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人脈




永禄三年(1560年) 四月中旬      山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井基綱




 「六角は兵を引いたそうですね」

 「……」

 「肥田城の水攻めは失敗したとか」

 養母の言う事は間違いとは言えない。世間一般ではそう言われている。六角は肥田城の水攻めに失敗して兵を引いたと。

 「兄様は如何思うの?」

 春齢が俺の顔を覗き込んできた。こら、顔を近づけるな。


 「……」

 「兄様が喋らない時って他に何か有るのよね」

 意味有り気に俺の顔を見ている。困った奴、これじゃ隠し事が出来ないじゃないか。浮気なんて以ての外だな。養母も意味有り気に俺を見ている。あの、困るんですけど……。

 「大丈夫ですよ、人払いをしてあります」

 まあね、養母の部屋には俺と養母と春齢しかいない。仕方ないな、一つ息を吐いた。


 「六角の狙いは肥田城の攻略ではなく浅井の後詰を引き寄せての撃破でおじゃりましょう。浅井が出てこないので諦めて兵を戻した、そういう事だと思います」

 養母と春齢が顔を見合わせた。

 「では失敗ではないと?」

 養母の問いに頷くとまた二人が顔を見合わせた。


 「失敗も何も……、浅井は兵を出しておじゃりませぬ。戦をしていないのです。そして肥田城も落ちていなければ高野瀬備前守も降伏しておじゃりませぬ。六角にも損害らしい損害は無い。勝負無し、そんなところでおじゃりますな」

 分が悪いのは浅井だろう。後詰を出せなかったのだからな。次は必ず兵を出す。出さなければ高野瀬は浅井を見限って六角に付く。


 高野瀬も一度は六角を退けたと面目が立つし六角も高野瀬の武勇を称えて収める事が出来る。これまでの事は水に流して仲良くしようねという事だ。六角と高野瀬は水面下ではその辺りを話し合って落としどころを探っているかもしれない。面子が潰れるのは浅井だけだ。その事を言うと養母が“なるほど”、春齢が“凄い”と言った。


 「では畠山家も当分は六角家を当てに出来ぬという事ですね」

 「そうなります」

 六角も当てが外れたが畠山も当てが外れたな。さて、如何する? 時が経てばその分だけ河内で三好の勢力は強まるだろう。不利になるのは目に見えている。だが畠山高政に単独で三好と戦うだけの覚悟が有るのか……。


 「室町では大分不満が溜まっているようですよ」

 「浅井に強い不満を持っているというのは太閤殿下より伺いました」

 養母が首を横に振った。

 「そうでは有りませぬ。六角家にです。浅井相手に何を手間取っているのかと」

 思わず失笑が漏れた。好き勝手言うわ。大体義輝なんて戦で勝った事なんてないだろうに。養母も春齢も同じ事を思ったのだろう。困ったような笑みを浮かべている。


 「修理大夫殿が河内に兵を出しておりますからね」

 養母の言葉にさっきまで有った可笑しがるような空気は消えた。三好修理大夫長慶が河内に兵を出している。もっとも三好の勢力内に居るだけだ。畠山の勢力範囲内には踏み込んでいない。畠山に対する挑発であり恫喝でも有るのだろう。修理大夫はやる気満々だな。公方、幕臣達が六角に不満を持つのもそれが有るからだろう。


 「兄様、六角家はまた兵を出すの?」

 「出します」

 「京に?」

 「いや、肥田城です。浅井、高野瀬を放置は出来ませぬ」

 「直ぐに?」

 「それは無理でおじゃりましょう。田植えが終わってから、夏になるかもしれませぬ」

 浅井も六角も兵は百姓だ。六角が戦を打ち切ったのは田植えの事も考えたからだろう。


 史実通りなら夏だ。という事は三好と畠山の戦いはそれ以降となる。しかも六角は野良田の戦いで負けた後だ。兵は出せない。となると畠山高政は相当な劣勢の中で兵を起こす事になる。本当に戦うのかな? 時期を待つ可能性も有ると思うが……。しかし三好の挑発を無視出来るのか? 一つ間違うと三好の前に竦んでいると侮りを受けるだろう。……妙な話だ、朝倉が後詰を出さなかった事が三好と畠山の戦の行方を左右している。歴史の授業じゃ分からん事だな。


 「朽木は六角のために兵を出さなかったようですね」

 「はい、兵糧を贈る事で対応しました」

 「次もそうするのですか?」

 「おそらく」

 養母がジッと視線を俺に当ててきた。

 「以前にも訊きましたが右少将殿は六角が浅井に敗れると見ているのですか?」

 春齢も俺を見ている。知っているからとは言えないよな。こういうのは辛いわ。


 「そうではおじゃりませぬ。朽木は高島の一件で六角の不興を買っている可能性がおじゃります。それに先日祖父から聞いたのですが永田達高島五頭は朽木を危険視しているとか」

養母が“まあ”と言った。予想外の事だったらしい。春齢も目を瞠っている。

 「彼らは六角に従属しておじゃります。六角が彼らに配慮すれば朽木を浅井との戦で使って兵力を擦り減らそうと考えるやもしれませぬ。六角と敵対は出来ませぬが余り近付かぬ方が良いでしょう。付かず離れずと言ったところです」

 養母が“そうですね”と頷いた。春齢も頷いている。うん、上手く誤魔化せた。


 「五月になったら二十日ほど京を離れようと思っています」

 二人が“えっ”という表情をした。

 「どういう事です」

 「なんで? 兄様」

 声が被っているんだけど……。それに身を乗り出さないで欲しいな、腰が引けそうになるじゃないか。


 「尾張に行きます」

 二人が“尾張?”と声を揃えた。

 「織田ですか?」

 「はい、今川との戦になるようでおじゃります。それを見に行こうと思っておじゃります」

 俺が養母の問いに答えると二人が顔を見合わせた。


 「戦に出るの?」

 春齢の問いに思わず“はあ”と言ってしまった。冗談だと思うのだが春齢は真面目な顔をしている。養母もだ。

 「そんな事はおじゃりませぬ。第一、麿が戦場に出ても何の役にも立ちませぬ」

 なんか二人とも納得していないな。


 「尾張の織田弾正忠がどのような戦をするのか、知りたいのです」

 ま、本当は桶狭間直前の信長を知りたい、そんなところだな。信長にとっては乾坤一擲の戦だ。どんな精神状態だったのか、どんな表情だったのか、興味が有る。まあ一種のファン心理だよ。


 「それに京には居られないという時が来るやもしれませぬ」

 二人が“えっ”という表情をした。

 「麿は危険視されておりますからな」

 「朽木が有るではありませんか?」

 「朽木だけでは不安です。ですから今のうちに旅慣れておこうと思っております」


 これも嘘じゃない。三好修理大夫長慶の寿命はあと四、五年の筈だ。となれば孫四郎の力が強くなる可能性が有る。狡兎三窟って言う言葉も有る、いくつか逃げ場を造っておかないと。先ずは織田だ。だが桶狭間で織田が敗れる可能性もある。その時は上杉、朝倉に逃げよう。その辺りとのコネ作りは殿下に頼めば何とかなる。上杉には殿下が居るし朝倉には近衛家の娘が嫁いでいる。それに織田が桶狭間で勝ったとしても朝倉は義昭が頼るところだ。コネづくりは必須だな。


 武田、北条もコネづくりは必要だ。こっちは信玄の父親を使おう。いや、あの人に頼むというのも有るな。西は毛利だな。毛利元就、吉川元春、小早川隆景、この三人に繋ぎを付けよう。それに四国の長曾我部、九州は島津、龍造寺、大友。島津は近衛と関係が深い、こっちも殿下に頼もう。他にも目ぼしいところは文のやり取りが必要だ。




永禄三年(1560年) 四月下旬      山城国葛野・愛宕郡 烏丸通り 山科邸 飛鳥井基綱




 「済まぬのう、斯様なあばら家に通さねばならぬとは……」

 面目無さそうに言ったのは権中納言山科言継だった。権中納言と朽木の祖父は共に葉室家から妻を娶った相婿だ。俺にとって権中納言は大叔父という事になる。

 「いえ、そのような事は気にしてはおじゃりませぬ。それに用が有って訪ねたのはこちらにおじゃります。大叔父上もお気になさいますな」

 「そなたは優しいのう」

 大叔父が目を瞬いた。


 まあ確かに酷いあばら家なんだよ。大体十間四方の屋敷地の中に邸が有るんだがボロボロだ。雨漏りも結構酷いと聞いている。俺が大叔父と会っているのはそれほど大きな部屋じゃないんだが床の傷みが酷い。身体を動かすと軋む様な音がする。

 「これでもそなたが援助してくれるから多少は楽になったのじゃ」

 「いえ、余り力に成れず心苦しく思っております」

 援助はしている。少しだけどね。しかし、これじゃ……。溜息が出そうになるのを慌てて堪えた。


 山科家で立派なのは屋敷地を囲う壁と門だ。頻繁に修理しているらしい。俺からの援助もそちらに使っているのだろう。体面を重視する公家の生活感覚が滲み出ているよ。俺なら邸の中を修理するけどね。邸の内部を修理しない所為で山科家では客があっても邸の中に入れて対面する事はない。近くにある中御門邸を借用するか対面そのものを断っている。俺が入れてもらえたのは異例の事だ。


 「それで、麿に頼み事が有るとの事でおじゃったが?」

 ちょっと不安そうな表情、声だ。厄介事を頼まれると思ったのかもしれない。俺って問題児なのかな?

 「はい、大叔父上は諸国の大名と親しいと聞いておじゃります。麿も諸国の大名と文を交わしたいのですが……」

 「なんだ、そのような事でおじゃるか」

 大叔父の顔が綻んだ。朝廷でもっとも諸国の大名と交友を持ったのはこの大叔父だ。その顔の広さで諸大名に献金させた凄腕の集金係だ。


 「麿と共に文を出そう。麿はそなたの事を又甥として紹介する。その後はそなた次第じゃ」

 「有難うございます。助かります」

 「良い事でおじゃるの。諸国の大名と親しくしておけば何かと便利じゃ。それで、何処に文を出したいのかな?」

 武田、北条、毛利、吉川、小早川、大友、龍造寺、長曾我部の名前を出した。大叔父が首を捻ったのは龍造寺と長曾我部だ。そちらは伝手が無いらしい。まあ、龍造寺は新興勢力で長宗我部は未だ勃興前だ。土佐は一条という認識なのだろう。


 「今川は良いのかな?」

 大叔父が首を傾げながら問い掛けてきた。

 「実は尾張の織田弾正忠と親しくしております。五月にも訪ねてみようと思っているのですが……」

 大叔父が“なるほど”と頷いた。


 「戦が近付いているとは麿も聞いている。しかし余り気にする事も有るまい。戦に出るわけではないのであろう?」

 なんか養母や春齢と同じ事を言っているな。

 「そのような事はおじゃりませぬ」

 「ならばかまうまい」

 あっけらかんとしたものだ。まあ今川が負けるなんて思っていないのだろう。まして義元が死ぬとはね。でも戦に出ないのは確かだ。気にする事は無いのかもしれない。


 「今川の治部大輔殿も此度は随分と力を入れておるようだ」

 「はい」

 今川からは息子の氏真に治部大輔、義元には三河守の官位を賜りたいと朝廷に献金が届いている。要するに駿河、遠江を氏真に任せて義元は三河を統治しつつ尾張へ侵攻したいという考えなのだろう。その手始めが今回の戦なのだと認識している。


 「大叔父上、今川では治部大輔殿、嫡男の彦五郎殿の他に寿桂尼殿とも文を交わしたいのですが……」

 大叔父が顔を綻ばせて“容易い事じゃ”と頷いた。

 「寿桂尼殿は義理ではあるが麿の叔母でおじゃるからの」

 え、そうなの? 驚いていると大叔父が声を上げて笑った。


 「麿の父は中御門家から妻を迎えたのだがその女性(かた)が寿桂尼殿の姉なのじゃ。まあ麿は妾腹ゆえその女性と血は繋がってはおじゃらぬ。だがそういう縁が有るのでの、親しくしている。駿河に行った事もおじゃるからの」

 なるほど、そういう事か。そういう関係が有るから中御門家を借りる事も出来るのだろう。いや、待て、中御門家は直ぐ傍に在る。先代の山科家の当主は近所のお姉ちゃんを嫁にしたのか。案外幼馴染だったのかもしれない。ちょっとほのぼのするな。


 「どのようなお方でしょうか?」

 「寿桂尼殿かな?」

 「はい、治部大輔殿、彦五郎殿もですが……」

 大叔父が“ふむ”と頷いた。

 「寿桂尼殿は(ちまた)では女傑と言われておるが会ってみれば気さくで面白いお方よ」

 「左様で……」

 それだけじゃないだろうな。今川が混乱した時代を乗り切った女だ。それなりのものを持っている筈だ。


 「治部大輔殿は文武に練達、名門今川家の当主に相応しい人物じゃ。その事は五年前に太原雪斎殿が亡くなられてからも今川に揺らぎが無い事で分かる」

 「なるほど」

 義元が公家文化に溺れた軟弱な武将というのは後世の作り話だ。実際には朝倉宗滴も高く評価している。大叔父の評価からもそれが確認出来る。問題は息子の氏真だ。


 「嫡男の彦五郎殿は如何でおじゃりましょう?」

 大叔父が“ふむ”と鼻を鳴らした。どうやら思うところが有るらしい。

 「性格は剛毅と言って良かろう。だが好悪が激しいと見た」

 好悪が激しいか……。トップの資質としてはちょっと不安だな。大叔父が鼻を鳴らしたのはその所為だろう。


 「兵法を学んでいるが相当の腕らしい。ほれ、公方と同じ新当流じゃ」

 「左様でおじゃりますか」

 「気になるなら飛鳥井権大納言殿に聞いては如何かな?」

 「祖父でおじゃりますか?」

 思いがけない言葉だ。問い返すと大叔父が頷いた。


 「権大納言殿も駿河に下向され蹴鞠を教えた。その為人は麿よりも知っているかもしれぬ」

 なるほど、氏真は和歌、蹴鞠が達者だったな。そして飛鳥井家は蹴鞠の宗家で和歌も上手だ。そっちにも聞いてみるか……。日野家の養子問題でちょっと会いづらいが関係改善の良い機会だ。相手を立てて煽ててよいしょだ。


 「そうそう、そなた大友にも文を出したいと言っておじゃったな」

 「はい」

 「そちらも権大納言殿に頼んでみては如何かな。九州探題殿は権大納言殿の蹴鞠の弟子じゃ」

 「左様でしたか」

 正直驚いたわ。飛鳥井家っていうのは結構顔が広いな。まさか大友宗麟が弟子とはね。



 


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― 新着の感想 ―
[一言] N○Kもびっくりの集金係ですね! 戦乱があっても変わらず、公家で在り続けた公家たちはやはり交友関係がすごいですね!
[一言] 亡命先の下見ですか
[一言] この公家基綱の繋がりが今後どう響いて歴史や正史(?)とは違ってくるのかがすごく楽しみです。
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