水攻め
永禄三年(1560年) 三月下旬 山城国葛野・愛宕郡 今出川通り 兵法所 飛鳥井基綱
一、二、三、四、五、六……、七十を数えるまで素振りをしていると“少将様”と太い声がした。又一郎先生と当代の憲法、吉岡源左衛門直光が並んで俺を見ていた。二人とも背が高い。声を掛けて来たのは又一郎先生だ。ニコニコしている。その隣で憲法先生は怖い顔で俺を見ていた。俺、何か悪い事したかな?
「丁度七十回でございますな。振り下ろしに十回、袈裟に十回、逆袈裟に十回、右薙ぎに十回、左薙ぎに十回、下段からの袈裟に十回、逆袈裟に十回……」
ゲッ、数えていたのかよ。少し恥ずかしい、頬が熱くなった。
「多少息は上がっておりますが汗は出ておりませぬ、腕の振りも鋭い。道場へ御出でになるのは久しぶりでは有りますが修練は続けていたようでございますな」
「はい」
邸を持つようになってから道場に通うようにした。何と言っても邸は九兵衛達鞍馬忍者が詰めている。疑念を持たれてはいかん。それにな、九兵衛達は腕が立つ、練習相手には丁度良いのだ。邸の一室を道場にして日々稽古している。だから練習不足という事は無い。勿論、手加減はしてもらっている。今のところ俺が勝てる相手はいない。小雪や志津にも負ける。情けないよ。
「如何でございますかな、倅と形稽古をしてみませぬか」
ちょっと怖いな、俺を睨んでいる憲法先生と形稽古? でもなあ、断れないよな。“お願いします”と答えると又一郎先生が嬉しそうに笑い声を上げた。憲法先生が木刀を持った。二尺三寸だな。一方の俺は二尺の小太刀だ。
道場に来て分かったんだが吉岡流というのは小太刀なのだ。又一郎先生と稽古をするときは俺が小太刀で又一郎先生は普通の木刀だった。俺の身体が小さいから小太刀なのかと思ったがそうじゃなかった。形稽古では打太刀は木刀で受太刀は小太刀なのだ。そうだよな、そうじゃなきゃ練習にならない。
まあ確かに形稽古でもちょっと妙なところは有った。でも身体が小さい俺に合わせているのかと思っていた。吉岡流が小太刀だと知った時は驚いたけど納得している。というよりも自分の間抜けさが可笑しかった。吉岡流は京八流の一つと言われているのだが京八流は平安時代末期に鬼一法眼が鞍馬山で八人の僧侶に兵法を授けた事から始まる。その京八流の一つに中条流が有る。中条流も小太刀だ。
「打ち下ろします。受け流して詰められますように」
憲法先生も声が太いな。打ち下ろしを受け流して詰めるか、基本の中の基本だな。周りに居た弟子達は何時の間にか壁際に並んで座っている。俺と憲法先生の型稽古を見ようという事らしい。正眼に構えた。先生も正眼に構えた。距離は三間程だろう。この距離なら一息に詰めて来る筈だ。
「参りますぞ」
「はい、よろしくお願いします」
憲法先生が正眼に構えた。あれ? 半身になった、構えも何時の間にか陰の構えになっている。それに左肩をこちらに突き出すような感じだ。時代劇で柳生十兵衛がとる構えに近いだろう。そのせいで木刀が肩に隠れて見えない。いや、憲法先生の手が見えない。ちょっと待て、これじゃ何処から木刀が出てくるのか分からないぞ。打ち下ろしと言ったよな。上から来るのか? 斜めから来る可能性もある。いや、横? 先生の手が見えれば柄の握りの形から太刀筋が予測出来るんだが……。
ゆっくりと憲法先生が近付いてきた。半身なのに身体がぶれない。その所為で手が見えない。如何する? どっちだ? 慌てるな! 必ず手が見える。その時の握りを見るんだ。それで太刀筋が分る筈だ。我慢だ、それまで我慢だ。憲法先生は圧倒的な存在感で近付いてくる。怖い! 腰が引けそうになる。耐えろ! 耐えるんだ。腰が引けたら太刀を受ける事など出来ない。腰が砕けて後ろに倒れるだろう。
ゆっくりだった歩みが徐々に早まって来た。未だ見えない。スルスルと近付いてくる。駄目か? 待て! 見えた! 上段じゃない! 斜め斬り下ろしだ! 左前に一歩踏み出した。木刀が迫る! 小太刀を合わせる! 重い! 折れそうになる膝を懸命に支えて柄の部分を押し上げた! 憲法先生の木刀が滑り落ちる。重さが消える、膝が伸びた。身体を翻して“エイ!”と掛け声とともに小太刀を憲法先生の肩先に詰めた。
「それまで!」
又一郎先生の声がかかった。どっと疲れた。手が震える、汗で濡れていた。手だけじゃない、背中にも顎にも汗が流れていた。息が切れた。
「お見事ですな」
そう言いながら又一郎先生が近付いてきた。ニコニコしている。憲法先生もニコニコしている。悪いけど無理だ、とてもじゃないが声など出ない。息を整えるのがやっとだ。弟子達のざわめきが聞こえた。“凄い”、“やるな”なんて声が聞こえる。
「良く耐えられましたな。そして太刀筋を見極められた」
「必死でおじゃりました」
漸く声が出た。
「いやいや、その必死さが大事。最後まで諦めずに太刀筋を見極めようとしていた。そうであろう?」
「父上の仰る通りです。良く耐えましたな。そして左に踏み出した。見事ですぞ」
又一郎先生も憲法先生も上機嫌だ。
左に踏み出して木刀を受けた。そうする事で木刀に勢いが乗る前に受けたのだ。それに切り落としてくる木刀を上の位置で受け流す事が出来た。小太刀の技というのは如何に相手の技を躱して内に入るか、捌いて内に入るかだ。怯えては内に入れない。それにしても憲法先生の木刀は重かったな。
その後は又一郎先生との稽古、そして他の弟子達の稽古を見た。見るのも大事なんだ。どんな風に内に入るのか、或いは自分なら如何するか、それを確認する。そうする事で技を増やしていく。技を盗むっていうのはそれなんだろうな。
永禄三年(1560年) 三月下旬 山城国葛野・愛宕郡 今出川通り 兵法所 吉岡直光
弟子達がそれぞれに稽古をしている。片隅で素振りをしている者、或いは弟子同士で型稽古をしている者も居る。活気が有る。先程の少将様との型稽古の所為だろう。皆が興奮しているのだ。皆の稽古を見ていると“如何であった”と父が声を掛けてきた。父の顔には面白がる色が有る。少将様を見た。壁際に座って他の弟子達の稽古を熱心に見ている。
「正直驚きましたな」
「驚いたか」
「腰が引けて崩れるか、耐えきれずに膝をつくかと思っておりました」
父が“ふふん”と笑った。
「儂を侮るでない、左様に軟な鍛え方はしておらぬわ」
思わず失笑した。
「父上の鍛錬もさる事ながらかなりの修練を積んでいるようでございますな。あそこで膝を伸ばしてきたのには驚きました」
“そうじゃの”と父が言った。今度は笑っていない。そして顎に手をやった。
「だが驚いたのは左に踏み出した事よ。普通なら怯え竦んでその場で受け止めるのがやっとであろう」
その通りだ。胆力も相当にある。身体だけではない、心も鍛えている。あれなら真剣を前にしても怯える事は無いかもしれない。
「以前にも思いましたが本気で強くなろうとしておりますな」
「うむ」
「普通なら邸に父上を呼んで稽古をするものですが……」
公家らしくないお方よ。今も弟子達の稽古の様子をジッと見ている。何かを得ようというのだろう。貪欲に強くなろうとしている。
「楽しみでございますな」
「そうじゃの、楽しみよ」
これまでは父に任せていたがこれからは私も注意して少将様を見る事にしよう。宮中の実力者が吉岡流を学ぶ、善き事よ。
永禄三年(1560年) 四月上旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 黒野影久
「久しいな、重蔵」
「はっ、真に」
「懐かしいが夜更けに訪ねてくるとは穏やかではおじゃらぬな」
不機嫌な声ではない。笑みを含んだ声だ。右少将様は面白がっておられるらしい。同席している山川九兵衛、間宮源太郎が呆れたような顔をしていた。大分右少将様に慣れたようだ。
「何分この屋敷は見張られております。今宵は門ではなく塀を飛び越えて参りました」
右少将様が声を上げてお笑いになった。
「困ったものだな、三好か?」
「おそらくは」
右少将様は宮中の実力者。足利に好意的ではない。そして松永弾正とは親しくしているが親三好というわけではない。三好家としては気になる存在なのであろう。
「それで、何が有った?」
「六角左京大夫が肥田城を囲みましてございます」
右少将様が身動ぎをした。
「始まったか。……浅井は?」
「後詰の動きはございませぬ。越前の朝倉と頻りに文を交わしておりまする。小谷からも、竹生島の下野守からも使者が一乗谷へ」
右少将様が“ほう”と声を出した。
「肥田城から救援の要請は来たのでおじゃろう?」
「はい、六角の兵が城を囲む前に浅井に使者が出ておりまする」
「単独では六角とは戦えぬという事だな」
「はっ、身代が違いましょう」
浅井は二十万石ほど、一方の六角は八十万石に達しよう。まともにぶつかっても勝てぬ。
「朝倉の動きは?」
「今のところは……」
首を横に振ると右少将様がお笑いになられた。
「越前の雪は大分深いらしいな。四月になっても未だ溶けぬと見える」
思わず失笑した。九兵衛、源太郎も顔を歪めて笑っている。
「浅井下野守も当てが外れたな」
「右少将様は朝倉がこのまま無視すると思われますか?」
問い掛けると右少将様が“さて”と仰られた。
「可能性は有る。朝倉の狙いは若狭でおじゃろう。わざわざ近江に出て六角との戦というのは望むところではおじゃるまい。六角相手の戦となれば簡単には終わらぬ。となれば加賀の一向一揆が動きかねぬ」
なるほど、その通りよ。
「しかし、それでは浅井の信を失いましょう」
九兵衛の言葉に右少将様が微かに笑った。
「朝倉にとって浅井は六角の抑えで良かった。肥田城の高野瀬備前守を寝返らせる事など望んでいなかったのではないかと麿は思うぞ。そこまでやれば六角も本気になる。余計な事をする、浅井と六角の争いに巻き込まれて堪るかと不満なのではおじゃらぬかな? だから動きが鈍いのよ」
「……」
「浅井も今更六角に戻る事は出来まい。ならば浅井の事など放っておけと朝倉が思ったとしても麿は驚かぬ」
九兵衛、源太郎が神妙な顔で聞いている。それにしてもまるで掌の内にあるかのように朝倉の動きをお話になられる。頼もしい限りよ。
「浅井にしてみれば当てが外れたな。浅井が二十万石、朝倉が六十万石。合わせれば六角に立ち向かえると思ったのでおじゃろうが……。他力本願では足利と変わるまい。浅井下野守、算勘は得意なようだが戦は得手ではおじゃらぬようだな」
右少将様が冷笑を浮かべられた。御年に似合わぬ冷たさだがそれも良い。
「他には?」
「六角左京大夫は城の周囲に土塁を築きました」
「ほう」
「宇曽川、愛知川から水を引き入れて肥田城を水攻めにと考えているようにございます」
「見たいな、無理か?」
声が弾んでいる。年相応の顔になった。これも良い。しかし無理だ。織田、今川の戦いが近付いている。頻繁に京を離れる事は出来ぬ。首を横に振ると右少将様が溜息を吐いた。
永禄三年(1560年) 四月上旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱
詰まらんな。しかしな、京を離れるのは出来るだけ控えるべきだと言われればその通りだ。織田と今川の戦いは見に行く、だから今は我慢だ。
「水攻めなど上手くいきましょうか?」
九兵衛が呟くように問い掛けてきた。重蔵、源太郎も訝し気にしている。
「上手くいかなくても良いのよ。浅井を引きずり出せればな」
「では?」
「六角左京大夫の狙いは浅井を引きずり出して決戦する事でおじゃろう。水攻めはそのためのものだ」
皆が顔を見合わせた。
水攻めは城を落とすためのものじゃない。浅井を誘い出すためのものだ。六角は浅井との決戦のために力攻めを避けたのだ。その事を言うと重蔵が“なるほど”と頷いた。秀吉の水攻めも毛利の主力を引きずり出すためだった。時間をかけてじっくりと高松城を攻めながら信長の援軍を待った。本能寺の変の所為で和睦となったがあれが無ければ織田と毛利で決戦が行われただろう。後詰の援軍を叩いて敗退させれば自然と城は落ちる。効率が良いのだ。
「となりますと浅井が動かぬのは……」
「当てが外れて左京大夫は困惑しておじゃろうな、源太郎。頭を抱えているかもしれぬ」
俺が源太郎の問いに答えると皆が笑った。浅井、朝倉、六角、そして高野瀬、皆不本意だろうな。浅井は朝倉の援軍が得られない。朝倉は余計な紛争に巻き込まれたくない。六角は浅井が出てこない。そして高野瀬は後詰が来ない……。ここまで想定外の戦は無いだろう。笑えるわ。
確か史実では六角は城攻めを打ち切り撤退する。失敗したんじゃない、当てが外れてがっかりして打ち切ったんだと思う。そして夏に改めて肥田城攻めをする。浅井に時間を与えたのだ。それでも勝てると六角は思ったのだろう。浅井はその時間を利用して戦の準備をし肥田城へ後詰した。そして野良田の戦いが起こる。この時も朝倉の後詰は無い。浅井は独力で六角を破り六角から自立を果たす。
運が無いな、六角は。水攻めなどせずに力攻めで肥田城を落とせば浅井は面目を潰しただろうに……。配下の国人衆からも頼りないと思われただろう。そうなれば浅井を見限って六角に付く国人衆も出た筈だ。それをしなかったから野良田で敗れ観音寺騒動が起きて家が傾く。浅井を甘く見過ぎたのだ。戦国の厳しさだな。一手間違う事で地獄を見る。
史実通りなら六角は兵を引くだろう。そして夏に起きる野良田の戦いの前に桶狭間の戦いが起きる。そろそろそっちの準備をしようか。