養子
大事な御報せが有ります。
なんと『淡海乃海 水面が揺れる時』の舞台化が決まりました!
期間:2020年3月25日(水)~3月29日(日)
場所:新宿村LIVE
題名:『淡海乃海-現世を生き抜くことが業なれば-』
脚本 西瓜すいか
演出 西口綾子
主演 古畑恵介
主催 TOブックス
となっております。
『淡海乃海』公式HPはこちらです。
http://tobooks.jp/afumi/
#舞台あふみ
#淡海乃海
少しでも多くの人に観て頂ければ幸いです。
天文二十二年(1553年) 七月中旬 山城国葛野・愛宕郡 東洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井竹若丸
ここは押さえて……、跳ねる! 養父の書いてくれたお手本と見比べた。うん、悪くない。まあまあじゃないのかな。隣で同じように手習いをしている義兄の雅敦と比べてもひけはとらないだろう。下手さ加減においてだが。雅敦は一歳年上なんだが既に元服も済ませて従五位下の位にある。公家ってのは良く分からんわ、まあ俺も今年元服らしいけどな。どれ、もう一度だ。俺は右肩上がりに字を書く癖が有るからこれを直さないといかん。
二十一世紀から十六世紀に転生した。本当は朽木元綱になる筈だったと思う。だが足利の口出しの所為で朽木家の当主にはなれなかった。当主が幼少では心許ないとか言ってたけど本当は違う。どうも俺って評判悪かったらしい。何考えてるのか分からないとか、子供らしくないとかね。幕府としては大事な避難場所の当主がそれじゃ困るというわけだ。だから口出しして叔父の長門守藤綱を当主に据えようとした。
撥ね退ける事も出来た。だが負け戦の後だ、幕府を敵に回すのは得策じゃない。だから俺が身を退いた。長門の叔父は困ったような顔をしていたな。俺に申し訳ないと思ったのだろう。朽木家は俺を当主にする事で纏まっていたから居心地が悪かったというのもあるかもしれない。だが俺は死にたくないからさっさと母親の実家の飛鳥井家に避難した。公家は貧乏だけど殺されるよりはましだ。もう三年になるな。
成人したら当主にする、だから朽木に戻れと幕府は言っていたけどね、今は戦国乱世なんだ。邪魔になれば子供だって容赦なく殺される時代だ。長門の叔父は最初は俺に負い目を感じているかもしれない。しかし時が過ぎれば変化が生じる。段々俺を鬱陶しく感じ邪魔になるだろう。特に叔父に子供が出来ればそうなる。
綾ママは京に戻るのを嫌がらなかったな。むしろホッとした感じだった。武家になれば戦に出る事になる。息子が殺されるかもしれないというのは母親にとっては悪夢なのだろう。特に夫が討ち死にしたとあってはその悪夢が現実味を増したという事だ。朽木家当主の座には何の未練も示さなかった。いそいそと帰り支度を始めた程だ。
そして俺は飛鳥井家の養子になった。最初は祖父の飛鳥井雅綱、伯父の飛鳥井雅春は朽木に戻れと言っていた。公家は貧しいからな、食い扶持が増えるのは大変というわけだ。だが朽木から援助が出ると分かってからは何も言わなくなった。今じゃ祖父も伯父も、いや祖父も養父もホクホクだな。
長門の叔父には椎茸栽培のノウハウと清酒、石鹸の造り方を教えた。それと綿花を作れとアドバイスした。代償はその利益の一割を俺に寄越すというものだ。援助額はだんだん大きくなる。今度は歯ブラシを作らせよう。援助額の半分は養父に渡しあとの半分は俺の貯金だ。
飛鳥井家は書道、和歌、蹴鞠を家業とする家だ。養子になった以上、家業の習得を疎かにするわけにはいかん。特に書道と蹴鞠は飛鳥井流として知られているのだからな。この書道だが他にも流派は有る。世尊寺流、持明院流、法性寺流、後京極流、宸翰様の各派、青蓮院流等だ。これらを書流というのだがこの中でも最も権威ある書法として用いられたのが世尊寺流だ。
世尊寺流は平安時代の三跡の一人、藤原行成に始まる。世尊寺流と呼ばれるのも行成の子孫が世尊寺家を名乗ったからだ。だが残念なことに世尊寺家は断絶し世尊寺流も断絶した。今から三十年ほど前の事らしい。それを惜しんだ当時の帝が筆頭門人の持明院基春にその書法を継承させた。それが持明院流で今では徐々に持明院流が最も権威ある書法、持明院家が書道の宗家となりつつある。
この持明院家と俺は些か関りが有る。俺の母親である綾ママは京に戻ってから持明院家に嫁いだからだ。無駄飯を食わせるような余裕は無いという事だな。相手は持明院基孝、基春の孫で従三位大蔵卿の地位にある。もうすぐ参議になるだろう。持明院家も家格は羽林だから家格も家業も同じ所へ嫁いだわけだ。それにお互いに再婚だ。変な気後れはせずに済むだろう。
時々遊びに行くのだが歓迎してもらえる。理由は俺から綾ママに多少の援助をしているからだ。持明院家は書道の家元なのだからそちらから収入は有るのだが決して楽ではないらしい。遊びに行くと持明院流の書を教えてくれる。有難い事なのだが俺には飛鳥井流と持明院流の違いが良く分からない。もっともその事を口に出した事は無い。
廊下を走る音がする。カラッと戸が開いて養母が顔を出した。ふっくらした丸い顔をしている。名は佐枝、おっとりした性格でちょっとぬけたところが有る。この養母と居るとストレスが溜まらないから俺は好きだ。現代なら癒し系と言ったところだな。
「あの……」
「如何した」
養父が声をかけても困ったような顔をして話そうとしない。養父が養母に近付いた。二人で顔を寄せ合って話している。時々俺を見る。徐々に養父の顔が強張りだした。どうやら俺の事で問題が起きているらしい。
「如何なされました、養父上、養母上」
思い切って声をかけたが二人とも無言だ。もう一度“如何なされました”と声をかけると養父がおずおずと話し出した。
「三好の者が来ているらしい」
「三好の?」
「そなたを預かると言っておる」
「預かる?」
預かるか、要するに人質だな。
何となく分かった。今京は戦乱の危機にある。将軍義藤が三好排除の兵を挙げ三好筑前守長慶と戦争状態にあるのだ。懲りない奴だ、この間も追い出されて和睦して戻って来たのに……。戻ってきたのが去年の正月だったな、だが今年の正月にはもう打倒三好で騒いでいた。上野民部大輔信孝、進士美作守晴舎という人物が義藤の側近として影響力を発揮しているらしいがこの二人が三好長慶排斥、将軍親政を強く主張しているらしい。進士美作守の娘は義藤の側室だから何を考えたのかは想像がつく。傀儡の将軍じゃ権力を振るえないという事だろう。
朽木の御爺から手紙が来たのもその頃だ。義藤が若い所為で簡単に煽られる、困ったものだと書いて有ったから三好は人も揃っていれば勢いも有る。当分三好の強勢は衰えないから義藤から誘いが来ても決して兵を出すな、先年の負け戦の損害から回復していないと言って断れと返事をした。その後だったな、二月頃だったと思うんだが伊勢伊勢守貞孝、大舘左衛門佐晴光、それに朽木の御爺が進士美作守と上野民部大輔の追放を義藤に訴えた。伊勢伊勢守は親三好派だが他の二人はそうじゃない。
大舘左衛門佐と朽木の御爺が伊勢守に加勢したのは三好には勝てないと思ったからだろうし進士美作守と上野民部大輔の行動が目に余ったからだろう。これ以上自由にさせては危険だと思ったのだ。或いはいい加減頭を冷やせと義藤に警告する意味も有ったのかもしれない。だが義藤は無視した。そして三月には義藤自身が長慶との和約を破棄して東山の麓に築いた霊山城に入城し、細川晴元と協力して長慶との戦争を始めた。長門の叔父は義藤から兵を出せと誘われたが俺の文の通りに返事をして傍観している。
そんなこんなで京はいつ戦火で焼かれるか分からない状況になりつつある……。公家社会じゃ義藤と晴元は迷惑な奴でしかない。このあたりの事情は朽木の御爺の文と権中納言山科言継から聞いたから知っている。山科言継は朽木の御爺にとっては義兄弟、相婿という関係でもう一人の相婿、権中納言葉室頼房と共に何かと俺を気にかけてくれている。御爺から頼まれているらしい。
「なるほど、人質ですね」
「かもしれぬ」
俺と養父の会話に兄の雅敦が“人質?”と首を傾げた。
「朽木を押さえようという事でしょう」
「うむ」
「御祖父様は?」
「今三好の者と話しているそうじゃ。なんとか帰ってもらおうとしている」
無駄だろうな。向こうは力が有ってこちらは力が無い。それに祖父、飛鳥井雅綱には相手を怯ませるような威は無い。
「私が会いましょう」
と言って席を立つと養父と養母が“竹若丸”、“お待ちなさい”と言ってきたが無視して玄関にと向かった。自然と後から二人が付いてくる形になった。その後から義兄が付いてくる。玄関では祖父と武者が話をしていたが先ず武者が俺に気付きその後で祖父が気付いた。武者は鎧は付けているが兜は付けていない。鎧は当世具足だな、胴の部分に金箔の装飾が有る、それなりの物だ。ふむ、一人か……。
「飛鳥井竹若丸である。そなた、名は?」
「三好家家臣、松永弾正久秀と申しまする」
男が頭を下げた。思わず“ほう”と声が出た。これが松永弾正久秀か。若いな、俺のイメージでは陰険な爺さんのイメージが有るんだが眼の前の弾正久秀は四十代前半の割と好い男だ。結構モテるだろう。
「私を預かりたいと聞いた。どなたの御命令かな?」
「主、三好筑前守の命にございまする」
弾正が頭を下げた。“俺”って言えないのが辛いわ。公家らしくないって怒られるんだ。そのうち“麿”って言うのだろうし“おじゃる”も使うようになるのだろう。扇子で口元を隠しながら“ほほほほほほ”って笑うようになるんだろうな。ゲロゲロ。
「そうか、ご苦労だな。朽木長門守を抑えるためか」
「はっ」
「分かった、行こう」
“竹若丸”、“待て”と騒ぐ大人達に“大丈夫です”と言って落ち着かせた。
「筑前守様は私を預かりたいと言っているのです。殺すとは言っておりませぬ」
「だが……」
「御祖父上様、武家にとって主命の重さは他に比較出来る物は有りませぬ。それに松永殿は一人にございます」
祖父、養父、養母が訝し気な表情をした。こいつら分かって無いな。弾正も可哀そうに……。
「その気になれば兵を引き連れて脅す事も無理やり引き立てる事も出来ましょう。それをせず事を穏便に進めようというのはこちらの面子を慮っての事、そして筑前守様の評判を気にしての事でございましょう。それだけの配慮をしております。無碍には出来ませぬ」
弾正が“畏れ入りまする”と頭を下げた。
「但し、一つ条件が有る」
「はっ、某に出来る事なれば」
うん、弾正は俺に好意を持ったらしい。
「難しい事ではない。筑前守様とお会いしたいのじゃ。会って話をする。私に人質としての価値が無いとなれば帰す、価値が有るとなれば留める。如何かな?」
弾正が“それは”と言って苦笑した。あんまり意味は無いよな。俺も笑った。でもね、会ってみたいんだよ、戦国の巨人、三好長慶に。良い機会じゃないか。
「分かりました。それでは輿を用意致しまする」
「この季節、輿は暑かろう。馬が良いな」
「馬でございますか?」
弾正が訝しげな表情をした。乗れるのかと思ったのだろう。残念だけど未だ乗れない。そろそろ練習しないと。
「そなたの馬に乗せてくれれば良い」
弾正がキョトンとした。“前に乗せてくれれば良い”と言うと苦笑した。
「では御連れ致しまする」
天文二十二年(1553年) 七月中旬 山城国葛野・愛宕郡 四条通り 三好邸 三好長慶
大叔父三好孫四郎長逸と談笑していると松永弾正が部屋に入って来た。話を止める。弾正がスルスルと滑らかな動きで近寄って来た、そして座ると一礼した。
「首尾は?」
「はっ、飛鳥井竹若丸殿を御連れ致しました」
「うむ、御苦労であった」
労うと“はっ”と畏まった。
「飛鳥井権大納言様は騒がなかったかな?」
大叔父が問うと弾正が“多少は”と答えた。
「であろうな、あそこは朽木からかなりの援助を得ておる。朽木は竹若丸殿に大分負い目を感じておるようじゃ」
大叔父の言葉に弾正が頷いた。三年前、朽木は高島越中との戦に敗れ当主宮内少輔が討死した。跡を継いだのは嫡男の竹若丸では無く弟の長門守。公方様がそれを命じたと聞くが問題はその後よ、朽木は徐々に豊かになりつつある。今回の戦、長門守は兵を出さぬようだが……。
「実は権大納言様を説得したのは竹若丸殿にございます」
「……」
「抵抗しても無駄だと。武家にとって主命の重さは他に比較出来るものでは無いと……」
思わず大叔父の顔を見た。大叔父も訝しげな表情をしている。
「竹若丸は確か五歳であったな」
「はい」
五歳でそのような事を? 大叔父が“真か?”と問うと弾正が大叔父の方を見て“真にございまする”と答えた。弾正が視線を戻した。
「その際の事でございまするが条件を付けられましてございまする」
「条件?」
妙な事を言う。問うと弾正が頷いた。
「殿に会いたいと、会って話がしたいと。その上で自分が人質として役に立たぬ事を説明すると」
儂に会いたい? 弾正はじっとこちらを見ている。弾正は会った方が良いと考えている。
「弾正よ、まともに取り合う必要が有るのか? 相手は五歳の子供であろう」
大叔父が問い掛けたが弾正は無言だ。それを見て大叔父が考え込む風情を見せた。判断しかねるのかもしれぬ。確かに相手は五歳の幼児だ。しかし幼児とは思えぬ言動をしているのも確か……。
「会った方が良いと弾正は考えるのだな? 会う価値が有ると?」
弾正が“某には分かりませぬ”と首を横に振った。そしてこちらを見た。
「なればこそ殿に御判断頂きとうございまする」
分からぬか……。大叔父の表情は変わらぬ。つまり大叔父も分からぬのだ。儂にも分からぬ。となれば弾正の言う通り、会って判断するしかあるまい。
「分かった、会おう。此処へ連れて参れ」
弾正が“はっ”と一礼して下がった。
「大叔父上、何が出るかな?」
「さて」
「鬼か、蛇か、それともただの人か」
「相手は五歳の子供ですぞ」
大叔父が呆れた様な声を出した。
「そうだがな、どうせ会うなら面白き者に会いたいものよ」
今度は大叔父が呆れたように首を横に振った。
弾正が戻って来た。廊下で片膝を着く。
「飛鳥井竹若丸殿を御連れしました」
「うむ、これへ」
小さい姿が現れた。五歳、年相応の身体だ。部屋に入って座ると弾正がその後ろに座った。竹若丸が一礼した。はて、どのような童子か。楽しみな事よ。