い終わると一つ息を吐いた。
「ようも勝ったものよ。……右少将は何処に?」
「それが、京にお戻りになられました」
「なんと!」
「貴方様からの使者が来る前に右少将様の供の方が現れて貴方様が田楽狭間で治部大輔様を討ち取ったと」
「俺の使者が着く前にか」
夫が唸り声を上げた。あの時は信じられなかった。何度も“本当に?”と問い掛けた程だ。でも右少将様は驚いていなかった。あの方は夫が必ず治部大輔を討ち取ると信じておられたのだと思う。
「忘れていました、貴方様にこれを渡して欲しいと」
部屋に戻って書状を持ち夫の許に戻った。夫に差し出すとものも言わずに受け取って読み出した。読み進むにつれて書状を持つ夫の手に力が入るのが分かった。
「うーむ」
唸り声をあげている。声を掛けるのを躊躇う程に夢中で読んでいる。
最後まで読み終わると“ふーっ”と息を吐いた。そして小声で“化け物め”と呟いた。
「一波僅かに動いて万波随うか……。憎い男よな」
「殿?」
私を見ていない。見ているのは……。
「俺には今日を戦うのが精一杯であった。あの男は一年先を見て戦っておる」
「殿?」
声を掛けると夫が私を見て“フッ”と笑った。
「お濃、天下は広いわ。とんでもない化け物が居た」
永禄三年(1560年) 五月下旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 目々典侍
「本当に織田が勝ったのですか?」
「はい」
「治部大輔殿を討った?」
「はい」
右少将の答えに娘の春齢と顔を見合わせた。右少将が織田に肩入れしている事は知っていた。織田が勝つと見ているのではないかとも思っていた。でも本当に勝つとは……、それも大将である治部大輔を討ち取るほどの大勝利……。私も娘も未だに信じられずにいる。
「兄様、戦には出てないのよね?」
「何を言い出すかと思えば……、当然でおじゃりましょう。麿が戦場に出ても何の役にも立ちませぬぞ」
右少将が笑いながら言った。戦場には出ていない。でも何らかの助言はしただろう。高島と朽木の戦いも自らは参加する事無く朽木の大勝利を演出したのだ。
「麿が寝ている時にいきなり騒がしくなり“戦だ”という声が幾つも上がりました。この夜更けに出陣するのかと驚きましたな。織田殿のところに行くと甲冑姿の織田殿が立ったまま湯漬けを食べているところでおじゃりました。食べ終わると“出陣じゃ!”と言って出ていったのです。戦とはこういうものかと思いました」
その様子が目に浮かぶ。右少将も居る、でも表情が見えない。どんな表情をしていたのか……。一つ息を吐いた。
「兄様は?」
「麿はその後、お濃殿の給仕で朝餉を摂りました。そして昼過ぎに勝ったという報告が入ったので京に戻りました」
「お濃殿って誰?」
娘の声が尖っている。右少将も気付いたのだろう。困ったような顔だ。
「織田殿の奥方です。本名は違うのでしょうが美濃から嫁いで来ましたからお濃と呼ばれているようです」
「幾つくらいの女?」
「さて、織田殿が二十代の後半でおじゃりますから……」
では私と同年代?
「美しい方なのですか?」
「さあ……、人には好みが有りますからな。麿には何とも……」
歯切れが悪い。右少将が視線を逸らしている。美しいのだと思った。そして右少将の好みの女性なのだ。娘もそう思ったのだろう、不満そうな表情を見せている。
「これからどうなりますか? 帝も気にかけています」
右少将が“そうですな”と言った。ホッとしたような表情をしている。娘の不満そうな表情は変わらない。帝が気にかけているのは事実だ。帝も右少将が戦に関わったと見ている。何故関わったのか、それが何を引き起こすのか、知りたがっているのだ。
「今川は治部大輔が死んだ事で混乱する筈です。当分尾張方面に兵を出す事はおじゃりませぬ。織田はその間に尾張を完全に押さえる事になりましょう。問題は関東でおじゃりましょうな」
娘が“関東?”と訝し気な声を上げると右少将が頷いた。
「今川治部大輔が討ち死にした事で今川は混乱します。今川、北条、武田の三国同盟が揺らいだと見て越後の長尾が関東に兵を出しましょう」
「関東管領ですか?」
私が問うと右少将が“はい”と頷いた。
「北条を討ち、新たな関東管領として関東を制しようとする筈」
越後には関白殿下が居る筈、それは長尾の関東制覇を助ける為だった。まさか……。
「上手く行きますか?」
右少将が“いいえ”と言って首を横に振った。微塵も迷いが無い、相当に自信が有るのだと思った。では尾張に行ったのは殿下の為、足利の為ではない……。
「武田と北条が健在である以上、関東を長尾が押さえる事は難しいと思います。それに今川も滅んだわけではない。……まあ一時的には優位に立つかもしれませぬが……」
「……」
公方の望みは長尾が関東を制し上洛する事、でもそれは叶わないと右少将は見ている。たとえ治部大輔が死んでも。
「養母上、今の事は余人が居るところで帝にお伝えください。それとは別に余人を交えずに内密に伝えて欲しい事がおじゃります」
妙な事を言う、娘も訝しそうな表情をしている。
「それは?」
「東海から関東にかけて、これから大きな混乱が起きましょう。注意が必要だと」
「それだけですか?」
右少将が躊躇いを見せた。
「今は……」
「……分かりました。いずれそなたが考えている事を話してもらいますよ。帝も気にかけているのですから」
「……分かりました、では麿はこれで」
右少将が立ち上がった。
「もう行っちゃうの? 帰って来たばかりなのに」
娘が不満そうな声を上げると右少将が軽く笑い声を上げた。
「また明日来ます。今日は太閤殿下に呼ばれていますので」
太閤殿下に……。殿下も治部大輔の死がどういう影響を及ぼすかを右少将と話したがっているのだろう。
右少将が立ち去ると娘が“母様”と声を掛けてきた。
「兄様はどうして伝える事を分けたのかしら?」
「多分、長尾による関東制圧は上手くいかないという事を皆に報せるためでしょう。長尾の上洛も無いと」
「皆に?」
「ええ、そこから三好に伝わる様にと」
娘が眼を瞠っている。
「分かりますね?」
「はい」
「内密にと言った部分は三好に知られたくないのでしょう。多分、混乱の中で三好にとっては面白くない状況になるのかもしれませぬ」
或いは朝廷にも影響が出るのか。いずれは聞き出さねば。その辺りも帝にお伝えしよう。
永禄三年(1560年) 五月下旬 丹波山中 黒野影久
「まさか本当に織田が勝つとは……」
「ただ勝ったのではない。今川治部大輔を討ち取った」
シンとした。部屋には俺と十人の組頭が居る。だが人が居ないのではないかと思う程に静かだった。皆が顔を見合わせている。普段煩い葉月も神妙な表情だ。
「雹が降ったそうだ」
俺の言葉に“雹が”と声がした。佐助か?
「忠蔵の文によれば織田勢が治部大輔の本隊に近付く時に酷い悪天候になり雹が降った。その所為で今川方は織田勢に気付くのが遅れたらしい」
“なんと”、“そのような”と声が聞えた。
「治部大輔は悪天候で近くの小高い丘で休息をとったらしい。その所為で隊列は乱れていたようだ。織田勢に気付き慌てて迎え撃とうとしたようだが間に合わなかったようだな。位置的には丘の上に居たのだから有利だったのだが……。それに馬なら逃げられたかもしれぬが治部大輔は輿を使っていた……。運が無かったな」
「……」
「一瞬の油断、いや油断というのが酷な程の隙を突いたわ。そして治部大輔を討った」
呻き声が聞こえた。信じられぬのだろう。俺も信じられなかった。五月に雹が降る、そのような事が有るのかと。まるで織田を勝たせるために天が味方したかのようだ。そして考えてしまう、右少将様は何処まで読んでおられたのかと……。皆も同じ事を考えているだろう。
「右少将様の見立てが当たりましたな。織田が勝った」
葉月の言葉に皆が頷いた。皆の顔には畏れるような色が有る。
「葉月、織田弾正忠とはどのような御仁だ」
「そうですなあ、……型破りで常識に囚われぬお方です。何処となく右少将様に似ているようにも思えます」
葉月が言葉を選びながら答えた。型破りで常識に囚われぬお方か……。確かに似ているやもしれぬな。
「右少将様は東海から関東に激震が走ると仰られたそうだ。俺もそう思う。織田が力を伸ばし越後の長尾が関東へと兵を出そう。東海、関東、どちらも荒れるだろう。眼を離せぬ」
皆が頷いた。
「そして畿内でも戦は近付いている。三好と畠山、六角と浅井……。こちらも眼は話せぬ。これまで以上に忙しくなるだろう。気を引き締めよ」
「はっ」
皆が畏まった。
「俺は右少将様にお会いしてくる。これからの事を詳しく伺わねばならぬからな」
右少将様は尾張への行き帰りに平井加賀守を訪ねている。左京大夫本人ではなく家臣の平井加賀守、妙な事よ。それに三好との忍びとも繋ぎを付けようとしている。邪魔な連中だ、混乱させようとしているのか、或いは引き寄せようとしているのか……。
“重蔵、葉月、いずれな、いずれ面白い物を見せてやろう”
“所詮この世は仮初【かりそめ】の宿よ。ならば思う存分楽しむとするか”
声が聞こえた。右少将様の声。ふふふふふふ、眼が離せぬわ。次は何を見せてくれるのか。……皆が俺を見ている。いかぬな、笑い声が漏れたか。だが止まらぬ。
「ふふふふふふふ、はははははは」
声を上げて笑った。
永禄三年(1560年) 五月下旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱
ようやく終わった、各地の大名に文を書き終わった。肩が凝ったわ。文には俺が清州城に遊びに行っていた事、思いがけなく戦に巻き込まれてしまった事、夜中に信長が飛び出していったので驚いた事を書いた。今川にはお悔やみとこれから大変だけど三国同盟が有るから焦らず体制固めをしてねと書いて送った。どれか後世に残るだろう、戦国の第一級資料だな。御爺と長門の叔父にはもう名門の時代じゃないと書いて送った。意味は分かる筈だ。六角は負けるだろうし足利も没落する。
さて、問題はこれからだ。信長が今川義元を討った。目出度い事だがこの事は織田にとって今川の脅威が無くなった事を意味しない。今川の手を撃ち払っただけで今川は織田の東の脅威として存在している。これを無力化し東の国境線を安定させなければ信長は安心して北の美濃攻めには取り掛かれないという現実がある。
史実では三河の松平、つまり徳川家康と手を結ぶ事で信長は東の国境線を安定させた。織田と松平は犬猿の仲だ、それなのに何故それが出来たか? 家康が今川氏真よりも織田信長の器量を上だと見たからだ、或いは今川の支配下から抜け出したいと思っていたからだという説がある。間違いではないだろう。だが俺にはもっと深刻な理由があったと思う。
はっきり言えば家康は氏真を信用出来なかったのだと思う。いや、より正確に言えば今川家を信用出来なかったのだ。今川の領地は東西に長い、そして今川の本拠地である駿河は東の端だ、その事が問題だった。義元の死後、今川家は氏真を軸に態勢の立て直しを図る。それは地元である駿河を中心に行われただろう。駿河から遠江、そして三河という順序で行なわれた筈だ。今川から見れば足元を固めるのは当然の事ではある。だがその事は家康から見れば如何見えたか?
義元の尾張侵攻は三河を安定させるため、織田を押し込んで三河に対する手出しを止めさせるためという側面も有った。つまり三河は必ずしも安定していないのだ。そういう状況下で今川は織田を攻めて桶狭間で大敗を喫してしまう。当然だが三河は揺れただろう。家康が岡崎城に戻ったのが独自の判断だとは思わない。おそらくは今川の了承の下に行われたと思う。今川は当分攻勢は取れない。勢いに乗る織田の攻勢を防ぐには家康を岡崎城に入れて織田に備えさせる必要が有る。そう思ったのだ。
今川から見れば妥当な判断だ。家康を信頼していたのだろうしそれだけの力量もあると見てもいたのだろう。だが家康にとってはどうだっただろう? 当然だが不安だったと思う。万一、織田が攻め寄せれば後詰してもらえるのだろうか? もっとこっちに力を入れてくれと思ったのは間違いない。今川を捨てて織田に付くべきかという事を全く考えなかったとも思えない。迷ったんじゃないかと思うし考える度に否定しただろう。
そんな時に越後の長尾景虎が関東に攻め込む。北条は劣勢に立たされる。氏真は北条の要請に応えて援軍を送った。混乱の最中、態勢立て直しの最中に送ったのだ。容易ではなかっただろう。氏真の選択が間違いだとは思わない。ここで援軍を送ったから武田が三国同盟を破棄して今川を攻めた時、北条は今川を守ろうとしたのだ。北条は今川に相当の感謝をしたのだ。
だが三河への配慮が足りなかったと思う。この時、千人ほどでも良いから家康に兵を送るべきだった。そして関東が混乱しているので三河には十分な兵を送れないがよろしく頼む、お前なら十分に対処出来ると信じている、態勢が整えばそっちにもっと兵を送れるだろうとでも文を送れば家康は安心しただろうし氏真は三河方面に十分な関心を持っている、これからも後詰は期待出来ると心強く思った筈だ。
残念だが史実ではそれが無かった。その所為で家康は今川が重視するのは三国同盟なのだと認識する。そして長尾景虎の関東攻略が何時まで続くか分からない以上、今川が三河方面に力を入れるのは相当先になるだろうと判断した。つまり松平は孤立したのだ。家康は前途を悲観しただろう。
家康が織田との同盟を積極的に結びたいと考えたとは思えない。前にも言ったが織田と松平は犬猿の仲なのだ。だが背に腹は代えられない。家康は今川を捨て織田との同盟を選択する。桶狭間が一五六〇年五月、清州同盟は一五六二年一月、約一年半の間が有る。この間は家康の葛藤と織田、松平の仲の険悪さを表していると思う。
次の更新は木曜か金曜になると思います。三好の忍び長助が再登場、鞍馬忍者のくノ一、小雪、志津が大活躍? の予定です。