密談
永禄二年(1559年) 二月上旬 山城国葛野・愛宕郡 室町第 織田信長
「何者、か……」
「……」
「それが分からなくて困っている」
「名が無いと言うのか?」
「名は有る。飛鳥井基綱。十一歳で従五位下、侍従という大層な位階を貰っている」
思わず息を飲んだ。五郎八も眼を瞠っている。飛鳥井基綱と言えば関白近衛前嗣の懐刀といわれる宮中の実力者ではないか。未だ子供だと聞いてはいたが眼の前で手を焙っているこの童子がそうなのか? 帝の姫君の婚約者でも有る。しかし、真か? 桔梗屋に視線を向けると艶然と笑った。
「しかし自分がこの乱世に何故生まれたのか分からない。自分が何を為すべきなのかも」
侍従が“困った事だ”と言って笑った。
「何故俺、いや某を此処へ」
「俺で構わぬ。火鉢を囲んで手を焙っていると言うのに肩肘張る事に意味は無い。違うかな?」
「そうだな」
自然と苦笑が出た。この火鉢の前では身分など意味は無いか。それにしてもこの童子、如何見ても本当に童子だが真に童子か?
「何故俺を呼んだのだ?」
「会いたかったから」
会いたかった? 俺とか? どういう事だ? 五郎八も訝しげな表情をしている。
「織田殿は幕府を、公方を如何思われた?」
「……京に戻られ有るべき形になったと思うが」
侍従が皮肉な笑みを浮かべた。
「真にそう御思いか? 言葉を飾る必要など無いのに」
「……」
「この京では何か揉め事が起きれば幕府では無く三好筑前守殿に裁定を求める様になっている。幕府など有って無きが如し。それが京の現状。私も御大葬、御大典、改元、全てを幕府では無く三好家と話し合った」
「……」
「むしろ幕府も将軍も邪魔だな。いちいち気を遣わねばならぬ。鬱陶しいだけよ」
侍従が頬を歪めた。圧倒される思いが有った。幕府の無力を嘲笑う声は聞いた事は有る。だがここまであけすけに幕府を否定する言葉を聞いた事は無かった。五郎八も眼を剥いている。侍従が五郎八を見て“驚いたかな”と言って笑った。アワアワしながら五郎八は助けを求める様に俺を見た。それを見て侍従が更に笑った。
「織田殿も今日の謁見で実力など無い癖に勿体ぶると不愉快に思われなかったかな?」
「……そういう思いは有る」
やたらと勿体ぶって鼻持ちならぬと思った。俺には力が有るのだ。何故その力を認めぬのかと思った。
「残念だがこの天下は足利の作った天下だ。役に立たぬのに足利の権威が世の中を縛る。誰かがこの呪縛を解かぬ限り、あの連中は勿体ぶる事を止めないし世の混乱が収まる事も無い」
侍従がジッと俺を見ていた。気圧されるような眼だ。足利の世など潰してしまえと言っている。
「そうは思われぬか」
「……かもしれぬ」
侍従が“フッ”と笑った。
「まあ織田殿にとっては天下の事よりも尾張の方が大事だな。私の言葉など所詮は領地を持たぬ公家の戯言だ」
「……」
そうとも言切れぬ。領地が無いから天下という物を考える事が出来るのかもしれぬ。となれば我ら武家は何処かで領地に縛られているから天下を見る事が出来ぬ、いやそこまで行かなくても疎かになるのではないか。
「急いで尾張に戻った方が良い。岩倉を潰して今川を迎え撃つ態勢を整える事だ」
「そうだな、此処に居ても無駄か」
侍従が頷いた。
「無駄だ。公方が、幕府が織田を厚遇する事は無い。それよりグズグズしていると今川が動く。今川の狙いは津島と常滑だ。それを奪われたら織田に未来は無い」
侍従がまたジッと見ている。
「動くか?」
「動く。そう思ったから織田殿は京に来たのではないのかな。尾張で岩倉の織田伊勢守よりも有利な立場になるために幕府を頼ろうとした」
その通りだ。そして失敗した。それにしても随分と詳しい。余程に俺の事を調べている。しかし何故だ?
「今川戦に勝算はお有りか?」
「……分からん。有るとすれば今川勢を引き寄せ隙を突いて今川治部大輔の本隊を攻撃する、それくらいしかない。正面からぶつかっては兵数の差で勝てぬ」
五郎八の前だが気にならなかった。侍従が頷いた。
「そうだな、今川は大軍だが治部大輔は一人だ。本隊を突けば勝算は有る。問題は本隊の位置か」
「うむ」
「三河の松平を使えば良い」
「無理だ、次郎三郎は駿府に居る。それに女房子供も居る。寝返らせるのは難しかろう」
侍従が“フッ”と笑った。
「次郎三郎では無い、三河の松平だ」
三河の松平? ……なるほど、そういう事か。
「恐い事を考えるものよ、……上手く行くかもしれぬ」
「そう思うなら早く戻って岩倉を潰す事だ」
「うむ、馳走になった。お蔭で身体が暖まった」
「気を付けて帰られるが良い。美濃から刺客が出ているやもしれぬ」
美濃から? 無いとは言えぬ。
「注意しよう、また会えるかな?」
「その日を楽しみにしている」
侍従が眼で笑った。また会えるかもしれぬ。そんな気がした。その時俺は今川を退けているだろう。となれば或いは……、まさかそのために俺と? 侍従をもう一度見た。相変らず眼で笑っている。そうか、そのためか。胸に高揚するものが有った。立ち上がると五郎八、桔梗屋が立ち上がった。“御免”と言い捨てて部屋を出た。
永禄二年(1559年) 二月上旬 山城国葛野・愛宕郡 飛鳥井基綱
葉月が信長を送って戻って来た。
「宜しいのでございますか? 美濃の刺客の事。出ておりますよ」
「構わぬ。忠告はした。それで十分」
「今川の件、動きますか?」
「それも無用だ。ただ見届けてくれれば良い。織田殿の手並みをな」
葉月が俺を見ている。が無視して手を焙った。葉月が長を呼んでくると言って立ち去った。
信長か。肖像画によく似ている。細面で鼻筋が通っている。そして美男だ。羨ましいくらいだな。だが声はそれほど高くは無い。或いは叫ぶと高く聞こえる声なのかもしれないな。大分不満のようだったな。信長の上洛は不首尾だった。当然だ、上手く行く筈が無い。小説や漫画では上首尾に終わるという物も有る。しかしそんな事は有り得ない。上首尾に終わったのなら信長はそれを宣伝して対岩倉戦を有利に戦おうとした筈だ。だがそんな事実は無い。織田は下剋上の家なのだ。そんな家を幕府が好意的に見る筈が無い。そして信長は尾張を統一したわけでもない。国内が乱れているのだ。兵力も当てに出来ないとなれば義輝、そして幕臣達の信長を見る目は厳しかっただろう。何をしに来た? とでも思ったかもしれない。
幕府が信長に注目するようになるのは信長が桶狭間で今川を打ち破り三河の徳川と同盟を結んでからだ。あの同盟で信長は東の安全保障を確立した。美濃の斎藤を何とかすれば西へと兵を進める事が可能になったのだ。そして義昭が信長を頼るのは美濃を攻め獲った後だった。
信長が上洛したと言う事は今年が千五百五十九年という事だ。来年は千五百六十年、桶狭間の戦いと野良田の戦いが起きる。この桶狭間を切り抜ければ信長は天下に名乗りを上げる事が出来る。問題は信長も言っていたが義元の位置を特定出来るかだ。これ次第だ。
桶狭間で義元の首を獲ったのは偶然だったと言う説が有る。信長は攻撃した部隊に義元が居たとは知らなかったと。だが俺はそれに同意しない。父親の織田信秀の死後、織田家は混乱する。その混乱を収めて信長が織田家を掌握した時、今川の勢力は三河から尾張へと浸透していた。具体的には鳴海城、笠寺城、大高城、沓掛城が今川の物になった。この四城は尾張の中心部と知多半島を遮断する位置にある。
この時代の知多半島には農業生産力は殆ど無い。だが海運が盛んで常滑の焼き物が有った。そして尾張西部にある津島という湊、これも織田の重要な財源なのだがこれとも密接に絡んでいた。つまり米は生産しないが銭は生産したのだ。織田の財力は知多半島の焼き物と船、そして津島が支えたと言って良い。信長が尾張で勢力を拡大出来たのも知多半島と津島の生み出す銭が有ったからだ。今川義元の狙いはこの知多半島だ。これを押さえれば信長を干上がらせる事が出来る。そうなれば信長は国内での優位を確保出来ず信長自身が今川への服属を選択せざるを得ない状況になったかもしれない。そうなれば尾張は今川の物になっただろう。知多半島の、それを尾張中心部から遮断する位置にある鳴海城、笠寺城、大高城、沓掛城の重要性が分かるだろう。
この状況下で信長は笠寺城を奪還し鳴海城、大高城の周辺に砦を築いて締め上げた。補給線を分断し兵糧攻めにしたのだ。義元は当然鳴海城、大高城を守るために兵を出す。守りきり織田の逆襲を撥ね退ければ知多半島に残る織田派の国人も織田に見切りを付けて今川に乗り換えるだろうと義元は考えた筈だ。となれば義元が兵を惜しんだとは思えない。駿河、遠江、三河の三国で約七十万石、二万は出しただろう。武田、北条も援軍を出したというから二万五千前後は動員したのだと思う。
信長もこうなる事は分かっていた筈だ。何の策も無しに鳴海城、大高城を締め付けたとも思えない。如何すれば今川を押し返せるか? いくら銭が有っても兵力では劣勢だ。となれば狙いを絞っただろう。今川を退かせる最善の手、つまり義元の本隊を襲う、そう考えたのだ。
信長公記には信長が義元の居場所を知らなかったように書いてある。そして多くの学者達は信長公記は信頼性が高いとして義元の首を獲ったのは偶然だとする。しかしな、信長公記は信長の家臣、太田牛一が書いた。当然だが信長に配慮しただろう。書かなかった部分、書けなかった部分が有る筈だ。それが桶狭間だと思う。
何故書けなかったか? 俺は德川が絡んだからだと思う。義元の本陣の位置を信長に教えたのは三河松平だ。家康では無い。今川時代の家康は人質という事で酷い事をされたと見られがちだ。だが家康は義元の姪と結婚し今川の親族として扱われている。待遇に不満が有ったとは思えない。それに父親の広忠死後、今川が幼い竹千代を三河に戻していたらどうなっただろう?
幼い竹千代を誰が擁するかで三河松平武士団は混乱、分裂、対立しただろう。そうなれば竹千代自身の命も危なかった筈だ。そんな例は戦国時代には幾らでも有る。家康も自分が無事に成人出来たのは今川の御蔭だと理解していただろう。家康に繋ぎを付けても無駄だ。奴が義元を裏切る事は無い。だから三河松平武士団に繋ぎを付ける。皮肉な話だが三河松平武士団が纏まったのは竹千代が三河に居らず今川が三河を治めたからだった。三河松平武士団は今川を恨む事で、竹千代の帰還を信じる事で纏まったのだ。
松平は戦では先鋒を命じられるのだ。義元の本隊の位置を教えれば信長の眼はそちらに行く。その分だけ前線に居る自分達は安全になる。そう判断すれば家康には内緒で信長に通じた可能性は有る。信長は松平勢が丸根砦に攻めかかった時点で兵を出し熱田神宮に行く。松平勢は丸根砦を攻略した後、任務成功の使者を義元に出す。織田の忍びはその後を追う。場所を特定した忍びは熱田神宮に行き信長に義元の居場所を教える。……これでは太田牛一は真実を書けない。書けば家康をコケにすることになる。
義元が竹千代を三河に戻さなかったのはそれが今川の為だと思ったのだろうが竹千代に対する哀れみも有ったからだろう。……甘いよ。そんな事やってるから今川が滅んだ。俺なら竹千代を戻して松平家を滅茶苦茶にする。多分竹千代は殺されるだろう。その後で兵を出して三河を併合する。三河武士に恨まれずに済むし一本釣りで自分の家臣にすれば喜ぶだろう。その気になれば十年前に出来た事だ。
「侍従様」
何時の間にか葉月が入口に戻っていた。一人の男を伴っている。これが長か。
「我らの長、黒野重蔵にございます」
「御初に御目にかかりまする。黒野重蔵にございまする」
商人の身形をしているが筋骨逞しい男だ。顔立ちに特徴は無い、だが眼には鋭さを感じた。
「遠慮は要らぬ。こちらへ」
重蔵が“では、失礼します”と言って入って来た。
永禄二年(1559年) 二月下旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井基綱
ここで跳ねてそのまま上で点を打つ。筆先の曲りを直して次の字を書く。今日は弓術の稽古でちょっと右腕を痛めたから辛いが我慢だ。上に上げてそのまま下に一直線に降ろして跳ねて下から上に抑えの線を入れた。うん、てへんが出来た。次は歩くを書かねばならん。これで捗るという字になる。書き終えて筆を置くと養母が満足そうな笑みを見せた。
「随分と上達しましたね」
「有難うございます、養母上」
「侍従殿は飛鳥井家の人間なのですから書が下手では困ります。まだまだ頑張らなければなりませぬよ」
「はい」
もっともな言葉だ。飛鳥井家は書道、和歌、蹴鞠と才能豊かな家なのだ。困った事に俺は和歌は全然駄目だ。だから書道と蹴鞠は一生懸命頑張っている。その甲斐あって書道と蹴鞠は養母も伯父も認めてくれる程には上達した。
剣術、弓術、馬術も学んでいるのだから俺は結構熱心に勉強していると言える。他にも四書五経を学んでいるし今は貞観政要を読んでいる。次は武経七書だな。その辺りは伯父も感心していて従兄弟の雅敦にも見習えと言っているらしい。その所為で雅敦も一生懸命頑張っているそうだ。
分からない所は清原枝賢という人物に訊いている。伊勢権守で明経博士の地位にある。明経博士というのは五経を中心とした儒学を教えるのが仕事だ。当代の名儒学者と言われているらしい。今回の改元でも帝は枝賢に相談したようだから帝の信頼も厚いのだ。ついでに言うと三好長慶とも親しいらしいから世渡りが上手いのだろう。
あらあら伯父が現れた。表情が硬いな。日野家の事が決まったかな? 言っておくがもう俺は日野家の事には関わるつもりは無いぞ。
「如何なされました、兄上」
「幕府から使者が来た。細川兵部大輔じゃ」
「まあ」
「公方が侍従に会いたがっているらしい。室町第へ来て欲しいと言っている」
二人が俺を見た。
なるほど、呼び出しがかかったか。何時かは来るんじゃないかと思っていた。早かったのかな? それとも遅かったのか……。しかしこのタイミングで呼び出しか。日野家の事かな? 広橋が動いた? それとも御大葬、御大典、改元か。或いは全部? 幕臣達の間では評判悪いだろうな。居心地の悪い会見になりそうだ。
養母が“如何します”と問い掛けてきた。不安そうな表情だ。伯父も不安そうにしている。少し胸が痛んだ。だがこれは断れない。
「行きます」
会ってみよう、足利義輝がどんな男か。御爺からの文で大凡は知っている。しかしこの眼で確認出来る良い機会だ。