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会見




永禄二年(1559年)  六月中旬      山城国葛野・愛宕郡 四条通り 三好邸 飛鳥井基綱




 「お招き有難うございまする。飛鳥井侍従基綱にございまする」

 「良く来てくれた、侍従殿。三好筑前守義長にござる」

 十代後半の青年がにこやかに俺を迎えてくれた。三好筑前守義長、現在従四位下、筑前守の地位にある。体格は良い、鎧姿が似合うだろう。色白だが眉が濃いのが目立った。凛々しいと言って良い顔立ちだ。若い娘に騒がれるだろう。元々の名は慶興だったのだが義輝との謁見後、義の字を与えられて義長と名乗る事になった。


 これ、大事な事だ。本来義の字は足利家に伝わる字で義晴、義輝、義昭など名前の前に来る。家臣達もそれを知っているから義の字は使わない。将軍が家臣に偏諱を与える時は名前の後ろの字である晴、輝、昭なのだ。毛利輝元、上杉輝虎(謙信)の輝は義輝の輝だ。義輝が義長に義の字を与えたのは特別待遇と言える。義輝は三好の事等嫌いだろうがそれでもそこまで配慮せざるを得ない。それが現実だ。そして三好筑前守義長も辞退しなかった。三好家内部にはそれを当然と受け取る風潮が有る。


 「以前から侍従殿には会いたいと思っていた。父上を震え上がらせ、そこな弾正を何度も驚かせた侍従殿にな」

 脇に控えていた松永弾正が苦笑を浮かべた。

 「困った事におじゃります。ほんの少し驚かせた事が震え上がらせた等とは……。修理大夫様も迷惑されていましょう」

 筑前守義長が笑い出した。


 「隠す事はあるまい。父上御自身が侍従殿には何度もキリキリ舞いさせられた、寿命の縮む思いをさせられたと申しておられる。そうであろう、弾正」

 松永弾正が苦笑しながら“はっ”と畏まった。

 「私は父上を天下第一等の武将だと思っている。その父上をキリキリ舞いさせるとは如何いう人物なのか、ずっと興味が有ったのだ」

 義長が此方を笑顔で見ている。うん、悪い笑顔じゃない。好感の持てる笑顔だ。


 「いやいや、キリキリ舞いさせられたのはこちらでおじゃります。何度も試されました。つい先日も酷い目に遭いました。弾正殿、覚えが有りましょうな。御台所の耳に妙な事を吹き込まれた」

 弾正の苦笑が益々大きくなった。“それは”なんて言っている。

 「おかげで麿は月に二日、御台所の許へ御機嫌伺いをせねばならなくなりましたぞ」

 とうとう声を上げて笑い出した。あのなあ、俺は困っているんだぞ。養母は心配するし春齢は焼餅を焼くし大変なんだ。


 「御迷惑をおかけしました。しかし侍従様が頼りになると思われての事でしょう、某だけの責任ではございませぬ」

 「それは一体如何いう話なのだ?」

 義長が興味津々といった表情で問い掛けて来たが後で弾正に確認してくれと答えて納得してもらった。まあここで室町第への訪問の件を話しておけば後々三好家で問題になる事も無いだろう。


 「御台所か、ふむ、室町第に関わりの有る事の様だが侍従殿は今、室町第で何が話題になっているか、御存じかな?」

 「いいえ、存じませぬ」

 知らない、あの連中に関わりたくないんだ。何か有るのかな。義長と弾正が顔を見合わせているが二人とも笑っている。

 「九州探題で頭を悩ませている」

 「九州探題? ……なるほど、九州探題でおじゃりますか……」

 俺の言葉に義長が頷いた。


 「そう、既に渋川氏は滅んでいる。それで新たに九州探題に大友を任命しようという事らしい」

 渋川氏というのは足利氏の一門なのだが九州探題職及び肥前守護職を世襲し御一家の家格を有した一族だ。この御一家というのは渋川氏の他に石橋氏、吉良氏が居るのだが足利将軍家の同族の中でも征夷大将軍の継承権を持った家とされている。本家が絶えれば跡を継ぐ家なのだ。


 三管領の細川、斯波、畠山も足利氏の支流だが彼らには継承権は無い。あくまで彼らは家臣だ。要するに徳川政権で例えれば御三家、御三卿と親藩の関係に等しい。しかし現代人に戦国時代の渋川、石橋、吉良を知っているかと訊いても多くの者は首を傾げるだろう。吉良って吉良上野介の吉良? と逆に訊かれるかもしれない。そのくらいパッとしない。


 「毛利を抑えるためでおじゃりますか?」

 「そのようだな。ついでに大内氏の家督を大友に与えようと考えている」

 「では大友と毛利の激突は必至でおじゃりますな」

 「そうだな。だが毛利は讃岐で豊前の叔父上と敵対している。公方としては痛し痒しだな、迷っている様だ」

 義長が笑うと弾正も笑った。俺も笑った。そんな簡単に大名を利用出来ると思うんじゃない。そんな思いが有るのだろう。俺も同感だ。

 「まあ毛利は永禄の改元にも素直に従わなかった。公方の背を押してやりたいほどだな」

 更に笑い声が上がった。あの件は俺も苦労した。素直に従わなかった毛利には当然だが反感が有る。


 義輝がもっとも期待しているのは大内氏だった筈だ。大内氏は将軍の要請に応えて上洛した事も有る。だが大内氏は陶晴賢の謀反で上洛など出来る状態では無くなった。もう十年近く前の事になる。義輝が大内氏の代わりを期待したのが尼子氏だ。尼子氏は出雲・隠岐・伯耆・因幡・備中・備後・備前・美作の守護に任じられた。陶晴賢は自分の事で手一杯だし尼子は大内よりも京に近い。義輝の期待は大きかっただろう。三好も終わりだと大喜びで祝杯でも挙げたかもしれん。


 しかし世の中そんなに甘くは無い。厳島の戦いで毛利元就が陶晴賢を滅ぼし急速に毛利が勃興する。大内と尼子の仲は悪かったが毛利と尼子の仲はもっと悪かった。不倶戴天の仲といってよい。忽ち毛利、尼子は戦争を押っ始める。この戦争は史実では十年続いた筈だ。史実通りならあと五年か六年くらいは続く。上洛など不可能だ。しかし義輝は諦めきれない。という事で大友を使って尼子を助けようとしている。大友に大内の家督を与えるというのは九州、山陰、山陽に有った大内の領地は大友に与えるという事になる。嫌でも毛利と大友は争い始めるだろう。しかし毛利は讃岐方面で三好と敵対し始めた。となると大友に九州探題を与えるのは拙くない? と義輝は悩んでいるらしい。


 「まあ九州探題など昔から何の役にも立っておりませんでした。今更大友に与えても役に立つとは思えませぬ」

 弾正が言うと義長も俺も頷いた。足利尊氏は九州に落ちそこから勢力を盛り返して天下を獲った。そのため九州は北朝の勢いが強かったと思いがちだが実際は違う。九州は尊氏の上洛後、征西大将軍懐良親王と親王を奉じた菊地氏の活躍で南朝の勢いが強かった。


 それを何とか抑え九州を平定したのが今川了俊だが了俊は中央の受けが悪く失脚してしまう。了俊の後に九州探題に任じられたのが渋川氏だ。九州は半島、大陸に近く旨味の多い土地だ。要するに苦しい時は了俊と九州の武士達に任せていて落ち着いてから渋川氏は九州探題になったのだ。当然反発が起きた。


 渋川氏が周囲の大名、武士達に九州探題である自分に従えと言ってもそっぽを向かれた。渋川氏は九州において政治的な中核にはならなかった、なれなかったのだ。それどころか九州は大友、大内、伊東、島津などの独立色の強い大名が割拠する土地になった。関東公方を中心に纏まった関東とは違う。九州探題の名にどれだけの意味が有るのかという弾正の言葉はそれを表している。


 「弾正は手厳しいな、しかし公方にはそのぐらいしか手が無いのも事実だ」

 「左様ではございますが九州探題は渋川氏以前は今川、斯波、細川、一色など足利一門にのみ許された職でございました。それを大友に許すとなれば足利氏の家格を公方自ら失墜させる事になりましょう」

 これもその通りだ。どうせ渋川氏など何の役にも立っていなかったし九州探題も意味は無かった。それならば大友には大内の家督だけを認めるという手も有った。大友家当主の大友宗麟は陶晴賢に殺された大内義隆の甥なのだ。十分に根拠は有る。そうすれば足利の家格の低下は避けられただろう。


 「奥州探題も足利一門の大崎氏から伊達氏に代わった。公方がそれを行った。足利家の家格の失墜等という事は分かっておらぬのだろうな」

 義長が憐れむ様に言った。奥州探題が大崎氏から伊達氏に代わったのは四年前の弘治元年だった。義輝は朽木に居たから自分が将軍であるという事を示すために行ったのかもしれない。だが弾正や義長の言う通りなのだ。義輝のやった事は足利の血が衰えているという事を認めた事であり血統よりも実力を重視した事になる。それは下剋上を認め三好の肯定に繋がるのだ。まあそんな事は分かっていないだろうがな。




永禄二年(1559年)  六月中旬      山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏   飛鳥井基綱




 宮中に戻ると早速養母と春齢に捕まった。

 「如何でしたか、筑前守は?」

 二人とも興味津々だな。まあ天下の三好家の跡取りが如何いう人物かは誰でも知りたがるだろう。多分養母は帝に報せるのだろうな。


 「なかなかの人物と見ました。修理大夫が自慢するのも道理かと思います」

 話しをしたが嫌なものは感じなかった。落ち着いているし虚勢を張る様なところも無い。聡明だとも思った。あれなら家臣達も安心して仕えられるだろう。しかしなあ、父親同様苛烈さは感じなかった。外から見れば甘いところのある人物に見えなくもない。


 「では三好家の将来は安泰ですか?」

 「そうですね、特に不安は感じませぬ」

 養母が頷いている。寿命の事は言わなかった。史実では早死にしたがこの世界では分からないのだ。早死にしたら惜しい人物を亡くしたと嘆けば良い。変な事を言うと人の寿命が分かるのかなんて畏れられかねない。


 「幕府から報せが来ましたよ」

 「と言いますと?」

 「西洞院大路に建てていた邸が九月になる前に出来上がるそうです。移る準備をして欲しいと」

 「なるほど」

 引っ越しの準備か。何が要るんだろう? 生活用品というか日常用品が要るな。それに食糧も要る。なんで近くにスーパーとかデパートが無いんだろう。あ、使用人も要るな。


 「私も移るの?」

 春齢が訊いてきた。養母はちょっと困ったような表情をしている。

 「それは駄目です。結婚は十三歳になってから、二年後です。それまでは宮中で待つ事になります」

 不満そうな表情だが養母は頷いている。

 「二年経ったら迎えに来ます」

 「寂しいな」

 ちょっと胸が痛んだ。これまでずっと一緒に居たからな。


 「邸を持っても泊まりに来れば良いでは有りませんか」

 「宜しいのですか?」

 「勿論です。侍従殿は私の息子なのですから」

 嬉しかった。養母は間違いなく俺の母親だと思った。春齢も喜んでいる。

 「養母上も私の邸に宿下がりしてください。私の邸は養母上の邸でもあるのですから」

 養母が瞬きした。


 「有り難う、そなたは優しいのですね」

 「……」

 答えられなかった。春齢が“兄様、困ってる?”と言って俺を冷やかした。うん、そうだ、困ってる。養母の部屋も要るな。どんな邸が出来上がるのかな、大凡の事は聞いているが一度見に行くか。養母の部屋は日当たりの良い部屋にしよう。きっと喜んでくれる筈だ。




永禄二年(1559年)  七月下旬   近江高島郡安井川村  清水山城  朽木稙綱




 「旧高島領は稲の成長は良くありませぬ。村を見回った者からはそのような報告が上がってきております」

 長沼新三郎の言葉に彼方此方から溜息が聞えた。

 「戦が影響したか」

 倅の長門守が問うと新三郎が“はい”と答えた。

 「戦に駆り出された百姓が大勢死にました。人手不足が影響しているようです」

 また溜息が聞えた。


 「勝ち過ぎたかの?」

 儂の言葉に力の無い笑い声が上がった。

 「そうですな、少々勝ち過ぎました」

 日置五郎衛門が答えるとまた力の無い笑い声が上がった。


 「綿の栽培も思うようでは有りませぬ。戦が五月でした、落ち着いたのは六月です。種蒔きの時期は些か過ぎておりましたし種の準備も出来ていなかった。高島領での栽培はごく僅かです。本格的に栽培出来るのは来年からという事になりましょう」

 宮川新次郎の倅の又兵衛が答えた。また溜息が聞こえた。やれやれよ、高島領を得て初めての評定だというのに……。


 「関を廃しましたので商人達が来始めましたがやはり朽木谷に比べれば物の売買は活発では有りませぬ。理由は売り買いするものが無い、百姓に銭が無いからです」

 「それでも石鹸が少しずつですが出回り始めております。儲かるというのが分かれば百姓達も力を入れる筈です」

 荒川平九郎と宮川又兵衛の言葉を皆が渋い表情で聞いている。


 「商人達もがっかりしていような」

 長門守が息を吐いた。公方様の滞在中は熱心に領内を見ていた。それだけに内政には詳しくなっている。現状の旧高島領は満足出来るものではないのだろう。

 「まあ商人達も直ぐに朽木谷のようになるとは思ってはおりますまい。今は安曇川ですな。商人達は安曇川を自由に使える事を喜んでおります。物を運ぶのには川を使うのが効率的です。澄み酒の製造所も作り始めましたし本当に賑わうのは来年以降と見ておりましょう」

 宮川新次郎が長門守を宥めると長門守が頷いた。


 「それに林与次左衛門が配下になった事で水軍が使える様になりました。朽木家として商いが出来ます。儲かりますぞ」

 宮川又兵衛の言葉に皆が笑い声を上げた。林与次左衛門員清、高島越中配下の水軍の将だったが高島の敗死後は朽木に仕えている。以前から物の売買に力を入れたいと思っていたらしい。だが越中はそれには関心を示さなかった。与次左衛門は不満だったし朽木の賑わいに羨望を感じていた。何の抵抗もなく朽木に降った。


 「しかしな、又兵衛殿。船を買わねばならん。銭が掛かる」

 「その分儲かるのじゃ、無駄な費えではあるまい」

 「それはそうじゃ、そうでなければ船など買わぬわ」

 平九郎と又兵衛の遣り取りに彼方此方から笑い声が上がった。


 「となると兵を銭で雇う事は難しいか?」

 儂が問うと笑い声が止んで皆の視線が平九郎に向かった。平九郎が迷惑そうに顔を顰めた。

 「年内は何かと物入りにございます。秋になれば酒造りのために米を買わねばなりませぬ。雇えぬとは言えませぬが二百が限度にございましょう。来年以降になれば雇える人数は徐々に増やせまする」

 “二百か”と呟く声が聞えた。五郎衛門が渋い表情をしている。朽木の兵を全て銭で雇うのは難しいと思ったのだろう。


 「如何する、長門守。雇うか? それとも待つか?」

 問い掛けると長門守が“さて”と言って考え込んだ。

 「……雇いましょう」

 「雇うか」

 「はい、但し百人だけ」

 百人? 皆が訝し気な表情をしている。


 「銭で雇った兵というのが如何いうものか、分かりませぬ。先ずは百人程雇って知るべきかと思いまする。調練もしなければなりませぬし武装を如何するかという問題も有ります」

 なるほどと思った。

 「来年以降のためにか?」

 「はい」

 うむ、派手さは無いが堅実では有るな。皆も頷いている。平九郎も不満そうな表情をしていないから負担は少ないという事なのだろう。


 「皆、異存はないか?」

 長門守が問うと皆が頷いた。うむ、公方様の滞在中に内政を任せた事は良かったのかもしれぬ。戦で高島越中を討ち取った事で自信も付けたようだ。苦労はしたが身に付いたようじゃ。良い事よ……。




これで終わりじゃないですよ、二時間以内にもう一話アップします。

次の舞台は室町第です。室町第に鬼が現れ大暴れします。

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― 新着の感想 ―
>苦労はしたが身に付いたようじゃ。良い事よ……。 長門守はしっかりと、苦労を糧に成長できているようですね。 第八話 欺瞞 で >「その方らは公方様は苦労しておられると言いたいか? だがな、苦労が身に…
[一言] 渋川は今ジャンプで活躍する姿を見せそうなあの一族か
[一言] 十歳のころ可愛くても、そこから一気呵成に歯が出てきたり顎が伸びたりするよね。
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