卓袱台返し
弘治三年(1557年) 八月下旬 摂津国島上郡原村 芥川山城 飛鳥井基綱
「されば、先程も申し上げましたが御大葬、御大典は本来なら公方様の御役目にございます。それを三好家が執り行う。御大葬に一千貫、御大典に二千貫。御大典は一年後でございますから費えの面では難しくはありませぬ。しかし公方様がそれを如何思われるか……」
筑前守が“ホウッ”と息を吐いた。なかなかの役者だな。
「おそらくは某を僭越と声高に責め六角、畠山と共に三好を攻めようと致しましょう。となれば我らは朝廷のお役に立とうとして苦境を招く事になります。そうではないかな?」
筑前守が左右に控えた家臣達に声をかけると“如何にも”、“その通り”と声が上がった。あらら、殿下が困惑している。条件が厳しくなると思ったかな。実際この流れで行くと厳しくなるだろう。義輝の上を行く官位を寄越せとか言い出しかねない。
良いんだよ、官位を与えるのは。しかしね、与え方が問題だ。交換条件で与えるんじゃなく恩に着せて与える。それでこそ朝廷が強い立場に立てる。力が無いんだから権威の有り難さをしっかりと三好に叩き込まなければならないんだ。今のままじゃ無理だな。この流れを断ち切るには卓袱台返しだ。相手の作った料理なんぞ全部拒否、料理はこっちで作る。お前らは黙って喰え。
「ほほほほほほ」
扇子で口元を抑えながら笑い声を上げた。勿論流し目で三好筑前守を蔑みの視線で見る。もう公家のいやらしさ爆発だな。
「はてさて、困りましたなあ、殿下。筑前守殿にはこちらの配慮を御理解頂けぬようにおじゃります。九条様も頼りない。何のために話を通したのか、役に立ちませぬな」
軽く貶してもう一度“ほほほほほほ”と笑い声を上げた。あらあら、皆ムッとしている。筑前守も不愉快そうだ。あのなあ、この程度で怒っちゃ公家とは付き合えないよ。天下にはとてもじゃないが届かない。俺が鍛えてやるよ。サラリーマン時代に培った技術でな。殿下、殿下も合わせろよ。視線を流すと殿下も“真に”と言って笑った。ふたりで“ほほほほほ”の合唱だ。流石に筋は悪くない。
「怒りましたかな? いけませぬなあ、この程度で怒っては。天下は取れませぬぞ」
“フフフ”と今度は含み笑いを漏らした。ここが大事だよ。敢えて天下という言葉を出す事で皆の度肝を抜く。見ろ、三好の家臣達は怒りなんて忘れている。顔を見合わせている者も居る。“良いの、そんなこと言って”。そんな感じだ。この連中の心は俺が何を言うのか期待半分、恐怖半分だ。ホラー映画でも見ている気分だろう。
「宜しいかな? 朽木に滞在する公方に御大葬の費えを出す力が無い事など最初から分かっておじゃります。例え銭が有っても公方なら御大葬よりも三好討伐に使いたがりましょう。頼るだけ無駄、にも拘らず敢えて朽木に使者を出したのは何故か?」
此処で一息入れる。そして見渡す。お前ら分かっているか? 最後に筑前守を見た。
「筑前守殿、御分かりでおじゃりましょうな」
筑前守が苦笑を浮かべた。ちょっと演技が過剰かな?
「公方様を無視したわけでは無いという形を作った、そういう事ですな」
「その通り。断ったのは公方、非は公方におじゃります。それを棚に上げて僭越と言っても……。ほほほほほほ」
もう一度笑った。殿下も笑う。又合唱だ。面白くないだろうな、筑前守は。苦笑が段々深くなる。そのうち渋面になりそうだ。
「まあ筑前守殿の不安も分かります。朝廷から六角、畠山に事の経緯を説明する使者を出しましょう。今回の一件、公方が武家の棟梁としての責務を果たさないから朝廷は三好家に依頼したのだと。非は公方に有りこの件で三好筑前守を僭越と責めるのは不当であると。そして朝廷は御大葬、御大典が無事に執り行われる事を望んでいると。殿下、如何でおじゃりましょうか」
殿下がまた“ほほほほほほ”と笑った。
「そうでおじゃりますなあ、侍従の言う通り使者を出しましょうか。六角、畠山の他に朝倉、浅井、能登の畠山、長尾、今川、武田、北条、毛利、大友、伊東にも使者を出しましょう。あ、若狭の武田を忘れておりましたな、ほほほほほほ」
そうそう、その調子。恩に着せるのはこっちだよ。あんた達三好家は素直に感謝しなさい。
「しかし、六角、畠山を始めとする諸大名が朝廷のご意向に従うとは限りますまい。兵を上げる可能性も有る」
三好筑前守が唸る様な口調で抗議した。
「かもしれませぬなあ。しかしそれが何か?」
全員が“えっ?”という表情をした。顔を見合わせている。筑前守もこっちをまじまじと見ていた。そうだよな、戦にしない方法を話し合っていたと思っていたんだから。違うんだよ、もう卓袱台返しをした後なんだ。話は戦が前提だよ。
「未だお分かりになりませぬか?」
「……」
「朝廷は三好家に天下人の実が有ると判断しております。だから御大葬、御大典を恙無く執り行うようにと要請した。そしてそれを行っても責められぬだけの大義名分を与えたと言っているのです。六角、畠山、いや公方と戦おうとも三好家が一方的に僭越、下剋上と責められる事はおじゃりませぬ。いや、むしろ非は公方に有ります。不足でおじゃりますかな?」
三好の家臣達はまた顔を見合わせている。困惑だな。筑前守はジッとこちらを見ていた。
「朝廷は三好家が戦う事を、戦って勝つ事を望んでいると?」
「ほほほほほほ、そのような事は申しておじゃりませぬ。朝廷は三好家に大義名分を与えたと言っているのです。筑前守殿が大義名分を如何使うかは筑前守殿が判断する事。戦をするも良し、戦をせぬも良し。戦をせぬ我らが強要する事ではおじゃりませぬ」
言質は与えないよ。与えるのは選択肢だ。
「……断れば」
低い声だった。ここが勝負どころだな。腹の底に力を入れた。
「今一度、公方に依頼します」
「公方様が費えを出すと?」
「御大典は難しいでしょうが御大葬は費えを出しましょう。ここで費えを出せば三好筑前守殿の顔を潰せるのですから。そして将軍家の存在感を示す事になる」
「……」
彼方此方で呻き声が聞こえた。
「面白い話を致しましょう。元々公方に話を持って行った時には御大葬の費えを出さぬようにと麿が祖父に頼んだのですよ。ま、最初から公方は出すつもりが無かったようですが。御分りでしょう? 足利が存在感を示す事など筑前守殿が許さぬと思ったのです。だから戦が起きぬように配慮しました。それが公方の為にもなりますからな。しかしそれを肝心の筑前守殿に理解して頂けぬとは、なんとも残念な事でおじゃります」
溜息を吐いて扇で顔を隠した。呻き声がまた聞こえた。分かったか? もうここまで来たら四の五の言わずに黙って受けるしかないんだよ。
「殿下、筑前守殿に改めて御大葬、御大典の儀、依頼成されては如何でおじゃりましょう」
「そうでおじゃりますの。筑前守殿、お願い出来ますかな?」
皆の視線が筑前守に集まった。顔が渋いぞ、筑前守。そんなに睨むなよ、三好孫四郎。
「……喜んで御受け致しまする」
筑前守が畏まると家臣達も畏まった。これで話は纏まった。しかしね、喜んでる声じゃなかったな。どうせ受けるならもう少し嬉しそうな声を出せば可愛いのに。俺はお前達の立場を考えてやったんだぞ。
城を出て京へと戻る最中、従者に馬を引かせながら殿下は馬上で上機嫌だった。京への道だ、旅人、行商人が大勢歩いている。
「侍従、此度の事、礼を言いますぞ。侍従のおかげで麿の面目も立ちます。それだけではおじゃりませぬ、朝廷も面目が立つ」
「麿も飛鳥井の姓を名乗る者におじゃります。お役に立てれば幸いというもの」
殿下がウンウンと頷く。
「それより殿下、問題はこの後」
「そうでおじゃりますな」
朽木に居る義輝が如何動くか。六角、畠山、朝倉、浅井、武田等に使者を出す……。いきなり前方で騒ぎが起こった。
道から少し離れた草叢で騒ぎが起きている。騒ぎじゃないな、闘争だ。刀を振るっている者が居る。
「侍従、駆けますぞ」
「殿下?」
「麿らを待ち受けたのかもしれませぬ。混乱しているうちに駆け抜けましょう」
「他の道は?」
「待ち伏せが有るやもしれませぬ。その方らは後から参れ」
従者達に言い捨てると“行きますぞ、はい!”と掛け声とともに駆け出した。慌てて俺も従者に後から来いと言い捨てて掛け声と共に馬腹を蹴った。馬が走り出す、身を伏せて膝で馬の腰を締めた。大丈夫かな、俺の馬は大人しいちょっと小さめの牝馬なんだが。しっかり走ってくれよ。
草叢の横を駆け抜ける時、“待て!”、“逃がすな!”と声が上がり矢が飛んできた。殿下じゃない、狙いは俺だ。幸い狙いは逸れている。鞭を入れて先を走る殿下の後を追った。三好孫四郎の顔が浮かんだ。妙に黙っていた筈だ。最初から俺を殺すつもりだったか。だが問題はそこじゃない。誰が俺を助けたかだ。そいつはかなり頼りになるらしい。後で礼を言わなければならん。
弘治三年(1557年) 十月中旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井基綱
「此度の御大葬、御大典の献金、侍従が良くやってくれました」
関白殿下の言葉に新帝が満足そうに“うむ”と頷いた。場所は清涼殿の中にある常御所。つまり帝の居住空間だ。俺は“畏れ入りまする”と言って頭を下げた。それを左大臣西園寺公朝、右大臣花山院家輔、内大臣広橋兼秀が満足そうに見ている。殿下は左大臣を西園寺公朝に譲って関白だけになった。つまりそれだけ地位が安定したのだろう。御大葬、御大典の御陰だ。殿下が俺を褒めるのもおかしな話じゃない。他にいるのは太閤九条稙通、太閤二条晴良、飛鳥井の祖父と伯父、それに勧修寺、山科等だ。ちなみに俺は初めて此処に来た。ちょっと緊張している。
皆喜んでも良さそうだが九条と二条は必ずしも嬉しそうな表情ではない。今回の御大葬、御大典は俺と関白殿下が主導する形で費用を工面した。当然だが新帝の関白、俺への信頼は高まりつつあると養母が教えてくれた。だがこの二人は近衛の勢力が強まるのが面白くないらしい。そして俺は関白の懐刀と認識されつつある。そんなつもりは無いんだけどな。
九月初旬、帝が崩御した。直ちに方仁親王が践祚し新たな帝となった。御大葬は支障なく行われた。三好筑前守は御大葬の費用一千貫、御大典の費用二千五百貫を即座に献金した。三好の財力を天下に示そうという事らしい。流石は三好筑前守だな。ぱっと切り替えて最善の選択をした。六角や畠山も三好の財力には背筋が凍っただろう。
朝廷も各大名に使者を出した。三好筑前守は豪い! 流石! お金持ち! 朝廷のために一生懸命尽くしてくれる頼りになる男! さあ皆も三好筑前守を讃えよう! と持ち上げたわけだ。大名達からは三好筑前守に様々な文が届いたらしい。これまで碌に手紙なんて寄越さなかった連中が文を寄越したんだ。噂によると三好筑前守もまんざらじゃないそうだ。
「此度の侍従の働きによって朝廷は面目を保つ事が出来ました。侍従には何ぞ恩賞を与えるべきかと臣は愚考致しまする」
殿下の言葉に帝が“もっともである”と頷いた。取引条件無しで献金をさせた俺の功績は大きい。つまりこの場は俺への恩賞を如何するかという協議の場なんだ。なんでこんな事をしているかというと俺が従五位上左近衛少将への昇進を断ったからだ。本家の雅敦より上に行くのは拙いだろう。でもね、朝廷が出せる恩賞なんて官位しか無いんだ。だから困ってこうして集まっている。
「何か望みはあるか? 望みの物を取らせよう」
「はっ、臣は若年にして未熟。侍従の職責も満足に果たせませぬ。昇進は辞退致しまする」
「……」
この時代の公家なんて実権は何もない。官位の昇進しか楽しみは無いんだ。その分だけ出世争いは激しい。昇進を断られるのは困惑だろうな。
「ただ、叶う事ならば春齢女王様を我妻に頂きたく、これをお許し頂ければこれ以上の喜び、望みはございませぬ」
“なんと!”、“控えよ”という声が上がった。九条と二条だな。帝は困惑している。
「勿論、身分を弁えぬ想いという事は分かっておりまする。その上での願いにございます。何卒」
頭を下げて頼んだ。これしかないんだ。春齢を尼寺行きから救うにはこれしかない。俺への恩賞として与える。こういう形をとるしかない。しかしなあ、十歳にならない子供がお嫁さんが欲しいって……、溜息出そう。
“ほほほほほほ”と笑い声が上がった。関白殿下だった。
「筒井筒の恋でおじゃりますな。なんとも微笑ましい」
“殿下”、“関白”と咎める声が上がった。
「麿は春齢女王様を臣籍に降ろし侍従の元に降嫁させるべきかと思いまする」
「……」
皆が殿下を見詰める。殿下がその視線を跳ね返すかのように一人ずつ視線を合わせた。視線が合った人間は皆視線を逸らした。やるねえ。
「此度、御大葬が滞りなく行われ御大典も明年には支障なく行われましょう。嘆かわしい事ではおじゃりますがここ数代の御代では無かった事におじゃります。それだけに皆が帝の治世は素晴らしいものになるに違いないと喜んでいるのです。そのような時に帝に言葉を翻させるような事をしてはなりませぬ。綸言汗の如し、一度発せられた言葉は守られてこそ重みを増しましょう。それこそが帝の権威を高めるというもの、そして帝にも御自身の言葉の重みを御理解して頂かねばなりませぬ。そうではおじゃりませぬか?」
皆無言だ。反論は無い。
「関白の申す通りである。朕は朕の言葉を守ろう。春齢を侍従に娶せる。左様心得るように」
皆が畏まった。俺も“有難うございまする”と礼を言った。
「侍従、娘を頼むぞ」
「はっ、この御恩決して忘れませぬ。非才ながら懸命に努めまする」
本当だよ。元の世界だったら内親王と結婚なんて有り得なかった。公家になって天皇の女婿になったんだから一生懸命頑張るさ。
部屋に戻って一人でいると殿下が入って来た。
「先程はお力添え有難うございました」
礼を言うと“ほほほほほほ”と笑いながら座った。
「此度の事、侍従は目々典侍の恩に報いたいと思っての事ではおじゃりませぬかな?」
「……」
「外見とは違いますな、意外に情に厚い」
「……」
俺って冷たく見えるのかな。そっちの方が心外なんだけど。
「答えませぬか。まあ良い、侍従にはこれからも協力してもらう事になりますからな」
「……麿に出来る事ならば喜んで尽力致しまする」
殿下が満足そうに頷く。そして顔を寄せてきた。
「侍従には強力な護符が要りましょう」
小声だ。互いに相手の顔をジッと見た。
「帝の女婿ともなれば愚かな事を考える者も居なくなる筈」
なるほど、それでか。流石だな、内では帝を戒め外では三好孫四郎への戒める。そして俺には恩に着せるとは……。
「侍従、御大葬が無事終わり次は御大典。なれどその前に一つ片付けねばならぬ事が有ります」
殿下の視線が痛い。分かるか? と確認している。
「御代が変わった以上、こちらも変えねばなりませぬ」
殿下が満足そうに頷いた。合格らしい。
「こちらの方が御大葬、御大典より厄介かもしれませぬぞ」
そうかもしれないな。こっちは一つ間違えると大戦になる。如何したものかと考えているとバタバタと走って来る音がした。“侍従殿!”、“兄様!”と声が聞こえる。殿下がクスッと笑った。
「侍従、これからも頼みますぞ」
ポンポンと扇子で俺の肩を叩いて立ち上がった。え、ちょっと、行っちゃうの。もう少しお話しようよ。ちょっと……。
「侍従殿!」
「兄様!」
扇子で顔を隠した。溜息が出そう。




