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震撼




天文二十二年(1553年)  七月中旬      山城国葛野・愛宕郡 四条通り 三好邸 三好長慶




 「初めてお目にかかりまする、飛鳥井竹若丸にございまする。筑前守様におかれましては我が願いをお聞き届け頂けましたる事、心から御礼申し上げまする」

 「いや、無体を言ったのはこちら。会うぐらいの事は当然であろう、そのように丁重に礼を言われては困惑するばかりじゃ」

 竹若丸が笑みを浮かべている。緊張は無い、真、五歳か?


 「未だ弱年にして未熟なれば礼儀作法を良く心得ませぬ。非礼、失言の段は御許し頂きとうございまする」

 「勿論じゃ、御気を楽にされよ」

 「忝のうございまする」

 笑みを浮かべながら頭を下げた。幾分気圧される物が有った。礼儀作法、挨拶、いずれも尋常なものだ。また思った。真、五歳か?


 「儂と話がしたいとの事であったが?」

 「はい。ですがその前に一つお願いが?」

 「……何であろう?」

 「今少し近付いても構いませぬか? ここからでは筑前守様の御顔が良く見えませぬ」

 思わず苦笑が漏れた。大叔父、弾正も苦笑している、何事かと構えれば顔を近くで見たいとは……。


 「遠慮は要らぬ。大した顔ではないが近付いて良く御覧になられるが良い」

 つい軽口が出た。

 「有難うございまする」

 竹若丸が立ち上がって近付いて来た。二間ほど離れた所に座った。こちらをじっと見ている。なるほど、良く見える。顔立ちに特徴は無いが澄んだ目をしているな。


 「如何されたかな?」

 「御無礼を致しました。父を、想い出しました」

 「……宮内少輔殿か……、亡くなられた時は御幾つだったかな?」

 「三十を越えたばかりにございまする」

 「左様か……」

 儂が今三十二、ほぼ同年代か……。大叔父、弾正も複雑そうな表情をしている。


 「御苦労なされたな」

 「飛鳥井の養父、養母がおります。二人とも私を可愛がってくれます。苦労などは有りませぬ」

 明るい声だ、表情にも陰が無い。儂が父を失ったのは十一歳の時、頼れるのは大叔父だけだった。このような声が出せただろうか、表情が出来ただろうか? 出来なかったな……。儂は父の仇に頭を下げて生きていたのだ……。漸く今は頭を下げずに済む。だが人はそれを下剋上と蔑む……。大きく息を吐いた。


 「竹若丸殿、一つ訊ねても良いかな」

 「はい」

 「儂は下剋上をしていると罵られるが下剋上を如何思われる」

 竹若丸が此方をジッと見ていた。如何答える? 儂に媚びるか?

 「答える前に下剋上とは如何いうものか、教えて頂きとうございまする」

 知らぬとも思えぬ。時間を稼ぐつもりか? まあ良い、ここは答えてやろう。


 「されば下剋上とは下位の者が上位の者に勝つ事、それによって身分秩序を覆す事じゃ」

 竹若丸が“なるほど”と頷いた。

 「では幕府を創られたのは?」

 思わず苦笑が漏れた。

 「何を詰まらぬ事を、足利尊氏公であられる。竹若丸殿も御存じであられよう」

 竹若丸も笑った。


 「知っておりまする。ですが尊氏公の父親の事は知りませぬ。どのような方か、何をしていたのか、御存じなら教えて頂きとうございまする」

 「……」

 尊氏公の父? 大叔父、弾正も困惑している。はて……、鎌倉幕府の御家人であった筈だ。名前は……。待て、鎌倉幕府? 尊氏公も最初は鎌倉幕府の御家人であったな。それを潰し後醍醐の帝の建武の新政を潰して京に幕府を創った……。つまり尊氏公の成した事は下剋上か!


 竹若丸を見た。笑みを浮かべてこちらを見ている。今の世は下剋上で出来上がった物、下剋上への非難など笑止という事か……。気が付けば笑い声を上げていた。大叔父、弾正が驚いたように儂を見ている。その事がより愉快だった。二人は竹若丸の謎かけを解けなかったらしい。

 「畏れ入った、愚問であったようだ。忘れて頂ければ幸いじゃ」

 竹若丸が軽く一礼した。恐るべき童子よ。外見に騙されてはならぬ。その内には恐るべき才知が有る。……還してはなるまい……。 


 「それで、話とは?」

 気を取り直して問うと竹若丸が姿勢を正した。

 「私が此処に呼ばれたのは朽木を抑えるためと弾正殿より伺いました。真でございますか?」

 「その通りだ」

 「私は既に朽木家を離れ飛鳥井家の人間にございます。人質の意味が有るとは思えませぬが?」

 「果たしてそうかな?」

 「……」

 敢えて含み笑いをして見せたが相手は落ち着いている。顔色一つ変えない。なるほど、簡単には還れぬと見ている。


 「朽木家は竹若丸殿が大事な様じゃ。朽木家からは相当な財が飛鳥井家に送られている様だが」

 「公家は貧しゅうございます。私が飛鳥井家にとって負担になってはと思っての事にございましょう」

 「それだけかな? 民部少輔殿とは頻繁に文の遣り取りをしておられよう。孫が気になって仕方が無いようじゃな」

 竹若丸が笑った。苦笑か?

 

 「良くご存じで、なれど祖父は隠居にございます」

 確かに隠居じゃ。だが朽木家で本当に力を持っているのは当主の長門守では無く隠居の民部少輔。その事は民部少輔が公方様に諫言した事でも分かる。長門守は当主になった経緯から必ずしも家臣達から認められておらぬらしい。家臣達の中には目の前の竹若丸を当主に望む声が有ると聞く。確かにこの童子が当主ならばと思うだろう。末恐ろしい童子よ。


 「大体朽木は兵を出しておりませぬ。それに身代は八千石の小身にございます、私を人質に取る必要が有りましょうか?」

 首を傾げている。

 「確かに兵は出しておらぬ。兵力も少ない。恐れる必要は無い」

 「……」

 ほう、喰い付かぬか。偶然か、考えての事なら才だけでは無い、強かさも持っておる。


 「だが公方様があそこに逃げ込むと厄介よ。目障りじゃ」

 「なるほど、そのために私を押さえたという事でございますか」

 「そうじゃ。残念だが竹若丸殿には暫くここで過ごして貰わねばならぬ」

 “ふふふふふふ”と含み笑いが聞こえた。竹若丸が笑っている。信じられぬ、笑うとは……。大叔父、弾正が眼を剥いている。


 「何か可笑しいかな?」

 「いえ、困った事になったと思ったのです。此処は良い所では有りますが長居したいとは思いませぬ」

 「ハハハハハ、では儂を説得する事だ。出来るかな?」

 笑う事で挑発したが竹若丸は黙っている。

 「……」

 「……」

 互いに眼を逸らす事無く、瞬きする事無く見詰め合った。どのくらい見詰め合ったか、眼が疲れた頃に竹若丸の口元に笑みが浮かんだ。それを見て瞬きをした。


 「朽木に逃げられぬとなれば公方様は何処へ行きましょう」

 「……」

 「越前、南近江、それとも越後でしょうか。兵を出せ、かつての大内のように上洛せよとせっつきましょうな」

 「……」

 また“ふふふふふふ”と含み笑いが聞こえた。


 「何年かかるかは分かりませぬが越前の朝倉が動けば六角、浅井も動きましょう。そうなれば畠山も動きます。兵力は朝倉が一万、六角が二万、畠山が二万、それに浅井が三千程……」

 竹若丸が指を折りながら数えている。大叔父、弾正の顔が強張っている。自分も強張っているやもしれぬ。

 「固く見積もっても兵力は五万を越えます。大変でございますな」

 竹若丸がこちらを見ている。嘲りを感じた。震える程に怒りを感じた、だがそれ以上に恐怖を感じた。有り得るのか? 有り得ぬ! だが……。


 「例え連合しても烏合の衆よ、蹴散らすのは難しくない」

 敢えて平静を保って言った。

 「左様でございますな。しかし君子危うきに近寄らずとも言います。敢えて危険を冒す必要は無いと思いますが」

 「……朽木に逃がせと申されるか」

 竹若丸が笑みを浮かべた。


 「朽木は八千石、兵力は有りませぬ。自ら兵を挙げる事は有りますまい。京の直ぐ傍という事で目障りかもしれませぬが目が届くところに居ると思えば宜しゅうございます」

 「なるほど」

 目障りでは有るが危険ではないか。遠くにやった方が危険か……。大叔父、弾正を見た。二人とも考え込んでいる。否定はしていない、やはり追い払うのは危険か。簡単に連合が成るとは思えぬ。しかし成った場合は危ない……。


 竹若丸を見た。平然としている。面白くなかった。負けたと認めるのが癪だった。いやそれ以上に危険だと思った。我が手に留め置く必要が有る。

 「確かに一理ある。しかし虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言う。戦うという手も有ろう」

 「勿論その手もございます。その場合、決戦の場は飯盛山城は避けた方が宜しゅうございましょう」

 飯盛山城? 飯盛山城に何が……、“本願寺”と呻く様な声が聞こえた。


 飯盛山、本願寺、父上か! 眼の前が真っ暗になった、身体が前のめりに傾く、手を突いて支えた。父上も勝ち戦を本願寺にひっくり返されて死んだ。腹を切ったが死にきれず腸を天井に投げつけて死んだ。落城寸前だった飯盛山城、腹を切ったのは顕本寺……。懸命に身体を起こした。大叔父と弾正が脇差を抜いて竹若丸に近付くのが見えた。


 「止めよ! 大叔父上、弾正。儂に恥をかかせるな。子供を恐れて斬ったなどとあっては末代まで天下の笑い者よ」

 二人が儂を見ている。気が付けば左手が脇差の鞘に掛かっていた。儂は竹若丸を斬ろうとしたのか? そうさせぬために二人は脇差を抜いた? 何たる事! さり気無く左手を脇差から外した。二人が顔を見合わせ脇差を収めて席に戻った。


 息が荒い、気が付けば肩で息をしていた。本願寺か、今は友好を結んでいる。しかし本願寺は父の事を忘れてはおるまい。三好が熱心な日蓮宗の信者という事も。となれば儂の背後を討とうとする可能性は十分に有る。眼を閉じて息を整えた。落ち着け、落ち着くのだ。落ち着いた、脇の下を汗が流れるのが分かった。汗が気持ち悪いと感じる事が出来た。眼を開けた、大丈夫だ。儂は落ち着いている。竹若丸は静かに座っていた。……この童子、刃を向けられた時如何いう表情をしていた? 怯えていたのか? 平然としていたのか? 分からぬ、それ程までに儂は追い込まれていたのか……。背中をチリチリと嫌な物が走った。


 「恐い事を考えるものよ、寿命が三年縮まったわ」

 「……この竹若丸、弄られて黙っているほど大人ではございませぬ。五歳の幼児にございます」

 「五歳の幼児か、……お主、何者だ?」

 竹若丸がジッとこちらを見た。儂を見定めるかのように見ている。やがて口元に笑みが浮かんだ。


 「朽木竹若丸としてこの世に生を受けました。なれど天は私に武家として生きる事を許さなかった。今では飛鳥井竹若丸として、公家として生きております」

 「そうでは無い、儂はお主に何者かと問うている」

 竹若丸が“分かりませぬ”と言って首を横に振った。

 「何故自分がこの世に生を受けたのかも分からぬのです。自分が何者かなど分かる筈もない。筑前守様は自分が何者か、何故この世に生を受けたか分かりますか?」

 「……」

 答えられなかった。儂は三好筑前守長慶だ。しかしそれでは……。何故この世に生を受けたのか……。


 「分からなければ生きるしかありますまい」

 「生きる?」

 問い返すと竹若丸が頷いた。

 「生きる事で自らの生が何であったのかを主張する、意味を付ける。自らが何者であったのかなど後の世の者の判断に任せれば宜しゅうございます」

 「なるほど」

 素直に頷けた。どれほど自分が何者であるかを主張しても周囲が認めねば意味が無いか。詰まらぬ事を悩むよりも懸命に生きろという事か……。自然と笑い声が出た。


 「至言だな」

 儂が笑うと竹若丸も笑みを浮かべた。

 「そろそろ失礼させていただきまする」

 「待て、いやお待ちあれ」

 慌てて引き止めた。腰を浮かしかけた竹若丸が改めて座り直した。訝しげな表情をしている。

 「これまでの我が無礼、御許し頂きたい。この通りじゃ」

 頭を下げた。“殿!”という声が聞こえた。大叔父、弾正だ。だが気にならなかった。


 「無礼はこちらも同じにございます。こちらこそ許しを請わねばなりませぬ。この通りにございます」

 竹若丸が深々と頭を下げた。

 「ならば互いに無礼は水に流す、それで良いかな」

 「願ってもない事にございます」

 二人で声を合わせて笑った。素直に笑えた。妙なものよ。


 「儂はこれから出陣せねばならぬ。まず勝てるとは思うが武運拙く討死するという事も有ろう」

 大叔父、弾正が“殿!”、“何を言われます!”と儂を止めたが手を上げて抑えた。

 「これが最後という事も有る。竹若丸殿、儂になんぞ佳言を頂けまいか。頂ければこれに優る喜びは無い。如何であろう?」

 「佳言と仰られますか?」

 「そうじゃ、如何であろう」

 竹若丸が俯いた。考えている、一体何を佳言としてくれるのか……。考えている、待つ。考えている、待つ。顔を上げた。


 「御人払いを願いまする」

 大叔父、弾正に対して頷いて見せた。大叔父が不満げな、弾正が不安そうな表情を見せたが無言で席を立った。

 「今少し傍に寄らせてもらいまする」

 「いや、儂からそちらへ参ろう」

 席を立って近付いた。五尺程の距離を置いて座った。竹若丸が一つ頷いた。




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― 新着の感想 ―
[一言] 今、最新話の『五年』を読ませてもらっているのですが、この時竹若丸が三好に身を寄せていれば或いは三好の天下もあったのかな、と思えてしまいます。
[良い点] 将来の補償なんて自分でつかみとるしか無いとなれば、小さくとも懸命にやるしかないですね。
[良い点] ペンタブラック幼児ですねwww [一言] 面白いですー続き楽しみです
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